第2話 Doubtless(2)

 事件が起きたのは、八月を目前にした日曜日のことだった。

 ウェストウッド地区のショッピングモール併設シネコン、シネキューブの立体駐車場が崩落したのだ。犯人も、その手段も不明。爆発の形跡がないことから、ミスティックによる犯行と考えられている。

 死亡者は現時点で五十名を越え、行方不明者も三桁に乗っている。救助、救命と捜索はレスキューと軍、魔術師が連携して進めており、要救助者のおおよその位置も掴んでいるが、乗用車から漏れ出したガソリンと、崩れ落ちて強固な要塞と化した建材があらゆる救助を阻んでいた。

 一方で、物理捜査のほか、遺族、マスコミ対応は人間の捜査員が担当した。周辺の都市からも大規模な応援が到着しているが、いわゆる七十二時間の壁を過ぎ、暗い見通しを照らす光はどこにもない。死者が増えれば死霊化にも警戒せねばならない。誰もが神経を尖らせていた。

 生者の怨嗟や憎悪が悪霊と化し、死者の遺恨が死霊となる。一般的にはそう言われているが、究極的にはあらゆる強い思念が魔力の干渉を受け、肉体を離れて独立した存在となる。事故現場で生き埋めともなれば、気持ちの強さはいかばかりか。

 オフィスに籠もると静かなものだが、鑑定依頼が回ってくるのは物騒なものばかりで、現場に呼ばれることも多い。降ろした霊たちもどこか気が立っている様子だ。

 鑑定の結果をデータベースに入力しながら、二年前の事件もこんな暑い時期だったなと苦く思う。関連はあるのか。まさかまた死霊化テロ? かつての騒動を思い出すだけで手が震える。

 あのときは師が顔を強張らせながらも最前線で指揮を執っていた。初めて大規模な事件現場に挑むユディテの世話を何くれとなく焼いてくれた兄弟子、姉弟子らは独立して各地へ散ってゆき、今では時候の挨拶を交わす程度である。誰にも助けてもらえないのだ。

 隣のマイア市とボンリバー市から応援に来てもらっているが、それでもセンダード市にいる死霊術師はユディテを含め三人だけ、という事実が重くのしかかる。もし、もしも今、あの時のように市街地に死霊が溢れかえったとしたら、抑えきれない。

 やめよう。頭を振って悪い想像を振り払う。考えても詮無いことだ。

 やる。やらねば死ぬ。未熟なら死ぬ。それだけである。

 死と親しみ、生死を隔てる川を自在に行き来して死霊を招いておきながらも、死ぬことには漠然と恐怖を覚えるし、死にたくないと思う。では、ミカエルはどうなのだろう。完全な死を願う死霊に、情動はあるのか。

 コーヒーメーカーの前でぼんやりしていると、インターホンが鳴った。結界部屋は性質上、在室の際は内部からしか解錠できない仕組みになっている。タッチパネル付属のディスプレイには、ライアンの姿があった。落ち着かなげにそわそわしている。


「どうしたの、ライアン」


 彼のためにコーヒーのポーションをセットしてから扉を開ける。スポーツマンらしい四角い肩をした青年刑事は青ざめていた。


「マギーが入院した。救助活動中に、崩落の巻き添えに……。命に別状はないらしいけど」


 血の気が引く音が聞こえるようだった。教授に整えてもらったばかりの魔力の流れがまた固くもつれ、肩と額を圧迫する。気休めの湿布は肌をひりつかせるのみだった。

 仕事帰りに駆けつけた中央病院で、マギーはからりと笑った。


「大丈夫だって。そんな顔したら痛くないものも痛くなっちゃうじゃないか」


 四人部屋の窓際のベッドで、頭に巻かれた包帯と、右脚を固めるギプスの白さが眩しく、よけいに泣きそうになる。


「知ってるだろ、あたしたち、もともと回復が早いんだから。夏だし、すぐ治るって。脳波も問題ないみたいだしさ」

「うん……」


 一般的に、セリアンスロープたちは頑健で回復力に長けており、多少の傷などものともしない生命力を誇る。警察や軍、建設現場などで重宝されていた。

 彼女とてミスティック警官の端くれ、負傷は日常茶飯事で、勤務中の怪我が元で入院したことも初めてではない。そうと知っていても、どうしてか胸がざわめいた。注意を促してくれた教授、卿、そしてミカエル。警戒すべきだったのはこの事件か。

 晴れない気持ちに気づいたか、マギーはユディテの手を取った。熱いほどに温かい。筋肉だよ、と彼女は言うが、手のひらにそんなに筋肉がつくものだろうか。それとも基礎代謝そのものが違うのだろうか。ありえる。


「早く退院して、ユディの手料理が食べたいな。ここの食事も悪くはないんだけどさ、やっぱり好きなものを好きな人と食べたいから」


 彼女の多種多様な恋愛が途切れることはなく、その多くが同時進行だ。波乱は避けようがなく、そのたびに喜び励まし、ともに怒り、慰めるのはユディテの役目だ。ママかな、と思わないでもない。


「わたしもマギーと食べるごはんが好き。早く元気になって、退院してね。あっ、スイーツバイキングの新規開拓なんてどう」

「あっ、それいい。すごくいい。約束だからね。……うーん、もちろん早いとこ仕事に戻りたいんだけどさ、担当の治癒術師ヒーラーが怖くってさあ。先生は優しいんだけど」


 今時そんな威圧的な医療従事者がいるのか、いや実際にいたのだとひとしきり盛り上がり、何とか笑って病室を辞することができた。

 来た時よりはずいぶん軽い気分でエレベーターを呼ぶ。上階から下りてきたケージには、黒髪を引っ詰めた東洋人女性が乗っていた。小柄で若々しいが、五十は超えているだろう。魔力の感じからするに、治癒術師だ。白い制服に道を譲って会釈すると、ちょっと、と睨まれた。


「ずいぶんもつれていらっしゃるようだけど、整流師のかかりつけはお持ち?」

「え、ああ、はい」

「なら結構。二年前の醜態といい今回のことといい、センダードの夏と死霊術は相性が良くないようね。あなた一人で市内の死霊案件をすべて受け持つだなんて、大丈夫?」


 市内にはユディテしか死霊術師がいないと知っての言だろうが、初対面にしてはずいぶんではないか。言葉を返せずにいるうちに、治癒術師は振り向きもせずナースステーションに消えた。

 二年前の醜態とは例の死霊化テロを指しているのだろうが、市警の要請を受けた死霊術師たちは適切に仕事をした。同時に発生した市役所と鉄道運行管理システム、緊急通報センターへのクラッキングなどで市内が大混乱に陥ったのは犯行グループ以外の誰のせいでもない。死傷者が多く出たのは事実だが、それを今さら、仕事を増やしてすみませんと頭を下げろとでも?

 口調は丁寧だったが、死霊術師の不手際で死霊化テロが起きたと言わんばかりの言動は許しがたい。ネームプレートは「SAKUYA N」。

 サクヤ。口の中で転がすも、東洋風の名前には言いようのない違和感が残った。




 捜査は遅々として進まなかった。

 三日ほど病院で過ごしたマギーのアパートの掃除を手伝って、作り置きの惣菜をストックすべく山ほどの野菜を持ち込んで、狭いキッチン相手に奮闘した。そのお礼にとホテルのランチビュッフェをご馳走になって、デートみたい、とふざけて指を絡めエレベーターの隅でくすくす笑ったのはつい昨日の話なのに、何年も前のことのように遠い。

 鑑定待ちのスチールラックには腐敗防止の封印が施されたコンテナがずらりと並んでいる。鑑定済み、再鑑定のコンテナ保管場所が足らず、錆びたロッカーを倉庫から回してもらっているほどだった。

 今日三十七件めの鑑定を終え、再封印したコンテナをロッカーに運び、手を洗ってからコーヒーマシンのスイッチを入れた。


「私のもお願い」


 ボスに言われるまでもなく、全員分のポーションを用意していたが、声を出す気力がなかった。

 通販サイトで★四つ半を獲得しているコーヒーマシンとポーションは、卿の一声でミスティックが所属する各部署に導入された。特に魔術師たちは疲労をためがちだから、と。

 卿の配慮も、今ばかりは頭痛と目眩を軽減するには至らなかった。ユディテが可及的速やかに準備を調え、スムーズに鑑定を行ったとしても毎時五件が限界だ。ボスのオーリーでさえ七、八件。

 増援を得て四人体制で鑑定を続けているけれども、コンテナは一日二回、抱えきれぬほどの量が運ばれてくるのだからたまらない。おまけに、急ぎで、などと無茶を捻じ込んでくる者も一人や二人ではなかった。

 隣の鑑識課も戦場の様相、魔法捜査課は逆に全員が現場に出払っていて、余所の部署から回された電話番がひとりぽつんと座っている。

 連日の残業で頭痛薬がフリスク代わりになり、胃と肌が揃って抗議の狼煙をあげている。仕事をしていないときは気絶するように寝ていて、事故を起こさずに車で通勤できていることが信じられなかった。

 今日も、どうやって帰宅したのかすら覚えていない。気がつけばキーを握りしめ、車の外に立っていた。

 ああ満月か、と見上げた方向にミカエルがいたのは果たして偶然だったのか。月光に浮かび上がる霧は、腕のかたちになって手招いた。応じてしまったのは、きっと疲れていたせいだ。まともな判断力が残っていたなら、まずは食事とシャワーに向かっただろうから。


「ひどい顔だよ、大丈夫? 西の方で何かあったんだろ、すげえ嫌な感じだ」


 かれの声にいたわりや労いを感じる。優しささえも。防御ガードが下がっているのは明らかで、それをくすぐられているのだから当然だった。

 危険の淵こそ甘く穏やかで、そうと知っていても足は止まらない。パートナーがいればこんなふうなのかと、夢想が手を引き、願望が背を押す。


「そんなことまでわかるの」

「この程度しかわかんないよ」


 それでも、現場から七〇キロも離れたここから異変を感じ取れるなんて相当な探知力だ。結界は内へ閉じ込めるためのものだから、外を知覚する力も弱まっているはずなのに。自分にはとても無理――いいや、比べることになんの意味がある。

 粘つく疲労を振り切って、報道されている事実だけを簡潔に話した。立体駐車場の崩落、生き埋めの人々、難航する捜査と救助。


「そりゃあひどいな。それで残業?」

「うん」

「現場はどうなってる? 大規模な事故は死霊化に繋がりかねない」


 まるで教科書じゃないか、と可笑しかった。自分だって死霊のくせに。

 ワイゼルマイヤーは当然承知していて、ミスティックらに現場の監視を命じている。救助に時間がかかれば、死霊化、悪霊化は避けられない。死霊を調伏しうるのは死霊術師だけだが、その心得がある者はユディテのほか、応援のザヤとメリッサしかおらず、死霊の規模によってはさらに応援を頼まねばならないが、どこも死霊術師の不足には頭を悩ませており、無理は言えない状況だ。


「またか、って思われてるみたい。二年前と同じかもって」

「『等しき死の門番』な。役所と電車だっけ、く、クラッキング? されて大混乱だったって。きみも頑張ってたよね。いきなりあれは荷が重かっただろうにさ」


 何もかも筒抜けじゃないか、と嘆息する。「等しき死の門番」は二年前の事件だけでなく、ワイゼルマイヤーが統括官に就任するきっかけとなった三十一年前の死霊化テロの実行犯としても知られている。メンバーは三十一年前に軒並み逮捕されたが組織は長らえ、世代交代を経てなお、過激な思想は変わっていなかった。いわく、「神から与えられた本分を逸脱し、増長した人類に天罰を」。

 天罰を気取るわりに、自爆などで大規模な死霊化を招き、死霊による二次災害を主な手段としていることから、国際的に反社会的組織として位置づけられている。動画サイトで公開される犯行声明は複数の宗教色を窺わせるうえ、あまりに幼稚かつ饒舌で、背後に存在する団体のカムフラージュであろうとも示唆されている。


「人手が足りないんだろ。負担は全部きみにくるぞ。またもつれてるし……ああ、引き止めてごめん。セバスチャンに何かうまいもの作ってもらいなよ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て。無理はだめだ」

「お母さんみたい」


 うまく笑えただろうか。変だったとしても、疲れのせいだと思ってもらえるだろうか。


「ハーレの……お母さんのこと、怒ってるのか?」

「知ってたの」


 そりゃあね、とミカエルは呟いた。ため息にも似た短さに籠もる感情までは量れない。


「あなたのことを教えてもらえなかったのには怒ってる、かな。わたしと先生……母さんは親子としてはちょっと変わってると思うけど、居心地悪くはなかったよ。母親として尊敬できるかっていうと微妙だけど、死霊術師としてはめちゃくちゃ尊敬してる。よそはよそ、うちはうち」

「ならいいんだ。でも、きみは早いところ話し相手を持つべきだよ。潰れてからじゃ遅い」

「まだ大丈夫。死霊を食べてる死霊術師が過労で死ぬとか、笑える」

「馬鹿なこと言ってないで、早く寝てくれ。死霊に心配されたいのか」


 それとも、と声を潜める。


「ママを呼んでお話してみるかい?」

「冗談じゃない」

「だろうね」


 おやすみの声は柔らかかった。

 かれの意図は掴めぬままだが、悪いやつではないかも、と油断する心を否定するのが難しくなってきた。かれは先代、死霊術師ハーレがユディテの母親であることまで知っていた。いつからここにいるのか、おまえは母の、師の何なのだ。問いかけたい気持ちは膨らむばかりだ。

 仕事が一段落つくまでは、接触を控えるべきだろうか。下手を打てば、取り返しのつかないことになる。あるいはもう、そうなっているのかもしれない。

 翌朝の収穫と水遣りをセバスチャンに頼んで、夢も見ずに眠った。

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