第三章


     第三章、二千九百六十九年~二千九百七十年


 ブライアンが突然、バンドを辞めたいと言い出しました。インタビュー記事を書いていた僕にとっては、それほど意外なことではありませんでした。メンバーたちは驚いていました。その中でもキースの驚きようは、特別でした。

「どうしてなんだ? 俺には意味がわからない! ブライアンがいなければ、ライク・ア・ローリングストーンは成り立たないだろ!」

「そう思っていたのは、キースたちだけだったんだよ。ブライアンは、ずいぶん前から悩んでいた。僕はそれに、気がついていた」

「だったらなんで! 俺に知らせないんだ!」

「僕はブライアンの言葉を記事にしていたよ。けれどキースは、読まなかった。僕に出来るのは、そこまでなんだ。それ以上を伝えることは、出来ない。こういう問題は、本人の口から伝えるべきだ」

「これから俺は、どうすればいい? ブライアンなしに、ライク・ア・ローリングストーンの音楽はあり得ない」

「・・・・僕の書いた記事を読むといいよ。少しはブライアンの気持ちがわかるだろうから」

 僕はキースに、ブライアンが今後のバンド活動についての悩みを語った記事が載っている雑誌を渡しました。キースはその場で箱を開き、読み始めました。

「これがブライアンの気持ちだよ。僕はこの言葉を個別に聞き出したわけじゃない。普段の会話の中から拾った言葉だよ。ブライアンはスタジオの中でも、悩みを吐き出していた」

 ブライアンとミックは、そのギター演奏について揉めることが多くありました。正反対のスタイルを持つ二人ですから、当然のことともいえます。そんな二人をまとめていたのはキースでした。しかしそのキースも、七枚目以降から徐々にミックの意見を尊重するようになっていました。ブライアンの演奏を直接否定することすらありました。バンド内でのブライアンの役割は、傍目からも減っていたのがわかるほどでした。

 その理由は、ブライアンの音楽性が徐々に傾き始めたからでもあります。ブライアンはツアーの合間や作品作りの合間に世界中の音楽を聞き集め、吸収していました。世界中から様々な楽器を集め、その演奏を楽しんでいました。その影響が、悪い方向に出始めていたのです。

 初めはよかったのです。七枚目以前は、ブライアンの新しい楽器演奏がその曲にインパクトを与え、新しい音を生み出していました。しかしライブを再開してからは、それらの演奏が邪魔になることが多く、結果として、ブライアンの演奏するギターの音さえ邪魔となってしまっていたのです。

「それでも俺は、ブライアンを必要としている」

「それは僕だってそうだ。誰がなにをいっても、ライク・ア・ローリングストーンには、イアンと僕を含めた七人が必要なんだよ」

「・・・・? お前も入るのか?」


 僕とキースは、ブライアンの自宅を訪ねることになりました。キースが一人で話すのは気が重たいと言ったので、僕がついていくことになったのです。僕が行くよりも、本当はミックが行くべきだと思っていました。後で聞いたところによると、ミックもそのつもりでいたそうなのですが、キースはなぜだか僕を指名しました。僕もブライアンと話をしたいと思っていたので、断る理由がなくついていくことになりました。しかし、その判断が間違っていたと、すぐに後悔をしました。その後悔はあっという間に大きく成長をし、いまだに悔やみきれないでいます。無理にでもミックを連れていけば、結果が変わっていたのかもしれないと思うと、後の原因が僕にあるように感じてならないのです。

「どうして俺になんの相談もしなかった? 俺たちは、家族だろ?」

 ブライアンはバンド脱退の報告を、当時のマネージャーに伝えただけでした。メンバーにはなにも言わずに静かに去ろうと考えていたのです。キースの突然の訪問に、かなりの驚きを見せていました。

「そ、そそそそれとは違う問題だ」

 どもるブライアンの姿を、初めて目にしました。

「ぼ、僕はもう、嫌なんだよ。バンドとしての行動は、共に出来ない。僕は、一人になりたいんだ」

 ブライアンは少しずつ、冷静を取り戻しながら話をしていました。初めはそむけていたその視線を、しっかりとキースに向けていました。

「これからのことも、考えているんだ。僕は一人で、作品を作るよ。そのための曲はもう、ほとんど用意が出来ているんだ」

 当時の考え方として、それはとても画期的なことでした。バンドを辞めること自体が信じられない行為だったのですが、そのバンドを辞めたギタリストが一人で作品を発表するなんて、誰が思いつくというのでしょうか? 一度辞めてしまえば、二度と元には戻れないというのが、なんに対してでも、世間一般の考えだったのです。バンドを辞めるということは、音楽を辞めるということです。音楽を続けた上で、一人でやり直そうという考え方は、あり得ませんでした。会社を辞めてしまい、同じ業界で一人立ちするというのと同じ考えです。そんなことは、当時はあり得ないことでした。ブライアンの行動を機に、一般として広がっていったのです。

 当時はまだ、ミックもイアンも地下でのバンドを継続していました。その活動は小さなものでしたが、辞めることは出来なかったのです。実際はライク・ア・ローリングストーンでの活動が忙しく、ライブに参加をすることは少なかったのですが、暇を見ては足を運ばせていたようです。かけ持つという考えは一般的だったので、その行動が非難されることはありませんでした。

 多くのバンドが世に溢れたとはいえ、依然力のないバンドは地下での活動を余儀なくされていました。

 バンドで市民権を得られる者は、ごく僅かでした。

 今の時代を考えると、当時は平和な時代でした。争い事は少なく、人が殺される事件は稀です。戦争なんて、何百年も行われず、その言葉さえなくなりかけていたのです。

 しかし、それだけのことです。色々な意見があるとは思いますが、今の方がよほど人間らしい世界になっています。日々、多くの人が死んでいることは、哀しむべきことですが、みんなの顔つきが、その目つきが、変わってきているよう思えます。誰もが必死に生きています。その目が、輝いています。退屈な目つきをしていては、生きてはいけません。みんながキースのような目つきをしています。

 当時は学校や会社も、結婚でさえ途中で辞めることは出来ませんでした。会社や結婚については法律があったわけではありませんが、一度始めたことは最後までやり通すというのが暗黙のルールとなっていたのです。チャーリーはバンド結成時にはすでに会社員として働いていたため、名義上はその仕事を続けていました。チャーリーに限っては、途中退社が一般的になった後も、定年まで会社員との両立を続けていました。

「お前は自分の言っていることがわかっているのか?」

 当時はキースでさえ、それが当たり前と感じていました。

 キースは当時の社会への不満を色々と感じてはいましたが、特に表だって逆らうようなことはしていませんでした。キースはただ、自分が思うように生きていたいと思っていただけです。キースの歌詞も、特別な意思があるわけではなく、本人から言わせれば、それだけのことなのです。結果としてそれが、社会への反発としてとらえられてしまっているだけで、意識的に反発をしていたことは、一度もありませんでした。

「辞めるのは、自由だろ? 僕がいなくても、ライク・ア・ローリングストーンは続いていく。もしもギタリストが必要なら、新しく入れればいいんだ?」

 その考えもまた、新鮮なものでした。新しいメンバーが加わることは普通でしたが、いなくなった穴を補うというのは、意味が違います。

「ブライアンの代わりなんて、誰にも出来ない」

 僕は思わず、口を挟んでしまいました。

「僕の説得に、君が来るとは思わなかったよ。どうしてミックが来ないんだ? 本気で僕を引き留めたいのなら、そうするのが筋だろ?」

 僕は思わず、うなずきました。

「僕の意志は固まっている。例えミックが来たとしても、変わらない。けれど少し、残念だよ。僕はライク・ア・ローリングストーンを家族のように思ってきた。ミックが来ないで、君が来るなんて、おかしな話だ。君は、家族ではないんだ」

 その言葉が、僕の胸には痛かったのを覚えています。

「・・・・俺はそうは思わない。こいつだって、俺たちにとっては家族だ。大切な家族だろ? 俺とブライアンを音楽の力を通して結びつけたのは、こいつだ。ミックを誘っていたのも、こいつだ。こいつなしでは、ライク・ア・ローリングストーンは成り立たない。俺はな、バンドの中核をこいつだと考えているほどなんだ」

 その言葉が、僕の胸を震わせました。

「そうかい・・・・」

 ブライアンはじっと、僕に視線を飛ばしていました。残念なことに、僕にはその視線の意味がわかりませんでした。その後会うこともなかったので、その真意を聞き出すことが出来ないままでいます。

 キースはなんとかしてブライアンを引き留めようと説得を続けていました。一時はお互いに熱くなり、殴り合いに発展しそうになりました。僕が間に入り、騒ぎにはなりませんでしたが、僕の両頬にそれぞれのパンチが飛んできて、大きな膨らみを作りました。

 脱退後のブライアンは、すぐに作品を発表しました。悪い作品ではありませんでしたが、僕には理解の難しいものでした。評価としても、今一つでした。一部では熱狂的な支持を得たものの、真にブライアンの意図を理解出来た者は、一人もいなかったことでしょう。

 その作品では、様々な楽器が使用されていました。世界中から集めたもので、その全ての演奏を一人でこなしていました。なんとも不思議な音楽です。胸の奥に響いてくる音ではありましたが、妙な気持ち悪さも伴っていました。悪魔的という言葉が、不思議としっくりきました。


 ブライアンが脱退してから、ライク・ア・ローリングストーンは一時的に活動を休止させました。理由は、ブライアンの穴を埋めるための時間稼ぎでした。キースはブライアンの言葉を受け、新しいギタリストを探していたのです。

 キースはその時期に、これもまた当時としては画期的なソロ作品の準備を進めました。そして、発表したのです。

 当時はまだ一人で作品を発表するということがありませんでした。厳密にいうとブライアンの作品が初めてだったのですが、その内容から、一般的には埋もれてしまったのです。ブライアンの作品には歌がありませんでした。ブライアンの作品のたった一つの功績は、歌のない音楽を広めたことです。今ではそんな音楽も多く溢れています。しかし、当時はまだ歌があってこその音楽であり、バンドこそが音楽だったのです。

キースのソロ作品は、非常識なものだとして、受け入れられませんでした。こんなものは音楽ではないと、頭の固い連中からは、音楽なんて興味のなかったような連中からは、バッシングの対象になったのです。作品自体は素晴らしかったのですが、売れ行きは不味いものでした。その後に再評価を受けてはいますが、決して正しい評価だとは言い難いと僕は感じています。

 その内容は、ライク・ア・ローリングストーンの作品よりもよりストレートなものになっていました。吐き出すような歌い方が、パンクと呼ばれたこともあります。失われた歴史以前の音楽にも使われていたジャンルなのですが、その本来の意味は悪ガキという意味で、キースのその歌い方が悪ガキの叫びに似ているという理由からでした。その作品ではキースの感情が、勢いよく突き刺さってくるのです。僕としてはかなりのお気に入りなのです。

 キースはソロでのライブも考えていたそうですが、企画の段階で中止になってしまいました。

「うるさい連中はどこにでもいる。邪魔ばかりだな」

「けれどきっと、観客は集まらない」

「お前までそう思うのか?」

「あの作品は好きだ。ライブでの演奏も見てみたい。けれど、そう思っている人は少ない。今はまだ、時期じゃないんだよ。いずれ認められる時が来る。その時を、僕も楽しみにしているよ」

 最近になって、ソロでのライブをしようという話も浮上したのですが、結局は実現せずに終わってしまいました。ただ、キースは一度、僕の娘の結婚式の二次会で、作品の中から数曲を演奏してくれたことがありました。素晴らしい演奏だったと記憶しています。娘の結婚に舞い上がり、半分酔っぱらっていたことを後悔しています。

 キースがソロ作品を出すと、他のメンバーもすぐに後を追いました。キースの作品が世間からバッシングを受けていたにもかかわらず、メンバーたちにはやはり、素晴らしい作品に感じられていたようです。刺激を受け、自分もバンドとは違う表現をしたいと考えたのです。

 その結果、ソロ作品が一般常識になりました。今ではバンドからソロ作だけでなく、初めからソロとしてデビューしている歌手も多いのですが、その始まりは、ライク・ア・ローリングストーンのメンバーたちがソロ作品を立て続けに発表をしたからなのです。

 ミックの作品は、当然のように最高でした。しかし少し、つまらなく感じたのは僕だけなのかもしれません。当時のライク・ア・ローリングストーンの曲は、多くの曲でミックがその全体像を生み出していました。そのため、ミックのソロ作品は、ライク・ア・ローリングストーンに通ずる部分が多く、その歌声がキースでないことが、耳に妙な引っかかりを持たせてしまいました。決してミックの歌声が悪いわけではありませんが、ライク・ア・ローリングストーンの曲には、やはりキースの声が似合います。僕としては、ミックの違った一面を見たかったと、がっかりしてしまったのです。

 ビルの作品は、なんというか、不思議な味わいを持っていました。誰にも真似のできない自由な曲を作り、ライク・ア・ローリングストーンの作品の中でコーラスとして見せるその奇妙な歌声を前面に披露してくれています。ビルの歌声は甲高く、鼻づまりのようでもあり、聞いていると自然に笑顔がこぼれてしまいます。僕はその作品を、今でもよく聞いています。僕にとっての、笑顔の元になっています。

 チャーリーの作品が、一番の驚きでした。ブライアンの作品を含めた五作品の中で、一番の売り上げを見せています。再評価後には、世界一位の称号も得ているのです。

 チャーリーの歌声が、驚きの元でした。甘い歌声は、穏やかな気分を与えてくれます。今ではチャーリーの真似をした歌い方の歌手が多く存在しています。

 しかし驚きは、それだけではありませんでした。一番の売り上げを見せたのには、それなりの理由があったのです。他のメンバーの作品は、全て一人で曲作りをし、作品を仕上げたのですが、チャーリーの作品は違っていました。ライク・ア・ローリングストーンのメンバー全員が、協力をしていたのです。キースもミックも、ビルも曲を提供していました。全ての曲ではないのですが、演奏にも参加をしています。それに加え、ブライアンからの曲提供もあったのです。チャーリーの作品は、ソロ作品であるのと同時に、ライク・ア・ローリングストーンの新作としてとらえることも出来るような内容になっていたのです。歌声が違っていたのですが、そんな歌声も、好きだったのです。

 そしてもう一人、イアンもまた作品を発表しました。彼にとって、その時の作品がデビュー作です。後に自身のバンドでもデビューをしているのですが、あまり評価はされていません。今でこそイアンはライク・ア・ローリングストーンの第六のメンバーとして認知されているのですが、当時はただのサポート扱いであり、世間からはまるで注目を集めませんでした。


 ソロ作品が出揃ってからも、彼らはなかなか新作の準備に取り掛かろうとしませんでした。

「俺は少し、疲れてしまったな。新しいギタリストは、無理なのかもしれない」

「それならこのままでもいいんじゃないかい? 四人での演奏も、悪くはない」

 キースは眉間に皺を寄せ、腕を組み、じっと僕の腹部を見つめていました。

「・・・・そうなんだよな。四人でも悪くはない。けれど・・・・」

 キースはその続きを言いませんでしたが、僕には理解が出来ました。悪くないけれど、よくもないのです。

「・・・・少しだけ、心当たりがある」

「本当か? 誰だ! 俺は世界中のバンドを探したんだぞ!」

 キースは当時、知り合いのバンドに誰かいいギタリストはいないかと、やたら滅多に声をかけていました。答えはみんな、共通していました。いいギタリストはいても、暇なギタリストはいないと言うのです。ライク・ア・ローリングストーンのメンバーになれるようなギタリストは、難しかったのです。

 今の感覚では信じられないことです。今なら有名バンドのメンバーになれるといえば、誰もが喜んでなりたいというのですが、当時はそういうわけにもいきませんでした。簡単にバンドを乗り換えるわけにはいかなかったのです。それだけでなく、当時は今よりもライク・ア・ローリングストーンの存在が大きく、音楽の世界では神のような存在だったので、そのメンバーになるということは、畏れ多いことだともいわれていたようです。

 そんな中、僕には一人だけ、当てがありました。有名とは言い切れませんが、僕が好きなバンドでギターを弾いていました。そして彼は、そのバンドの正式メンバーではなく、イアンのようにサポートとして参加をしていたのです。そんなギタリストは他にもいるにはいたのですが、僕がいいと感じたのは一人だけでした。以前から知り合いで、何度か話をしたこともあり、そのギターの音色や演奏だけでなく、音楽に対する姿勢も、ライク・ア・ローリングストーンには上手くはまるような気がしていました。ブライアンとそっくりというわけではありませんが、雰囲気として、似ている部分もあります。しかしまさか、あれほどまでに上手くはまるとは思ってもしませんでした。


 僕はすぐにその彼に連絡を取りました。彼が言うには、すぐには無理だそうなのです。つまりは、すぐにでなければ、無理ではないということです。その意思があって彼がそういう言い方をしたのかは別として、僕はそうとらえたのです。そしてその言葉を聞いた次の日に、彼の自宅を訊ねました。その日彼が自宅にいることは、リサーチ済みでした。

 二千九百四十八年一月十七日、キース・テイラーはこの世に生まれました。偶然にも、キースと同じ名前だったので、みんなからはテイラーと呼ばれていました。

 彼らの生まれた地域では、キースという名前は珍しいものではありませんでした。昔からよくある、平凡な名前です。

 テイラーは、ビルと同じように下流階級の貧しい境遇の中で育ちました。ギタリストではありましたが、ビルのことを尊敬し、その影響を受けていると言っています。僕が聞いた感じでは、まるでそんな影響を感じられませんでした。テイラーのギターは、案外ときっちりしていたのです。

 案外なんていう言葉を使ったのは、ブライアンと比べれば少し、自由な演奏をしているからです。キースとブライアンを足して二で割り、そこにほんの少しのスパイスを利かせたようなギタリストが、テイラーなのです。

「俺を誘うつもり? 昨日も話したろ? 今すぐは、無理なんだよ。わざわざ来てもらって悪いけど、帰ってくれないか?」

 テイラーは僕のことをまるで新聞の勧誘とでも勘違いしているかのように、煙たがり、追い払おうとしていました。

「そんなに必死にならなくてもいいじゃないか? そんなに僕が、恐いのかい?」

 テイラーは驚いた顔を僕に投げかけました。僕にはその理由がわかります。テイラーは、本音では今すぐにでもライク・ア・ローリングストーンのメンバーになりたいと、もしくはなってもいいと考えていたのです。しかし、それは難しい話でした。その当時のバンドとの契約があり、身勝手なことは許されなかったのです。それでも僕に勧められれば心が緩んでしまうと考えたのでしょう。僕とは話がしたくないようでした。僕の目を、意識して見ようとはしませんでした。

「・・・・そんなことはない」

 なんだか僕は、テイラーをいじめているような気分になっていました。テイラーは、子猫以上に瞳をプルプルとさせていました。

「僕はただ、君と話がしたいだけだ。ただ、それだけだ」

 その言葉は、大ウソでした。僕は初めから最後まで、テイラーを説得するつもりでいたのです。

「君のギターは、素晴らしいと思うよ。それは僕だけでなく、きっとキースやミックも感じている。君にブライアンの代わりが務まらないのはわかっている。僕はそんなつもりは全くないからね。ただ、君のギターと、ミックのギターが重なり合う姿を見てみたい。君たちの背中にはチャーリーがいて、ビルもいる。そして全ての上を、自由にキースが舞い踊る。想像しただけでも感動的だよ」

 僕の言葉を聞いている最中に、テイラーはその表情をわかりやすく変化させました。僕が話し終えた時には、満面の微笑になっていました。

「キースがそう言ったのか?」

「これはあくまでも、僕の勝手な意見だよ。キースもミックもまだ、僕が君を誘っていることを知らない。僕はキースたちにただ、いいギタリストがいるからと、話しただけだ。今度連れて行くと約束をした。けれど安心していい。君がその気なら、間違いなくみんなは君を気にいるよ」

「・・・・俺はどうすればいい? バンドとの契約が残っているのは事実だ」

 それがテイラーの答えでした。つまりは、契約さえ切れれば、メンバーになりたいということです。僕はすぐに、テイラーのいたバンドに連絡を取りました。話はとても簡単でした。バンド側は、金さえ払ってくれればすぐにでも契約を解除すると言ったのです。

 僕はすぐ、キースに全てを話しました。キースは即答で、金なら払うと言いました。まだテイラーと顔も合わせておらず、そのギターも聞いていないのにです。キースは完全に、僕を信頼してくれていました。それは他のメンバーも同じようでした。僕が新メンバーであるテイラーを連れてくると、その日を楽しみに待ってくれていたのです。


「お前は本当に・・・・」

 キースは僕に抱きつきました。

「最高だな」

 僕の唇が、奪われました。ついでに舌が、絡み合いました。

「テイラーとの音楽は、楽しい。ブライアンとは違う喜びを与えてくれる」

「あぁ・・・・ 僕はそのつもりで紹介したんだ」

「俺たちはまた、新しいステージに到達できる」

 テイラーの加入後、ライク・ア・ローリングストーンはすぐに新作の準備を始め、その作品の発表前にまず、新ギタリストお披露目ライブを行うことになりました。


お披露目ライブの前日、突然の訃報が届きました。ブライアンが、死んだというのです。自宅のプールで、溺死です。しかし、本当の原因は、別にありました。ブライアンは、薬に溺れていたのです。

人間の神経を破壊する薬は、いつの時代にも作られるものです。その薬は、気持ちを高揚させてくれます。疲れを忘れさせ、羞恥心を失います。全ての感覚が、鈍くなります。

しかし人間は、勘違いばかりをします。そんな薬を喜ぶ連中が多いのです。感覚が鋭くなるといい、眠気が覚めるといい、気持ちがよくなるといい、本来の目的を無視して使用を続けてしまうのです。

本来は、痛みを和らげるために使用をする薬なのです。そんな薬には必ずといって中毒性があるものです。取り扱いには、細心の注意が必要です。しかし人間は、その場の快楽を求めることを優先してしまうのです。

僕からいわせれば、そんな薬は、クソです。使用しても具合が悪くなるだけで、なんの効果ももたらしません。当時はまだ、薬の使用が違法にはなっていませんでした。僕も薦められ、使用をしたことがあります。

薬には様々な種類があります。花や草木から作られるものや、科学が生み出したものもあります。僕が試したのは、葉っぱでした。煙たくて目眩がする、それだけのものでした。キースも他のメンバーも、みんなが一度は体験しています。しかし、一度きりでうんざりでした。ただ一人、ブライアンをのぞいて・・・・

ブライアンの音楽性に目立つ変化が見え始めたのは、薬を服用するようになってからです。当時はミュージシャンたちの間で薬が流行になっていました。ブライアンのように中毒になっている者が、他にも大勢いました。

中毒なんていう言葉は、嫌いです。それはただ、意志の弱さを示しているだけです。ブライアンは自分自身に負け、結果として死んでしまったのです。

薬が直接の原因での死亡は、ブライアンが初めてでした。それは大きな事件になり、それをきっかけに薬が違法化されました。特別な許可なしには作ることも売ることも、原料を栽培することも出来なくなったのです。その法律は、今でも残されています。


「ブライアンが死んでも、ライブは続くんだな。バンドの状態は最高だ。けれど俺の精神は、ボロボロだな」

 弱気なキースを見るのは、やはり辛いものです。しかしこの時のキースは、なんだか不思議な雰囲気に包まれていました。

「それでもキースは、歌うんだ」

 キースが僕に、笑顔を見せてくれました。そしてライブが、始まりました。

 新ギタリスト紹介のライブは、ブライアン追悼のライブにもなりました。

この日のキースは、とても神秘的でした。まずはブライアンのためにと、演奏なしで歌っていました。静かながらも勢いのある曲です。その曲はステージで何度も演奏されていましたが、その日のその曲は、まるで別物になっていました。キースの感情が表に溢れ、ブライアンの魂を探しているかのようでした。

その後もキースは、神秘的な表情でブライアンの魂を求めた歌を歌っていました。

観客はかなり、戸惑っていました。二曲目に入るとテイラーをのぞくメンバーも登場し、その演奏を始めていたのですが、観客たちはどう盛り上がればいいのかわからないようでした。ただ呆然と、キースの姿を見つめていました。歓声の一つも上がりません。ため息をこぼすことも出来ず、生唾を飲み込む音だけが聞こえていました。

四曲目を歌い終えた時、キースの表情に変化が起きました。それまでの表情も神秘的ではあったのですが、それは言葉を使った表現でしかありませんでした。本当にキースの表情が、謎に満ちた神のそれになったわけではありません。しかしその時、キースの表情が神々しく輝いたのです。僕はまだ現実の神には会ったことがないのですが、世間がイメージしている神そのもののような表情のキースが、そこに立っていました。

僕は、僕だけでなく、ライク・ア・ローリングストーンのメンバーはみんな、神を信じています。それは、なにもかもが完璧な存在としての神ではありません。そんな神がいるのなら、以前の世界も、今の世界も、失われた歴史以前の世界も、この星ごと破壊されていたことでしょう。完璧な存在の神から見れば、僕らは実に愚かなのです。

僕たちが信じているのは、僕たちを生み出した神の存在です。どんなに科学が進んでも、生命誕生の起源はわかっていません。進化論にしても、不自然な点はいくつも見受けられます。人間がサルの仲間だといえば確かにそうなのかもしれません。しかし僕には納得がいきません。この星の生き物の中で、人間だけが特別なのです。人間は、特別に卑しく、野蛮で愚かな生き物です。

だからきっと、神がいるとして、人間によく似ていると考えていたのです。しかし僕のその考えは、間違いなのかもしれません。キースのその表情は、見ていてウットリするほどに美しかったのです。どんな比喩を使っても、それ以上の表現が見つからないほどに、ただただ美しかったのです。

輝き出したのは、顔だけではありません。その輝きは、スッと、キースの身体に吸い込まれ、パッと爆発をし、身体全体を輝かせました。

観客が、静かに騒ぎ出しました。誰もがキースのその姿に感動しているようでした。

僕もそうでした。訳もわからずに感動し、涙までこぼしてしまったのです。ミックやビル、チャーリーでさえ涙をこぼしていました。

キースはそのまま、次の曲を歌い始めました。すると、僕の耳には確かに聞こえてきたのです。僕だけではありません。観客もその音色に気がつき、ざわめき立ちました。

ミックとビルは、ステージ上でただ立ち尽くしていました。チャーリーもまた、スティックを手に、立ち上がっていました。三人は楽器の演奏をせず、青い空を、見上げていました。

その音色は、間違いようがなく、ブライアンのギターの音色でした。特徴的なキッチリとした演奏も、ブライアンならではのものでした。キースはそれがまるで当然だというかのように、普通に歌っていました。ブライアンのギターが聞こえていることに、少しの不思議も感じていないようでした。

キースの歌声が次第に激しくなり、ブライアンのギターが耳を攻撃し、頭を揺さぶらせました。ドラムやベースがないのに、信じられないほどの分厚い音が響いていました。

曲が終わるとすぐ、キースの身体の中に、全ての輝きが吸収されていきます。

「今までありがとう!」

 青空に向かい、キースが言いました。

 観客から、拍手と歓声が上がりました。キースはその様子を、隅から隅までゆっくりと眺め、一つのため息をこぼしました。穏やかな表情の中に、小さな影が浮かんでもいました。複雑な表情でその複雑なため息をこぼすと、キースはすぐに笑顔を浮かべ、ミックたちに顔を向けました。

「初めるぞ!」

 キースの掛け声を合図に演奏が始まり、観客の盛り上がりが高まりました。キースはマイクを手に取り、ステージを駆け回ります。そして観客を、煽りました。

「新しい家族が出来た! 新しい音楽を始める!」

 キースはステージ袖に顔を向けました。するとそこから、勢いよくテイラーが飛び出してきます。キースはテイラーと共に作った新曲を披露しました。テイラーのギターに、観客の盛り上がりが絶頂を迎えます。それを切り裂くキースの歌声、最高の演奏が、始まりました。

 キースは言葉を使わずに、テイラーを観客に紹介してみせました。ギタープレイを見せ、ステージ上で楽しんでいる姿を見せるのが、最高の紹介になると考えていたのです。

 ライブは大成功でした。ブライアンの追悼も含め、テイラーの紹介も、どちらも満足のいくものでした。僕は始め、二つを同時にだなんて、無理だと考えていました。なにせブライアンは、前日に死んだばかりです。非常識な行為だと、世間だけでなく、僕もひそかに感じていました。しかし、それは間違いでした。そのライブは、ブライアンにとっても最高の瞬間だったことでしょう。

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