第9話 北園冴子の場合 3

「冴子、今日は『大敷』に行くんだって?」

 父親から話しかけられる。母親には話しておいたから、聴いたのだろう。

「うん、YEGの例会の打ち上げ会場がそこみたい」

「あそことは爺ちゃん時代からの付き合いだからな。大将によろしく言っといてくれ」

 多分、YEGの会員の人のお父さんの事なんだろう。

 父は若い時にいろいろやってたので近隣の漁師や水産関係者に異常に顔が広い。

 そして「黒谷で最初に〇〇をやったのは北斗」という事にこだわる。

 黒谷では名字よりも船の名前で呼ばれる事が多い。同じ名字が多いからだ。

 ウチも北園よりは北斗と呼ばれている。だから会社名も株式会社北斗にした。

 黒谷は古い会社が多く、ほとんどが有限会社だ。

 だから私が株式会社を作ったのを父は喜んでくれた。

 本当は、会社法が変わって有限会社が作れなくなっただけの話だけど。

「商売長続きさせるコツは、情報と人付き合いだからな。皆さんに可愛がられるようにな」

「うん。分かってるよ」

 そうだ。私は商売人になるんだ。

 全てが自分の責任になる仕事なんだから、頑張らなきゃな。


 今日は久しぶりに気合を入れて化粧をした。

 決して派手過ぎず、控えめではあるのだけど、モデル時代にヘアメイクさんに教わったコツを活かし、見えないところを工夫しているメイクだ。

 服はあくまでフォーマルだが、一応ディオールだ。そこら辺、やはりプライドが捨てきれない。

 靴とバッグはプラダで揃えた。ヒールの低いバレリーナシューズだ。

 嫌味にならない程度のティファニーのアクセサリーも付ける。

 やはりこういったおしゃれが出来る場に行く事は楽しい。

 最近はずっと仕事ばかりで作業着しか着てなかったから尚更だ。

 ブランドものも、多分今日会う人たちで気付く人はいないかもしれないけど、完全に自己満足の為に身に着けているから気にしない。

 洋服は、ある意味私の戦闘服であり、決意表明の現れなのだ。

 いまいちテンションが上がらないのは、今日は滝沢先生に会う予定がないからだ。

 そこら辺、我ながら単純だなと思う。

 それでもこっちに帰って来てから初めて大勢の人の中に入る事になるから、気は引き締まる。

 男性会員の皆さんの好奇の目に晒されるのには慣れている。

 自惚れではなく、いままで幾度も経験してきた事だ。

 問題は、女性会員だ。

 たまに嫉妬心剥き出しで突っかかって来る人がいる。

 良い人たちばかりだと良いけど。


 会場に一歩入った瞬間、みんなが黙り込んだのが分かった。

 私は極力何気ない振りを装う。

 それでも視線は嫌でも刺さって来る。

 幸いにもすぐに例会が始まったのでホッとした。

 でもそれも束の間、今度は正式に紹介されたので、挨拶をしないといけない。

 私は壇上に上がる前に、自分に「Show Must Go On!」と言い聞かせる。

 ショウが始まったら誰も止められない。

 私の大好きな言葉だ。

「Start!」心の中でカチンコが鳴る。

 自分の中で意識が変わるのが分かる。

 どんな舞台であろうと、完璧に演じなければならない。

 私は今、都会から田舎に帰って来て会社を立ち上げた、右も左も分からない若い娘だ。

 皆さんに可愛がって貰えるよう努力しなければならない。

 実際にその通りなのだが、一歩引いて客観視する事によって、その「役柄」を演じきれたような気がする。

 皆さんから拍手を頂く。

「ブラヴォー!」の言葉も。

 どうやら私はここに受け入れられたようだ。


 例会終わりで打ち上げ会場に向かう前に、トイレで化粧直しをしてると、色っぽい女性に声を掛けられた。

「北園さん、初めまして。花園町でスナックをやっています大河内美香です」

 私の目は彼女に釘付けになった。

 物凄い巨乳だ! 女の私でも見とれるくらいの。

 しかも強調するようにノースリーブのセーターを着ている。

 これは谷間を見せるよりも効果的だと思う。

 もちろん、分かって着ているのだろう。

 思わず凝視してしまう。

「女性会員が少ないから北園さんが入ってくれて助かります。何か困った事とか分からない事があったらなんでも相談してくださいね。私、黒谷には叔母もいたんで懐かしいし」

 角が丸くなってる紫色の少し小さめの名刺を渡された。

「私はこれからお店なんで打ち上げにはいけませんけど、多分二次会は皆さんウチに来ると思いますから」

 私は頷くのが精いっぱいだ。

 気が付いたらほとんど喋ってなかった。

「その時にゆっくり話しましょうね」

 口元の色っぽいほくろを見ながら、私は顔を真っ赤にして再び頷いた。


「大敷」は二階建てで、一階にカウンター席があって、その他は全て個室だった。

 今日のYEGの打ち上げ会場は二階の座敷のようだ。

 まずはカウンターの中の人に声を掛け、父親の知り合いだという二代目ご主人にご挨拶がしたい旨を伝える。

「おお、北斗の娘さんなんだってね。別嬪さんだねえ」

 奥の厨房から現れたご主人は、胡麻塩頭の大らかな感じの人だった。

「お父さんとは昔はよく一緒に遊んでたんだよ。あんまり娘さんには言えないけど」

 それは私も聴きたくない。

「父からもよろしくとの事でした。今度魚介類販売の会社も立ち上げたので、今後ともよろしくお願いします」

「ウチの息子と同じYEGに入ったんでしょ? 仲良くしてやってね。おい、浩一!」

 続いてやはり厨房からご主人そっくりの若い人が出て来た。

「いらっしゃいませ、若宮浩一です。今日は楽しんでいってください」

「お世話になります。若宮さんも後で合流なさるんですか?」

「はい、デザート前に顔を出します」

 実直そうな人だ。真面目さが伝わってくる。


 打ち上げが始まると、次から次へと名刺を渡された。

 本当は新入会員の私が皆さんにお酌をしに行かないといけないとは思うのだが、目の前にズラっと名刺を持った人たちが並んでいて、立ち上がる暇もない。

 結局、40人以上と名刺交換をした。

 名刺を箱ごと持って来ておいて良かった!

 真柴さんが交通整理をしてくれた。

 アイドルの握手会並みに仕切ってくれる。

「はいはい、立ち止まらないで! 会話は30秒以内ね!」

 とてもじゃないけど全員の顔と名前を一致させるのは無理だ。

 後でYEGの会員名簿をじっくりと見てみよう。

「大敷」の料理は美味しかった。特にやはり魚は新鮮で、味付けも見事なものだった。

 ご主人から特別に伊勢海老のしゃぶしゃぶを頂いた。

「北斗の娘さんには、これを食べて貰わないとな」と。

 漁師町の特権で、小さい頃から伊勢海老はよく食べていたが、しゃぶしゃぶは初めてだ。

 なんでもそうだが、やはり半生は美味しい。熱を加える事により、甘みも増している。

つけだれの、わさびを使ったドレッシングも見事だった。

 わさびは揮発性なので、水分に溶けると辛味が無くなる。どうやら葉わさびを入れて、辛味を保っているようだ。

 ゆくゆくは飲食店を開こうと思ってる私にとって、凄く勉強になる一品だった。


「そろそろお開きですけど、北園さん2次会はどうします?」

 来た! 

 例会が21時に終わって、今は23時半だ。

 ただ、明日は別にそんなに朝早い用事もない。

 どっちにしても今日は最後まで付き合う気ではいた。

 さっきの大河内さんも気になる。

「おつきあいします」

 私は顔を赤らめて告げた。

 アルコールの所為だと信じたい。

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