第1話 Nameless(2)
契約の更新はスムーズに進んだ。死霊術が捜査に必要とされるほど、世の中は物騒な事件に事欠かない。ミスティックの力をもってすれば、物証の偽装や隠蔽は容易だからだ。物理法則に縛られぬ存在を科学の力で追うのは至難の業だ。ミスティック関連の事件で一番多いのは魔術にまつわるもので、要するにもと人間の犯罪である。資料を読むたびに何とも言えない気分になるが、人口比を考えれば驚くような話ではない。
鑑識の科学捜査に並んで重要な探査魔術は目に見えぬ魔力を追跡する、
一方で、死者の霊を降ろしたり封じたり、滅多にないが死者を蘇らせたり屍体人形を操る魔術は、死霊術師にしか扱えない。死者と交信できる圧倒的有利を捜査機関が手放すはずがなく、好待遇で迎えられている。師匠の口利きで非常勤として雇われ、ゆくゆくは正職員としてと誘われていたが、師の後を継いで主任魔術師となった今、組合を放り出すわけにはいかなくなってしまった。
統括官は事情を汲んで、変則的な勤務態勢や時短勤務にも理解を示してくれている。警察と魔術師組合の仕事の掛け持ちは、忙しくないと言えば嘘になるが、組合に籠もっていては経験できない事例に触れられる。家にいるとどうしても気が塞ぐから、気分転換にもなっていた。
夜の王、巷では吸血鬼として通っているワイゼルマイヤーは、高演色LEDの光でも皮膚がかぶれると噂で、生家は城だとか、これまでに各国各地の土地を転がして国家予算並みの財力があるとか、チンギス・ハンと草原を併走したとか、アポロ宇宙船で月へ行ったとか、眉唾物の逸話を挙げればきりがない。
大仰に「卿」などと呼ばれるのにも違和感がない物腰と公正かつ毅然とした姿勢に、ミスティックらはみな忠誠を誓っている。なぜそんな大物が地方都市の警察署に勤務しているのか? 誰も口にできない疑問は、市警七不思議のトップに鎮座ましましている。
液晶画面や映画館のスクリーン越しならばまだしも、机一本隔てただけの距離で向かい合うには心臓に悪い超美貌を直視しないよう、俯きがちに書類を差し出した。
「よろしくお願いします」
「手間をかけさせたね。……ところで、何か悪いものと接触したかな」
ユディテの年収ではとうてい購えないだろうオーダーのスーツに包まれた腕が伸びてきて、金粉が散らないのが不思議なほど優雅な仕草で肩を払った。隠し事はできない。彼は駆け出しの死霊術師とは格が違うのだ。
菜園に出まして、と打ち明けると、卿は憂いを浮かべた。あああすみません、とわけもなく床にひれ伏したくなる。鷹揚なくせに細やかで心配性、という器用な性格の夜の王に、いらぬ気を遣わせてはならない。恐れ多いし、正直なところ面倒だ。
彼とはオフィスが異なるため、直に言葉を交わす機会は少ないのだが、「主任のことは残念だった」「困ったことがあれば遠慮なく言ってくれ」と最近しきりに声をかけてくれる。気持ちは有り難いが、社交辞令で受け流すのが精一杯だった。
市警の非常勤職員となって二年が過ぎても、卿との接しかたはよくわからないままだ。マギーが普段通りのざっくりした態度で「卿、ちょっといいすか」などと話しかけているのを見るだけで寿命が縮む。
「穏やかではないね。出るだけならまだしも、こんなにも残るなんて。接触は出がけではないのだろう?」
「ええ……死霊の集合体で、どうやらうちに長く居着いているようです。これまでは師が抑えていたらしいのですが、そんな
白い顎に手をやって何やら思案していた卿は、ひとつ頷いた。憂いは消え、いつもの穏やかな無表情が美貌を覆っている。話は終わりのようだ、と察して立ち上がる。
「では、仕事に戻ります」
魔術鑑識課と魔術捜査課のオフィスは横並びで「結界部屋」と呼ばれている。魔術鑑識課には現在、正職員であるオーレリア・ワッツのほかはユディテがいるきりだ。そのボスは入れ替わりに長期休暇を取って西海岸へ旅行中である。平和な証拠だった。
所属人数の少ない魔術捜査課、魔術鑑識課のあたりはしんと静かだが、州警察から増援を呼ばざるを得ないような大事件が起きればたちまち人があふれ、結界部屋には鑑定を待つコンテナの山が築かれ、調伏や死霊封じのために現場へ同行することになる。
そんな大事件は二年間で一度しか経験していないが、その時は死霊術師の看板を背負っての初仕事だったこともあり、あまりのハードさに精神面はずたぼろになった。次から次へと運び込まれる肉片、血塗れの瓦礫、かつて人間だったもの、ミスティックだったものが収められたコンテナ。降ろした死霊は口々に苦痛と憎悪を訴え、どうして自分がと嘆き、血の涙を流していた――
はっと我に返り、コーヒーマシンでカフェオレを淹れる。普段は使わない砂糖をカップに流し込むと、甘さが心の平穏を呼び戻してくれた。
降ろしたものに引きずられないのは死霊術を使ううえでの基本だ。無理にでも、どんな手を使ってでも、気分転換をする。持ち越さない、思い出さない。過去は過去、現象は現象。割り切らねばすぐに持って行かれてしまう。
師を亡くしてから、喋る機会が激減した。食卓での何気ないやりとり、ニュースやバラエティ番組を見ながらの憂いや笑い、もちろん師弟としての会話。意識せぬままに多くの言葉を交わして、それがいい具合にガス抜きになっていたことを今さらながらに思い知る。身近に気軽に話せる者がいないのはよろしくない。
シフト勤務のマギーを頻繁に呼びつけるのも悪いし、捜査課のライアンはじめ署内に知り合い、友人とも呼べる者もいくらかはいるが、やはり死霊術にまつわる話は魔術師に聞いてもらいたい。吐き出すだけならば匿名性の高いSNSという手もあるが、守秘義務以前にリスクが高すぎる。
組合本部のカウンセリングを受けるには遠出せねばならず、気乗りがしない。どうしようかと首を捻りつつ、まあまだ実害はないし、と棚に放り投げる。鑑定依頼コンテナのバーコードを読み取り、データを確認した。
H.Hとイニシャル入りの杖だ。昨日の日付、場所は中央区北通り。地図を確認すると、クレーン車が強風に煽られて転倒し、乗用車や近隣店舗、歩行者を巻き込んで複数の死傷者を出した事故現場だ。新聞でも大きく取り上げられていた。
備考欄を見ると、「被害者に該当なし、持ち主不明」とある。市街地の事故現場で持ち主が明らかにならないものだろうか。たまたま現場に落ちていたか、それとも単なる忘れ物か――歩行用の杖が? 杖からミスティックの魔力は感じられず、人間のものと思われた。降ろせばすべて明らかになるだろう。
もう一口カフェオレを飲んで、ユディテは気持ちを切り替えた。
『ひとりきりになって寂しいだろうから』
黒い霧の囁きを締め出し、心に鍵をかける。ロッカーから柳の杖を取り出して、必要な道具を揃えた。
イヌサフランの種子を挽いたもの、蝙蝠を焼いた灰、珊瑚と水晶。白墨で陣を描いた上に丁寧に配置して、香を焚く。俗に反魂香と呼ばれるもので、死霊が現世に留まりやすくするために用いられる。術式に必要なものではないが、気分が上がるし、死霊が喜ぶこともあるので状況が許せば使うようにしていた。陣のそばを二度叩いて術式を開始する。
気恥ずかしいので呪文はない。昨日亡くなった者を降ろすくらいならさほど苦労もなかろう。じっと集中し、H.Hの杖から死者の世界に延びる糸を辿ると、川向こうに男性の丸まった小さな背が見えた。
おかしい、昨日の今日にしては気配が遠すぎる。糸も切れてしまいそうなほどに細く、ひと月前に亡くなっていたと言われても納得しただろう。
そっと糸を引くと、男性はこちらに気づいたようだった。
「どうぞ、お越し下さい。お訊きしたいことがあるんです」
ユディテに招かれ、男性の死霊は糸を手繰って現世に姿を現した。これが降霊術、死霊術の基礎中の基礎である。
なぜ警察が死霊術を頼りにするのかといえば、もちろん死者が事件の真相を知っているからであり、死霊は嘘をつかないからだ。かれらは事実を語る。それによって捜査がひっくり返ることも少なくない。
「その杖は確かに私のものだ。それで撲殺されたんだ、嘘じゃない、信じてくれ」
「……もちろんです。詳しくお話を聞かせてください。差し支えなければ、担当の刑事を呼びますが」
今回も、死霊の言葉で思いがけない扉が開いてしまったようだった。気色ばむ死霊の告白に煙が大きく揺らめき、ユディテは内線電話に手を伸ばした。
休みが重なったので、マギーとライアンを招いた。ご飯を食べにおいで、ついでに畑仕事を手伝って、とメッセージを送ると、どちらからもすぐさま了解の返信があった。
マージョリー・エッカードはミスティックの「T」、
男物の細身のスーツに身を包み、颯爽と歩く姿は署の内外、老若男女を問わず惹きつける。季節になると、頬を染めた少年少女が、毛皮に身を包んだマダムが、金物屋と見紛うばかりに金鎖をぶら下げた若者がプレゼントやチョコレートを手に出待ちしており、エッカードは如何にして取り巻きを増やしているのか、とは市警七不思議のひとつである。
一方のライアン・ストランドはまったき人間だ。魔力を微塵も持たず、感じないという特異体質の持ち主である。俗な言い方をすれば、霊感がないのだ。感じず、見えないので、精神魔法に対して無敵を誇り、死霊・悪霊絡みの事件には重宝されている。
もっとも、憑依されればひとたまりもないから、様子を探る、いわばカナリアとしてのお役目を仰せつかっている。良いのか悪いのかよくわからないが、本人は少しも気にしていないようだ。
「気にしたってしょうがないだろ。わかんないものはわかんない」
と真夏の太陽みたく笑っている。
体育会系のふたりはせっせと雑草を抜き、枯れた葉や萎びた花を摘み取り、土を起こして水を撒く。食事に釣られているのだとしても、なかなかの働きだ。差し入れのレモネードがあまりに勢いよく減るので、セバスチャンの表情のない頭蓋骨が緩んでいるようにさえ見えた。
「ユディとセバスチャンだけでこれだけの畑を手入れするのは大変だよなあ」
「セバスチャンが生きてた頃からの日課らしいからねえ。嫌々やってるわけじゃないから、しばらくはこのままかな」
「お弟子さんを取ればいいのに」
マギーはあっけらかんと言うが、マスター位を得てわずか一年半、若輩中の若輩である死霊術師に弟子入りを希望する者がいるとは思えないし、師匠として振る舞える自信もなかった。もちろん、先代や兄弟子、姉弟子も新人と呼ばれた時期があっただろうが、その偉大さに及ばぬまま師匠と呼ばれ、若手に影響を与えることには抵抗を覚える。
魔術師たちはマスター、いわゆる免許皆伝となっても師のもとで十分に経験を積み、それから独立するのが慣わしだ。単独でやっていけるだけの実力と自信、箔とコネを身につけるのである。
今のユディテには、ゴールドのメダルが保証する死霊術師のマスター位と、立派に過ぎる家と土地しかない。馴染みの客は把握しているし、そうそう離れてはいかないだろうが、新規の客を取れるかといえば難しかろう。
立派といえば師の形見としてもらい受けた象牙の杖もだ。自作の柳の杖も気に入っているが、大がかりな魔術を施すときには師の杖をお守り代わりにしている。
「今のお仕事量なら一人でも大丈夫。セバスチャンもいてくれるし」
「そんなこと言って、急に倒れたりするなよ。セバスチャンは救急車を呼べないだろ」
灰斑の耳をぴんと立てたマギーは直情的で享楽的だが、ユディテにはいつも優しい。誰ともすぐ打ち解けてしまう彼女の交友関係はとても広いのに、幼なじみにすぎない自分を気にかけてくれるのには感謝するばかりだ。
「魔術師も大変だな。畑仕事までしなきゃなんないなんて」
「しなきゃなんない、ってこともないんだよ。なんて言うのかな……死霊術と土いじりってけっこう近い部分があるのね。人の口に入るのはみんないきものだから。聞こえよく言えば命をいただいてる。それを忘れるなって、戒めみたいなものもあるんじゃないかなあって。生まれて生きて死ぬサイクルはすぐ身近にあるけど、それを自由にできるなんて驕っちゃいけない、とかね。もちろん、買うのに比べて手はかかるけど、それはなんでも同じだし……まあ、こんな規模じゃ偉ぶるほうが恥ずかしいかな」
マギーがにやにや笑う。ライアンはと言えば、何やら感極まった様子で庭を見回し、そうかあ、なるほどなあ、などとひとりで頷いていた。魔力のない彼の見ている世界は、ユディテの眼に映るものとはまったく違っているだろう。魔術で何が行われているのか目に見えずとも、耳を傾けてくれるだけでありがたい話だった。いい人だなと心から思う。
勝手口から顔を見せたセバスチャンが昼食の準備ができたと手話で示すと、マギーとライアンは歓声をあげて飛び跳ねた。ふたりは手話を知らないけれども「食事の準備ができましたよ」だけは理解できるのだ。
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