第4話 Breathless(5)

「だからね、彼は記憶だったんです。本人の、母の、先々代の、それからハナやサクヤの……たくさんの人の。ミゲル自身が残したいと願ったことと、骨が埋められたのが死霊術師の菜園だったことが作用したんだと思います。どうやってって? そんなのわかりません。もう一度やってみせろって言われても、再現できません。魔術じゃないんですから」

『奇跡、だとでも?』

「その言葉が効果的であるなら、それで構いません」


 何度めかの説明を魔術局の調査担当者に繰り返し、パン生地を捏ねる勢いで受話器を置いた。ため息がてら見上げた空はやわらかく霞み、陽射しは日に日にまろやかになる。ダウンコートはもう必要なさそうだ。

 庭の奥、ミモザの樹に向かい合って置かれたベンチに腰かける。


『大変だな、やっぱり』


 ミゲルが囁くのに、まあねえ、と肩をすくめる。否定はできない。

 リブラファーマ製の対死霊ガスは魔術局に驚きをもって迎えられたが、治癒術師組合から不審な献金を受けており、かつ医薬品の急激なシェア拡大も治癒術師組合が一枚噛んでいると判明するなど、魔術師界は激動とともに新年を迎えた。

 就任したばかりの魔術師長サクヤ・ニノエは失脚、彼女が推し進めた死霊術と治癒術の統合も足踏み状態が続いている。

 ユディテが受けた仕打ちについては表沙汰になっていないが、本社ビルを訪問したことは監視カメラにも訪問者記録にも残っており、不死者アルブレヒト・ワイゼルマイヤーとともに魔術局の取り調べを受けることとなった。ミゲルの存在を隠し通すことは不可能だろう、と二人で口裏を合わせ、虚実織り交ぜて「事実」とした。ミゲルはハナの撃った対死霊ガスによって消滅した、と。


『いくら考えてもわかんないんだけどさ、ぼくが死霊じゃないって結論はどうやって導いたわけ。おまけに記憶だなんてさ、飛躍しすぎだろ。もしあのとき、き、キ、キスしてきみが死んでたら』

「死にませーん」

『だからその根拠は!』

「勘」

『ほんと何なんだよこの母子……』


 かれはいま、ユディテの第二の心臓セカンドハートにいる。自動人形に「魂の器」を取り付け、駆動させるのと同じだ。三十一年前、ミゲルが死霊の器となると決めたこととも。

 人形に宿っていたかれを移し替えることが可能かどうかは勘だったし、賭けだった。前例などなく、もちろん確証もなく、けれども怯えるかれを救うにはそうするしかなかった。

 だから、願ったのだ。かくあれかし、と。


「骨が記憶装置みたいなものだと思うの。鍵っていうのかな、ミゲルは全部を指の骨に託したわけでしょ。色んな人がミゲルを想う気持ちと、あの菜園っていう場が作用して、死霊の一部が『ミゲル』として独立したんじゃないかなあ。母さんとか、セバスチャンとか、わたしとか……あなたをミゲルとして扱うことで、どんどんそれっぽくなっていった、みたいな?」

『ぼくはまやかしだってこと?』

「周りの望むように振る舞うのは、誰でも同じじゃない?」


 センダードに戻ってきてから、幾度となく話し合ったことだ。確かめるすべも、真実を知るすべもない。ならば、いちばん都合の良い解釈を真実だと信じればいい。ユディテはそう思う。

 かれは納得がいかないと言い続けている。それもそのはず、菜園で自我が目覚めてからの年月を偽物だ、幻だと言われたところで受け入れられるはずもなかろう。


「もうミゲルはいない。本人の死霊を降ろすには時間が経ちすぎてる。でもあなたはそんなにもミゲルなんだから、ミゲルでいいんじゃない。誰も反対してないよ。……それとも、本物が良かった?」

『本物、ね』


 歯切れが悪いのは、人知れず入れ替わりを貫いたハナとサクヤを思い出しているからに違いなかった。


「少なくとも、わたしにとってはあなたはミゲルだよ。それでいいんじゃない」


 いいもんか、と応じた声はふてくされている。


『体がなくちゃ、きみをぎゅってできないだろ……って、笑うなよ! まじめな話なんだぞ』


 今のかれは肉体を有していたことがないのに、おかしかった。


「居心地はどう」

『快適だよ。あったかいし、色んなものが見える。それでさ、ユディ。ぼくはいつ頃消えると思う』

「さあ……ずっといるかもしれないし、こうして話してる間に消えちゃうかも」


 ユディテはセバスチャンと卿にこれまでの経緯を説明して、菜園からミゲルの小指の骨を掘り出し、庭の片隅にある慰霊碑のもとに埋葬し直したのだ。

 この碑は死霊術を行使するにあたり、関係したすべての死霊の安息を願うもので、どこの死霊術師組合にも慰霊碑の建立が義務づけられている。気持ちの問題であり、対外的な見た目の問題でもあるが、こういった形式が力を持つことも多々ある。魔方陣であるとか、呪文であるとか。

 慰霊碑に菜園の結界の効力は及ばない。ミゲルの骨を核とし、菜園という限られた場に発生した「かれ」がいつまで単独で存在していられるのか、誰にもわからなかった。

 霊体でさえない、あえかな存在であるかれが消滅すれば、死霊術での復元は不可能だろう。調伏を願ってはいたものの、いつ存在がなくなるかと気にかけるのは当然だった。


「骨をそのままにしておけば、誰かがあなたのことを覚えている限り、あなたは存在し続ける。死霊術も、調伏も、何も関係がないから」

『……それは、やだな。ぼくはやっぱり、消えるべきだと思う。みんなの思い出に生かされているなら、余計に』


 そうだねと同意しつつも、眠る前、朝起きたとき、かれが消えていないとほっとする。どうしてほっとするのかは、よくわからなかったけれど。

 籠にミモザの花を集め、リースを作る。目を楽しませる鮮やかな花は、春を告げる黄色だ。そういえば去年、この作業のさなかに母が亡くなったのだった。あれからもう一年か、と考えると寂しいやら悲しいやら、言葉にできない感慨で胸がつかえた。

 花壇には春の花が咲き始め、菜園の土の下では玉ねぎが大きく膨らんでいるはずだった。エンドウ、アスパラ、空豆、ブロッコリー。陽に透けるみどりがほろ苦く春を呼ぶ。

 ミモザはセンダードの市花で、駅前広場や公園、ショッピングモールや市役所などのほかに、大きな通りにも植えられていて、街中が鮮やかな黄色に染まっている。

 卵を茹でて黄身を漉し、色よく蒸したブロッコリーに散らしたミモザサラダが食卓に上り、学校を出たばかりの新人の受け入れが決まって、セバスチャンが妙に張り切っている。マギーとライアンがお祝いに来てくれ、夜を徹して騒ぎ明かした。教授とは刺激的な逢瀬を続けている。卿からは契約更新の打診があった。菜園の死霊はもういない。

 去年とはまったく違う一年になりそうだった。一度たりとも同じ年はなかったけれども。

 ずいぶん朝が早くなって、気分も軽い。菜園の見回りを終えてうんと伸びをした。夜明けの空気が体の底までを洗い流してゆく。


「いい天気だねえ」


 返事はない。

 そっか、とつぶやく。ユディテはもう一度大きく伸びをして、滲んだ目元を拭った。

 今日の朝ごはんは何だろう。キッチンからは、卵を炒めるいい匂いが漂っていた。





死霊術師の菜園 完

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死霊術師の菜園 凪野基 @bgkaisei

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