第15話「第三埠頭にて」

「間違いないのか、河内」


 警察庁長官室。

 そこでラルフ・カートマン長官は、豪勢な木製のデスクに座り、緑茶の入ったティーカップを口に運びながらデスクの前に立つ河内春之を見つめている。

 つい先ほど長官室を訪れた河内は、ラルフに恵一の抱いている疑惑について聞かされた。

 いつもは笑顔で語らう二人だったが、この時ばかりは笑みが消え失せている。


「私は、あの新巻恵一を結構信頼してます。その彼が言うなら可能性は高いでしょう」


 河内は、若いながらも恵一を優秀な捜査官として信頼している。

 特に推理力と正義感に関しては一目置いているのだ。

 その恵一が確証もなしにそんな告発をするはずがない。

 だからこそ河内は、恵一の疑惑を信じたのである。


「分かってるよ。だからこそ参ってるんじゃないか」


 ラルフは、椅子に深く腰掛けて息をついた。


「あいつの仮説が本当だとしたら、警察史上始まって以来の不祥事だ」


「だからあなたに話しているんですよ。あなたは、いつでも不正に立ち向かっていた」


 若いころから正義感の塊であったラルフは、上司や上層部の不正を見つければそれを暴こうと躍起になっていた。

 そんなラルフに全幅の信頼を寄せるからこそ河内は、隠蔽されかねない疑惑について話しているのだ。

 しかし当のラルフは、困り果てた様子で微笑んだ。


「もう老いたよ」


「それでもあなたは――」


 食い下がろうとする河内に、ラルフは重々しい呼気を吐き出した。


「私も敵は多い。現場主義は上層部では嫌われるからなぁ。まぁ出来る範囲でとしか約束は出来ない」

「構いません」


 河内がいつものように破顔するとラルフは、溜息交じりに手にしていたティーカップをデスクに置いた。


「まったく。私がトップになってこの組織を変えたかったが、結局変わらん物だな」


 自虐的なラルフの口調に河内は、口元に笑みを浮かべた。


「貴方がトップになってから警察は少しずつ変わっている」


「まだまだだよ。何時だって現場は大変なんだ。だからもっと現場の刑事が仕事をしやすい環境を作るのが上に立った私の責任だ」


「正義を成す為ですか」


「我々の仕事は真実を明らかにし、被害者の無念を救い、犯罪者に法の裁きを与える事だ」


 ラルフの正義と覚悟は、昔から少しも変わっていない。

 河内は、そんな頼もしい旧友を得たことを誇りに思っていた。

 そして河内が恵一を気に入っているのは、きっと彼が若い頃のラルフに似ているからであろう。


「新巻も同じような事を言っています。警察の仕事は、犯人を捕まえるだけじゃなく、真実を明らかにする事だと」


「新巻さんは、いい息子を持ったな。羨ましいよ」


 恵一の父、新巻総一郎とラルフは、魔法犯罪課創立メンバーだ。

 河内も総一郎が魔法犯罪課課長だった頃から面識があり、かなりワイルドな人物で恵一とは対照的だが、彼もまた情熱を持った優秀な警察官であった。


「優秀ですよ、彼は。きっと大物になる」


 気が付けば河内の頬が緩んでいた。

 ラルフが恵一を認めている事が、まるで我が子が褒められたような、そんなむず痒さと誇らしさを感じて。


「父親のような顔だな」


「え」


 ラルフの指摘に河内は、思いがけず声を漏らした。


「我が子を褒められたような笑顔だ」


「部下は仲間であり、家族であり、息子であり、娘である。教えるべき子供であり、教えてくれる親である」


 噛み締める様に河内は、言葉を紡いでいった。

 突然河内が放った言葉に、ラルフは戸惑いを露わにしている。


「急にどうした?」


「初めてコンビを組んだ時、貴方から言われた言葉です。昔から貴方は、現場主義で仲間を守るために上司に噛み付いていましたね」


「そうだったな」


 ラルフは懐かしそうに瞳を閉じてティーカップを口に運んだ。


「この人は出世出来ないだろうなと思っていたのに、よく出世出来ましたね」


「優秀だからな。当然の結果だ」


 ラルフが悪戯っぽく笑ってみせた。

 それを見た河内は、やれやれといった具合に口を開いた。


「もっと謙虚ならねぇ」


「謙虚さは東洋系の良い所でもあり、悪い所でもある。しかし何時飲んでも緑茶は美味いな。君に紹介されなければ出会えなかった味だよ」


「でも貴方は最初、緑色の液体なんて人間の飲み物じゃない! って仰っていましたね」


 河内のラルフのものまねは意外とよく似ている。

 ラルフは、苦笑しながらティーカップの緑茶を啜った。


「若かったが故の過ちだよ」


「そうですか。そういう事にしておきましょうか。じゃあ私はこれで」


「どこか行くのか?」


 河内が去ろうとすると、露骨にラルフの声のトーンが一段落ちた。

 子供のようなラルフの態度にも呆れる事無く河内は、笑みを崩さないでいる。


「こう見えて忙しいので」


「そうか。なら仕方ない、か」


 渋々と言った様子でラルフは。唇を尖らせる。

 ラルフは昔から案外とさびしがり屋のきらいがある。

 魔法犯罪科によく来るのもそうした性格の表れであろう。


「なら暇な時、飲みに付き合え。今回の報酬はそれで勘弁してやろう」


「どうせ高級キャバクラに付き合わされるんでしょ。あまり飲まないで下さいよ。僕は、あなたほど給料高くないんですから」


「保証出来ないな」


 偉そうに言うラルフに河内は溜息をついたが、その表情は笑っている。


「分かりました。調査結果出たらお願いします」


「ああ、分かったよ。河内、約束は忘れんじゃないぞー。いいな」


 ラルフに追いすがるような声を掛けられて河内は会釈しながら、長官室を後にした。


「なるほど、上層部か……。厄介なものを」


 一人きりになったラルフは、ティーカップの緑茶を飲み干すと、湯気が混じった息を吐きながら、元は白かったのに所々がくすんでしまった天井を見つめた。







「そういうわけだ。諸君」


 ラルフの呼び掛けで警察庁第一会議室に、警察庁の幹部十六名が招集されていた。

 議題は、河内から報告を受けた件について。

 連続殺人犯の協力者が警察内部に居る。

 それが上層部の人間であるという疑惑の二点だ。


「我々の誰かが法と秩序に背いている。嘆かわしいとは思わんか?」


「それで犯人捜しを? 長官は、相変わらず現場の捜査官を気取るのがお好きですね」


 警察庁次長メアリー・アーリスは皮肉を吐き捨て、ラルフへの嘲笑を隠さなかった。


「それに報告をしてきたのは、あの河内でしょう? 奴の事だ。また何を考えているのやら」


 警察庁刑事部部長、水無月啓介は煙草をふかし、足を組みながら気怠そうにしている。

 ラルフや河内への尊敬や信頼は微塵も感じさせない。

 警察庁公安部部長、鹿取恵子も水無月と同様の反応だった。


「因縁つけて、また無茶を通すための口実を探しているだけでは?」


 水無月の言葉に、警察庁官房長リリー・エヴァンは嘆息交じりに頷いている。


「公安部長に同感です。奴は今も昔も己の正義という抽象的な物を崇拝している愚鈍な男よ。そのくせ色々と嗅ぎまわって、長官もあの噂はご存じでしょ?」

「噂と言うと?」


 ラルフのとぼけた反応に、メアリーは皮肉たっぷりに笑みを灯した。


「現政権閣僚のおよそ四割の弱みを握っているという噂」


「次長ともあろう君が、くだらないゴシップを信じるのか?」


「本当だなんて認められるわけないじゃないですか。閣僚がメンツを守るために、あくまで噂という体を取っているだけでしょ? 内部犯がどうこう言うけど、どっちが悪党なんだか」


 メアリーの悪態を火種に会議室は、河内への罵倒が燃え盛った。


「魔法犯罪課の予算は、殺人課の十五倍。発生件数を考えてもそれだけの予算を確保し続けているのは異常でしょう」


「来年の予算案を通すための工作の一環では?」


「奴ならあり得る」


「全くですな」


「と言うか内部犯の疑いがあるとして、可能性が一番高いのは河内自身でしょうに」


「あの男が連続犯に協力か、やりかねんね」


 幹部たちは、口々に河内への不満を爆発させている。

 ラルフは、これに口を噤んでいた。

 彼らの不満が尤もと同意せざるを得ないほど、河内の行動は奔放だ。

 砂場を荒らせる彼らの気持ちは現場からの叩き上げであるラルフにはよく理解出来る。


「恒例の悪口大会はもう結構。しかし奴が嘘の報告をする事はない。今回もそういう事なのだろう」


「では誰が連続殺人犯に協力を?」


「分からんよ。これから内務調査部に動いてもらう。無論捜査対象は俺を含めた幹部全員だ」


「問答無用ですな」


「河内の戯言に付き合う気ですか?」


「承知だとは思うが内務調査部に圧力は通用せんぞ。あそこは独自の指示系統を持っているからな。だから今の内に白状してもらえると楽なんだがな」


 ラルフの言葉に誰一人として幹部が動揺を見せる事はなかった。

 全員が自分は内部犯ではないと、無実を確信しているようだ。


「構わんがね。それじゃあこれで解散だ。疑惑が疑惑のまま終わり、またこの面子で集まれることを祈っているよ」


 そう言ってラルフは誰より早く会議室を出てると、


 ――あの男は……。


 会議室に居る誰かの声が囁く。

 それは発した本人の耳以外には届かなかったが、タールのように粘ついた黒い悪意に満ちた響きを伴っていた。







 深更のドラゴニア第三埠頭は、月に薄雲が掛かっていて足元すら見えない。

 周囲には人工的な明かりもない。

 本来あるはずの明かりが何故か一つとして灯っていないのだ。

 感覚を支配するのは、真っ新な闇とさざ波の音だけ。


 ラルフ・カートマンは、会議を終えた直後、深夜一時にここへ来るよう警察庁の幹部の一人から呼び出しを受けた。

 制服の胸ポケットから煙草を取り出して火を点けると、肺に紫煙が溜まり、ニコチンが不健康な安堵を提供してくれる。


「長官」


 背後から響いた声に振り返る。

 夜に慣れた目とタバコの火が相手を顔を朧げながらに視認させた。


「リリー」


 警察庁官房長リリー・エヴァン。ラルフとは旧知の中でもあった。

 その手には、サプレッサー付きの拳銃が握られている。

 夜の闇の中でもラルフの蒼い瞳は、はっきりと凶器の形状を認識した。


「物騒だな。俺は何かまずい事でもしたかな?」


「お分かりでは?」


「まぁ……大体はな」


 ラルフは煙草に火を点けると、吸い込んだ煙をため息とともに吐き出した。


「リリー。やっぱりお前だったか」


「予想通りだった?」


「大方ね。上層部であいつを擁護するとなると、まずお前さんしか居らんだろうと」


「あの子を守れるのは、私しかいませんから」


「今からでも間に合う。手を引け」


「もう遅い。事は動き出してるわ。あなたの存在は誰より邪魔なの。あの河内も、その部下の新巻も」


「リリー。そんなに、あの甥っ子が可愛いか?」


「あなたには理解でしょうね。そう、あなたにだけは絶対理解出来ない。だからこそ、これで終わりにさせて貰うわ」


「そうだな。それがいいのかもしれん」


 ラルフが微笑みながらリリーを見つめると、


「いつかは、こうなると思っていたよ。リリー」


 拳銃の動作音のみが静かに響き渡った。

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