第2話 Doubtless(3)

 ここのところ、毎日十時間、最大五十件の魔術鑑定を行っている。遺留品の持ち主特定だけでなく、潰され千切れた肉片の死霊化防止措置、犯人や犯行の手段にアプローチするために建材の鑑定なども依頼されている。

 交代でウェストウッド地区の救急医療センターに出向き、降霊も行った。事件発生当時の状況を訊くためだ。現場はどんな様子でしたか? 異変はありませんでしたか? 怪しい人物を見かけませんでしたか? 訊けども訊けども、有力な証言は得られなかった。多くは休日の映画鑑賞とショッピングを楽しんでおり、駐車場内の様子に気を配ってはいなかったのだ。


「部屋がコンテナで埋まるのと、ここから悪霊を出すのとどっちが早いと思う?」

「悪霊かな。テトリスは苦手なのよ」

「わたしも悪霊だと思う」

「やめてよ、賭けにならない」


 増える一方のコンテナに関した際どいジョークを交えつつも、仕事はスムーズに進んだ。みなぎりぎりの状態だったがオフィスは和やかで、そうでないと効率が低下すると全員が承知していたのだ。そういう意味では、誰もがプロだった。

 ベテランのメリッサは二年前のテロの際にも応援に来てもらった。オーリーやユディテだけでなくハーレとも面識があり、あの時は本当に大変だったから、テロでないことを祈ると目尻の憂いを深めている。頷くしかない。


「あの時、わたしは死霊術師になったばかりで、なんの役にもたてなくて悔しい……というか、不甲斐ないというか、自分が情けなくてたまらなかったんです。マスター位を取れば何だってできるって思ってたのに、全然で。あれから何が進歩したとも思えないのに、自分が主任だなんて、こわくて」

「急だったものねえ」


 ザヤの声には同情が滲む。魔術師の師弟制度は古くから続いており、魔術の師は心情的には肉親よりも近しい。彼女の師匠はかなりの高齢だが、まだ存命のはずだ。


「ちょっと前は、本部も弟子を取れってうるさかったんだけど、最近は聞かないのよねえ。死霊術師私たちは数が少ないから、本部は必死なんだって思ってたけど」

「うちにも何も言ってこないですよ。だいたい、わたしみたいな駆け出しが師匠になるなんて、いくらなんでも弟子が可哀想です」

「それよりもあなたが可哀想」


 ハーレの友人だったオーリーはユディテを可愛がってくれている。それを抜きにしても、仕事の速い彼女からは学ぶことがたくさんあった。


「治癒術師が減るよりはいいのかもしれないけど、ねえ」

「死霊術と治癒術を統合するとかって聞いたけど、それも素直に頷けないし」


 メリッサとザヤも組合本部の意向は掴めないでいるらしい。はるか北方の大都市に拠点を構える本部からすれば、こんな片田舎にかかずらっている暇はないのだろう。都市部と地方の格差は依然として存在している。

 ユディテも魔術師免許の発行と、師の葬儀の際に事務的なやり取りをした程度で、普段は何の関わりもない。会費は徴収されているし、会報とやらも送られてくるが、仮に弟子を取れと頭ごなしに言われたところで反感のほうが大きいだろう。むしろ、自分がまだ弟子の心持ちでいるのだ。


「でも、ひとりで死霊を降ろすとか、悪霊を相手にするのは危ないでしょう。こんなに仕事をしてるなら特に。誰か話を聞いてもらえる人はいるの?」

「ええ、それは大丈夫」


 ライアンも、マギーも、教授も、話し聞かせるだけならセバスチャンだっている。術ストレス以外にも要因があるのだ。巨大なやつが。

 みな自分のペースで的確に仕事を進め、厄介な鑑定の補助にもついてくれた。ボスは系統違いの魔術師だから、死霊術師の仕事を間近に見るのは久しぶりだ。ベテランの手技に新鮮な発見をすることや、技術が高まる楽しさをすっかり忘れていた。残業続きでくたびれ果てているが、現役の死霊術師の仕事ぶりを学べる機会だと思えば、多少は我慢できる。

 インターホンが鳴ったのは、定時まであと三十分といった頃合いだった。対応したメリッサがまあ、と素っ頓狂な声をあげる。卿が珍しく結界部屋へやって来たのだった。


「ウェストウッドの現場に死霊化の兆候があるそうだ。ユディテ、それからメリッサ、現場の死霊封じを頼みたい。十分後に車を出すから、地下駐車場まで来てくれ」

「はい、すぐに」

「こっちは任せて。気をつけて行ってらっしゃい」


 二年前を思っただろうに、メリッサはベテランらしく表情に出すことはなかった。内勤ではほとんど使う機会のない、お守りとして持ち歩いているだけの象牙の杖の存在を確かめて、ユディテは大先輩を先導して階段を駆け下りる。ライアンが手を挙げた。


「こっち! 卿もすぐ来るはずだから乗って待ってて」


 後部座席に落ち着くとすぐにアンナを伴った卿がやって来て、車は駐車場を滑り出た。

 夕方で混み始めた道路をするすると進んでゆくさまは見事と言うほかはなく、危うげな運転の車をさりげなく避け、急加速や急停止はしないのにすぐにハイウェイに乗ることができた。メリッサが目を丸くしているのが面白い。渋滞知らずの運転、これがライアンの魔法なのだ。

 車の流れが落ち着くと、アンナがタブレット端末を取り出した。簡単に説明を、と助手席の卿が言い添える。


「三軍の協力もあり、救助作業には終わりが見えてきました。現時点で死者百二十二名。しかし、要救助者が急速に衰弱していること、現場付近の霊圧が高まっていることから、死霊化、悪霊化が進んでいると考えられます」

「二年前の同時テロの轍を踏まぬよう、慎重に迅速に進めたい。犯行声明などは出ていないが、ネット上では関連が指摘されているし、経験者はみな警戒しているが、現状ではどちらとも言えない。可能ならばそのあたりも掴みたい……メリッサ、忌憚ない意見を期待する。ユディテ、頼りにしている。無理は禁物だ」


 彼の淡々とした声音から、現場の混沌や恐怖を推し量ることはできなかった。ただ、「警察の威信」や「無用の混乱を招く」といった常套句が出なかったことはいくらか心を慰めた。彼はもともと警察の権威を匂わせる言動とは縁遠く、その点でミスティックらの共感を集めている。不死者に権威が太刀打ちできようはずがない。


「『等しき死の門番』の中枢は刑務所の中で、怪しい動きはない。犯人はまったく別か、我々の捜査線から外れたところにいるのだろう。二年前とは違って、企業へのクラッキングや幹線道路の爆破などは現時点では確認されていない」


 ミラー越しにライアンと目があった。彼も二年前の事件の捜査員だ。そういえば、事件を通じて彼と知り合ったのだった。師の手伝いとして現場に出たユディテを家まで送り届けてくれた。夜更けだったのは覚えているが、何を話したのかまでは記憶にない。もしかすると挨拶だけで終わったのかもしれない。

 彼の眼は誠実な栗色で、普段の溌剌とした光はなく、困惑が滲んでいる。先行きが不透明で、どこに向かえばいいのかわからずにいるのだろう。ドラマに登場するところの典型的な熱血刑事である彼は、組織ぐるみの陰湿な事件が起こるたびに「代表者が一対一で殴り合えばいいのに」と率直なことを言っては班長に叱られている。

 マギーは親愛を込めて彼を「忠実な猟犬」と呼ぶが、まったくその通りだと思う。「子犬を庇ってトラックに轢かれて死んじゃわないか心配」とも。ちなみに「忠実な猟犬」と「破天荒な女豹」は凸凹コンビとして有名だ。


「死霊化テロは世界的にも増加していると言いますからね」


 メリッサの背筋はぴんと伸びている。ワイゼルマイヤーがミラーの中で小さく頷いた。

「悪霊にしろ死霊にしろ、放っておくだけでふとるし、人やモノを壊せるからな。毒ガスや爆弾あたりの物理手段よりよほど手間もかからないし安価だ。痕跡アシを辿るのも専門家でなければ難しい。しかもその専門家の数は少ない。無差別の大量破壊には向いている」

「死霊化、悪霊化を狙って人を生き埋めにするなんて、最低野郎のすることですよ」

「その通りだ、ライアン」


 思うこと、感じることを意志の力で止めるのは至難のわざだ。生き埋めになっている者が生を渇望し、苦しみから逃れようとするのは当然で、だから戦地や事故現場、被災地など、極限の環境下では死霊悪霊の発生率が顕著に上昇する。すぐさま兵器として転用されるも、倫理的な問題から使用禁止条約が多くの国で批准された。

 だが、安価で効果の高い死霊攻撃は貧しい国やゲリラたちにとっては魅力的だ。それを目的として死霊術師を志す者も後を絶たない。

 後ろ指を指されようと噂されようと、死霊術師が大手を振って歩ける国は平和なのだ。ライアンの正義感が眩しく、同時に苦い。

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