第四章


     第四章、二千九百七十年~二千九百九十八年


 テイラーの加入後、ライク・ア・ローリングストーンは一年から一年半に一枚のペースで作品を発表していました。時代の流れに乗り、流行りの音を大きく取り入れた作品を生み出してきました。

 世間からは少し、疑問の声が上がり始めていました。ブライアンがいた頃のライク・ア・ローリングストーンを求める声も多くありました。

「俺はただ、時代に埋もれたくないと思っていただけだ。次から次へと現れては消えていくバンドの仲間入りはしたくない。常に挑戦していただけだな」

 作品発表のペースが少し遅れ出したのは、ライブツアーに力を入れるようになっていたからです。世界中を周り続けながら、その間に曲作りをして、作品を発表していました。数年間休まず、世界を何周も周っていました。一年で数百万の観客を集めていました。そんなツアーを実施し、成功させたのは、彼らが初めてでした。

「俺のことを起業家だなんて呼ぶ連中もいる。ふざけろってんだ! 巨大な金を動かしてはいるけど、俺の力じゃない。それだけのファンが集まってくれるから。それだけだ」

 当時は音楽の新しい波が押し寄せてきた時代でもありました。ライク・ア・ローリングストーンのレコードは、思うようには売れなくなっていました。しかし、以前からのファンが大勢いたため、ライブでの人気が衰えることはありませんでした。どんな評判の悪い作品を発表した後でも、ファンはライブを楽しみに会場へと足を運ばせます。それは、昔からの名曲を聴かせてくるからです。

「金のためにライブをやっているわけじゃない。金ならもう、手に入れた」

 新しい波は、古い波を呑み込んでいきます。ライク・ア・ローリングストーンと同世代のバンドは、次々と姿を消していきました。転がり続けていた数少ないバンドが、彼らでした。

「楽しむことが出来ればなんだって構わない。音楽は、自由だろ?」

 しかし僕としては、不満が多い時代の始まりでもありました。音楽は、飾りではありません。この時代から、音楽がファッションと化してしまったのです。

 流行りの音楽を聞きながら、流行りの服装で街を歩きます。気分によって着せ替えをし、飽きたら捨ててしまえばいいのです。

「それでもいいんだ。好きにすればいい。本物は、どんな時代にも死なない」

 キースは僕と出会った時からずっと、変わらない服装で、変わらずに音楽を楽しんでいました。

「流行りの中にも、いい音楽は溢れている。俺はそれを、吸収したい。頑固な爺さんにはなりたくないからな」

 確かにそうです。頑なに自分だけを貫くのは、カッコイイとはいい難いものです。

「俺たちも、流行りのようなものなのかもしれないと思うことがある。いつ飽きられてしまうのか、不安になることもある。だからかもしれない。俺は立ち止りたくないんだ。常に新しく、楽しく生きていたい」

 街に溢れた音楽たちは、流行りを意識しているようでした。流れては消えていく。そんな耳障りがいいだけの音楽が溢れ始めていました。聞いていて少しの不快感もない音楽は、すぐ飽きがきてしまいます。だからなのでしょう。次から次へと新しい曲が生まれては、消えていきました。

「作品を作らずに一曲勝負。悪い考えじゃないけどな。確かにそれは、つまらないな」

 音楽の楽しみ方が、少しずつ変化をしていました。作る側も、一曲ずつ発表し、飽きを感じるとすぐ、新しい曲を発表します。そして数曲集まると、そこにどうでもいいような捨て曲を加え、作品として発表するのです。

「俺たちはそういうことをしないと決めている。一曲でのバラ売りは、卑怯だな」

 当時はその一曲で有名になり、消えていくバンドも多くいました。

「ベスト作品なんてのも、作らなければよかったと思っている。悪い影響を与えているのは確かだな」

 テイラー加入後、ライク・ア・ローリングストーンはそれまでの作品から人気の高い曲を集め、作品として発表しました。ブライアン追悼の意味もありましたが、その理由は、新しいファンにこれまでの軌跡を伝えたかったからです。その中には未発表の曲も含まれていて、古くからのファンも楽しめる内容となっています。彼らはその後も何枚ものベスト作品を出しているのですが、その全てに未発表の曲や新曲などを加えていました。

 しかしそのベスト作品が注目を集め、予想以上の売り上げを見せたことで、真似をするバンドが増えてしまいました。ただ真似るのならいいのですが、作品を三枚程度しか出していないのにもかかわらず、新しい曲も入れずにベスト作品を発表するバンドが増えてしまったのです。人気があるうちに、売れるうちに作品を売っておこうとの考えの元の戦略だったようです。

「広告に曲を使わせたのも失敗だよな。あれは確かに金になる」

 企業の宣伝のため、曲を使わせてほしいと彼らに連絡が入りました。キースはなんの考えもなしに、承諾してしまいました。金にもなり、曲の宣伝にもなります。断る理由は見つかりませんでした。

 広告に使われる曲は、短いものです。一曲丸ごと流れるのではなく、ほんの数十秒だけが使われるのです。インパクトがあり、耳触りのよい曲が求められます。

 それが間違いの始まりだったと、僕は感じています。広告に使うための、耳触りのよいだけの音楽が溢れてしまったのです。

「音楽の楽しみ方は様々だ。とっかえひっかえも悪くはないけど、意味がないのも確かだな」

 ライク・ア・ローリングストーンが広告に曲を提供したのは、一度きりです。その後はいくら大金を積まれても、許可していません。


「俺たちの時代はもう、終わりなのかもしれないな」

「キースの時代は、永遠だよ」

「俺たちはただ、転がっていただけだ。もう限界なのかもしれないな。壁にぶつかり、勢いをなくしている」

「それは違う。今でもまだ、勢いは保っている。ただ少し、世界の考えが変わったのかもしれない」

「なんだ? それは? 世界なんて関係ないだろ? 俺たちはそんなものをぶっ壊しながら進んできたんだ」

 それもまた、世界の答えなんだとは言えませんでした。ライク・ア・ローリングストーンが世界を変えることが出来たのは、キースの歌に力があったからだけではないのが現実です。世界がそれを求めていただけなのです。直接キースの歌を、音楽を求めていたとはいえませんが、世界を変える力のあるなにかを求めていたのは確かなことです。そこにタイミングよく、彼らが登場しました。実力だけで世界を変えるのは難しいのです。タイミングが合わなければ、ここまで偉大にはなっていなかったことでしょう。彼らがいなければ、他のなにかが代頭していたはずなのです。その時の時代が求めた答えが、ライク・ア・ローリングストーンだったのです。

「今が限界かもしれないと感じている。新しい波には、逆らえないからな。テイラーと一緒に色々と新しいことが出来たのは、楽しかった。テイラーがいなくなる今、その楽しみは幻だ」

 僕はすぐに、キースのその言葉の意味を理解出来ませんでした。

「そんなことないさ。テイラーは素晴らしいギタリストで、作曲家だろ? 世間がなにを言おうとも、僕は今のライク・ア・ローリングストーンが好きだ。新しい音楽を吸収している。今はそう、勉強の時期なんだよ。これからが楽しみだ」

「お前はなにかを勘違いしているな。俺たちは今までの作品に満足している。世間がなんと言おうと、いいものはいいんだからな。テイラーのことも、最高だと思っている。だからこうして悩んでいるんだ」

 僕はようやく、おやっ? と感じました。そしてしばらくの沈黙を作り、考えました。答えは、単純でした。

「テイラーが辞める?」

「・・・・そういうことだよ。バンドでの生活に疲れたそうだ」


 テイラーが辞めてすぐ、新しいギタリストが見つかりました。ミックの友達で、当時ギタリストとして世界一と称されていたジェフ・ペイジからの紹介でした。

 世界一という言葉が、当時は流行していました。ライク・ア・ローリングストーンも、世界一のバンドと称されていました。僕には、意味がわかりません。

 音楽や楽器の演奏に、優劣をつけるのは難しいと思います。答えのあるテストではありません。個性や感情が大事な世界です。いいものはいいのです。好きなものは好きなのです。評価をするのは、それだけで十分です。

 ミックは当初、ジェフをメンバーに引き入れるつもりでいました。ジェフは自身のバンドを組んでもいましたが、大抵の活動はソロで行っていました。一人でその時々の気の合う仲間と好き勝手に演奏をするのが、ジェフのスタイルです。

「ジェフはバンドに誘ったことを喜んでくれたよ。けれどメンバーにはなれないと言われた。ライク・ア・ローリングストーンの枠にはまるのが嫌なんだとさ。俺は別に、そんなつもりはない。自由にしてくれればいいと言ったんだ。けれどジェフは、バンドには参加できないと言い続けたよ。俺もミックも困ってしまったな。ジェフが入ればまた、新しい音楽を楽しめると思っていたからな。ジェフの作る曲は、確かに俺たちには合わない。だからこそ、楽しみにしていた。俺はジェフが、好きなんだ」

「僕もジェフは好きだよ。何度か会って話をしたこともある。僕はジェフの意見が正しいと思うな。ジェフはバンドの一員になるよりも、自由に生きる姿がよく似合う」

 少しは僕も、ジェフが加入したライク・ア・ローリングストーンを見てみたいと思っていました。ジェフのスタイルは、確かに彼らに新鮮な風を与えてくれたことでしょう。

「それで彼を紹介されたのかい?」

「まだ会ってはいないけどな。彼の参加したバンドは、どれも最高だ。上手くいく。そんな予感しかしないな」

 僕は少しの不安を感じていました。確かに彼は素晴らしい。しかしそのギターは、僕の好みではなかったのです。僕としては、彼はベーシストなのです。ジェフのバンドの作品で聴ける彼のベースは、素晴らしい。


「お前の勘が外れることもあるんだな!」

 キースは大きなその口を、いつも以上に広げて笑っていました。

「・・・・彼が悪いとは言わないよ。けれどやっぱり、僕の好みじゃない」

 二千九百四十七年六月一日、ロン・ベックはこの世に生まれました。中流階級の家庭に生まれ、音楽とは無縁の幼少生活を送っていました。

「僕はそうだね、ライク・ア・ローリングストーンを聴いて音楽を知ったんだ。僕だけじゃないか。当時は誰も、音楽なんて聴かなかった。ライク・ア・ローリングストーンがいなければ、今のような世界にはならなかったと思うよ。当然僕も、音楽なんて好きにはならなかった」

 ロンはライク・ア・ローリングストーンの音楽を聴き、ミックのギターを聴いて音楽を始めました。ギタリストのスタートとしては、順調ではありませんでした。

「プロになるのは、難しかったよ。僕はあまりギターが上手じゃなかった。ただ好きで弾いていただけなんだ。ミックのようになりたい。ずっとそう思っていた。今でもそうだな。僕の憧れは、ミックなんだ」

 ロンは地元の学生たちとバンドを組み、毎日のように演奏をしていたといいます。文化祭や学校の教室で、小さなライブを開いていました。

「ライク・ア・ローリングストーンの曲は全てカバーしていたよ。弾けない曲は一曲もないね。僕がバンドに入れたのは、その経験のおかげなんだ」

 確かにキースは驚いていました。ロンの加入はテイラーの時とは違い、まずはスタジオで音合わせをし、その勢いのままにジャムセッションをし、加入が決定しました。その時に新曲のアイディアが生まれたと、キースは興奮気味に伝えてくれました。

「ロンのギターは普通だな。決してミックの邪魔をしない。それでいて、いなくなると寂しく感じる。不思議なプレイヤーだな。それにロンは、俺たちの曲を全て覚えている。ある意味では天才だな。一度弾いた曲は忘れることがないそうだ」

 ロンの加入は、その日に決定されました。しかし当初、ロンは正式メンバーではなく、サポート扱いになっていました。現実はメンバーの一員として行動をし、レコードのクレジットにもメンバーとして名前が載っていました。ただ契約上、給料制になっていたのです。その契約は、五年間ほど続けられました。その後正式に、メンバーとしての契約を交わしました。

「またすぐにバンドを辞めたいと言われては困る。それだけの理由だよ。ロンは納得してくれた。問題はないだろ? 俺たちはロンを差別したりはしていない。メンバーとして扱っている。ロンは立派な、俺たちの家族だ」

 ロンのギターの評判は学生の間では高い評判になり、いくつものバンドから誘われ、サポートとして活躍していました。

「僕はいつでも二番手だよ。ソロを弾くのは好きじゃない。サポートをするのが、僕には合っているんだ」

 サイドギターとしてのロンは、人気が高く、特にミュージシャンたちから高く評価されています。一般的にはその知名度も含めてパッとしないのが現実なのですが、ロンのギターがないと、不思議と寂しさを感じてしまいます。ライク・ア・ローリングストーンは、わざとロンのギターを排除し、その独特の寂しさを演出することがあるほどです。

「今でもそうだけど、当時からバンドでの一番人気はギターだった。ギターを弾いていると、それだけで女の子にモテるんだよ。僕がギターを始めた理由は、それが一番だね。ミックのようになれば、きっとモテると考えたんだ。けれど現実は、そう上手くはいかなかった。僕のギターは今一つだからね。時にはベースを弾くこともあった。ベースは、人気がなかったんだ。僕はたまたまベースを一本持っていたから、よく弾かされたもんだよ。けれどその時の経験のおかげで、僕は音楽をやり続けることが出来た」

 ギタリストとして音楽生活のキャリアをスタートさせたロンでしたが、本格的にデビューをしたのとは、ベーシストとしてでした。

「ジェフと僕は以前から友達だった。ジェフは当時から有名だったけれど、僕が演奏をしていたライブハウスによく顔を出していたんだ。どういう訳かジェフは、僕を気に入ってくれたんだ」

 そしてロンは、ジェフのバンドに参加することになりました。

「嬉しい誘いだったよ。ジェフは僕にとって、ヒーローだったからね。ジェフのギターを聴いて衝撃を受けないギタリストなんていないだろ? けれどまさか、ベーシストとして誘われるとは思いもしなかったけれどね」

 ジェフのバンドに参加したことにより、ロンの知名度は一気に上がりました。ロンはジェフのバンドでレコードデビューを果たしたのです。バンドは二枚のレコードを発表し活動停止してしまいましたが、その後にロンは自身のバンドを組み、人気を博していました。ロンの人気があったというよりも、ボーカリストに人気が集中していました。ジェフのバンドでも一緒だった、ロッド・マリオットがその人です。ロッドはその後ソロになり、大成功を収めました。

「僕はギタリストに戻ることができ、ホッとしたよ。今でもたまにベースを弾くことがある。ベースはベースで楽しい楽器だよ。けれど僕にとっての一番は、ギターなんだ。それにしても驚いたよ。僕をライク・ア・ローリングストーンに紹介してくれたのはジェフだろ? ジェフは僕をベーシストとして見ていると思っていたんだ。けれどジェフは、僕をギタリストとして紹介してくれた。これはとても誇り思うべきことだね」

 ロンがライク・ア・ローリングストーンへの参加が決まるとすぐ、数ヶ月後には新しい作品が発表されました。


 ロンが参加をしてから、キースはさらに新しい音楽を吸収していきました。一部での批判を拭いきることは出来ていませんでしたが、それがライク・ア・ローリングストーンの新しいスタイルになっていました。昔からの音楽に新しいスタイルや音を取り入れ、ライク・ア・ローリングストーンらしい音楽を生み出します。彼らにしか出来ないスタイルとして、若者からの人気を得ることにも成功しました。

 彼らが作品を発表するペースは、数年に一度になっていました。二年続けて発表することもありましたが、五年も間が開くこともありました。作品を出せば必ずツアーに出ていましたが、以前のように休みなく世界を周るということはありませんでした。作品を出した後に半年から一年間のツアーに出て、その後休息を取り、また作品を作りツアーに出る。その繰り返しになっていました。そしてあっという間に、時を重ねていきました。

「俺も歳をとったからな」

「けれどファンは、キースの歌を待っている」

「そんなことはわかっているさ。けれどもう、昔とは違うんだ。俺だけじゃない。ミックにもビルやチャーリーにも、ロンにもそれぞれの家族がいるんだ。俺たちはその時間を大事にしたいと思っている。家族サービスをするのは、男としては当然だ」

 転がり始めてからいつの間にか、四半世紀以上が過ぎていました。その間にメンバーそれぞれが結婚をし、子供を授かってもいました。キースには、すでに孫も存在していました。

「それに今では俺たち以外の音楽が溢れているだろ? 流行りものじゃない本物もいる。俺たちだけが頑張る必要はないんだ。無理せずに、伝えたい言葉と音楽をしっかりと伝えていけばいい。時間は永遠だ。急ぐ必要はない」

「これからはどうするつもりなんだい? 今度はビルが辞めると言っているんだろ?」

「ビルが辞めるのは、家庭の問題だよ。ビルは俺たちの中で一番の年寄りだからな。家族との時間を、俺たち以上に大切にしたいだけなんだ。無理に引きとめるわけにはいかないだろ?」

「それはキースも一緒だろ? 家族がいるから、作品のペースを落としているんじゃないのかい?」

「それだけが理由とは言えないな。家族との時間を大切にはしている。それだけで作品のペースが落ちているわけじゃない。昔のように溢れるほどにアイディアが生まれてはこなくなっているんだ。いい曲が浮かんでも、どこか昔の曲や他人の曲と似てしまう。時間をかけていい作品を作らなければ、ありきたりになってしまう。それも一つの理由だよ」

 僕はその後、直接ビルに連絡を取りました。ビルの本音が知りたかったのです。


「俺の身体はもう限界なんだ。まともにベースを弾くことも出来ないんだよ。ツアーに出るなんて、問題外だよ」

 ビルは震えているその手を、僕に差し出しました。

「それにもう、十分やってきただろ? 目的はとうに果たしている」

 僕はその言葉を勘違いしてしまいました。

「確かにビルは、金には困っていない。これからも、末代まで困ることはないだろうね」

 僕のその言葉に、ビルの視線が痛く突き刺さりました。僕はそのまま、言葉を続けました。ビルは哀しそうな目をして僕の顔を見つめていました。

「それはキースたちも同じだ。それでもキースは、音楽を止めたりはしない」

 ビルのこぼしたため息が、深かったのを覚えています。

「俺とキースは違うんだよ。それに俺は、金の話はしていない。金なんて、使えば消えてしまう。好きだけど、興味はないんだ」

「ビルの目的って、なんだい?」

「俺だけの目的じゃない。キースやミックも、同じ目的の元にバンドを続けてきたはずだよ。自由に生きていたい。世界中に音楽を溢れ出したい。それだけのために始めたことだろ?」

 確かにその通りではありますが、目的はまだ、続いています。

「キースたちはまだ、満足していないだけだよ。あいつらはいつまでも転がり続けるんだ。けれど俺はもう、転がる元気を失ったんだ」

 その時、ビルの座っていたソファーに孫娘が飛び乗りました。二歳になったばかりの、笑顔が可愛い子でした。ビルは孫娘を抱き抱え、その子とそっくりの笑顔を浮かべました。

 ビルの笑顔が、答えになっていました。ビルは、本当の幸せを掴んでしまったようです。


 ビルの脱退後、ライク・ア・ローリングストーンは新しいベーシストを迎えずに作品を作り、ツアーに周りました。

「ビルはバンドを去ったわけじゃないからな。あいつの代わりが出来るベーシストはいない」

 しかし、作品にもツアーにもベーシストは必要です。ベースがなければ、彼らの音楽は平坦なものになってしまいます。

「どうして彼を使っているんだい? 彼のベースは、上手すぎる」

 サポートとしてベースを弾いているのは、ダリル・パストリアスです。言わずと知れた大物ベーシストで、世界一の名に相応しい技術を持っています。僕も彼の作品は好きで、よく耳にしています。しかし・・・・

「ビルの変わりは見つからない。それが答えなんだよ。ビルの真似をしたベーシストは大勢いるさ。けれどそんな連中をバンドに入れてみろよ。それこそつまらないものになってしまう。だったらいっそ、真逆をと考えただけだ。ダリルは最高のベーシストだ。ライブ中に俺たちがどんな行動をとっても、ダリルならついてこられる。他にはいないんだ。俺はダリルが適任だと感じている。チャーリーだってそうだ。以前と変わらず、楽しそうに叩いているだろ?」

 僕にはやはり、ダリルの演奏がライク・ア・ローリングストーンには不釣り合いに感じてなりません。正式なメンバーでないのが救いにはなっていますが、ファンからの評判もいいとはいえません。

「だったらロンに弾かせてみればどうだい? ロンのベースは、素晴らしいよ」

「それも考えたさ。スタジオでは試したことがある。けれど少し、違うんだ。ロンのベースは、なんというか、変なんだよ。フー・アー・ユーのベーシスト、ジョンによく似ている。つまりは変態ベーシストだな」

 フー・アー・ユーはライク・ア・ローリングストーンが世に出てからすぐ、西の大陸から出てきたバンドです。暴力的なライブが人気となっていました。その言葉が、若者から熱狂的に受け入れられていました。当時の世界に対しての怒りに満ちたその言葉は、世界を支配していた会社からは脅威とみなされていて、厳しい規制を受けていました。そのためか、フー・アー・ユーは今でも世間的には有名にはなれずにいます。僕としては、あまり好きなバンドではありません。その言葉があまりにも直接的で、時にはただの悪口にしか聞こえないからいです。しかしその音楽そのものは、悪いとは思いませんでした。

「それでもダリルよりはよかったんじゃないのかい?」

「そいつは違うな。俺はダリルのベースが好きだ。ロンのベースより、しっくりとくる。それにな、ロンがベースを弾いたら誰がギターを弾く? 正直言ってな、ロン以上のサイドギターは見つからない」

 それは事実です。僕の好みとは言い難いのですが、ロンのギターがなければ、それはもう、今となっては、ライク・ア・ローリングストーンの曲ではなくなってしまうのです。

「けれど心配はするな。ダリルはあくまでも、サポートだ。あいつにはあいつのバンドもあるからな」

 二千九百五十一年十二月一日、ダリル・パストリアスはこの世に生まれました。下流階級の家庭に育ち、子供の頃から地下での音楽に触れていました。両親の影響があったわけではなく、家の近所に音楽の街があり、ダリルに取ってそこは遊び場の一部だったのです。ダリルは始め、ドラムを演奏していました。小学生の頃に地下でのライブを見ていて興味を持ち、触らせてもらったのがきっかけです。当時はまだ子供が楽器に興味を持つのは珍しいことだったので、大人たちは面白がり、叩いてみるかと誘いをかけました。

「あの言葉は嬉しかったよ。あそこから僕の音楽人生が始まったんだ」

 ダリルは物覚えがよく、器用でした。あっという間にドラムを習得し、大人たちよりも上手になりました。中学生の頃には、すでにステージに上がって演奏をしていました。

「けれど少し、調子に乗ったんだな」

 ダリルは運動神経もよく、学校でサッカーをしていたといいます。世界の大会にも地域代表のメンバーとして選ばれるほどの逸材でした。しかし、練習中に足の怪我をしてしまい、その選手生命が断たれてしまいました。

「地獄の日々だったよ」

 その怪我で断たれたのは、選手生命だけではありませんでした。ドラマーとしての生命もが断たれてしまったのです。

「けれど僕は、当時から楽観的な人間でね。兄の影響かな? ドラムがダメならベースを弾こう。すぐにそう考えたんだ。ベースを始めたのは、兄よりも僕が先なんだよ」

 ダリルには双子の兄がいました。当時はすでに亡くなっていのですが、今でも人気が衰えず、ベースの神とまで呼ばれています。普段の僕はああいう音楽は聴かないのですが、彼の作品は魅力的で、今でもたまに、心が疲れた時などに好んで聴いています。

「兄は僕が怪我をしたから、ドラムを始めたんだよ。それまでは音楽好きではあったけど、サッカーの方に夢中になっていたからね。けれど怪我をした僕を見て、僕の代わりにと、思ったんだろうね。兄もサッカーは上手だったよ。僕と同じに代表のメンバーだったからね。けれどそんな兄もまた、僕と同じ怪我をしてしまったんだ。ついてないよな。当時の世界は、二人の偉大なサッカー選手を失ったんだ。と当時に、未来のドラマーをも失ってしまった。兄のドラムもまた、素晴らしかった。兄と一緒に演奏をするのは、刺激的だったな。後の姿からは信じられないほどに激しいドラムを叩いていたからね」

 ダリルはベーシストとしてデビューをすると、すぐに人気を得ました。色々なバンドから誘いを受けて、サポートとして活躍していました。

「まさか兄もベースを始めるとは思わなかったよ。それもああいう形でね。悔しいけど、兄は天才だね」

 ダリルがデビューをしてから数年後、双子の兄もデビューをしました。ソロでの、ベースだけの作品でした。当時はすでにブライアンのソロが発表された後で、音楽だけの作品も多く登場していました。しかし、ギターだけというのはあったのですが、ベースだけというのは革新的でした。当時ベースはリズム楽器として認知されており、ギターとのユニゾンはあっても、ベースが先頭になって曲のメインとなるメロディーを奏でるという発想はありませんでした。曲中でさえ、ベースでソロをとるということはありませんでした。今でこそ普通になっていますが、それを始めたのが、ダリルの兄だったのです。

「一時は兄の真似をしたこともあったけど、それが無意味だと気がついたよ。兄には勝てない。死んでしまった今でさえ、一番は兄なんだよ」

 二千九百八十七年九月二十一日、ダリルの兄が亡くなりました。当時はすでに違法になっていた薬物に手を出し、過剰摂取で死んでしまいました。

「兄はライク・ア・ローリングストーンのファンだったよ。一度は一緒にライブをしたいと、よく言っていたね。その願いは叶わなかったけど、こうして僕がサポートとして参加していることを知ったら喜ぶだろうね。僕はいつか兄に会って自慢をするつもりだよ」

 僕は少し、ダリルのことが好きになりました。

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