第一章


第一章、 二千九百六十四年


 ライク・ア・ローリングストーンのデビューは突然でした。僕でさえ知らないうちに話が進んでいました。僕はなにも知らされていませんでした。キースから突然、その作品の入った箱を手渡されました。

「お前が最初の試聴者だ。感想を頼むよ」

 キースが一人で僕の家にやってきました。

「久し振りじゃないか? 連絡もないなんて、なにをしていたんだい? ライブも御無沙汰だし、せっかく最高のメンバーが揃ったというのに」

「そんな冷たい言い方をするなよ。色々と忙しかったんだ。バンドとしての活動は続けていたさ。これがその証拠だ」

 光の箱を開けると、音楽が飛び出してきました。光の箱には音楽だけでなく、様々なデータを入れることが出来ます。箱から箱への移動も可能です。

「・・・・これって?」

「そうなんだ。五人で収録した。これが俺たちの、デビュー作になる」

「五人で? 君たちは確か、六人になったんじゃないのか?」

「イアンはメンバーから外れたよ。これからも一緒に活動はするけれど、イアンはメンバーではいられない」

「イアンを捨てた?」

「そうじゃない。確かに、デビューの条件でイアンを外してくれと言われた。けれどそれは仕方のないことだ。実際、イアンの活躍の場は限られている。メンバーというには、俺としても少しの疑問があったんだ。だけどイアンには、ずっとそばにいてもらうつもりだよ。イアンのピアノは、俺たちの曲に欠かせない。たったの数曲でも、イアンのピアノがなければ、成立しないからな」

「これをいつ? デビューって、どういうこと? これを売り出すってこと?」

 僕がその場で聴いたのは、最初の一曲だけでした。後に初期の代表曲になる、ノー・サティスファイでした。以前に聞いていた時よりも、格段にパワーアップした曲に仕上がっていました。紛れもない名曲です。

 しかし当時の音楽業界は、地下での活動が一般的でした。ライク・ア・ローリングストーンは当時としては初めて地上での活動をしていたのですが、世間から言わせればまだ、学生のお遊びにすぎないものでした。一部からの非難と強烈な支持はあったものの、その活動は学生の部活程度でしかありませんでした。

「俺たちを大々的に売り出したいという人物が現れたんだ。信用ができる人物だ。俺たちは一銭も金を出していない。活動費は全てその彼が出資してくれるよ。レコードの売り上げも半分はバンド側にくれるというんだ。もう契約も済ませてある」

「これがレコード? これはただの記憶装置じゃないか? 本来は文章や映像の記録用だろ?」

 当時はまだ、光の箱に音楽を記憶するという発想がありませんでした。音楽は楽しむものでも記録をするものでもなかったのです。たった一つのバンド、ザ・ビートルズの楽曲は例外として保存されていましたが、持ち運ぶことは出来ないようになっていました。持ち運び用と家での保存用とではその圧縮方法が違うため、変換をするには特別な装置が必要になります。ザ・ビートルズの楽曲には、変換が出来ないようにロックがかけられていたのです。持ち運ぶことは、不可能です。

「音楽を売りに出すにはこれが一番なんだ。これなら自由にどこででも音楽を聴くことができる。これは、革命的だろ?」

 確かに新しい発想だと思いました。

「キースが考えたのかい?」

「・・・・残念だけど、俺じゃない。俺たちを売り出そうとしている人がそうだ。マネージャーっていう役割だよ」

「本当に信用できるのかい? 君たちを表に出すのは、危険な仕事だと思うよ」

「俺たちが世に出るには、これしかない。ダメでもいいんだ。彼を信じてついていく。騙されたとするなら、俺たちがその程度だったってことだ。俺たちに、真に世界を変える実力があるのなら、騙されていたとしても、いい結果が待っているはずだ」

「けれど・・・・ どうやって? これを売り出すのは可能だとして、その後はどうする? 音楽活動をするというのは、どうするつもりなんだい?」

 今のように大きな会場を借りてライブをするというのは、当時としては考えられないことでした。学校内での演奏なら許されていましたが、それは文化祭という特別な場のみのことでした。文化祭は本来、夏が過ぎて涼しくなる季節に行われていたらしいのですが、当時は毎月一度は行われる学校のフェスティバルとして、各校で行われていました。今ではもう、そのようなフェスティバルを行っている学校はないようです。

「まずはこいつを大量に売ることだ。これが売れれば、自然とライブが出来るはずだ。ファンの声を無視することは難しい。俺たちならきっと、何万人もを集めることができるはずだ」

「それはその、マネージャーがそう言ったのかい? キースはもう忘れてしまった? チャーリーの家での初ライブ、あれが現実だよ。今はまだ、そのタイミングじゃない。君たちの人気はまだ、上辺だけだ。学生に支持されているのはいいことだ。けれどそこに、大人たちを取り込まなければ、表舞台にはのし上がれない」

 当時の僕は本気でそう思っていました。文化祭の経験と、ミックが加入したことで、以前よりも実力をつけていたのは確かでした。曲も抜群に洗練されていました。しかしまだ、大人たちには伝わらないと思っていたのです。僕にはどうやって大人たちにわからせればいいのかが、わかりませんでした。僕は当時、勝手に、自分がライク・ア・ローリングストーンのマネージャーでいる気分でした。しかし僕には、その力がありませんでした。

「問題ない。アンドリューが言うことは、正しい。この作品が売れれば、大人たちも無視できなくなる。俺たちは奴らにとって、金のなる木なんだ。俺たちが金を生み出すことを知れば、黙ってなんていられない。大勢が俺たちに群がってくる。それでいいんだ。俺たちはそれを利用する。そして表舞台に立つんだ」

 二千九百四十四年一月二十九日、アンドリュー・ルーグ・エプスタインはこの世に生まれました。文化祭でのライク・ア・ローリングストーンのライブを見て、これは金になると思ったそうです。当時はまだアンドリューも学生でしたが、なにかの商売をしたいと、常に新しいなにかを探していました。そんな時、ライク・ア・ローリングストーンの噂を聞き、文化祭に訪れたのです。

「その彼は、金が欲しいだけなんだろ?」

「そんなことはわかっている。それでもいいだろ? 金なんて、欲しい奴にくれてやる。俺たちは、表に出るべきなんだ。そう言っていたのはお前だろ? 俺はアンドリューで間違いないと思っている。騙されたとしても、俺たちは確実に表に出ることが出来る。それを聴けばわかるはずだ。それを聴いて、なにも感じない奴なんていやしない」

「けれどまず、売れなければ意味がない。誰も聴かなければ、この凄さは伝わらない」

「そうなんだ! だからこそ、アンドリューの力が必要なんだ。アンドリューにはそのコネがある! アンドリューは最上流階級の出なんだ! 失われた歴史の中を生き抜いてきたといわれる英雄の子孫なんだぞ!」

 世界にはまだまだ分からないことが多く残っています。特に、失われた歴史の中でなにが起こっていたのかは、今でもわかっていません。当時から研究をすることさえ禁止されています。ただ、その時代の終わりに現れ、今の時代を作ったといわれる数百名の英雄が存在していることは、学校でも習う歴史でした。その子孫は今でも各地で特別扱いを受けていて、当時は最上流階級と位置付けられていました。そんなアンドリューの力があれば、表舞台にのし上がることは、不可能ではありません。


 レコードデビュー後のライク・ア・ローリングストーンは、あっという間にその人気を確実なものとし、表舞台に立つことになりました。アンドリューは大金を使ってライク・ア・ローリングストーンの宣伝をしました。世界中の新聞の一面に一週間続けての広告を載せたのです。

 それは当時として、それほどに特別なことではありませんでした。新聞の一面は、広告が載ることがほとんどです。当時は世界で新聞の種類は一つだけでした。その広告効果は絶大です。色々な会社が、新商品の紹介などに一面を使っていました。そしてその全てが、間違いなく大ヒットをしていたのです。広告費には莫大の金がかかるのですが、金銭には代えられないほどに、抜群の効果をもたらしてくれます。

 ライク・ア・ローリングストーンの作品も例外ではありませんでした。光の箱に音楽を記録し、それを売り出すという初めての試みにもかかわらず、今でもその記録が破られないほどの記録的な大ヒットとなっています。現在の人口を考えると、二人に一人は持っているという計算になります。当時の人口でも、三人に一人という割合です。そしてその記録は、今でも積み重なっています。

 光の箱に音楽を記録するその方法は、今では常識となっています。後に出てきた全てのバンドが真似をする、音楽を売り出すのに欠かせないツールになっています。また、箱の中身だけを売り出すことも、今では常識になっています。いくつも箱を買うより、無限に近い記憶装置のついている箱なのですから、中身だけを買ってその箱に入れればいいのです。箱がない分値段も安くなります。ただ、そのせいもあり、レコード屋の数が、一気に少なくなったのを覚えています。彼らの登場とその後に続く多くのバンドたちの登場で、街には多くのレコード屋が作られました。しかし数年後、ライク・ア・ローリングストーンが中身だけを光の通信機能を使って売り出すと発表をし、それが広まり、数を減らす結果になったのです。

 発売初日から、世界が変わりました。初日に買い求めたのは、学生のファンがほとんどです。店を出ると、みんなが同じ行動を取りました。それは、アンドリューが広告にこんな言葉を載せたからです。

『箱を開けると音が飛び出す。その感動を、君もすぐに体験しよう』

 店を出るとすぐ、みんながその箱を開けました。街中に、音楽が溢れ出しました。当時は今のようにレコード屋というものがありませんでした。ライク・ア・ローリングストーンの以前にレコードが売られていなかったのですから、当然のことです。彼らの作品は、正真正銘の、世界初のレコードでした。

 アンドリューの手回しがあったため、そのレコードは世界中のあらゆる店の店頭に並べられました。そのため、世界中のあらゆる場所で一斉に音楽が溢れ出したのです。

 学生のファンといっても、実際にライク・ア・ローリングストーンの音楽を聴いたことのあるファンが少なかったのが現実です。ライク・ア・ローリングストーンの噂を聞いていた学生や、新聞広告がきっかけでレコードを手に取った学生が大半でした。

 学生に人気があったとはいえ、それはまだ、一部的なものでした。数年間の活動で少しずつその範囲を広げてはいたのですが、世界は思いの外広いのです。その現実は、いつの時代も変わりません。例え今はもう禁止とされている交通手段を使ったとしても、世界が狭くなることはないのです。

 ライク・ア・ローリングストーンの人気は、当初は彼らが生まれ育った地域限定のものでした。今では国としてまとまっているこの島と、近隣の島々、それからほんの少し大陸へと渡っている程度でした。大きな世界から見れば微々たるものです。しかし当時のこの地域が世界の中心であったことを考えれば、大きなことと言えなくもありません。

 世界中の学生がレコードを手に取ったのは、アンドリューのおかげです。当時としては画期的だった音が飛び出す箱に魅力を感じたのです。いつの時代でも、学生は新しいものを好むようです。特に女性は、流行りものにめっぽう弱いのです。ライク・ア・ローリングストーンは、そんな女性に支えられていました。

 音が外に溢れ出すそのレコードのおかげもあり、人気が飛び火をするのに時間はかかりませんでした。街中でライク・ア・ローリングストーンの曲が流れると、興味のない若者や中高年の耳にも届くことになりました。キースの歌声が、街中の心に響き渡たりました。作品全体を通して捨て曲のないレコードを作り上げた彼らの勝ちでした。アンドリューの作戦勝ちともいえます。初めはたんに光の箱から音が飛び出すという目新しさと面白さから売り上げを伸ばしていきましたが、いつの間にか、みんながその音楽に夢中になり始めました。いつの時間、どこにいても、キースの歌声が世界に響いていました。僕は実際に、そのレコードを家で聴いた回数よりも街中で聴いた回数の方が多いくらいです。今でもそうですが、当時は誰もがそのレコードを持ち歩き、外で自由に聴いていました。

「ライブが決まった。お前も来るだろ?」

 キースと僕は、以前のように頻繁には連絡を取り合わなくなっていました。

「こんなところに突然来るなんて、自分の立場を理解しているのかい?」

 光の箱には音楽以外のデータも取り込めます。その箱自体は小さなものなので、バンドの名前と作品のタイトルが刻まれているだけですが、失われた歴史以前のレコードのように曲名や歌詞、ジャケット写真の代わりになるメンバーの写真などがデータとして入れられています。ライク・ア・ローリングストーンは一夜にして世界一有名なバンドになったわけであり、その顔も公表されています。キースは特にその歌声から一番の注目をされていました。その後もそうですが、この日の再会までの間も毎日のように新聞などで話題になっていたのです。

「そんなのどうでもいいさ。騒ぎたければ騒げばいい。俺はいつでも自由に生きる。そう決めているんだ」

 その後になって知ったことですが、キースはアンドリューによって外出を禁止されていたようです。予想以上に大きな騒ぎになってしまったため、メンバー全員が一時的に学校にも会社にも行けなくなってしまいました。

 後に騒ぎが平常化してから、彼らは大学を無事に卒業しています。有名になったからといっても、特別扱いはされません。退学を選ぶことは、死を選ぶに等しいことだったのです。

「ライブには来るだろ? お前のためのチケットは用意してある」

「当然行くさ。けれど今まで、なにをしていた? なんの連絡もない。バンドはもう終わったのかと思ったよ」

「初ライブのための準備だ。会場を押さえたり、曲順を考えたりしていた。それから曲作りもしていたな。まぁちょっとそれにも飽きたからここに来たんだよ。ライブの日程も決まったことだしな」

「どこでやる?」

「それが驚きだよ。今のこの騒ぎようだと本当に何万人もが集まるかもしれない。世界中が俺たちを待っている。けれど全部を周るのは無理だからな。大きな街を選んで世界を周る。約半年間は帰ってこられないだろうな。お前も一緒に来るか? お前に頼みたい仕事があるんだ」

「一度に何万人も集めるのかい?」

「そのつもりらしいな。サッカー場を使う。大きい場所では十万人は入るらしいな。正直不安だ。そんなに人が来てくれるとは思えない」

 結果としては大成功でした。しかし僕も、キースと同じように不安でした。失われた歴史以後の初めての大がかりなライブということもあり、多くからの興味を集めたようです。レコードを買っていない者たちもが会場に足を運ばせていました。とはいっても、街中で彼らの音楽を耳にはしていたはずです。

「それでどうなんだ? 俺たちと一緒に来てくれるのか?」

 僕にとってその言葉は、嫌味に感じられました。僕はずっと、自分が第七のメンバーだと思っていたのです。もっと早く誘われるべきだと、嫉妬していました。醜い男です。

「わからない・・・・」

 不貞腐れた僕の声を聞き、キースは笑顔を浮かべました。そして僕の肩を大きく叩き、大声で笑い出しました。

「なんだお前、寂しかったのか? 仲間外れにでもされていると思ったのか? 心配するなよ! お前は俺たちにとって大事な存在だよ。誰がなんと言おうとな! 手伝ってくれるだろ?」

 その言葉に、僕は思わず涙をこぼしました。するとキースは、迷いもなく僕を抱き締めました。

「お前がいたからこそ、俺はバンドを組んだ。ミックと出会えたのも、もとはお前のおかげだ。俺たちがお前を見捨てるはずはないんだ」

 キースの胸の中、僕は鼻をすすり、涙を拭いました。

「それで僕・・・・ なにをすればいい?」

「お前は文章を書くのが好きだろ? だからお前に、俺たちの記事を書いてほしいんだ。有名になったおかげで、インタビューの依頼が多くてさ。一度変なのがスタジオにやってきた。話をしていてもつまらなくてな、その仕事を断ったんだ。けれど依頼は多くてさ、アンドリューはメディアを無碍にするなというんだ。それで俺たちは考えた。お前が記事を書くなら、それを発表しても構わないとな」

 僕はもう一度、涙を流しました。キースと一緒に行動できるのが嬉しかったわけではありません。キースの言葉に、感動をしたのです。キースは僕が記事を書くことを、俺が考えたとは言わず、俺たちが、と言いました。キースだけでなく、ライク・ア・ローリングストーンのみんなが僕を必要としていることを感じられ、嬉しかったのです。

「当然だよ。けれどインタビューの仕事は沢山あるんだろ? その全てを僕が?」

「そのつもりだ。お前なら出来るだろ? なにしろお前は、俺たちのことを一番よく知っている。ずっと俺たちの近くにいたからな。これからもずっと、お前は俺たちからは離れないだろ?」

 こうして僕はライク・ア・ローリングストーンの専属ライターになりました。雑誌などにライク・ア・ローリングストーンのインタビューを載せるには、僕が書いたものでなければなりません。それは今でも変わりません。僕以外の者が書いたインタビュー記事が載ることはありません。その他の記事も、ライク・ア・ローリングストーンに関する記事はほとんどが僕の仕事になっています。

 雑誌といっても、失われた歴史以前の紙で作られた本とは違います。文字を光に刻み込み、それをデータとして圧縮し、光の箱にしまい込んだものを雑誌と呼びます。当時のように写真も同時に取りこんでいます。見たい時に箱を開き、ボタンを押してページをめくったり、見たい記事をアップさせたりすることも出来ます。通信機能を使って中身だけを手に入れることも出来ます。しかしなぜなのか、動く映像や音声を取り込むことはありません。わかりやすいものになると、僕は思うのですが、今のところその発想は一般的にはなっていません。

 失われた歴史以前には映画という娯楽がありました。映像と音声を同時に楽しめる物語になっていたそうです。実際に当時の映画を見たことはありませんが、当時の音楽と同様に重要な文化として世間に愛されていたようです。

「けれどこの騒ぎをどう乗り切る?」

 僕とキースは、大勢の学生に囲まれていました。話の邪魔をしてはいけないと感じていたのかどうか、僕たちの声が聞きとれない程度の距離を保ちながらも、じっとキースの様子をうかがっていました。

「俺の歌はどうだ?」

 キースは突然、大声で呼びかけました。

「音楽って、最高だろ?」

 周りの反応はありません。

「今度ライブをやるんだ。文化祭とは違うぜ! サッカー場を埋め尽くす! お前たちも来てくれよな! 世界中を飛び周る! お前たちもこの情報を世界中に流せ!」

 この時のざわついた空気は、独特でした。キースはすでにスターのオーラに満ちていました。

「それじゃあ俺は帰るよ」

 キースはそう言い、歩き出しました。すると、周りを取り囲んでいた大勢の学生が、キースの通り道を開けました。それまで円を書くように取り囲んでいた人混みが、視力検査のマークのような形になりました。キースはその開いた穴から帰っていきました。大勢の学生は、キースの背中を視線だけで追いかけていました。

 その日の午後、ライク・ア・ローリングストーンのライブツアーのニュースが流れました。しかしその前に、光の情報網を伝い、世界中に知れ渡ってしまいました。キースの言葉を聞いた学生たちが、その言葉を配信したのです。

 光はメッセージを運ぶのにとても適しています。失われた歴史以前の電話やインターネットよりも早く、確実で、場所も選ばなければ、お金もかかりません。小さな機械さえあれば、どこからも手軽にメッセージを飛ばすことが出来ます。しかし残念なことに、映像を乗せることが出来ません。その必要がないと、今の世界では考えられているようです。


 大成功だった初ライブですが、それは世間一般からの意見です。アンドリューは予想以上の結果だと喜んでいましたが、彼らとしては最悪の結果になってしまいました。それは僕も、同意見です。

「俺はもう、人前では歌いたくない。たった半年だったけど、こんなにも無意味な時間を過ごすことになるとは思わなかった。どうかしているだろ!」

「それでもキースは歌い続けた。観客も満足をしていた」

「それでお前は満足なのか! 俺はな、メンバーの演奏どころか、自分の声すら聞こえない状況で歌っていたんだぞ!」

 確かにあれは、ライブと呼ぶべきものではありませんでした。誰にもキースの言葉が届きません。観客はただ、キースたちの姿を見たいだけでした。キャーキャーと大声で叫び、演奏を妨げます。キースが観客に注意をしても、その声が届きません。

「これがキースの仕事なんだ。嫌ならアンドリューをクビにすることだよ。キースはすっかり音楽を仕事にしてしまっている。アンドリューがそうさせているんだ」

「それでも俺たちは、あいつのおかげでのし上がることができた」

 その通りです。アンドリューがいたからこそ、彼らは表舞台に立つことが出来たのです。アンドリューの戦略によって世間を騒がせ、社会現象を巻き起こしました。しかし当時はまだ、それだけのことでした。世界は少し変わりましたが、キースが考えていたものとはほど遠いものでした。

「キースがこれで満足なら、このままでもいい。けれど僕は、このままならもうライク・ア・ローリングストーンの記事は書きたくない。今のままではもう、書き記すことは一つもない。バンドの新作を聞いたけれど、あれを本当に発表するというのなら、僕はもう、バンドとは関わることが出来ない」

 今では幻と言われている二枚目の作品は、この時期に録音されました。忙しいツアーの合間に、キースが無理矢理に絞り出した曲をただ闇雲に集めただけの作品です。その音源は、この世界のどこにも残されていません。ただ噂だけが、いまだに飛び交っています。僕はそれでよかったと思っています。キースは僕の言葉を受け入れ、その音源を光の彼方に飛ばしてしまいました。

「俺はどうすればいい? あいつを捨てたらきっと、この成功をも捨てることになる。せっかく築きあげたものを失うのか?」

「僕は知らなかったよ。キースがそんなことにこだわっているなんてさ。もう一度初めからやり直せばいい。キースの歌声は確かに届いている。これからはそれほど難しいことではない。音楽の楽しさは伝わっている。キースなら、彼がいなくても大丈夫だ」

 翌日、キースはアンドリューを解雇しました。元々正式な契約はしていませんでした。交わしていたのはただ、金銭の契約だけで、期限も決まっていませんでした。いつでも解除できる状態でした。賠償金なんて払う必要もなかったのですが、キースはそれまでに自分が得ていたレコードの利益を全て彼に渡しました。

 それでも現実として、キースが金に困ることはありませんでした。ライブでの利益もあり、レコードは売れ続けていたので、金は煙のように噴き上がっていました。

「新作は本当にクズだと思うか?」

「クズだなんて・・・・ そんなにいいものじゃない。あんなものは音楽とは呼びたくないね。地下でのバンド以下だ。少しの役にも立たない。クズだって、少しは役に立つというのにだよ」

「そんなに・・・・ 酷いのか?」

 キースの弱気な顔を見るのは、この時が初めてでした。僕は少し言いすぎたとも感じましたが、言わずにはいられませんでした。それほどに酷い作品だったのです。幻になったことを、心から感謝しています。

「気にすることはないよ。無理矢理に作った作品だろ? キースならきっと、次にはまたいい作品を作れる。僕はそう信じている」

 幻と言われている理由は、音源が残っていないからだけではありません。その作品の内容を、アンドリューがあちこちで言いふらしていたからです。アンドリューはその作品を素晴らしいと評しました。いい迷惑でしたが、彼としては本気でした。僕個人としては、彼とは今でも少ない交流があります。ライク・ア・ローリングストーンのメンバーとも仲良くしていたそうですが、キースとだけは最後まで仲直りが出来ずにいました。キースは彼が幻になった作品のことを言いふらしていることが気に入りませんでした。一度ならずとも文句を言っていましたが、彼はそれでも素晴らしい作品だと言い続けていました。アンドリューの名誉のためにも言いますが、彼は本気であの作品を評価しているのです。

 アンドリューはその後も多くのバンドを世に送り出しています。人気と金を得ることには成功していますが、その音楽は、クソのようなものばかりです。彼の音楽的センスは、幻の作品同様だったのです。

「気に入っている曲もあるんだ・・・・」

 未練がましいキースを見るのは、いい気分ではありませんでした。

「忘れることだよ。キースならもっといい曲がかけるだろ?」

 今となって考えると、その作品の中にもそれなりの曲はあったようにも感じます。大幅な手直しをすれば、名曲が生まれていたかもしれません。

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