第2話 Doubtless(4)

 杖だけを持って現場入りした。二年前と同じだ。うだる夏の熱気、落ち着かなげに揺れる魔力。サイレンを鳴らして救急車が行き来し、重機と作業員が黙々と瓦礫の撤去を進めている。

 八分丈のパンツに水色のフレアスリーブのユディテと、麻のワンピース姿のメリッサは壮絶な事故現場にあってひどく浮いていたが、杖を持っているからか服装についてとやかく言われることはなかった。そもそも、オーダーのスーツ、サングラスと手袋で皮膚を守り、アンナの日傘の下にいるワイゼルマイヤーがいちばん目立っている。

 案内されるまでもなく、崩れた瓦礫のあたりで不穏な気配が高まっている。メリッサも眉間に皺を刻んでいた。


「ずいぶん悪化しているな」


 卿の声音は固かった。確かに、「死霊化の恐れ」などと猶予がありそうな状態ではない。救助活動を一度止めて、作業員を下がらせるべきだと思えた。


「悪霊だけじゃない、もう死霊化していてもおかしくない。危険です、ただちに一帯を封鎖して先に……」


 早口のメリッサが言い終える前に、どん、と打ち上げ花火の音をたてて瓦礫が爆ぜた。


「悪霊だ!」

「耐性のない奴は下がれ! ぐずぐずするな! 魔術師!」


 どよめく現場をよそに、ワイゼルマイヤーが右手を掲げる。

 手のひらを下に指先を揃え、まっすぐに伸ばした手先から不可視の魔力が放たれ、悪霊を貫いた。唖然としているのはミスティックばかり、なぜなら彼の放った一撃は、戦車の主砲にも相当するだろう威力だったからだ。生まれたての悪霊相手に大人げないとも言える火力は、静かな怒りを如実に表していた。

 卿だ、卿が来たぞ、と囁く声には見向きもせず、こちらを振り返る。


「辺り一帯に死霊封じを施してほしい。かなり広いが、できるか」

「やります」

「では私は魔術師たちを集めて悪霊を抑えておこう。ライアン、二人を守れ」

「はい」


 ライアンとメリッサと三人で崩落現場に近づく。蠢く死霊悪霊の気配に、真夏にも拘らず鳥肌がたった。魔力の巡りに気をやれば、負の気配が死者生者を問わずに相食んでいるのがわかる。これでは、瓦礫の奥深くにいる者は助かるまいし、大規模な悪霊化、死霊化も時間の問題だと思えた。

 何も感じていないライアンが無造作に瓦礫に近づこうとしているのを慌てて止める。


「メリッサ、二手に分かれましょう。未熟な霊だから、これくらいならひとりで大丈夫。無理なら呼びます」

「了解。気をつけて。ライアン、ついてってあげて」


 高齢のメリッサを残し、ライアンと二人で走る。無理なく死霊封じを施すなら、一辺五十メートルの方形がせいぜいだろう。勢良く飛び出してきたが大丈夫だろうか、と弱気が兆し、義務感とせめぎ合う。大丈夫でなくとも、やるしかないのだ。

 五センチのヒールが邪魔で、小石を踏んでよろめく。ライアンが腕を掴んで支えてくれたとき、再び打ち上げ花火の音が響いた。あちこちで悲鳴があがる。

 死霊と悪霊が絡まり合って、中空に上がった。数百の筋に分かれて降り注いだのを、杖を突き出して絡め取り、力任せに追い払い、あるいは調伏した。卿の腕が悪霊の大半をなぎ払って消滅させ、残りは魔術師たちが個々に対処した。

 が、死霊を調伏できるのは死霊術師だけだ。下手に魔術を行使しても、その魔力を喰らって肥大しかねない。おろおろするばかりのライアンを下がらせて、杖を振った。死霊寄せの術式が発動し、先端がぼうと光る。

 師の形見である象牙の杖は死霊を誘い、おびき寄せ、糸巻きのように杖の周りに凝集させる。ぎりぎりまで死霊を集めたところで、調伏を施してお帰り願った。離れたところで、卿の衝撃波が悪霊をごっそり消し飛ばしてゆくのが頼もしい。

 息をつく間もなく第三波が来た。打ち上がって分散したものを絡め取ったところで足下がひび割れ、死霊が鎌首をもたげた。ライアンを突き飛ばし、空いた左手でロープほどの太さの死霊を掴む。守護の魔術が込められた指輪に灼かれ、死霊がのたくるが、そのまま握り潰した。杖に絡んだ死霊を調伏してから再度、空に死霊寄せの円陣を描く。

 円陣が赤く輝き、術式に誘われた死霊が次々に姿を現した。地中から、瓦礫の山から、にゅうと死霊が突き出るさまは巨大で黒いチンアナゴのようだと説明するのだが、そのたびにマギーにはキモい、チンアナゴに謝れと言われてしまう。

 呑気に過ぎる想像を追い払い、呼吸を整えた。思った以上に落ち着いて対応できている。

 死霊は思っていたよりもずいぶん大きく、根が深かった。掲げた杖の先端が小刻みに震えたが、さすがは先代の活躍を支えた杖だ。術式はびくともしない。

 生者を喰らわんと漂う死霊をここまで肥らせ、なおかつ現場の魔術師らから隠しおおせていたのだから、隠蔽の術式が用いられたに違いない。テロか、それとも他に目的があるのか。単なる事故ではないのは確かだ。


「しつこいなあ」


 幼い頃に読んだかぶを抜く絵本を思い出しつつ、力を込めて死霊を引きずり出す。黒く凝る霧が噴き出し、円陣へと吸い込まれていった。捜査員達の悲鳴が遠くに聞こえる。

 円陣を潜った死霊はミミズほどの太さの紐状に縒り合わされてゆく。それを杖に巻き付け、折り畳み、重ねて、握りこぶしほどの大きさにまで圧縮した。一時間ほどかかった気もするし、五分で済んだ気もする。現場じゅうの死霊を根こそぎ浚って調伏を果たすまで、ライアンの存在も物音もまったく知覚できなかった。


「ユディ、少し休憩したほうが」

「待って、死霊封じが先。場がずいぶん不安定だから」


 肘を引くライアンを制して、死霊が飛び出してきた穴を杖でこつこつと叩く。大きな死霊が潜んでいたせいで、ジェンガのように脆くなっている。

 物理的な穴ではないが、放置しておけばここを通って第二第三の死霊がやって来る。降霊の術式を逆転させ、セメントを流し込むイメージで穴を塞ぐ、あるいは縫い閉じるのが死霊封じだ。

 埋め残しがないよう慎重に進めたから、ずいぶん時間がかかったし、魔力も費やした。体が軽くなった気さえする。足元が覚束ない。


「……よし」


 満足のため息をひとつ、仕上がりを確認してから杖をしまった。師匠の杖は魔術の増幅装置として、そして心の拠り所として絶大な働きをしてくれた。死霊封じを終えた時には、あたりはすっかり暗くなっていたが、それまで集中を維持してくれたのだから。

 息をつくと、横からミネラルウォーターが差し出された。気を利かせてくれたライアンの顔は奇妙に歪んでいる。何かを言う前に、ワイゼルマイヤーと目が合った。

 すでに日傘もサングラスもなく、血の色の眼は凍れる夜の王の輝きをたたえている。


「よくやった。だが、少々やりすぎだ。魔力補充した方がいい」

「え? そんな、これくらい」


 大丈夫です、と言う前に膝が砕けた。ライアンの逞しい腕に助け起こされながら、アンナの無機質な声を聞く。


「統括官、メリッサが亡くなりました」


 メリッサが? 立ち上がろうとして果たせず、ユディテはきつく目を閉じる。担架を呼ぶライアンは狼狽しきっていて、現場には新しい混乱が生じていた。




 病室で目覚めた。半日以上眠っていたのだろうか、窓の外は明るい。ベッドサイドにはマギーがいて、彼女の頭上、点滴ハンガーにはほとんど空になった魔力ファンタズマのバッグがぶら下がっている。


「ユディ! 心配したんだよ、どこも痛くない? あたしのこと、わかる?」

「わかるわかる。どこも悪くないって。ありがと、大丈夫」

「聞いたよ、死霊を根こそぎ調伏して、現場の立駐まるごと死霊封じしたんだって? そりゃあ倒れるよ、どんだけ大がかりなことしたんだよ。卿だってめちゃくちゃびっくりしてる。あの卿がだよ、天変地異だよ。天地創造だよ」


 大きな身ぶり手ぶりで騒ぐ親友の背後にすう、と白い影が現れて息が詰まる。何事かと振り返ったマギーも、げ、とこぼしたきり黙ってしまった。


「己の力量を顧みず死霊封じに挑む無謀を、幸運に助けられた形かしら」


 にこやかな笑顔と柔らかな口調ながら、有無を言わせぬ迫力があった。返事など期待していない様子の治癒術師サクヤはユディテの血圧と脈拍を計測し、電子カルテに書き込んで、すぐに点滴を外してくれた。


「十七時から診察の予約を入れておきます。十分前に第三内科の受付でバーコードを提示してください」


 腕にはシリコン製のバンドが嵌められている。時計の文字盤よろしくバーコードが印字されたプラスチック板に読み取り機をかざし、サクヤはユディテとマギーを一瞥して踵を返した。


「もうちょっと何かあるよね……幸運って、死んで当然みたいじゃない?」

「いやいや、あんなの全然大したことないって。病室にいると室温下がるんだぞ」

「あ、卿に連絡したほうがいい?」


 それだ、とマギーが真顔に戻り、残像が見えるほどの速度でスマートフォンをいじった。すぐに来るって、と顔を上げる。


「返信早いね? ていうかまだ出勤前だよね、昼過ぎだもん」

「や、アンナさんが管理してるやつ。さすがに卿のホットラインは使いたくない」

「あー」


 昼食がまだだと言うマギーを食堂に向かわせ、受け取った手荷物からスマートフォンを取り出す。電源を入れてみると、フルに充電されていた。さすが心の友、よくわかっている。

 チャットアプリにはライアンからの様子伺いが、メールボックスにはボスから日報のコピーが届いていた。メリッサのことは聞いた、こちらは何とかするから心配しないでゆっくり休んで欲しい、とのメッセージが添えられている。

 メリッサ。

 一度は上向いた気分がたちまち地に落ちた。亡くなった、とアンナは言った。霊の襲撃によるものだろうか。自分とライアンを守ること、ひいては死霊の相手に必死で、他に気を回す余裕はなかった。いや、さほど強い死霊ではないからメリッサも卿も大丈夫だろうと、高を括っていたのだ。

 もう少し余裕があれば、視野を広く持っていれば守れたかもしれない、とは傲慢もいいところだ。メリッサは第一線で活躍している死霊術師で、キャリアはユディテの人生の二倍ほどにもなる。彼女を襲ったのはもっと強い死霊だったのか。それにしたって。

 周りが見えていなかったから、他の魔術師たちがどう動いていたのかちっともわからない。責任転嫁するならば、卿の力が強すぎて他の魔術の気配を覆ってしまったのだ。

 犯人は――犯行グループは計画的に立体駐車場を崩落させ、多数を生き埋めにした。駐車場には悪霊化、死霊化を促す仕掛けもあったに違いない。そして生じた霊を隠した。機が熟すまで肥らせるために。

 気になる点があるとすれば、どうして犯人たちはあのタイミングで霊を解放したのかということだ。死霊の存在には誰も気づいていなかったのだから、もっと霊を肥らせることも、解放時に壊滅的な損害を与えることもできたはずだ。魔術師の技量の限界か、それとも市警の夜の番人、ワイゼルマイヤーが姿を見せたからか。

 術式に時限装置が組み込まれているのでなければ、あの現場に犯人一味がいたことは確かだ。恐らくは、死霊術師が。

 探すべきは死霊化を促進した術式と、霊を隠蔽するための高度な結界、もしくはそれに準ずる術式だ。メリッサが命を落とした理由も。

 死霊封じは施したが、犯行グループが野放しになっているのであれば意味がない。一刻も早く手がかりを見つけたかった。のうのうと寝ている場合ではない。

 タクシーを呼ぶために番号を検索していると、ドアがノックされた。外には不可侵の夜の気配がある。卿が来ることをすっかり忘れていた。


「具合はどうかな」

「もう何ともありません。ただの魔力切れです。加減もできずに、お恥ずかしい限りです」


 卿はいつもと同じく、日傘とバッグを手にしたアンナを従えていた。これから出勤なのだろう、暗いグレーのスーツ姿で、むき出しの紅い眼は決して威圧的ではなかったが、視線を逸らさずにはいられなかった。開店記念みたいな花束を持ってこられたらどうしよう、と一瞬でも想像した己を恥じる。

 逡巡のすえ、見舞客用の丸椅子を勧めた。不死者をこんなつまらぬ備品に座らせて良いのかと気を揉むユディテをよそに、彼はあっさりと腰を下ろした。ドアの近くに控えるアンナは直立不動だ。軍人やSPの硬さはないが、一般人にも見えない。

 ワイゼルマイヤーは病室をぐるりと見回した。何を言われるのか、何を言うべきなのか、優先順位の判断がつけられなかった。急ぐ気持ちばかりが空転して、冷たい汗が滲む。


「結論から言うと、きみの家にいるアレを捜査に投入する」

「え? え、えと、それはちょっと……どうでしょう」


 菜園の封印を解いてあの致死性の毒霧を世に放つのは、大量死を良しとするに等しい。よしんばかれが捜査に協力してくれたとして、用が済んだ時に再封印に応じるとはとても思えなかった。ウェストウッドの犯行グループがそこいらを闊歩していることよりも数百倍危険だ。


「危険性は承知している。ただ、君の血液検査の数値が酷い。事件発生以来、無理をさせていることもあるだろうが、肝機能と腎機能の数値が入院一歩手前だ。関連はわからないが、察するに魔術の行使に対する反動が大きいのではないかな。望むなら精密検査を依頼するが」


 はあ、と力なく落ちた相槌はすっかり枯れた花のようだ。生まれたときから魔術はごく身近にあり、それを学び行使してきたのだ、魔術を使ったときの疲労が人より大きいことにはとうに気づいていた。魔術を使っている間はどんどん力が溢れてきて万能感すら覚えるのに、一度止めると疲れがしかかってくる。


「母はゲームみたいだと言っていました。マジックポイントはたくさんあって器用に魔法を使うのに、ヒットポイントが少なくてすぐにやられてしまうって」

「的確な喩えだ。……どうする、検査してみるかね」

「いえ、やめておきます。普段の勤務には差し支えありませんから」


 卿はそうか、と静かに応じただけだった。


「では、退院後三日は自宅で静養。その後は残業せず、定時で必ず業務を切り上げるように。一週間後に血液検査して、数値を見てからその後の勤務形態を考えよう。労災の書類は魔術鑑識課宛てにメールしておいた」

「ですが、今はそんな……」

「そうだ。魔術師の人手がまったく足りていない。だから、きみが担っていた業務の一部を死霊のかれに任せる。もちろん、あのままで町中に出すわけにはいかないから、一時的な入れ物としてアンナと同じ、魂の器を備えたタイプの人形に憑依してもらうが。……案ずるな、全ての責任は私が負う」


 ミカエルを解放するより、応援を頼むのが先ではないか。メリッサを死なせた以上、さらなる応援要請は体面こそ良くないが、プライドを云々している場合ではない。


「あの、メリッサは……」

「悪霊に腹を食い破られた。私の目が届かなかったせいだ」

「いえ、降ろして話を聞きたいんです。わたしは自分のことにかかりきりで周りが見えていませんでしたが、メリッサほどのベテランの隙を突けるほど強い悪霊がいたようには思えません。それに、あそこにいた死霊は生まれたてにしては巨大でした。誰かが死霊を隠蔽していたのではないかと思うんです」

「……では、死霊術師が噛んでいると?」


 ままよ、と高層ビルから飛び降りる気持ちで、考えを打ち明ける。タイミングが良すぎたこと。崩落による無差別な傷害ではなく、悪霊や死霊を作るべくして仕組まれた事件の可能性もあること。現場の作業員の中に犯行グループの者がいるだろうこと。卿は険しい皺を刻んだまま、しかし一言も発することなく耳を傾けてくれた。


「だから、早く鑑定を進めて、証拠を見つけたいんです。メリッサの降霊も含めて。ご遺族に降霊の許可を取って頂けませんか」

「改めて訊くが、彼女を降ろすとどの程度疲労する」

「鑑定を一とすると、十くらいです」


 卿は席を立った。超美貌に不釣り合いな丸椅子が床を引っかいて抗議の声をあげる。


「では、降霊する日はそれ以外に魔術を使うことは許可しない。他は先に伝えたとおりだ。三日のうちに自動人形の調整を終える」

「ミ……かれが嫌がったらどうするんです」

「嫌がるわけなかろう。賭けたっていい」


 ワイゼルマイヤーとアンナが去ってすぐ、きょろきょろしながらマギーが戻ってきた。耳と尻尾があちこち動いて、挙動不審だ。昼食から戻ってきたものの、上司の気配を察して入室できずに身を隠していたらしい。


「卿、何だって? 怒ってた?」

「それはないけど。しばらく大変そう……」


 ため息をマギーが受け止める。大きな手は意外に柔らかい。


「だいじょぶ、心配しないで。あたしがついてる」

「んー、そゆんじゃなくて」

「違った?」


 違うんだよー。誰に訴えればよいのだろう。

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