第16話「罠」
尾行と張り込みが始まって八日目。時刻は夜の十時。
張り込みを始めてからライリーが怪しい動きを見せる気配はまったくなく、時間はむなしく過ぎていった。
しかし恵一に焦りはない。
これは相手が焦れるのを待つ作戦である。こちらはどっしりと構えていればいい。
気掛かりがあるとすれば、冤罪となったウォーマンだが、まだ裁判すら始まっていない。
有罪判決を受けても弁護士が上告するはず。
少なくとも数年の間は、死刑が確定するという事はない。
また真犯人の協力者が、ウォーマンを狙う可能性も低いだろう。
折角仕立て上げた犯人を死なせたら、恵一や河内が再捜査の材料にしかねない。
謂われのない罪で裁かれ、批判を受けるウォーマンには酷な話だが、彼が聖域と化しているのもまた事実だ。
とにかくこちらには大いに時間的な余裕がある。
焦る必要はない。
車内で監視を続ける恵一は、座席を後ろに倒して背を預けた。
さすがに座席で眠るのには一週間以上続くと、腰が痛くなるのは悩みの種だが。
「動きませんね」
ライリーの自宅を見やりながらフェイトが言った。
「これだけべったり張り付かれたら何も出来ないだろうね」
「それじゃあ捕まえられないんじゃ」
フェイトが問いに、恵一は寝ながら口を開いた。
「いや、必ずボロを出す。シリアルキラーは捕まるまで犯行をやめない」
「でも、もう一週間経ってますよ」
「それでもいつかは出す。あいつはまだ目的を達成してない、必ずまた殺すはずだ。僕達が焦っちゃだめだ。相手を焦らせて短絡的な行動を引き出さないと」
「先輩」
急に外を凝視し出したフェイトに釣られて、恵一が身体を起こして彼女の視線の先を見つめた。
ライリーの自宅前の通りを男と若い女性の二人が歩いている。
男の外見は、動物で言うならネズミがもっとも近い。
背は曲がっていて、針金のような細い指で女性の二の腕を掴んでいる。
一方女性の方は、二十代に見え、容姿も手足が長く、整えられた顔立ちでモデルか女優と言っても通用しそうだ。
そんな不釣り合いな二人がライリーの自宅の玄関口で立ち止まると、男の方がドアをノックする。
しばらくしてから扉が開き、ライリーが出迎えに現れると、二人は招かれるままライリーの自宅へと入っていった。
「先輩」
初めてライリーが行動を起こした。
これに対してフェイトは、今すぐに確認するべき、そう考えているのが分かった。
フェイトの視線を受け止めて恵一が頷く。
「行こう」
恵一とフェイトは車から降り、ライリーの自宅に歩み寄った。
玄関の近くで立ち止まると恵一は、耳をそばだてて中の音を聞く。
「やめて!!」
突如女性の悲鳴が恵一の耳をついた。
家の中から聞こえているから、フェイトの物ではない。
ライリーが連れ込んだ女性の物だ。
もしかしたら、ライリーが女性を襲っているのかもしれないが確証はない。
銃を抜こうとするフェイトを恵一は、手で制止した。
「お願い。ころさないで……」
女性の声色が醸し出す感情は、紛れもない恐怖であった。
だがそこはかとない心地悪さがある。
迂闊な行動を引き出すのが目的の張り込みだが、ライリーも馬鹿じゃない。
恵一とフェイトが張り込んでいるのは知っているはずだし、女性を家に招き入れて危害を加えるなんて無謀すぎる。
何かしらの考えあっての行動と推察するのが妥当だ。
事態の推移を見守った方がいい。
直感が囁き、恵一がフェイトに指示なく動かぬ様、釘を刺そうとした瞬間――
「やあああああああ!!」
一際大きな悲鳴に、止める間もなくフェイトは、ホルスターから魔法銃を抜くと扉を蹴り破ってライリー宅に飛び込んだ。
「くそ」
舌を打ちながらも恵一は、念の為ホルスターから銃を抜き、ライリー宅に踏み込んだ。
中に入るとそこはテレビやソファーが置かれたリビングであり、ライリーが女性に馬乗りの格好で左手にハンディカムを持ち、右手でナイフを振り上げていた。
そのライリーにフェイトは、銃口を向けている。
恵一もこの状況では、仕方がないので、ライリーへ銃を向けた。
だがライリーが手に持っているハンディカム。これが恵一の最大の懸念であった。
プロファイリングによる予想では、ライリーの目的は、人体収集であり、拷問じゃない。
犯行を撮影するという行為をライリーがするとは思えなかった。
「武器を捨てて彼女から離れなさい!」
フェイトの指示に、ライリーはすぐさまナイフとハンディカムを投げ捨てて、女性から離れる。
フェイトは、女性に歩み寄って抱き起こしながらも銃口をライリーから外す事はない。
「手は、頭の上。腹這いになりなさい!!」
フェイトの怒号にライリーは素直に応じ、床に腹這いになって、手を頭の上に乗せた。
恵一は、ライリーに向けていた銃口を下しながら、
――やられた。
敗北を確信していた。
「ちょっと監督これ段取りになかったんだけどー」
先程まで恐怖に震えていたはずの女性は、怪訝な顔でフェイトを見つめている。
女性の一言でフェイトも事情を察したのか、唖然とした表情で女性とライリーを交互に見つめている。
するとドタドタとした足音と共に、部屋の奥にある扉を開けて、先程のネズミに似た貧相な男性が顔を真っ赤にして現れた。
「君達何なんだ! せっかくいい芝居してたのに、台無しじゃないか!! ライリー、君の仕込みか、これは」
床に伏せていたライリーは、ゆっくりと立ち上がって深く溜息をついた。
「僕がする訳ないだろ。その人達は本物の警察の人だよ。殺人事件を捜査してる」
「殺人事件!? 馬鹿言え、これは映画だ!!」
状況から察するに声を荒げている貧相な男性が監督。
女性は、被害者役の役者と言った所だろう。
シチュエーションも想像出来る。
ライリーが殺人者役で、殺害をビデオに録画しているというシーンだ。
映画好きという趣味をこういう形で使うとは。
――完全に一杯食わされた。
恵一は、魔法銃をホルスターにしまいながら破顔した。
「それで撮影? 家庭用のハンディカムで?」
恵一が床に落ちたハンディカムを見つめると、監督と思しき男が吐き捨てるように言った。
「リアリティ重視だよ。素人には、演出なんて分からんだろうが」
そういう演出のスリラーは、最近よく見られる。
民生品を敢えて使い、臨場感を生み出すのだ。
偽装工作としてなら、かなり効果的でもある。
普通の撮影機材は、かなり大がかりだが小型のハンディカムなら恵一とフェイトの目を掻い潜って持ち込む事も容易いし、ライリーの私物かもしれない。
この撮影が偽物である事は間違いないが、してやられたのも事実である。
ほくそ笑むライリーを見れば計画は、見事な成功を収めた。
「巡査、銃を下ろして」
指示するとフェイトは、力無く銃を下げる。
彼女も理解しているのだろう。
ライリーの策略にはまった事を。
これが警察に伝われば、間違いなく捜査から外される事を。
程なくして監督の男が警察庁へ苦情の電話を入れた。
彼は、ライリーとは長い付き合いの友人らしく、一件目のトーマス・キンバリー殺害のアリバイ証言をした男でもあった。
男は、数ヶ月前からシリアルキラーを題材にした自主製作映画を撮っており、俳優としてライリーも撮影に協力していたとの事。
女優の方は確かではないが、監督の男は共犯者で間違いない。
証言も撮影も嘘だ。
しかし推理の裏付けとなる証拠は一切ない。
数十分後、苦情の電話を受けた河内が現場に駆け付け、監督の激昂を一時間に亘って浴びせられた。
河内の説得で何とかその場は収まったが、不祥事として上層部の耳にも入るだろう。
捜査の継続は、困難になってしまった。
「すいません課長。僕のミスです」
恵一が河内に頭を下げた。
フェイトを制止出来ず、暴走させてしまったのは、恵一のミスだ。
隣でしゃくりを上げながら涙をぼろぼろと零すフェイトの姿を見ると、一層自分の責任を強く思い知らされた。
――相棒としても、教育係としても失格だな。
一週間の張り込みで成果が出ない事に、フェイトは焦っていた。
焦れている彼女への配慮が足りなかった。
もっと彼女に気を掛けていれば、こんな事態にはならなかったかもしれない。
「まぁまぁ。恵一君もフェイト君も気にしないで」
恵一が顔を上げると、河内は微笑している。
今回の件で、一番のダメージを受けるのは河内だ。
公式には捜査が終了した案件を部下である恵一とフェイトが独自に調べていた。
二人の行動の責任を取らされて、相応の処分が下るだろう。
「ごめん、なさい……」
泣き止む事もなくフェイトは、頭を下げ続けている。
確かにフェイトは、焦燥から早まった行動をしたかもしれない。
だが女性の命を救おうとした結果だし、何より上司としても相棒としても彼女を止められなかった恵一にこそ責任がある。
「ほら、フェイト君。顔を上げて。これじゃあ美人さんが台無しだよ」
穏やかな語気で河内はフェイトの肩を擦った。
「ごめんなさぁい!!」
ついに堰が切れたのだろう、フェイトは大声で泣き叫び、さらに深く頭を下げた。
河内は笑みを浮かべ、フェイトの頭を撫で始める。
「失敗は、みんなするよ」
「……課長?」
「僕もたくさんした。失敗しない人間なんてむしろダメだよ。成長しないからね。君は人よりも成長する機会を得たんだ。だから大事なのは同じ失敗をしない事。いいね?」
「……はい」
フェイトは河内の言葉に頷くと、涙を制服の袖で拭った。
そんなフェイトに、河内は満面の笑みを浮かべている。
「二人とも、もう帰りなさい。はい」
河内は、財布から一万ゴルドル札を取り出すと恵一に差し出して来た。
車は、あるからタクシー代ではない。
河内の行動の意図するところが分からずに恵一は尋ねた。
「あのこれは」
「何か美味しい物でも食べて気を紛らわせて。後の処理は、僕がしておくから」
一万ゴルドルあれば、それなりの店で食事出来る。
だが致命的なミスをしておいて金を貰う気分には到底なれなかった。
「貰えません。それに後始末もありますし」
「それは僕がやっておくから。行きなさい。自分の為じゃなくパートナーの為に」
恵一とフェイトは顔を見合わせる。
これ以上の好意に甘えるのは気が引けたが、フェイトを落ちつけるには良い考えだ。
「すいません。食事して頭を冷やしてきます」
恵一は、一万ゴルドルを受け取りながら河内に頭を下げると、フェイトを連れてライリーの自宅前を後にした。
そこから歩いて十分程の所にあったグーグーチキンに入り、恵一は自分とフェイトに河内の分を合わせて十二ピースをテイクアウトして店を出た。
恵一は、フライドチキンの入った
揚げたてを詰めてもらったせいで胸の辺りが熱いけれど、夜風の冷たさもあった為、むしろ心地よかった。
「すいません。先輩、私のせいで」
「僕のミスだよ。ごめん」
「いえ、私の――」
「お互いに責任の被り合いしててもしょうがないし、二人の責任って事で手を打とう。どうかな?」
「……はい」
フェイトは、夜風のお陰で頭が冷えたらしく、落ち着きを取り戻していた。
ゆっくりと歩きながら恵一は、夜空を見上げる。
街明かりのせいで満天とは行かない物の、ちらちらと輝く星に目を奪われた。
「好きなんですね、それ」
恵一が声を掛けて来たフェイトを見やると僅かではあるが笑みを浮かべている。
「うん。学生時代からね」
会話はそれだけで途絶えてしまい、また無言で歩き続ける。
だが恵一には沈黙も何故か心地よかった。
相手がフェイトであるからなのか。
出会った当初では考えられない程、彼女に気を許している自分に、恵一は気が付いた。
ひたむきで心優しい少女。
共に笑い、泣いてくれる存在。
もしかしたら彼女となら――。
そんな淡い希望を恵一に抱かせる。
フェイトを見つめていると、彼女が視線を返してくれる。
恵一も微笑み掛けようとした時、
パンッ――。
大気を切り裂く破裂音の後、突如フェイトが崩れ落ちた。
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