第六章
第六章、三千八年~三千九年
作品の評価は、言うまでもありません。キースの言葉通り、世界がまた、動きました。
「こうなることはわかっていたさ。その自信があるからこそ生まれた作品だ」
「僕は少し、不安を感じていたよ。あまりにも凄すぎる作品は、時に拒否されることもある」
「それは違うな。その作品は、ただ凄いだけだ。いい作品を作れば、それは必ず認められる。時間が経てば、必ずなんだ。なんでだかわかるか? いい作品には意思が宿る。ほっといても誰かに見つけられてしまうんだ。けれどそれはな、当たり前のことだ。いいものはいい。当たり前だろ? けれどな、凄すぎるものは、別なんだ。拒否することさえできないからこそ、凄すぎると言えるんだからな」
作品が発表されてからのことは、周知の通りです。今でも僕には信じられません。あの出来事は、幻のようです。
その日、世界中で戦争が止まりました。誰一人として、殺し合いをしませんでした。街中で、みんながライク・ア・ローリングストーンの音楽を聴いていました。絶え間なく続く、音の洪水は、夜になっても止みませんでした。夜の街が、朝になるまで明かりを灯していました。
「あれが永遠なら、どうなってたと思う?」
「僕はそれを望むよ。これからの社会は、あの日のような幸せを求めるべきだ」
僕の言葉に、キースは鼻で笑っていました。
「お前はなにもわかっていない。だからダメなんだよ。あれはまやかしだ。あんな幸せが続いてみろ。世界はまた、つまらなくなってしまう。以前のように変な会社に支配されてしまうんだ」
「それじゃああれは、なんだった? キースはああなることを望んでいたんじゃないのかい?」
「俺はなにも望んじゃいない。俺は世界中をまた、音楽で溢れさせたかった。以前とは違う、俺たちのやり方でな。結果として、ああなっただけだ。俺が望む世界はな、誰もが必死に、毎日を楽しく生きられるような世界なんだ。無気力にただ生きている、そんな奴らに世界の楽しさを伝えたかっただけだ」
その想いは、確かに伝わっています。無気力に生きている者は、今では少なくなっています。しかしそれが、戦いを助長させる結果にもなっています。
殺し合いのない幸せな時間は、一週間ほどで消え去りました。
「大勢の人が死んでいる。キースの言葉は不思議だ。人を生かすことも、殺すことも自由だ」
「人はな、そういう生き物なんだ。自然の姿に近づいているだけだ」
その日から、今でも街には音楽が溢れ続けています。時には銃弾や爆弾の音に遮られることもありますが、一日中音楽が止むことはありません。夜の外出禁止も、消灯時間も、解除されました。
街で流れる音楽は、ライク・ア・ローリングストーンの曲だけではないのが現状です。しかしなぜなのか、どこでも必ず、ライク・ア・ローリングストーンの曲が流れています。他の曲に紛れていても、その存在感を消すことはありません。
「これからまたツアーに出るのかい?」
「俺たちにじっとしていろというのか? 世界が変わって一番の迷惑は、移動時間が増えたことだな。おかげで以前と同じ規模のツアーをすれば、倍も時間がかかってしまう」
作品の発表後、ライク・ア・ローリングストーンはすぐにツアーを再開させました。いつものように大規模なもので、世界中を、全ての国を五年かけて周る予定になっていました。
「今回のツアーで、俺の夢が叶う」
キースの夢がなんなのか、想像もつきませんでした。というよりも、キースに夢なんて、あるのだろうか? 常にやりたい放題生きていたキースに、夢という言葉は似合いません。
「お前は覚えてないのか? 俺は何度も言っているだろ? 俺には一つ、どうしても興味があることがある。俺は映画を作りたい。物語を、映像に残すんだよ」
そんなことを言っていたのは覚えていましたが、そんなのは夢ではありません。不可能なことだと、僕は考えていました。
「映画なんて、過去の産物だろ? 誰も本物を見たことがない。どうやって作るというんだい? そういうのは夢とは言わない。無謀なだけだ」
「どんなものでも、初めはなにもない状態から作り上げているんだ。誰かが映画を作り出した。俺にだって出来るはずだろ? 映画がどういうものなのか、大体のことはわかっているんだ。映像に物語を乗せる。それだけのことだろ? 演劇の延長じゃないのか?」
そんなに簡単なものだとは思えませんでした。僕も映画については少しの興味があり、失われた歴史以前の資料を集めています。しかしまるで想像がつきませんでした。どうやって物語を表現すればいいのか、わかりません。
演劇のように一場面で表現する物語はあり、それはまた素晴らしい文化でもあります。しかしそれをただ映像にしても、映画とは呼べないと思います。
僕は物語を書く時、その情景をイメージしながら書いています。しかしそのイメージをただ映像にしても、意味がないと思います。物語を読む側も、情景をイメージしながら読んでいます。それをただ映像にしたとして、なにが楽しいというのでしょうか? 自分でイメージを膨らませながら読んでいる方が、よほど楽しいと思います。
「それは俺にもわからない。けれどな、やってみなければなにも始まらないだろ? それにな、俺はただ、物語を映像にしようとは思っていない。俺が作るんだ。そんなのは意味がないだろ?」
なにを言いたいのか、僕には理解が出来ません。
「簡単なことだ。俺は俺らしく、映画を作る」
失われた歴史以前の映画は、現実の姿を映し出すモノや、非現実社会を作り出したりと、様々なものがあったようです。どの映画も二時間程度にまとめられているのですが、その構成が、資料を読んでいるだけでは見えてきません。もっと詳しく書かれた資料が、見つからないのです。
「昔の映画がどんなものだったのかなんて関係ないんだ。俺はただ、映画という手段を使って残したい映像があるだけだ。ライブをそのまま、映画にするつもりだ」
それはまるで新しいアイディアのように思えました。後に色々と調べてみたところ、ザ・ローリング・ストーンズが幾つかのそのような映画を作っていたようです。ザ・ビートルズも映画を作っていましたが、音楽を多用してはいたものの、物語がメインの映画だったそうです。
「ただライブの様子を流すのかい?」
「それだけではつまらない。俺たちの真の姿を映し出したい」
僕にはまるで想像がつきません。つまらないものになってしまうと、本気でそう思っていました。
「ゲストを呼ぼうかと思っているんだ。誰か紹介してくれないか?」
キースは映画作りを本格的に進めていました。監督には僕の名前も挙がったそうですが、結局は、彼らの音楽についてよく知っている、デビュー時からの音楽監督が担当することになりました。
音楽の作品作りは、バンドだけで作り出すものではありません。メンバーだけで作り出すことも出来なくはないのですが、――実際にライク・ア・ローリングストーンはメンバーのみでの作品を作ったことがあります。それはとても画期的な、実験的な作品として愛されています――第三者の意見を取り入れることが、よりよい作品を生み出す手段として常識になっています。
ライク・ア・ローリングストーンのデビュー作品から監督をしていたのは、ジョージ・スコセッシです。ジョージは元々、商社で働いていました。売れるものを見る目が、確かでした。アンドリューが連れてきたのですが、アンドリューが去ってからも、ジョージは監督を続けています。当時は音楽には詳しくなかったのですが、その耳は確かです。いいものをいいと言える、純粋さを持っていました。ライク・ア・ローリングストーンの成功により、ジョージも注目を集め、他のバンドの作品も監督しています。どの作品も大ヒットを飛ばしています。音楽の世界では、間違いなく最高の監督です。
ジョージの意見があるからこそ、キースは好き放題にしていられると言っても過言ではありません。どんなに勝手なことをしても、最後にはジョージがまとめてくれます。その安心感が、さらにキースを自由にさせ、よりよい作品を生み出す原動力になっていました。
ロンが加入してからの初の駄作も、ジョージがいたからこそ、それなりの作品として発表することが出来たのです。ジョージなしには、駄作としての評価すら貰えなかったことでしょう。
「ジョージとはアイディアを出し合っていて、大体の構成は出来上がっている。ジョージがいうには、ゲストとのやり取りを撮りたいそうなんだ。俺たちの音楽に対する考えを表現するためにな」
「・・・・若手がいいのかい? それとも、まるで違う音楽?」
「お前は頭がいいな。対比をするには、俺たちのモノマネじゃあ困る」
僕は少しの時間を貰い、二組のバンドに声をかけ、ライブへのゲスト出演の了解を得ました。
クリープは今現在ライク・ア・ローリングストーンに次ぐ人気を得ているバンドで、同じイギリスの出身です。世界に羽ばたいているバンドではありますが、ライク・ア・ローリングストーンとは少し事情が違います。クリープは世界がいくつもの国に分かれてから登場をしたバンドのため、その人気は国境を超えていますが、なかなかツアーで世界を周るまでには至っていません。クリープにとって、ライク・ア・ローリングストーンとのライブは、真に世界へ進出するためのチャンスでもありました。
「当然のようにライク・ア・ローリングストーンには影響を受けているよ。子供の頃から聴いている。親の代からのファンなんだ」
四人組のバンドだが、その中心で鍵を握っているのはボーカルのトムです。トムが全ての曲作りをしています。
「あの歳でもまるで勢いを失っていない。凄いことだよ。しまいにはあんなにずば抜けた作品を生み出してしまった。まったく恐れ入るよな。音楽を新しいステージに連れて行ってしまった。これからは俺たちも必死だよ。どんないい作品を生み出しても、あの作品と比べられてしまう」
音楽的にはライク・ア・ローリングストーンの延長線上にあると言えます。古い音楽を好み、ザ・ビートルズも好きだといいます。僕も嫌いではありません。
最近は、クリープのようなバンドが増えています。ライク・ア・ローリングストーンのように今では古くなってしまった当時の音楽を好み、現代に再現をしているバンドです。本物との対比を楽しみに、僕は選びました。
「俺はまるで聞いたこともなかったよ。新しい音楽には興味があるけどな、ああいうのにはあまり興味がないな。悪いとは思わない。けれど俺たちの若い頃を見ているようだ。目新しさを感じないな。ああいうのが本当に今の流行りなのか? 大人気なんだよな? あいつらの作品を聴くのなら、俺たちのを聴くべきだな」
ジャジョーカはキャリア三十年を超えるベテランで、ライク・ア・ローリングストーンとの交流が古くからあるバンドです。キースは影響を受けていることを何度も口にしていました。
「キースの頼みとあったら断る理由がない。それにしてもキースは面白いことを考えるね」
ジャジョーカはライク・ア・ローリングストーンとはまるで違う音楽性を持っています。どちらかというと、ブライアンが求めていた音楽に近いのかもしれません。世界各国の楽器を使用し、失われた歴史以前の古い音楽を再現しているかのようです。民族音楽という言葉を、本人たちは使用しています。
「ライク・ア・ローリングストーンを嫌いな人間なんていないでしょ? バンドマンなら得にそうだ。悔しいけれど、ライク・ア・ローリングストーンがいなければ、今の私たちはいないんだ。目指す音楽は違うかもしれないけど、尊敬もしているし、影響も受けている。同じステージに立てるのは、楽しみだね。今までにも何度か同じフェスティバルに呼ばれたことはあるのよ。けれど一緒に歌うのは、初めてだね。どんなことになるのか、今から楽しみにしているわ」
ジャジョーカは七人のメンバー全てが曲作りに関わり、曲によってボーカルも演奏する楽器も変化をします。リーダーのユッスン・ンデゲオチェロは紅一点の女性で、アフリカ大陸の生まれで、今でも現役の人気バンドです。
「新しい作品には驚いたね。キースは一つの新しい音楽を作り上げてしまった。それは私たちが目指していたもので、本来は先に作り上げたかったんだよ。けれどまだ、私たちだって諦めたわけじゃないわよ。もともとキースたちとは違う方向性を目指している。私たちも、違う形の新しい音楽を作り上げるつもりでいるのよ」
僕はこのジャジョーカが大好きです。ライブにもよく顔を出し、僕から熱望をしてインタビューをお願いし、記事を書いています。嬉しいことに友達付き合いもさせてもらっています。キースにジャジョーカを初めて紹介したのも僕で、ユッスンとはよく、三人で食事をしたりしていました。
「ジャジョーカが出てくれるのか? それは大満足だな。けれど大丈夫なのか? あいつらのいる国は今、大変だろ? 国外に出るのも難しいそうじゃないか」
その国では激しい戦争が続いています。内戦が止まる気配もありません。しかもイギリスとは敵対している二つの宗教を信仰しています。
「俺が政府に話をつけてやるか」
キースの言葉は絶大で、その国の政府はすぐ、ジャジョーカを送り出すことを許可しました。
結果としてジャジョーカは、その時以来、国に戻っていません。内戦はさらに激しさを増し、政府が転落をしてしまったのです。それまでとは違う宗教が国を支配することになり、ジャジョーカは生まれ育ったその土地に戻ることが許されなくなってしまいました。ジャジョーカのメンバーの一人に、以前の政府の親戚がいます。たったそれだけの理由で、国に戻れなくなっているのです。
しかし僕としては、少し嬉しいのが事実です。ジャジョーカがイギリスに亡命したからです。頻繁にライブもしていて、僕は好きな時にその音楽を生で楽しむことが出来ます。以前の世界では当たり前のことでしたが、今ではそれが、最高の幸せなのです。
ライク・ア・ローリングストーンの映画に、ふとしたことから僕も出演することになってしまいました。ほんの少しですが、ステージ裏でキースと話をしている姿が映っています。
ゲストを呼んでのライブは、一日限りのものです。映画で見せるための、たった一日の、失敗の許されないライブです。
しかし、そのための音楽的なリハーサルは一切しませんでした。
「俺はさ、普段のままを見せたいんだ。余計な飾りはいらない」
初期の頃は別として、普段のライブでは曲順もなにも決めないライク・ア・ローリングストーンですが、この時のライブだけは、しっかりとした曲順を決めていました。それはジョージからの提案でした。
「映画として見せるためだ。少しの妥協は必要なのかもな」
キースの顔が、少し歪んでいました。
ライブは一発限りでしたが、それ以前の彼らの様子を一ヶ月も前から撮影していました。ジョージとの打ち合わせ、ツアーの様子、キースの普段の生活にもカメラがついてきました。その時です。僕との会話を撮られたのです。
光のカメラは、特別な装置がなくても撮影が出来ます。簡単にいってしまえば、人間の目そのものがカメラになっているからです。目で見た映像を、脳に埋め込まれた記憶装置を通して映像に残すことが出来るからです。しかしジョージは、失われた歴史以前の機械を真似た大型のカメラを作り出し、使用しました。それも一台だけではなく、十台も作ってしまいました。ライブの様子を、あらゆる角度から撮影するためだそうです。
そのカメラで撮る映像には、僕も驚きました。実に汚い映像だったのです。この目で見る景色と、まるで違います。
「俺は好きだけどな。このカメラを使うと、目には見えないものまでもが見えてくる。現実とは違う、真実の世界を映し出しているようだ」
そのカメラは撮った映像をテープに記憶します。磁気を利用した黒いテープです。聞いた話によると、失われた歴史以前の世界では、映像だけでなく、音楽を楽しむためにもその磁気テープを利用していたそうです。レコードからの音源を録音したりと、その逆もあり、広く愛されていたようです。
しかしそのテープは、一度撮影するとそれでお終いのようです。取り直すことが出来ません。音楽用のテープでは重ねて取ることも出来たようですが、その音質は下がるといいます。使い捨てされるのが、普通だったようです。ジョージはそのテープを、何百本も回していました。テープは丸い形をしていて、虫の羽音のような音を出しながら回っていました。
映画として完成させるには、そのテープから必要な映像部分だけを切り出し、つなぎ合わせて一つの作品に仕上げるようです。撮影後もすぐには完成されません。テープを特殊な液につけ、一つ一つの映像を写真のように浮かび上がらせます。それを見ながらの作業で、とても根気がいります。僕はその様子を見学させていただきましたが、到底真似のしたくない仕事ぶりでした。
その作品はまだ発表されていないのですが、一応の完成は見せています。ジョージはもう少し手を加えると言っていますが、僕は特別に完成途中のその映画を見せてもらいました。大きな真っ白な紙のようなものに映像を映し出して観るのですが、その映像を送り出す機械がうるさくてたまりません。カタカタという音が、止まることなく響いています。機械から場所を離れれば聞こえることもなく、音声が多くなればかき消されてしまいます。しかし僕は、そのカタカタに不思議な心地よさを感じていました。初めはうるさいだけのカタカタも、映画を見て興奮している僕の心のリズムにピタリとはまり、気分をよくさせてくれます。まるで母親の鼓動のようです。
「不思議だよな。いつものように音楽を楽しむだけのはずなのに、今から緊張をしている」
いよいよライブの当日を迎えました。観客はその日、撮影があることも、ゲストが来ることも知らされていませんでした。いつもと同じ、最高のライブを楽しみに待っていました。
「いよいよだな。カメラの前での演奏は初めてだ」
緊張気味のキースが、ステージ裏でうろうろと歩き回っていました。初ライブでも、デビューライブでも、そんなキースを見ることはありませんでした。
しかし観客は、普段通りです。この微妙なギャップが、僕は見ていて楽しく感じました。
「本当に予定通りのライブをするのかい?」
この言葉がいけなかったのでしょうか? それとも元々キースはその気でいたのかもしれません。キースは僕の言葉に、笑顔だけで答え、ステージへと飛び出しました。
普段のライク・ア・ローリングストーンはまず、チャーリーとダリルがステージに立ち、少し遅れてロンとミックがギターをかきならしながら登場します。観客は一気に盛り上がり、ミックは時にステージを駆け回りサービスをします。突然歌い出すことも、何度かありました。そして会場の盛り上がりが頂点に達した頃、キースが飛び出していきます。観客は限界を超えた盛り上がりを見せます。長い活動の中ではいつくかの例外もありましたが、それが普段の、ライク・ア・ローリングストーンのステージです。
「今日は最高のライブを楽しもう!」
なんの音もなく、突然一人きりで現れたキースの姿に、会場がざわめきました。なにかが起こる予感、それはファンならずとも感じていました。
熱心なファンなら覚えていると思いますが、以前にも一度、こんなことがありました。それは、ブライアンが死んだ翌日のライブでのことです。
キースはその時と同じように、アカペラで歌い出しました。
と、その曲の途中、誰もが気がつかないうちにバンドのメンバーがステージに上がっていて、静かにその演奏をキースの歌声に重ねていました。
しかしなにか、違和感がありました。僕はなにも知らされていませんでした。よくその音に耳を傾け、姿を見てみると、その演奏をしているのが、ジャジョーカのメンバーだったのです。
こんなにもキースの歌声とジャジョーカの演奏がはまるとは思いもしませんでした。
キースの歌声に、いつもとは違う不思議な懐かしさを感じました。その理由がなんなのかは、わかりませんでした。暖かい母親のお腹の中にいるような、安心できる気分です。
曲は徐々に盛り上がりを見せ、キースの歌声にユッスンの歌声が重なります。観客は思わず、ため息のような歓声をこぼしました。
そのまま二曲、演奏が続き、その後ライク・ア・ローリングストーンのメンバーとダリルが加わり、総勢十二人での演奏が始まりました。
予定されていた曲順は知りませんでしたが、どうみても決められた曲順通りのステージには感じられませんでした。
「初めの一曲だけだな。気分が盛り上がると、予定なんて気にしていられない。ああなることは予想できていた。けれどその分、いいライブになっただろ?」
ライブ終了後、キースから直接聞いた言葉です。
「けれど驚いたのは、これも全て、ジョージの予定通りだったってことだ。あいつは俺たちとの付き合いが長いからな。きっとこうなると予想をしていたってわけだ」
ジャジョーカがステージを去ってから、ライク・ア・ローリングストーンだけのステージが始まりました。キースはいつも通り、自由に楽しんでいました。
一時間を過ぎた頃、曲の途中で突然、クリープのメンバーが姿を見せました。流行りの先頭をいっているバンドの登場に、曲の途中だと言うのに、大きな歓声が上がりました。中には悲鳴も混じっていました。
それは全くの予定外でした。キースはもちろん、ジョージも予定していませんでした。トムが勝手に、メンバーをひきつれて登場してしまったのです。
キースは少しの驚きと、嫌悪の表情を見せていました。しかしすぐ、トムに近寄り、一つのマイクで一緒に歌って見せました。その姿に観客が大きく盛り上がりました。トムは少し、引きつった表情を見せていました。
クリープのメンバーは、楽器を手に持ってはいたものの、ステージ上で固まってしまいました。キースは曲が終わると、クリープに自身の曲を歌ってくれと言いました。その言葉に、観客も大喜びでした。
予定では、クリープはライク・ア・ローリングストーンの曲を演奏することになっていました。クリープのメンバーは、戸惑いを隠し切れていませんでした。
キースはまるでそんなことお構いなしに観客からリクエストを求めていました。クリープが人気を得るきっかけとなった、アイム・ビッチを求められ、メンバーは静かに演奏を始めました。
「俺は別にいじめをするつもりはなかった。あれが俺流の楽しみ方だったんだ。観客は喜んでいた。演奏のできも、最高だっただろ?」
トムの歌声に、キースの歌声が重なりました。キースはなんだかんだと言っても、いい奴です。クリープのゲスト出演が決まると、その作品全てを聴き、歌えるようにしていました。トムはかなり、驚いていました。そしてかなり、不満げな表情をしていました。しかしあまりにもキースが楽しそうにしているのを見て、次第にトムも笑顔を見せるようになりました。
「正直、僕はムカっとした。僕たちのせっかくのチャンスを無駄にするつもりだと思ったんだ。けれどキースは、そんなつもりがなく、ただその瞬間を楽しんでいただけだった。だから僕も、一緒になって楽しむことにした。最高の瞬間だったよ。やっぱり間違っていなかった。僕たちのヒーローは、ライク・ア・ローリングストーンしかいない」
曲が終わるとすぐ、少しの間も置かずにミックのギターが鳴きました。次もまた、クリープの曲でした。その演奏の主導権は、完全にライク・ア・ローリングストーンが握っていました。
「彼らにはこの先、敵うことが出来ないと悟ったよ。悔しいけれど、それが現実なんだ。僕たちのちっぽけさを感じてしまった」
その演奏は、クリープの演奏を忘れさせるほどの素晴らしさでした。ライク・ア・ローリングストーンの曲と言っても、おかしくないほどでした。
「他人の曲を演奏するのは、楽なんだ。すでに形が出来上がっているからな。そこに俺たちの色を加えればいいだけだ。失礼なことを言わせてもらうが、他人の荒はよく見える。よりよい曲に仕上げるのは簡単だ。ビートルズの曲でさえ、本物よりも俺たちの演奏の方が人気がある。そんなものなんだよ。ビートルズだってそうだろ? 他人の曲を自分たち流に演奏をして人気者になったんだ」
クリープも必死に演奏をしていましたが、全ての演奏が飲み込まれてしまいました。トムの歌声はかき消され、観客でさえ、そこにクリープがいることを忘れていました。その姿が、消えたかのようでした。演奏が終わり、キースがクリープに感謝の言葉を述べた時、観客がざわめきました。クリープの存在を、思い出し瞬間です。
「屈辱だとは思わないよ。あれが僕たちの置かれている現実なんだ。演奏自体は素晴らしかった。文句のつけようがない。僕たちは、あの場に参加できただけで幸せなんだ」
その後また、ライク・ア・ローリングストーンだけのライブが始まりました。勢いをそのままに、最後まで楽しませてくれました。
僕にとっても、誰が見ても、文句のつけようのないライブでした。
「最高のライブになったことは間違いない。俺は楽しみにしているよ。映画としての出来も、ジョージならきっと素晴らしいものに仕上げてくれるはずだからな」
ジョージはその後もライク・ア・ローリングストーンの撮影を続けていました。ライブ後の打ち上げだけでなく、あの事故の当日まで、カメラが回されていました。予定ではジョージもその飛行機に乗ることになっていました。今現在一番危険な地帯と言われているその国でのライブを最後に、撮影を終える予定でした。しかし予定が狂い、乗ることができませんでした。一般の飛行機では全ての機材を運ぶことが出来ず、ジョージは撮影を断念し、飛行機には乗りませんでした。もしも一緒の飛行機に乗っていたのなら、映画が完成することはあり得なくなっていました。ジョージがいなければ、その映像を映画にするなんて、出来ません。
「俺はもう、やり残したことがないんだ。この次になにをすればいいのか、正直わからない。映画の完成は間近だ。この先なにをすればいいのか、まるでわからない。こんな気持ちになったのは初めてだ。自分でも信じられない。俺は今、全てに満足をしている」
キースの表情が、神のように見て取れました。偶像なんかじゃない、本物の神です。全てを信じ、さらけ出したくなる。そんな気持ちにさせる表情でした。
僕は反論をするつもりでいましたが、言葉が表に出ませんでした。
「これからまたツアーが始まる。今度は遠くに行く予定だ。お前ともまた、しばらく会えなくなるかもしれないな。そっちの仕事も忙しいんだろ?」
顔を合わせて言葉を交わしたのは、この時が最後でした。今になって思えば、この時にはすでに、キースは死んでしまっていたのかもしれません。常になにかを求め、やりたいように生き続けてきた男でした。転がり続ける人生を全うしていた男にとって、最大の敵は、満足をすることだったのかもしれません。次へのやる気を失ったことは、転がることを止め、立ち止ってしまったのも同然です。つまりはそう考えた時点で、キースは死んでしまったということです。
その数日後、キースは僕が手配した飛行機に乗り、異国の地に辿り着き、なんの意味もなく殺されてしまいました。ミックもチャーリーも、ロンも一緒でした。
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