第4話「グーグーチキンといわくつきの資料室」
油と脂とスパイスの匂いが充満する中に、恵一とフェイトは居た。
恵一はともかく、可憐なフェイトには、似つかわしいとは言えない空間だ。
食事は、恵一行きつけのフライドチキンの有名チェーン店「グーグーチキン」で取る事になり、二人はその店内に居る。
リアスサンで生まれた「グーグーチキン」は、世界中に支店を持つ大企業で、恵一はここのチキンを日に三ピースも食べるのだ。
恵一とフェイトが入った警察庁前店は、ランチタイムという事もあって、警察官でごった返している。
二人は、窓際のカウンター席に並んで座り、外を眺めながらフライドチキンにかぶり付いていた。
十数種類のスパイスで味付けされたジューシーなチキンは、チェーン店の味とは思えない高級感がある。口内に広がる刺激的な肉汁を飲み干すと恵一は、食べ掛けのチキンをバスケットの上に置いた。
「ごめんね」
恵一が謝罪を口にするとフェイトは食べる手を止めて、素っ頓狂な声を上げた。
「はい?」
「さっきから酷い態度を取ってしまって。それにぶったりして」
恵一は、出会ってからフェイトに取った行動全てを後悔していた。
例え女性恐怖症だとしても、彼女への態度はあまりに辛辣であると。
しかしフェイトは、全く気にしていないと告げるように笑みを浮かべていた
「いえ、誰にでも苦手な物はありますから」
「ほんとにごめんね。慣れてない女性に突然触られるとついパニックに」
「じゃあなるべく触ったり、近付いたりしないようにしますね」
「ごめん。お詫びにしては安いけど、ここは僕が払うから」
「いえ、お金ならあります」
「お詫びさせてよ。それに、ここも付き合わせてしまったし。揚げ物なんて普段食べないだろう?」
フェイトは、華奢な体格でありながら付くべき所にはちゃんと肉が付いていた。
特に胸の膨らみは、制服の上からでもはっきりと分かる。
相当気を付けて管理しないとこういったスタイルにならないはずだ。
しかし当のフェイト本人は自覚がないのか、ジュースを飲みながら不思議そうにしている。
「どうしてですか?」
「あ、いや。スタイルいいからさ。気を使ってるんじゃないかと」
恵一は言い終えてから、セクハラまがいの発言をした事に戸惑った。
数十秒前に女性恐怖症を宣言しておいて、彼女の身体をまじまじと見ていた事になる。
本末転倒という単語が恵一の脳内をぐるぐると回った。
しかしフェイトの見せる笑顔にはまったく嫌悪は滲んでおらず、むしろやり取りを楽しんでいる、そんな印象を抱かせる。
「そんなに気は使っていませんよ。私結構太り難いんです」
チキンを持ち、悪戯っぽく笑うフェイトの愛らしさに、恵一の胸に針で刺されるのに似た感覚が走る。
どうやら女性が苦手でも、可愛らしい姿にはときめきを感じるらしい。
自己分析も程々に、恵一もチキンを手に取り、頬張った。
「そっか。じゃあ僕と同じだ」
クスッと微笑み、フェイトが頷いた。
「これを食べたらどうしますか?」
そう尋ねられた途端、楽しい気分に浸っていた恵一は、現実へ引き戻される。
フェイトの言葉で被害者の無残な姿が脳裏に蘇ったのだ。
恵一は、自らのすべき事を思い出し、言を発した。
「とりあえず本部に帰って資料のチェックをしようか」
「了解です」
二人は次の行動を確認し合い、フライドチキンを手早く腹に収めた。
警察庁に戻った恵一とフェイトは、地下に造られた資料室へと向かった。
捜査資料のデータ化が始まって数十年経つが、紙媒体の資料が現在でも主流である。
特に恵一は、紙の資料を机に広げて眺めるタイプだったので、タブレットはほとんど利用しない。
恵一が資料室の扉を開けた途端、香水を零した様な強烈な香りが鼻を突く。初体験のフェイトは咄嗟に鼻を摘まんだが、無理もないだろう。
室内は薄暗く、入口の正面に作りのしっかりした木製のカウンターテーブルが置かれており、その奥には捜査資料を収める棚と、そこに入り切らなかった資料の山が床に積み上げられている。
「おやおや恵一君。女嫌いがまた美女を連れてるね」
恵一がカウンターテーブルを見やると、そこには小柄な女性が座っていた。
百五十センチもない背丈の女性なのだが、愛嬌のある顔に眼鏡を掛けており、ショートヘヤーが相まってその容姿は美人と言ってよい。
くたびれたシャツの上に皺だらけの白衣を羽織っており、服装には無頓着である事は誰の目にも明らかだ。
恵一は、彼女の興味の対象となったフェイトを手で示す。
「新人のリーンベイル巡査だよ。こちらは、資料管理官のアリナ・ミリエ」
アリナ・ミリエ、二十八歳。
資料室勤務の魔導師で得意系統は捜索魔法。
恵一が
アリナはカウンターテーブルを飛び越えてフェイトの眼前に立った。
身長が百六十センチ前半あるフェイトと並んでいると、余計にアリナの小柄さは際立つ。
「よろしくリーンベイルちゃん」
アリナが手を差し出すと、フェイトは笑みを浮かべて手を握り返した。
「よろしくお願いします」
フェイトの第一声にアリナの顔が紅潮していく。
どうやら彼女のお眼鏡に叶ったらしい事に恵一は、今後フェイトが置かれるであろう過酷過ぎる運命に対して憐れみを抱いた。
恵一を尻目にアリナは、フェイトの手を離そうとはせず、握りしめたまま詰め寄っている。
「名前はなんて言うの、上の」
「フェイト……です」
「フェイトちゃんとか超可愛いんですけどー!!」
いくら小柄の女性とは言え、初対面の相手が鼻息荒く近付いて来たら、誰でも恐怖を抱くだろう。
愛想の良いフェイトがアリナと出会ってから僅か一分程で苦笑している様には、恵一も閉口させられていた。
「いやーフェイトちゃんか~かわええ名前やねー。恵一君も名前まで呼んだげなよ、フェイトちゅわんって」
「類似した事件の資料を探して欲しいんだ」
アリナが調子に乗ると、一時間は雑談に付き合わされるのが常。
先手を取って話題を切り替えると、アリナは唇を尖らせた。
「仕事人間はこれだから。いいよ。どんな資料」
アリナがムーンサルトを決めながら、アクロバティックなアクションで受け付け用のカウンターテーブルを飛び越えると恵一は顎先を指で叩いた。
「殺人事件。死因は失血死。手口は魔力刃での頸動脈切断」
「あいよー」
恵一の要望を聞き終えたアリナがゆっくりと目を閉じる。
深く息を吸い込み、音が聞き取れない程静かに吐き出す。
数度呼吸を続けると、アリナの身体が黄金に光り輝き、部屋に置かれた資料棚が震え出した。
アリナが両手を大きく開いて掲げると一斉に棚や床に積まれた山から資料が飛び出し、アリナの両手の間にある空間へ集まって激しく回転し出した。
アリナが息を吐き出しながら手を下ろしていくとそれに比例して、資料の動きが緩慢になっていく。
彼女が両手をカウンターテーブルに付くと、丁寧に重ねられた資料の束がテーブルの上に置かれた。
「アリナさんすごいです!!」
魔法による資料検索と整理を初めて見たのか、フェイトが感嘆の声を漏らした。
称賛を受けたアリナは、鼻を鳴らしながらカウンターテーブルを乗り越えて恵一に資料を手渡してくる。
「こんぐらいかね」
「助かるよ」
恵一が資料を受け取るとアリナは、唇を突き出して身体をくねらせ始めた。
「そう思うならフェイトちゃんとチューしてよチュー。最近ラブシーン見てないからさ」
アリナの台詞に、恵一は再度辟易とした。
恵一が優子と資料室を訪れる度、キスだのハグだのをせがまれる。
どうやら恵一だけでなく、男女ペアの刑事全員がターゲットにされているらしく、アリナの居る第二資料室は他と比べて訪れる人が少なかった。
けれども、それは受け渡しの待ち時間がないと言う裏返しでもあり、アリナの検索魔法が優秀なのも手伝って、恵一はこの資料室を利用する事が多い。
「お断りします」
手慣れた調子で恵一が切り返すと、アリナが驚愕して受付から飛び出してきた。
「フェイトちゃんとキス出来ないって!! こんな可愛いのに!?」
「僕が女性恐怖症なの知ってるでしょ」
恵一の言葉にアリナは、舌打ちをして受付カウンターを飛び越えて定位置に戻ると、白衣に煽られて強烈な匂いが鼻腔に入り込んで来る。
受付の上には隙間なくマジックウッドが置かれており、その匂いが貰った資料にも染み付いていた。
「この部屋の匂い相変わらずだね」
「えーいいじゃん。マジックウッドは、読み物をする時最適な香りなんだよ」
アリナの言うようにマジックウッドは、心を落ち着かせるリラックス効果がある。
ベルガモットに似た良い香りがするし、マジックアイテムの調合にもよく使われていた。
とは言え、香水を大量に振り撒いたら不快なのと同じで、数十個のマジックウッドを同じ場所に置いたら嗅ぐに耐えない香りとなる。
「図書館行かないの? よく置いてあるじゃんか」
「こんなたくさん置いてる所はないよ。そうだ、こんなにあるなら一個くれない? 魔法弾用の材料に使いたいんだ」
「また趣味の調合か。理系のオタクはこれだからねー」
恵一は、学生時代から魔法弾の調合を趣味としている。
給料の大半は調合材料費に消える程のめり込んでおり、丁度現在試作中の魔法弾にマジックウッドが必要であった。
マジックウッドは大変な高級品で、苗一つで軽自動車が買える。
価値を知っているアリナは、目の前にあった鉢を抱き抱えるとわざとらしい嗚咽を漏らした。
「ダメ! 高いんだから! さっさと行け! 行かないとフェイトちゃんにチューするぞ!!」
マジックウッドは交渉の余地もなく、とりあえず欲しい物も手に入ったので、恵一はアリナの言を無視して資料室を後にした。
少し遅れて付いてきたフェイトを見やると困惑の色を浮かべている。
「変わった人ですね」
「優秀さの代償だよ、きっと」
恵一とフェイトは、アリナの話題で盛り上がりつつ、魔法犯罪課のオフィスに向かった。
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