第30話 真柴智明の場合 10
「いよいよだな」
滝沢が珍しく緊張しているようだ。
まあ、無理もない。今回は一世一代の大勝負だ。
北園さんは意外と落ち着いている。やはりこんな時は女性の方が肝が据わってるのかもしれない。
場所は市長室と繋がっている来客用応接室。
既に照明機材はセットされている。
ビデオカメラが固定で2台。市長と北園さんを捉えている。それに辻さんがハンディを構えている。
俺と滝沢は北園さんの対面に立つ。合図が送れる位置だ。
大河内さんは北園さんのヘアメイクという設定で参加しているので後ろに控える。
市長側は市長室長と若い女性秘書が一人。
滝沢の話だと、この室長が曲者らしい。
よくこの場をセッティング出来たなと思ったが、どうも早川さんが知事を動かしたらしい。
市長は選挙の時に応援演説をやって貰ったので知事には頭が上がらないのだ。
普通に秘書室を通してたら間違いなく門前払いを喰らっていただろう。
総務課長と支社長には相当脅しが効いてるらしく、滝沢が資料の開示請求をした事は室長には伝わっていないようだ。
実は今日は表向きには表敬訪問を兼ねての質疑応答という事になっていて、その質問内容も予め提出してある。
優秀な公務員がその答えも用意してくれている。
ただし、市長には本当の趣旨を伝えてある。
事前に提出した質問書はあくまでもダミーだ。
もちろん秘書室長には内緒だ。
知事から「もう結構証拠も揃えてるみたいだから、逃げられないよ。でも君の所為じゃないから、いざとなったら室長を切り捨てれば良いよ」と伝えて貰っている。
後は滝沢の思い描いた演出がどこまで通用するかだ。
こればっかりは相手のある事なのでなんとも言えない。
北園さんにも相当のアドリブが要求される。
俺にも滝沢の緊張が伝わってきた。
「それではセッティング完了しましたんで、いつでもどうぞ」辻さんがキューを出す。
「市長、お忙しい中、誠にありがとうございます」北園さんが話し出す。
なかなか落ち着いているように思える。
「本日は、NPO法人『山月ネットワーク』設立のご挨拶と、いくつかの質問をさせて頂きます」
「お手柔らかにお願いしますね」市長も中々のタヌキだ。我々の茶番につきあってくれる気のようだ。
「まずは設立の趣旨を説明させて頂きます。我々山月ネットワークは、山月市出身で一時期山月を離れて再びこちらに戻ってきたメンバーが中心となって作りました」
厳密には北園さんはまだ山月市に編入される前の黒谷町出身だが。
「離れていた事で、山月の魅力と同時にあまり良くない事も見えてきてしまい、それをどうにか是正出来ないかという郷土愛から、この会が設立されました」
「良くない事というのは具体的にはどんな事ですか?」市長が振ってくれる。
「そうですね。具体例は数え上げればキリがないんで、まずは概要から説明させて頂きますね」
ここで北園さんは抜群の笑顔を見せる。これは効果的だろう。
「私がこちらに戻って来てからも、市役所だけでなく観光協会や商工会、おまけに警察や銀行に至るまで、随分理不尽な思いをしました。その原因はいくつかあります。まずは仕事を面倒臭がる人が多い事」
北園さんは分かりやすくカメラに向かって指を折り始める。
「二つ目は民主主義を理解してない事。三つ目は著作権を理解していない事」
ここら辺はリズムが良い。
「そして最後はコンプライアンスが希薄な事です」
「なかなか耳が痛いお話ですな」
市長は苦笑してる。多分、演技だろうが。
室長が硬い顔をして滝沢に小声で話しかけて来た。
「事前にお聞きしていた内容と違うようですが?」
「大丈夫ですよ。生放送じゃなくて収録なんですから、後でいくらでも編集出来ます」
滝沢は余裕で答える。
室長も渋々納得したようだ。
「私は黒谷の出身でして、10年程東京に出ていて帰って来たら山月市になっていたのでたいへん驚きました」
「その間、一度も黒谷に帰らなかったんですか?」いつの間にか市長が聞き役に回っている。
「はい、東京でやれるだけやってみようと思ってました。当分は帰らない覚悟でしたし」
北園さんは一点を見つめるような真剣な眼差しを見せる。ここら辺、演技なのかどうか判断できない。
「それでも故郷の事を忘れた事はありませんでした。両親も友達も、近所のおじちゃん、おばちゃんもいます。眼を閉じれば懐かしい風景も浮かびます。潮風と魚の匂いも忘れられません。どんな離れた場所にいても、故郷は故郷です。いつかは帰る場所だと思ってました」
そこにいた全員が北園さんの言葉に引き込まれ始めていた。
「私は黒谷を、そして山月市を愛しています」
北園さんはまっすぐカメラに向かってそう言った。カメラマンも慣れたもので、すぐにズームしてドアップで映した。
北園さんの目力の強さは特筆ものだ。
こんなものを見せられたらどんな事でも応援したくなってしまう。
俺だけか?
「ですので、私は山月をより良いものにしたいと思い、その考えを周囲に話したところ、賛同してくださる方がたくさん集まってくださってこの会が出来上がったのです」
ここまでは完璧だ。茶番劇だと分かっている市長も思わず聞き惚れている。
秘書室長にも何も動きは無い。
ただ、問題はここからだ。
滝沢はここからどんな展開を考えているんだろう?
「一旦、テープ止めまーす!」辻さんが合図する。
「北園さん、お化粧直しをどうぞ」
大河内さんが駆け寄ってパウダーをはたく。
俺は滝沢に耳打ちする。
「この後どうするつもりだ?」
「正攻法で強引に行くよ」滝沢は恐ろしい笑顔で答える。
「そんな事したら怒るだろ?」
「それが狙いだ」
どういう意味だ?
「そろそろ再開しまーす!」
いよいよだ。滝沢と北園さんは打ち合わせをしてたようだが、俺は中身までは聞いていない。いったい、どうなるやら。
「設立の趣旨は非常によく分かりました。私としても『開かれた市長室』を目指しておりますので、こうやって市民の皆様の声には出来る限り耳を傾けたいと思っています」
市長が猿芝居を始める。
「それを聞いて安心しました」北園さんは実に魅力的に笑った。
「実はここに来る前にもこのカメラクルーでいろんなところに取材に行っておりまして、まずはその映像を観て頂きたいんですよ」
滝沢がノートパソコンを机の上に置いて開く。
綺麗な砂浜の映像が流れた。
「ここはどこですか?」市長が訊く。
「黒谷の道の駅です。ウチから歩いて行ける距離にあります」
室長の顔色が変わった。だが、まだ行動には出ない。
「続いて、これはその隣にある第二駐車場と広場になります」
広場の上を、作業員らしき人がキャスターのついた何かの装置を動かしている。
「これは何をしているんですか?」
「この方たちは地質調査会社の方たちで『地下レーダー探査』という方法で埋設物を調べて貰ってます」
「話が違うぞ!」室長が叫ぶ。
その途端、カメラ3台が完璧な連携で室長の姿を捉える。
たじろぎながらも室長は抵抗を試みる。
「何の真似だ! これはもうカメラの暴力じゃないか! 勝手に映すなら訴えるぞ!」
滝沢がそれを聞いた途端、喜色満面になる。
獲物が掛かったのを確認した悪魔の顔だ。
「そうですか。何の罪で訴えるおつもりで?」
「しょ、肖像権の侵害だ! 勝手に人の顔を映して良い訳がないだろ!」
滝沢はゆっくりと室長に近づき、耳打ちする。
「残念ながら公務中の公務員に肖像権はありません」
「そ、そんな訳があるか! 我々に人権が無いって言うのか!」
「怒鳴っても法律は変わりませんよ」
滝沢は爽やかに、且つ残酷に微笑んだ。
「税金で食べてる人たちの公務ってのはオープンにしないといけないものですからね。そこに肖像権を認めてしまっては、我々の『知る権利』が行使出来なくなってしまうので、法律で決まってる事ですよ」
俺も知らなかったが、滝沢がそう言うのならそうなのだろう。
室長は言葉が出なくなったようで口をパクパクさせている。
「ですので、今の貴方が怒鳴っている姿を全国放送のニュースで流しても何の問題も無いと言う事です」
室長の身体がブルブル震えだした。
「お望みでしたらお名前のテロップをお入れしましょうか? 正式な肩書は先ほど頂いた名刺の通りでよろしいですか?」
死者に鞭打つとはこういう事を言うんだろうな。
「納得されたようでしたら、静かに続きをご覧ください」
そこから室長は完全に沈黙をしてしまった。
映像では、地質調査の結果、無駄に蛇行して巻かれたホースが確認出来た。
「海から一直線に引けば、ホースの長さは1/5くらいで済みますね」北園さんが冷静に解説する。
「次は黒谷の人たちへのインタビューです」
映像では「いかにも漁師!」という風貌のおっちゃんが喋っている。
「ああ、道の駅が出来る時の住民説明会は、何か知らねえけど外にでっかいテント作ってその中でやったな。みんななんで町立体育館とかでやらねえのか不思議がってたよ。あそこだったら風が吹こうが雨が降ろうがなんともねえのにな。しかも当日にテント片付けてたしな。なんであんな無駄な事するんだか」
「住民説明会だと数百人は集まるでしょうから、かなり大きなテントが用意された事になりますね。この時の設置費用とかを知りたいんですが、さすがに20年前のものですから保管されているかどうか」北園さんの残念そうな言葉はさすがに演技だ。
確信なんてなくても疑惑として映像で流せれば良いってのは滝沢とも確認済みだ。
「まだまだありますけど、ここまでご覧になっていかがですか?」北園さんは市長に問いかける。
「いやあ、正直20年前の事なんであんまり実感が湧かないというのが素直な感想で…」
「では現在進行形のものに参りましょうか? 下手したら市長が逮捕される可能性もあるものですし」
「え?」市長は想定外だったようで素でびっくりしている。
「ど、どういう事?」
「道の駅のレストランや売店で売られている貝類で、密漁で採ったものが含まれている可能性があります」
市長が青ざめてきた。
「ご承知のように道の駅の社長は市長ですし、密漁ものを扱った場合、管理責任として社長が逮捕されます」
「な、なんでそんな事が…」
「それだけ管理がいい加減だって事です」
北園さんはわざとらしくため息をつく。
「他にも特定業者との癒着、取締役の利益相反等のコンプライアンス違反が確認されています」
北園さんが意地悪く言う。それでも可愛い。
「そこら辺は映像ではなく書面になりますがご確認されますか?」
「…いや、結構。至急、対策を取ります」
市長だって他人の尻拭いで逮捕されるのなんてごめんだろう
「市長、今現在行われているものは対策が取れると思いますが、過去の黒谷の不祥事はどうしましょうか?」
市長はしばし考える。
室長はすでに判決を待つ被告人のような顔をしている。
「まずは事実の徹底調査をお約束します。その上で、もし疑われるような事があったとしたら司法の手もお借りして事実を突きとめ、その上で不正が証明されれば関係者の処分も考えます。既に退職したものが関わっていた場合、退職金の返還も含めて検討します」
多分にテレビカメラを意識した答弁だとは思うが、映像で残ってる以上、市長としてもやらざるを得ないだろう。
どうやら我々の戦いはなんとか勝利出来たようだ。
滝沢も北園さんもホッとした顔をしている。
そんな中。
一人だけ深刻な顔をしている人がいた。
「私からも一言、良いですか?」
大河内さんが手を挙げた。
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