第12話 北園冴子の場合 4
「その後、何かお困りの事はありませんか?」
カウンターで隣に座ってる滝沢先生が、相変わらず素敵な声で訊いて来る。
お酒も入っている私は、それだけでメロメロになりそうだ。
なんとか正気を保っていられるのは、滝沢先生の隣に真面目を絵に描いたような町田さんがいるのと、カウンターの向こうに妖艶な大河内さんがいるからだ。
「ありがとうございます。毎日いろんな事で困ってまして、何からお話ししたら良いやら…」
「北斗さんには税理士として顧問契約を結んで頂いたので、北園さんは正式にクライアントになりました。何でもご相談ください。別に財務の事じゃなくても大丈夫ですよ」
滝沢先生は私には優しく接してくれる。
山月銀行で見せた恐ろしい顔が嘘のようだ。
そのギャップにまたやられてしまう!
私は思い切って甘えてみる事にした。
「滝沢先生にご相談するのが適切かどうかは分かりませんが、実は警察に困ってまして…」
先日、Facebookで友達申請をして来た人がいた。
直接の知り合いではないのだが、私をYEGに紹介してくれた人の友達の息子さんという事で申請を受け入れた。
どうも高校で私の二個上らしいのだが、まったく覚えてないので適当にあしらっていた。
その人が、Facebook上に大量にさざえの写真をアップしてて「大漁!」と書き込んでいた。
しかも公開範囲は「全体公開」だ。
場所がこの近辺の海辺のようなので、どう考えても密漁だ。
今は漁協で漁業権が厳しく設定されていて、組合員以外が勝手に魚介類を採ったらそれは密漁になる。
波止場に自生してるワカメとかでも勝手に採る事は許されない。
ましてやさざえなんかはかなり厳しい。見つかれば罰金刑だ。
なので、メッセージで「それは密漁になりますから写真は消した方が良いですよ」と送ったのだが。
何故か逆ギレして、私を誹謗中傷してきた。
しかもメッセージだけじゃなく私のFacebookのタイムラインにも酷い事を書き込んできた。
内容は、高校の時の根も葉もない噂話だ。かなり直接的な酷い単語も使っている。
高校生の頃、私を一方的に敵視してる女の子のグループがいて、その人たちが学校で無責任な噂をばら撒いた。
「あの娘は誰とでも寝るらしい」と。その頃私はまだ処女だったのに。
私の直接の知り合いで信じる人がいるとも思えないが、こちらでは悪い噂というのは嘘とわかっていても一人歩きする。
私は取りあえずその書き込みのスクリーンショットを保存して、印刷して山月の警察に持ち込んだ。
名誉棄損だと思ったからだ。
だが。最初に応対してくれた若い人は親切だったが、途中から名乗りもしないで話に割って入った中年の人が、いきなり「告発状はどうしたの?」と言って来た。
そんなものが必要とは知らなかったので戸惑っていると、今度は「本当に密漁かどうか確認したの? 鮎釣りみたいに『一日漁協権』を買ったのかもしれないじゃない!」と言い出した。
川で鮎釣りをするにはそういったものを予め買わないといけないらしい。
でも、ここら辺一帯の海沿いの漁協ではそんなものは聴いた事が無い。
少なくとも、漁業者以外が貝を採るのは全て禁止されているはずだ。
確かに海での事は警察じゃなくて海上保安庁の管轄かもしれないけど、私はあくまでも名誉棄損の件で訪ねてるのに、どうしてこんなに高圧的に全てを否定されるのか理解出来なかった。
結局、告発状がないという事で追い返されてしまった。
本当に、こちらでは警察もアテにならない。
「なるほど」滝沢先生は、一通り話を聞くと、また悪い顔になってきた。
「告発状は行政書士に依頼すれば書いて貰えますが、わざわざお金掛ける事もないですよ」
「でも私、そういった事を纏めるのは苦手で…」
「いえ、告発状は警察で事情を話せば、警察官が書いてくれますよ」
そうだったのか!
「多分、その途中からしゃしゃり出て来た奴が面倒臭がったんでしょうね」
それを聞くと、凄く怒りが込み上げてきた。
どうしてこちらの公務員は面倒臭がり屋が多いんだろう?
「公務員を働かせるにはコツがあるんですよ」滝沢先生はますます悪い顔になっている。
隣で町田さんがハラハラした顔をしている。
「北園さん、私も便乗しちゃって良い?」カウンターの中から大河内さんが話に入って来た。
「実は私も警察にストーカー被害の相談に行ったんですが、同じようにけんもほろろに追い返されちゃって…」
なるほど。それは大いにあり得る話だ。
「それが解決出来るんであれば、ウチも滝沢先生のところに決算お願いしようかしら」
「思わぬところで新規開拓が出来たようですね」
滝沢先生は不敵に笑って、呑んでいたギムレットをおかわりした。
「公務員が一番困る事って何か分かりますか?」
なんだろう? まったく想像がつかない。大河内さんも首を傾げている。
「彼らは、出世に響く事が一番困るんですよ。給料に直結しますからね」
先生は差し出されたギムレットを一口呑んで話を続ける。
「そうすると、彼らは監査組織とか上司とか受付窓口に苦情が持ち込まれるのを一番恐れるようになるんですよ」
またもや、舌が二つに分かれてきた(あくまでイメージ的に)。
「警察官に対する『まほうのじゅもん』をお教えしましょう」
私も大河内さんも身を乗り出す。
大河内さんが前かがみになると凄い迫力だが、目の前にいる滝沢先生はまったく動じない。
「『名前と階級を教えてください。県警の監査室に報告します』って言えば良いんですよ」滝沢先生は、上機嫌のようだ。
「これを言うと、警察官は急に戸惑ったり、いきなり丁寧になったりしますよ。健全な一般市民に対して敬語も話せないような不届きな公僕ですから、少しくらい脅してもバチは当たらないでしょうし」
そんな話は初めて聴いた! でも確かに試してみる価値はありそうだ。
「同じように、例えば黒谷の役場にふざけた奴がいたら、山月市役所のお偉いさんにクレーム入れれば良いんですよ。YEGに入ったんなら、現場の課長や部長クラスの人とも知り合えるでしょうし。例え支所長でも、市役所の部長には頭が上がりませんから」
なにか、目の前にあった靄が一気に晴れたようだ。
「滝沢先生、ありがとうございます! 早速明日警察に行ってきます!」
私は思わず先生の手を握ってしまった。
「私も凄く参考になりました。今度、税務も含めて事務所にお邪魔させて頂きますね」
大河内さんも熱い視線を送っている。ちょっと嫉妬してしまう。
「北園さんが明日警察行くんだったら、私も行こうかなあ」
大河内さんは私に向かって身を乗り出してくる。
思わず視線が下がってしまう。
「それで、帰りに合流しましょ!」
目の前の双丘の迫力に負けて、思わず頷いてしまった。
これに抗える人間なんているんだろうか?
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