第20話「独房にて」

 恵一が警察庁内の地下にある留置場の独房に入れられて十五時間が経過していた。

 薄暗くカビ臭いこの場所に、殺人の容疑者として入る事になるとは、警察官になった頃は想像もしていなかった。

 現在留置場に拘留されているのは、恵一一人らしく他に居るのは、監視をしている中年の男性警察官が一名である。


 トイレと簡易ベッドしか置かれていない独房で恵一はベッドに寝転んで、天井をじっと見つめていた。

 気掛かりなのは、ライリーよりもフェイトの事。

 無事に手術は成功したのか。

 傷は残らなかったのか。


「フェイト……」


 もう二度と会えないのか――。


「恵一君」


 思案に割り込んできた声に、恵一が上体を起こすと、独房の外で手を振る河内の姿があった。


「課長」


 恵一が呼ぶと河内が近付いてきたので、恵一もベッドに腰掛け直した。


「すいません。ご迷惑を」


 頭を下げると河内は、頭を掻き出した。


「いや。それよりも本当なの?」


 河内の顔に、普段の飄々とした気配はない。

 ラルフと河内は、数十年来の付き合いだった。

 今回の事態を前に、如何な河内と言えど動揺するのは仕方がないだろう。

 残酷な真実を告げるのは憚られたが、何も出来ない自分の代わりに、ラルフ・カートマンを倒せるのは、この世界に河内春之以外に居ない。

 恵一は、監視役の警察官に聞こえない様、声を落として答えた。


「警察庁長官、ラルフ・カートマンがライリーの協力者です。恐らく遺体の遺棄にも協力していたんでしょう。間違いであってほしかったけど」


「そっか。彼が……」


 河内は、苦笑しながら俯いた。

 相棒を失う悲しみは、家族を亡くすのと同等だ。

 死に別れるのならばまだいい。相棒が犯罪者に堕ちるのは、悲痛であり、屈辱だ。

 一番近くに居たのに、相棒の闇を見抜けなかった自分の無能さを許せない。


 もしも優子やフェイトが恵一を裏切っていたら?

 犯罪に手を染めていたら?

 考えようとするだけで、背筋を氷のような怖気が撫でる。


「課長……」


「大丈夫だよ」


「はい……あの巡査は、フェイトは?」


 一番の気掛かりを尋ねると、河内の表情が一転明るくなった。


「無事だよ。手術は成功。腕の怪我は命に別状はなし。今は家で休んでいるよ」


 相棒の無事を確認して恵一は胸を撫で下ろした。

 今の恵一にとってフェイトが無事であるという知らせのみが唯一の救いだ。

 恵一の安堵を満足げに眺めていた河内だったが、突然思い出したかの様に声を上げた。


「ああ、それからフェイト君の手術婚から採取したライリー・カーマインの残留魔力とトーマス・キンバリーの遺体に残留していた魔力を照合したんだけどね」


 この話題に恵一は、ベッドから立ち上がり、鉄格子の外側に居る課長に近付いた。


「フェイト君の腕の魔力と遺体の残留魔力、一致しなかった。遺体に残っていた魔力は、ウォーマン医師の魔力だったよ」


 河内の言葉に、恵一は崩れるようにして、その場に座り込んだ。

 最後の望みも断たれ、自身には、殺人容疑まで掛けられている。

 ライリーを逮捕出来れば、状況が逆転したかもしれないが、今とはなってはそれも叶わない。


「そんな。じゃあ……」


 項垂れる恵一に対して河内は、しゃがみ込んで視線を合わせて来る。


「でも妙なんだねこれが」


 恵一が顔を上げると、河内は鋭い笑みを湛えていた。


「君から内部犯の疑いを聞いた時にね。遺体から取り直したんだよサンプル。僕の個人的な知り合いの鑑識官に頼んでさ」


「それで?」


 鉄格子を掴んで聞き入る恵一を、河内はビシッという擬音が聞こえそうな勢いで指差した。


「大部分がウォーマン医師の魔力だったけど、傷口の本当に奥の方にちょびっとだけ、もう微量なんだけど、別の魔力があったのね。それで採取したサンプルとフェイト君の腕に残っていたライリーの魔力を検査したら何ともまぁこれが見事に一致しちゃってねー」


 河内の言葉に、恵一の顔色も何日かぶりに明るくなる。


「じゃあ――」


 河内は、鉄格子の間から手を伸ばして恵一の肩を叩いた。


「君の読みは、当たってる。ライリー・カーマイン、彼が犯人だ」


 恵一の表情が綻んだが、同時にある疑問が生じる。

 何故ラルフ・カートマンがライリー・カーマインの犯行に協力しているのか、だ。


「ですが課長。どうして警察庁長官がこんな事を?」


「なんでそんな事をするのか。誰よりも正義感に溢れ、金も財力もある人間がね」


「……一つしかないと思います」


「肉親、だね」


 ラルフが金のためだけに、シリアルキラーに協力するとは思えない。

 もしそうなった原因があるとするなら、余程強い衝動があったに違いない。

 ラルフを犯罪に駆り立てる程の強い動機は、子供の存在以外に有り得ないはずだ。


「恵一君。実はね、官房長のリリー・エヴァンっているだろ。彼女が失踪してね」


「失踪ですか? まさかそれも長官が?」


「個人的な妄想に近いんだけど。マイク・ラッシュに君を殺させようとしたのは多分リリーだ」


「どういう事ですか? 長官が仕組んだんじゃ?」


「彼のやり方らしくない。という僕の個人的な勘さ。彼は策略家としてあそこまで凡夫じゃない。恐らくはリリーとライリーにも何らかの接点があるんだろう」


「長官は、独身ですよね?」


「ああ。そのはずだよ」


「じゃあリリーは、ライリーの母親? 未婚で出産したとか」


「そこまでは分からないけど、ライリーと血縁関係があるのは間違いないだろう。そしてリリーを殺し、リリーの暗殺計画を利用して、恵一君とフェイト君の動きを完全に封じた」


「動機はライリー・カーマインを守る計画で、二人の意見が対立って所でしょうか」


「だろうね。昔の彼なら息子とリリーを同時に逮捕したはずだけどね。変わってしまったらしい。僕の気付かない間にね」


 警察の人間が殺人を庇う、ましてそれが英雄ラルフ・カートマン。その理由は、親子である以外に考えられなかった。

 しかしラルフの動機が分かった所で、恵一には打てる手がない。

 牢の外に河内が居るのが、不幸中の幸いだ。

 河内に任せれば、ラルフを相手にしても間違いはないはずである。


「課長。ライリーを捕まえてください」


「それもいいけど君、こんな所に、居たくないんじゃない?」


 ニカッと破顔した河内は、カードキーの束を恵一の目の前にぶら下げた。

 留置所の独房は、全て電子キーによってロックされている。

 以前は、封印魔法を用いたロック機能が使われていたが魔導師の犯罪者が魔法で解除していまい、逃げ出してしまう事件が多発した為、数年前から電子ロックが導入されたのだ。

 河内が持っているカードキーは、独房の開錠用のキーである。


「脱走する?」


「ちょっと!? 声大きいです!!」


 河内の声のトーンに、恵一の全身から冷めたい汗が吹き出した。

 これではせっかくの脱走が無意味に――と思っていたが監視役の警察官は口笛を吹きながら、こちらから視線を逸らしている。


「課長、あの人なんで仕事しないんですか?」


「ああ、僕コネがあるからさ。ちょっとね」


 得意げに鼻を鳴らす河内だったが、実際彼の人脈は、相当に広いらしく警察の幹部はおろか、果ては政財界にまでパイプ役が居るという噂まである。

 しかし真に受けている人間は居らず、あくまでも噂と誰もが思っており、実態を目の当たりにしたのは恵一も初めてであった。


「さすがです課長!!」


 恵一の賛辞に、河内は照れ臭そうに身体をくねらせた。


「じゃあ今から出してあげるからねって。これどうやって開けるの?」


 どうやら河内は、電子キーの開け方を分かっていないらしい。

 なんだかんだ言っても普段はどこにでもいる中年である河内。

 携帯やスマホを始めとするこういった電子機器類の扱いは、不得手中の不得手だ。


「えっとですね、その電子キーをここに――」


「えー分かんないな。僕ハイテク苦手なんだよねぇ。ちょっと君ーこれ開けてー」


 河内が呼んだのはわざわざ脱走を無視してくれている監視役の警察官だった。

 彼は、河内の呼び掛けに、渋々独房まで近寄って来た。


「あの……完全に僕が無視してた意味なくなってるんですが」


 無視までなら目を盗んで逃げられたの言い訳が立たなくもないが、ここまで来ると共犯である。

 だが河内は相手の事情等、全く気にも留めていないのか頬を膨らませてカードキーの束を弄っている。


「だって分かんないんだもん。これこうすればいいの?」


「あ、違いますそうじゃなくて」


「ちょっと君やってよ。僕こういうの苦手なの」


「えーもう。分かりましたよ」


 遂に監視役は折れて、河内からカードキーを受け取ると電子ロックを解除した。

 恵一は、独房から出るや、背伸びをする。

 出所を望む犯罪者の気持ちが少しばかり分かった瞬間だった。


「一階の裏口から出よう。そこに車を止めてある。深夜だから人は居ないし、居てもそれはこっちの味方だから」

「了解です」


 河内の用意周到さに感心しながら、恵一は頷いた。

 それから恵一と河内は、殆どの職員が帰ってしまった警察庁内を走り抜け、裏口から河内の用意した車に乗る。


 一時間程車を走らせて、辿り着いたのは見覚えのないマンションだった。

 車から降りた恵一、訝しく思ったが、河内は堂々とマンションの入口へと歩いて行く。

 見た所、このマンションはオートロックのマンションだ。

 当然知り合いが居ないと中に入る事は出来ない。河内は、電子パネルで部屋番号を入力してからインターホンを押した。


「河内だけど、入れてくれるかい」


 マイクに話し掛けた瞬間、鍵の開く音が響いた。

 河内がガラス製の扉を開けて中に入っていくので恵一も後に付いて行く。

 二人は、扉から見て正面にあったエレベーターに乗り、二階で降りた。

 二階には金属製の扉が等間隔に六つ並んでおり、河内は奥から二番目の扉の前まで歩くとノックする。


「はい」


 扉が開くと同時に聞こえた声に、恵一は自然と笑みが込み上げて来た。

 中から現れた部屋の主の絹が如く艶やかな金髪と、大きく開かれた碧い瞳。そして作られたように美しい面立ち。

 服装は見慣れた制服ではなく、袖を捲った白いシャツとデニムパンツで、左腕には厳重に包帯が巻かれているが彼女の姿を見間違うはずもない。


「フェイト……」


 恵一が相棒の名前を呼ぶと彼女の瞳が海の様に揺れて、涙を零しながら恵一に抱き付いた。

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