キース・タウンゼント
序章、二千九百四十年頃~二千九百六十四年
二千九百四十三年七月二十六日、キース・タウンゼントはこの世に生まれました。当時は今とは違い、世界が一つの会社の手によって統一支配されており、完璧な階級社会を創り出していました。キースはそんな中で中流階級の生まれでした。
厳しいしつけの中で、キースは音楽とは無縁の生活を送っていました。両親は仕事が忙しく、小学校の頃からずっと、キースは家で一人ぼっちでした。当時からその鋭い目つきと大きな唇をしていたため、あまり友達がいませんでした。学校での態度も悪く、問題児扱いされていました。しかし両親が、キースに対して叱りつけることはありませんでした。キースは幼い頃から、変わらず好き勝手に生きていました。
「俺は生まれながらに自由なんだよ。誰も俺を縛ることは出来ない」
キースの言葉に、嘘はありません。どんな時にも、ありのままの話をしてくれます。
「いじめられてはいたけど、そんなのはどうでもよかった。あいつらは、クズだよ。結局はこの世界を生き抜くことすら出来なかった。俺はそいつらの相手をするのが嫌で、いじめられるままでいただけだ」
キースがいじめを受けていた原因は定かではありません。その風貌と態度の悪さが原因だったのかもしれませんが、誰に話を聞いても、いじめをしていたという人物には辿り着けませんでした。そんな事実はないとまで言われる始末です。確かにキースのイメージで、いじめを受けていたというのは、思い浮かんできません。しかし本人が言うのですから、事実なのでしょう。いじめをしていた側も、それを見ていた側も、後のキースを見て、その事実を忘れてしまったのでしょう。もしくは、思い出すことを恐れているのかも知れません。
そんなキースへのいじめは、時にエスカレートをすることもありました。悪口を言ったり、物を盗んだりするだけではなく、直接的な暴力を受けたとも言います。顔に大きな痣を作ったり、歯が抜けることも、腕の骨を折ったこともあるそうです。
両親はそのことについて、まるで無関心でした。いじめられていることを聞いても、キースにも原因があると言います。子供同士のことは、子供同士で解決をしなさいと言われたそうです。両親は、その事実を覚えていないと言いました。その当時、キースの両親は仕事が忙しく、子供を構っていられるほどの余裕は、ありませんでした。
そんなこともあり、キースは一時期両親への愛を疑い、恨んでいたこともあったと言います。
「あの頃は二人とも必死だったんだ。うちは中流家庭といっても、貧乏だった。両親は俺への教育のために、兄弟たちの教育のためにも、必死に働いていた。当時は最悪だったよ。全ての家庭が階級に分かれていた。その階級の中で生きるには、それなりの金が必要だったんだ。うちみたいに必死に中流を守っている家庭は多かったよ。お前もそうだろ?」
お前というのは僕のことです。僕の生まれも中流で、貧乏なのに見栄を張り、かなりの無理をしていました。キースほどではありませんが、僕もずっといじめを受けてきました。
「けれどお前はラッキーだった。俺に出会えたんだからな」
確かにその通りです。キースと出会えて、僕は変わりました。その出会いによって、それまで受けてきたいじめが零になりました。
キースとの出会いは僕が中学に入学をしたその日でした。中学生になっていたキースは、いじめられる側から立場を一変させてしました。いじめる側に回ったわけではありませんが、本人の意思とは関係なくいじめられる側を守る立場になっていました。そのため、ある意味ではいじめをしていたことにもなります。いじめる側の人間を、いじめていたのですから。
「たった一度だけ、あいつらに反抗をしたんだ。あんなに弱いとは思わなかったよ。口と威勢だけだ。まともなケンカも出来やしなかった。そこにいた一番偉そうな面をしている奴を、たった一発ぶん殴ったら泣き出しやがったんだ。顔に一発、それだけだぜ? 周りの奴らはすぐに逃げ出してしまったよ。そいつ一人をその場に残してな。俺はそいつに同情してしまったよ。ポケットに入っていた飴をあげてやったんだ。まるで幼稚園のガキをあやすかのようだったな」
キースは僕の一学年上で、当時は二年生だったにもかかわらず、その学校で一番の権力を持っていました。
「俺は別に、自分で望んでそうなったんじゃない。周りが勝手に俺を押し上げたんだ。いい迷惑だったぜ」
キースは当時、その学校の実質を取り仕切っていました。もちろんそれは、学校経営とは無縁のものです。当時の学校は、全てが世界を支配していた会社の直営となっていました。キースはその学校の生徒を支配していたのです。当時の学校では生徒の中で一番の存在を決めることが暗黙になされていました。特別にそういった資格があるわけでも、学校での正式な立場が用意されているわけでもありませんでしたが、生徒の中で誰が一番なのかを決めることが、流行していたのです。それは喧嘩が強いだけでも、勉強が出来るだけでもダメです。人望がなければなりません。しかし、当時のキースにはその人望があるようには感じられませんでした。ただ、誰もキースには逆らえませんでした。先生でさえ、文句の一つも言えませんでした。
「中学時代が、俺の全てなのかもな。お前との出会いもあるし、ミックともそこで出会った。音楽を知ったのも、その時期だ。俺の原点というやつだな」
僕は小学生の頃、いじめられていました。特にそのことを気にしていたことはありませんでした。いじめられていることを恥に思ったこともありません。しかし、いい気分を味わっていたわけでもありません。
小学校を卒業して、中学生になる時、僕をいじめていた奴らも全員同じ中学に進むことになってしまいました。中学は義務教育ではあるのですが、特別な試験もなく家庭の階級と生徒個人の成績によって振り分けられていました。自由に選ぶことはできず、近所だからとの理由だけで、その学校に通うというわけにもいきません。それが許されるのは、幼稚園と小学校だけです。
僕はその地域ではまぁまぁの、そこそこの学校に通うことになってしまったのです。その学校は家から遠く、長い距離を歩いていく必要がありました。
当時は、乗り物に乗るには免許が必要でした。自分で運転するのではなく、ただ乗るだけでも免許が必要だったのです。ただ、当時は自分で運転をする乗り物なんてありませんでしたが。その免許は、二十歳を過ぎるまでは試験を受けることが出来ませんでした。
当時は今のように飛行機も車もありませんでした。たった一つ存在していた特殊な交通機関は、少なからずの危険を伴います。今ではもう、廃止されている移動手段です。確かに危ない目に遭うこともありましたが、とても便利で、僕もよく利用をしていました。というよりも、その移動手段なくしては生活が出来ないほどでした。それは僕だけでなく、世界中の人々の共通の思いです。廃止になった当時、世界中は一時的なパニックに陥ってしまったものです。まだ記憶に新しいことなので、御存知の方も多いかとは思います。しかしその理由と原因には、誰もが納得をせざるを得なかったのです。僕も彼らも被害には遭いませんでしたが、多くの人が怪我をして、亡くなっているのです。原因は、その複雑な移動の仕組みにありました。空間を無視して一瞬に移動をするのですから、無理もない話です。僕はその仕組みを勉強したことがあるのですが、いまだに把握していません。今から考えると、危険というより、あり得ない移動手段だったのです。
「俺はあれが大嫌いだった。確かに便利だけどな、気分が悪くなる。酒を飲んではいけないとか、うるさい決まりがあるんだよな。だったらまだ、今の方がましだよ。古い乗り物を復活させたらしいが、俺には目新しい。時間がかかるかも知れないが、あれに比べれば、最高の乗り物だな」
その最高の乗り物が、後の悲劇を生むなんて、皮肉です。
「俺はあの中学に入ることを自分で選んだんだ。嘘じゃないさ。当時はそんなこと、不可能だと言いたいんだろ? けれど俺には、可能だった。俺はこれでも、勉強は上手だったんだ。普通にテストを受ければ、全てが満点だよ。けれどそれだと、あの中学には入れない。俺はあの中学に入るために、成績を悪くなるようにしていたんだよ。簡単なことさ。俺にとっては答えのわかっているテストだ。それらしい間違った答えを書けば、誰も怪しまない。俺は平凡を装っていたのさ」
キースの頭がいいのは、有名な話です。キースは一度目にしたこと、耳にしたことを決して忘れません。例えお酒が入っていて泥酔状態でも、全ての出来事を鮮明に覚えています。自分で書いた曲も、そうでない曲も、一度で全てを記憶してしまいます。
「理由なんて小さなものだ。ただ家から近かった。それだけだよ。遠くまで歩くのが嫌だったんだ。無駄な時間を過ごしたくなかった。当時はまだ、特別なにかをしていたわけでもないけどな」
キースが音楽に触れるきっかけを作ったのは、僕でした。恥ずかしながら、僕と出会わなければ、その後のキースは存在していません。それは、ライク・ア・ローリングストーンというバンドも存在はしていなかったということで、今のこの世界が、大きく変わっていたということです。僕はそのことをとても誇りに思っています。そして、死ぬまで自慢しようとも思っているのです。
「お前は少し、他の奴とは違っていた。俺はいじめをする奴らが嫌いではあったけれど、いじめられる奴を助けるなんてことをしたのは、お前が初めてで、最後だったよ。俺もいじめられていたんだ。いじめられる奴が嫌いってことはないけどな、自分のことは自分でなんとかすればいい。そう思っていた。俺がそうだったんだからな。けれどお前には、不思議な雰囲気があったんだ。俺とは違っていたけど、なんだか俺に近い匂いを感じた。お前の目は、腐っていたんだよ。世の中に、不貞腐れていた」
その表現が、僕は好きです。確かに僕は、不貞腐れていました。僕はもっと頭のいい中学校に通いたかったのです。いじめられていることはどうでもよかったのですが、奴らのことは嫌いでした。また奴らと一緒の学校だと思うと、それだけで気分が落ち込んでしまいます。夢も希望もなんにもないあんな低俗な人間と同じ場所で同じ時を過ごすなんて、地獄以下だと思いました。僕までもが、奴らと同じ人間のように感じられてしまいます。
しかし、キースがそんな僕の不満を救ってくれました。奴らが僕をいじめているのを偶然目にしたキースは、一度は僕の目の前を素通りしたのですが、すぐ戻ってきて、奴らを蹴散らしてくれたのです。僕には腕力がなかったこともありますが、それ以前に、暴力に対して暴力で反抗するという発想がありませんでした。奴らを追い払うより、無視をする方が得策に感じられていたのです。気にもしなければ、気にもならないのです。
キースとは、その日からずっとの付き合いが始まりました。
「お前と出会えて、俺はこの道に足を踏み入れた。本当に感謝をしている。あの日から、今まで退屈をしたことがないからな」
僕をいじめていた奴らは、その日から僕の前には顔を出していません。転校をしたという話は聞いていないので、意識をして僕やキースを避けていたのだと思います。キースに目をつけられるということは、そういうことでした。奴らに悪い個所があったにせよなかったにせよ、キースに嫌われてしまえば、あの学校では堂々と生きていくことが出来ませんでした。キースにそのつもりがなくても、キースの知らないところで、周りがそれを許さなかったのです。
僕はキースに出会えて、仲良くなることが出来、とてもラッキーでした。最初はその学校に入学したことを後悔していました。しかしすぐ、それは喜びに変わりました。学校での権力者であったキースに可愛がられたからではありません。一生の友達として、キースと出会えることが出来たからです。
「俺にはお前の家庭が羨ましい。生まれた時からの音楽漬け。こんな幸せは他にはない。俺はまるで音楽とは無縁だったからな」
当時の僕は、ある意味では特別でした。世の中は今とは違い、音楽が一般的には受け入れられていませんでした。言葉をリズミカルにするだけでも、足音で遊ぶだけでも音楽は自然に発生してしまいますので、全ての音楽がなかったわけではありませんが、音楽は楽しむものではありませんでした。街で音楽が流れることはなく、表向きにバンドという存在は、ありませんでした。
僕の父は、当時としては珍しい仕事をしていました。過去の歴史を調べ、それを庶民や大学などで伝えていたのです。それは少し、危険な仕事でもありました。僕の父は、当時世界を支配していた輩から少なからず目をつけられてもいました。そのため僕は、当時あまり父と顔を合わすことがありませんでした。父は過去を調べるため、世界中を飛び回っていたのです。そしてたまに帰ってきては、僕に過去の音楽についての話をしてくれました。直接に音楽に関わる資料を見せてくれたこともあります。そしてなによりも僕が恵まれていたのは、幼い頃から音楽を聞くことが出来、直接楽器に手を触れることが出来たことです。父は僕に、ピアノとギターを与えてくれました。
残念なことに、僕はなかなか上達しませんでした。まともに演奏できるレベルにはならなかったのです。もしも少しでもまともに演奏することが出来たのなら、僕も正式なライク・ア・ローリングストーンのメンバーになり、同じステージに立っていたのかも知れないと、あり得ない空想をすることが今でもあります。
色々と法律が厳しい時代ではありましたが、音楽に関しては、自由でした。ただ、庶民がそれを拒んでいただけです。音楽は、流行の波に乗ることが出来ずにいたました。当時でも幾つかのバンドはあったのですが、地下での活動をしているにすぎませんでした。一般的には、音楽とは日常の飾りだったのです。歌というものではなく、ただの背景の一部でした。
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