第3話 Sleepless
第3話 Sleepless(1)
元来、死霊術は死者を弔うものであった。そのすべに通じ、司祭、僧侶、巫、シャーマン、ドルイド、各地で様々に呼ばわれ、日常的に死に親しんだ人々だけが、生者と死者とを隔てる川を越えて行き来し得たのだ。
先人の知恵を借り、言葉を預かり、こころの寄る辺、道標とする。国や民族を問わず、そういった存在は太古の昔から少なからず存在していた。
魔女の烙印を押され、無惨に焼かれた者も数えきれない。穢れや不浄の象徴と指差され忌み嫌われても、巡りめぐる生と死は人のいとなみから切り離せぬものゆえに、その術式が廃れることはなかった。
由緒と実例の蓄積であった薬草を用いた秘術には、科学の助力を得て効用が明らかになったものが多い。一部の依頼人にとっては科学の裏打ちが安堵を与え、またある一部は神秘を重んじる。人は科学を求めているのか、科学の物差しでは測りきれぬものを求めているのか、わからなくなることもしばしばだ。
「治癒術と死霊術の根本は同じだと言われています」
「はい」
「紛争地域では死霊術がゲリラ戦に転用されていますが、こういった用途での拡散を防ぐためにどんな手を打つべきだとお考えですか」
などと試験めいた質問を投げられては、尻尾を巻いて全力で逃げ出すしかない。
「魔術師の比率としては治癒術師の方が多かったわけですが、これは死者を弔うより、生者を生かすことに重きが置かれたと考えて良いでしょうか」
「恐らくは。医療の進歩とも関わっていると思います」
「ああ……伝染病の流行や、公衆衛生の概念の発達とも関係してきますね。その後は戦争が大規模になりますし」
「たくさん殺すことが簡単になった一方で、平均寿命も健康寿命も延びています。新生児死亡率も下がっていますから、昔に比べると死は遠いものになったと言えるでしょう。良いことだと思いますよ。わたしだって死ぬのは嫌です」
「死霊術師でも?」
もちろん。答えると、メイはふうんと息をついた。
そもそもどうして、この優秀そうな治癒術師の研修先に選ばれてしまったのか、それだけがわからない。
事の起こりは、ウェストウッド地区での死霊化テロの事後処理がようやく落ち着いた十月中旬、センダード市死霊術師組合宛てに届いた一通の電子メールだった。
差出人は「Sakuya Ninoe」、件名は「研修生受け入れのお願い」。見なかったことにしたかったが、そうもいかない。
セバスチャンにマシュマロを乗せたホットココアを作ってもらって、無為に机の上を片づけたり、本棚を整理したり、洗濯物を畳んだりしてついに逃げ場がなくなってから、用件は明らかなのだから何を恐れることがあるのだ、返信が遅くなれば余計に面倒ではないか、と自分を鼓舞し、宥めすかした末にえいやとクリックした。
研修は、マスター位取得のために必要な五年間の実務期間のうち、通算で百八十日間行われる。もとは異なる系統の魔術師との繋がりを強めるための制度だったが、とうに形骸化し、師匠の気安い友人のもとへ送り出されることが多い。
ユディテの師にして母、ハーレは顔の広い人で、あらゆるコネを総動員して治癒術、属性魔術、探査魔術、結界術などを身近で見られるよう手配してくれたが、彼女が亡くなってからは研修生受け入れの依頼も途絶えており、この半年で初めてだった。
ユディテ、あるいは死霊術師を毛嫌いしているらしいサクヤがどうしてこちらに依頼してきたのか、意図も魂胆も読めない。彼女ほどのベテランなら、他にも死霊術師のひとりやふたり、心当たりがあるだろうに。
たまりかねてミカエルに相談すると、いいんじゃない、と実に軽い答えが返ってきた。ワイゼルマイヤーと人形師ポーラが取っ替え引っ替え人形を持ち込んでは、ああでもないこうでもないと繰り返すのにうんざりした様子を見せていたのもわずかのこと、安定して半日ほど人形に憑依できるまでになり、ご機嫌である。
結界を解いたり元通りにしたりといった作業も以前は半日がかりだったが、卿が招いた結界術師の尽力で半時間ほどに短縮されていた。
そうであっても、重大な用件がなければ菜園にいるのが暗黙の了解で、ミカエルが外出を望んだことはこれまでになかった。遠出の約束も宙ぶらりんのままだ。「器」を得ても何も望まない態度には感心するどころか、不気味だ。自由を望まない理由が気になって仕方がない。
そんなミカエルのストイックさをどう受け止めているのか、ワイゼルマイヤーは謎の情熱でもって人形を持ち込み続けていた。
時には一分と経たずに腐り落ちる美少年の残骸を、アンナが淡々と死体袋に詰める(卿にしては最低のセンスだ)傍らでミカエルと卿、ポーラが改善点について熱っぽく話し合うのはほとんど常軌を逸した光景で、主任魔術師としての仕事もあるユディテは立ち会っていない。研修生にミカエルの存在を知られるわけにもいかず、受け入れ期間中は調整を中止してもらっていた。
研修のために市警の勤務やスケジュールを調節したものの、予定が過密すぎて整流に通う余暇がなく、魔力もつれ由来の頭痛と肩凝りが重い。夏が終わり、気が立っていたミスティックが大人しくなったせいか、センダード市が平穏であることが唯一の慰めだった。これで警察の業務まで忙しければ、過労で倒れているところだ。
お弟子さんを取らないのかと首を傾げるマギー、人を雇えばと言うライアン、無言の気配りを見せるセバスチャン、何でも相談するようにと頷く卿、無理はいけないと諭す教授、ひとりぼっちだねと囁くミカエル。皆を心配させているのは承知しているが、人を増やす気にはなれなかった。今はまだ。
「うちは古くからありますが、規模はご覧の通りですので、飛び込みの大きな依頼はめったにありません。ほとんどは死霊封じや遺言の確認、遺品整理ですね。他には、墓地の見回りも重要なお仕事です。そろそろ提携している墓地の見回り時期ですから、一緒に行きましょう」
「はい。……見回り中にゾンビや死霊が出たりは」
「しません。そんなことになれば信用問題です」
「そうでしょうが、自作自演することで不測の事態への強みもアピールできるのでは」
彼女は時折、こうして意図の掴めぬ意見を述べる。馬鹿にされているのかもしれないが、「治癒術師は己の腕を誇示するために患者を傷つけるのですか」と切り返すのも大人げなく思えて、サプライズが喜ばれるのはフィクションだけです、と答えるに留めた。
「そんなに幅広くレポートを書かなきゃなんないんですか? 大変ですね」
「えっ? ええと、ほら、サクヤ先生は厳しいので。治癒術師組合にもいくつか派閥があるんですけど、先生はいちばん原理主義的なグループにいらっしゃるから、昔ながらの魔術師のあり方を大切にしておられるんです」
「昔ながらって、まさか、レポートも手書きで?」
「そんなことはないです。むしろ、パソコンは使えて当然だし、音声入力だとかAIアシスタントだとかをうまく使えば、浮いた時間で魔術書を読めるではないかと。新しい技術は積極的に取り入れるべきだと仰ってます」
言いそうだ。悪い人ではないのだろうが、自分とは合わない。
センダードの死霊術師組合では、先代、先々代と続けてゆったりとした師弟関係が築かれた。風通しが良い代わりに締まりに欠ける。ユディテ自身、弟子が来ればどんな態度で接するのか決めかねている。
先代の後を継いだばかりで余裕がないこともあるが、死霊術師としての理想や願望、抱負をまだはっきりと言葉にできない。従来通り、市民の皆さまに親しまれる死霊術師で、などと使い古された文句で切り抜けてきたが、そういった芯のなさがサクヤに疎まれているのだろう。
「ユディテさんはどうして死霊術師になったんです?」
「母も死霊術師で、身近に見ていましたから。小さい頃から
「何となく……ですか」
「サクヤ先生に怒られそうですけど」
死霊術師のなり手が減っているとか、死霊化テロの増加であるとか、幼い頃に父を亡くした経験であるとか、他にも要因があるにはあったが、どれも理由として挙げるには違和感が勝る。昔から死霊術師になると信じて疑わなかったし、実際に死霊術師になった今でさえ運命だとも天職だとも思わないが、死霊術師でない自分も想像できない。そのくらい身近で、自然なことだった。
だからこそ、かくあるべしといった規範や理想を持てないのかもしれなかった。死霊術師たちがきちんと評価されるのであれば、何を望むこともない。
「そういえば、死霊術師が写真を撮ると、死霊が写り込むって本当ですか?」
唐突な質問だった。死霊術の兵器転用を案じていたのと同じ口でこんなことを訊かれるとは思わなかった。
「都市伝説ですよ。心霊写真を撮るのは簡単だから、洒落で撮ったんじゃないでしょうか。興味があるなら、お見せしましょうか? 母のものですけど……私の写真はデジタルばかりでプリントしていないので」
物置からアルバムを引っ張り出した。母は妙なところで几帳面で、ことあるごとに写真を残していた。デジタルの時代を迎えても、一月につき一枚、と厳選した写真をプリントしていた。もちろん、データを保存したメディアはたくさんある。
数冊のアルバムは言葉通り、母の一生を辿るものだ。死霊術師になったばかりの頃のものを選ぶ。まだフィルムカメラの時代である。薄く埃を被ったアルバムは、手にずしりと重い。
「これです。どうぞ」
「失礼します」
メイは思い切りよくアルバムを開いて、ほんとだ、と無邪気に声をあげている。見ず知らずの他人の写真を見て面白いものだろうか。心霊写真がさして珍しいと思えないのは、ユディテが死霊術師だからか。
「どれがユディテさんのお母さまですか」
彼女が指差したのはこの家をバックに、死霊術師たちが集合している写真だった。母がマスター試験に合格したときのもので、同じ年頃の男女と並んで免状を掲げ、はにかんでいる。後ろでは先輩死霊術師たちが、祝杯に頬を染めていた。
「これです。あまり似てないでしょう。わたしは父親似なので」
「そうですか? 目元や口元が似てらっしゃるように思いますけど」
改めて写真を見て、あ、と思った。
母の左隣の東洋人女性はサクヤとよく似ていた。メイの様子を窺うも表情に変化はなく、他人の空似かもしれない。一方、右側にいる男性はミカエルだと直感した。何の確証もないが、どうしてか確信があった。同期であれば気安く話していたのも頷ける。
写真は同期の三人で撮ったものや、先々代と写っているものが多い。ほとんどがこの家で撮られたものだったが、ほどなくサクヤ似の女性とミカエルらしき男性が姿を消した。続いて若かりし頃の父が現れ、結婚式の写真、夫婦の写真、大きな腹を抱える母が並ぶ。
「一緒に写っていた同期の方たちは早くに独立されたんですか?」
「さあ。聞いたことはないです」
「この赤ちゃんがユディテさん?」
命名、ユディテ。おくるみやベビーカーの中で顔をくしゃくしゃにしている赤児がしばらく続き、そして再び死霊術師としての母の写真に戻る。同期たちの姿はもう現れなかった。アルバムの最後の写真では、金色のメダルを掲げて、やや緊張した笑みを浮かべている。日付は二〇〇〇年八月二十九日。
「このメダルって、主任魔術師の……えっ、じゃあ、ユディテさんのお母さまがこちらの先代……『冥府の女王』ハーレなんですか?」
「その大層なあだ名は嫌がってたけどね」
「えっえっ、だって先生はそんなこと一言も……! あっ、それで死霊術師になられたんですね。まさか『冥府の女王』がお母さまだとは思いませんでした」
いったい、どれほどの尾鰭がついて噂されているのだろう。最初に「冥府の女王」と呼んだのはゴシップ誌だそうだが、時が下るとネットニュースが追従して持ち上げるようになった。そのどちらも、母の死を報じることはなかったが。
苦笑するユディテの隣で、メイユイは興奮して頬を上気させている。
「だって、最初はあの三十一年前の死霊化テロで、それから中東での民間施設誤爆、ロンドンとパリの地下鉄爆破テロ、日本の無差別殺人、二年前の同時テロの時だって大活躍なさったじゃないですか!」
よく勉強している、と褒めかけ、死霊術師が必要とされるところでは治癒術師もまた必要とされるのだと思い至った。両者の歴史は重なり合う。主要な事件を押さえれば、良きにつけ悪しきにつけ、死霊術師ハーレの名が登場するのは必然だ。
「肉親であることを
「それはもちろん……。はしゃいでしまってすみません」
いいの、と流して、アルバムと心霊写真の話はうやむやになった。物置でふと思い立って、集合写真を抜く。あとでミカエルに見せてあげよう。
学校を出て研修期間ののち、ストレートでマスター位を取得したとすれば二十五歳。飛び級は最大で三年、二十二歳で一人前の魔術師になれる。笑いきれずにぎこちなくレンズを見つめる青年はもう少し若く見えた。
華奢で、正装のローブがぶかぶかだ。長めの前髪の奥、陰った青い眼には真面目なひたむきさ、熱意を感じる。鼻筋の通ったすっきりした顔だちで、取り立てて美男子だとも思えないが、真面目で潔癖そうに見えた。
応接間に戻ると、メイは熱心にレポートのメモを作っていた。あと三日で研修も終わる。墓地の見回り以外に大きな仕事はなく、そうそう突発の依頼は入ってこないだろう。ゴールが見えてきたな、と安堵の息をつく。
「サクヤ先生が言っていたほど、危険な術ではないと感じるのですが」
ぽつりとメイが漏らした。
「危険? 死を扱うから、という意味?」
「そうです。ユディテさんのように良識あるかたは、理由もなく死体蘇生や反魂を行わないのに、屍体人形や死霊を生み出すためだけに大勢の民間人が殺されている。先生はこの不均衡を嘆いています。悪しき者がひとの命を弄ぶために死霊術を学ぶ現実をどうにかしたいと」
「それはもちろんそうだけど、術者の心もちや善行、悪行を定義するのは誰ですか? 術者の正義が社会の正義であるとは限らないのは事実ですし、ひとの尊厳を踏みにじる使われ方をしているのも否定はしませんが、安易に学ぶ機会を制限するほうが危険でしょう」
彼女に言われるまでもなく、死霊がらみの事件が起きれば、死霊術師組合への激しいバッシングが行われるのが常だ。二年前も、この夏もそうだったし、悪意に満ちた匿名のメールや電話、SNSや匿名ブログ、ネット掲示板への投稿を防ぐことなどできないと経験で理解している。
門前に生ゴミを捨てていくとか、外出時を狙ってつきまとうとか、実際の迷惑行為や恐喝、脅迫への対応はワイゼルマイヤーに任せた。マギーとライアンが交互にボディガードをつとめてくれたし、ミスティックによる地域パトロールも回数を増やしてもらった。
どれほど言葉を尽くしても、聞く耳を持たぬ者には伝わらないし、ひとは見たいようにしか現実を見ない。何をしても曲解され、悪意や反感がエスカレートするのであれば、専門家に任せて口を噤むに限る。
「それを紛争地域の被害者たちに言えますか? 開き直りじゃないですか。重要なのはどう行動するかでしょう」
「紛争地域から死霊術と死霊術師を駆逐したとして、彼らは新たな武器を手にするだけです。銃や爆弾、他の系統の魔術。治癒術だって使いようによっては強力な殺傷力を有します。道具を取り上げれば良い、そんな簡単な問題ではありません。原因は地域によって異なります。宗教や民族の対立、貧困、代理戦争。争いの種はいくらでもありますが、万人に都合の良い正義はありません。使い手の良心を信じるのは、何でも同じでしょう。サクヤ先生ほどの方が、死霊術だけに責任があると考えていらっしゃるのですか」
サクヤが原理主義的であるのならば余計に、源流を同じくする死霊術と治癒術が敵対するもの、白黒つけられるものではないと理解しているはずだし、死霊術を禁じることで状況が改善するなどと安易に結論づけてはいないだろう。
死霊術と治癒術は生のいとなみの両極に位置するにすぎない。
「先生はいつも言ってます、『死は私たちが管理する』って。私がこちらに来させてもらったのも、死霊術を学ぶとっかかりを作るためですから。だから、ユディテさんのすること、暮らしぶり、どんなときにどんな術をどのくらいの強さで使うか、死霊術をどう捉え、どんなふうに接しているか、きちんとレポートしなきゃなんないんです」
「死を、管理する……?」
メモの整理に戻ったメイは呟きには応じなかった。言いようのない不気味さが、サクヤの印象に濃い影を落とす。
かっとなって口走ったことまでもレポートに書かれてしまうと思うと、肩と首の凝りがいっそう悪化するようだった。
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