第14話 滝沢優一の場合 4

「先生、本当にありがとうございました。お陰様で助かりました」

 大河内さんが事務所を訪ねて来て、開口一番そう言った。

 北園さんから電話を貰った時、生憎運転中で出られなかったのだが、一時間ほどして掛け直すと、まだ二人で近くのファミレスにいたようだ。

 北園さんはその後黒谷に帰らないといけなかったようで、大河内さん一人でお礼方々、今後の顧問契約の件も含めて事務所に来るという話になったのだ。

 彼女が事務所に入ると、ウチの若い男連中が唾を飲みこむ音が聴こえた。凝視しなかっただけマシか。

「お役に立てたようで幸いです」

「本当に、なんとお礼を言って良いのか。とにかくノイローゼになるくらいしつこかったんですよ」

 なんでも、開店前にお店の前で待ち伏せていて、閉店後にまた来るというのを毎日続けていたらしい。

「せめてお客さんとしてお店の中に入れば、商売として割り切ってお相手も出来るんですけど、何故かそれはしないんですよね」

「それは金銭的な部分もあるんでしょうけど、変なプライドも持ってそうですね」

「そうみたいですね。『お客さんだと特別な存在になれない』とか訳の分からない事を言ってましたから」

 ストーカー特有の思考回路だ。何故か彼らは自分の都合のいい方にしか考えられない。

 相手の気持ちを考慮出来ない病気なのだ。

「ここしばらく、お店に行くのが憂鬱だったんですけど、早速今日から警察の人にお店に来て貰えるみたいです」

「良かったですね」

「しかも、凄い偶然がありまして」

「なんですか?」

「私にストーカーしてた男と、冴子ちゃんが名誉棄損で訴えた奴が同一人物だったんです」

 それは確かに凄い偶然だ。

「なんでも、街の有力者のドラ息子だったみたいで」

 そうなると、警察がいらぬ忖度をする可能性もある。さすがに被害者がいるから握りつぶしたりは出来ないだろうが、事件を表面化させないかもしれない。

 当然、親も隠蔽を謀るだろう。

 だとすると、その身元が分かれば今後いろいろと使えるかもしれない。

 手駒はいくつあっても困らない。

「それでは、今回の報酬として、そのストーカーの身元を教えて頂けませんか?」

 私は自然と笑顔になった。


 釣れたのはなかなかの大物だった。

 事情通の稲村社長に訊いたところ、ストーカー野郎の父親は、地元でフリーペーパーを発行する会社を経営しながら郷土史研究家としても名を馳せている、街の「有識者」と呼ばれている人物だった。

 つまり、駅前再開発の指定管理者の選考に関わる可能性が高い。

 どうやら歳を取ってから生まれた一人息子を猫っ可愛がりしてて、馬鹿親として有名らしい。

 さて、この父親を誰に紹介して貰おうかな。

 私は取りあえず、松本さんのケータイに電話を掛ける。

 一分以上鳴らしたが応答が無い。切ろうかと思ってた頃に、ようやく出た。

「…もしもし」悲壮感いっぱいの、地獄の責め苦を受けている亡者のような声だ。

「先日はお疲れ様でした!」私は努めて明るい声を出した。

「…」松本さんは無言で応えてくれる。

 それでも意味は通じる。無言は肯定の意だ。

「早速、松本さんの人脈とお知恵を拝借したい案件がありまして。近々お会い出来ますか?」

 松本さんはまだ沈黙している。これも、肯定の意だ。

「では、18時にウチの事務所でお待ちしております」そう告げて電話を切った。

 もちろん、松本さんに拒否権は無い。

 こういうのはスピードが命なので、迅速に事を進めなければいけない。


 松本さんは、時間ぴったりに事務所に現れた。

 まるで十三階段を登る前の死刑囚のように暗い顔をしている。

 私はそんな顔を観てるだけで楽しくなってしまい、ついついはしゃいだ声を出してしまう。

「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくりおくつろぎください」

「…いえ、おかまいなく」松本さんは消え入りそうな声で答える。

「それでは単刀直入にお尋ねしますね」

 松本さんが唾を飲み込む音が事務所に響く。

「駅前再開発の指定管理者を決める有識者の中に『マウンテンムーン』の藤山社長は入ってますか?」

「マウンテンムーン」というのがフリーペーパーの名前だ。山月の英語読みという、センスの欠片もないネーミングだ。それだけでクオリティが知れるというものだ。

 松本さんはいささかホッした顔をした。

 これくらいなら漏らしても問題ないと判断したのだろう。

「はい、入る予定です。一部図書館機能が造られる予定ですから、郷土史の専門家である藤山社長は欠かせませんからね」

「図書館機能? 図書館ではないって事ですか?」

「図書館は既に別の場所にありますからね。今のところ、駅前のは貸出はしなくて、その場で読めるだけのスペースになる予定です」

 どうも、今の話を聴いてると、有識者会議の前にいろいろと決まってるような気がする。

「そんな具体的な事がどうして今の段階で予定されてるんですか?」

 松本さんの目が泳ぐ。どうやら、ここから先はオフレコの話のようだ。

 私は敢えて何も言わずに松本さんを見つめる。

 私の表情から何を読み取るかは松本さん次第だ。

 松本さんは根負けしたようで、深いため息と共に語り出した。

「どうやらどこからかコンサルタントの売込みがあったようで、市長がその人をいたく気に入ったみたいなんですよ。で、ある程度の方針はその人が決めたようでして」

「でもそれって議会を通してないですよね?」

「そうですね。ですから正式なものじゃありません。これから根回しが行われるでしょうね」

 まだまだ波乱がありそうだ。

「松本さんは藤山社長とは面識は?」

「そんなに親しくないです。挨拶程度しかした事ありません。私は土木課なんで、文化系の人とはそんなに接点ありませんから」

 そりゃそうだ。

 考えあぐねてなんとはなしに丁度事務所にあった「マウンテンムーン」をめくっていたら、目次が目に入った。

「デザイン:真柴智明」と書いてある。


 思わぬところに接点はあるものだ。

 私は交渉材料を考え始めた。

 そんな私を、松本さんは縮こまって見ている。

 顔色はすこぶる悪いままで。

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