第10話 滝沢優一の場合 3

「滝沢先生、よろしければ私の馴染みのお店に行きませんか?」

 市役所土木課の松本さんからの誘いに乗ろうと思ったのは、もちろん駅前再開発の情報収集の為だ。

 彼は医者をやっている叔父さんが亡くなり、その遺産相続の相談で私の元へやってきた。

 なんでも、叔父さんが亡くなった翌日に、告別式の準備で葬祭場に泊まり込んでいた叔母さんが亡くなったらしい。

 所謂「呼ばれた」と噂される案件だ。

 叔父さん夫婦には子どもがいないので、その遺産は兄弟とその子どもたちに分配される事になる。

 どうやら松本さんは、奥さんが某宗教団体とマルチ商法に手を染めていて、更に自分が以前結婚してた時の前妻の子どもが大学受験で、いくらお金があっても足りないようだ。

 おまけに、亡くなった叔父さんの妹、松本さんにとっては叔母さんに当たる人が、相当タチが悪い。

 東京に住んでるのだが、二人の息子が共に医学部で、やはりお金がいるらしい。

 私も一度会った事があるが、顔がキング・クリムゾンの「クリムゾンキングの宮殿」のジャケットにそっくりだった。

 秘かに「ミセス・クリムゾン」と名付けた。

 クリムゾン夫人は、とにかく亡くなった奥さん側の遺族にお金が渡る事が嫌なようだ。

 以前、弁護士さんに聴いた事がある。

「遺産相続では、自分がいくら貰えるかよりも、相手にどれだけ金が分配されるかで一番モメるんですよ」と。

 そういうものなのかもしれない。ウチは一人っ子だったのでモメようもなかったが。

 だが、実はこの遺産相続は既にカタが付いている。

 叔父さんが亡くなった翌日に叔母さんが亡くなった訳だから、遺産は叔父さんが亡くなった時点で一旦全額生前の叔母さんに相続されている。

 そしてその遺産は叔母さんが亡くなった今、全額叔母さん側の遺族が受け取る事になる。

 松本さんたちには一銭も渡らない。

 後から遺書でも見つからない限り、それはひっくり返る事は無い。

 まあ、もし見つかったとしても、松本さんもミセス・クリムゾンも、生前はそんなに親しくしてなかったようなので望み薄だろうが。捏造でもしない限りはまず無理な案件だ。

 それを言ってしまえばすぐに終わるのだが、別に弁護士でもない私にはそこまで告げる義務はない。

 私が受けた仕事は遺産の試算だけだ。

 私としては、ただ情報が欲しいのでつきあっているだけだ。

 松本さんも、奥さんや叔母さんにつっつかれてかなりストレスが溜まってるみたいで、話を聞いてくれる相手が欲しいようだし。

 それに、文句を言われた時の事を考えて、保険も掛けている。


 連れて行かれたお店は、山月市の繁華街の中心にある5階建てのビルの3階で、カウンターが10席、4人掛けのテーブルが4つのこじんまりとしたスナックだった。

 どうやら夜中に団体の予約が入ってるようだが、カウンターで2人くらいなら大丈夫と言われた。

 松本さんはここのママにご執心らしい。確かに色っぽい人ではある。

「ところで松本さん、どうも駅前は再開発が始まるそうですね」

 おしぼりを受け取り、飲み物を注文すると単刀直入に切り出した。

 碌な情報が無いのなら、団体客が来る前に帰れるし。

「さすがによく知ってますね。まだオフレコの部分が多いんですが」

 もちろん、そのオフレコの部分を引き出すつもりだ。その為の交渉材料もある。

「とりあえず、今はまだコンサルタントを選考してる段階ですね。街づくりで実績のある人をピックアップしています」

 その選考してるのが所謂「有識者」と呼ばれる人たちだ。その中にも魑魅魍魎が蠢いている。

「あとは、駅ビルの管理運営者を外部に任せようって事になったんで、それはコンペになるでしょうね」

 それは新しい情報だ。

「でもそれはそんなに何社も手を挙げるようなものじゃありませんよね?」

「もちろんそうです。公的なものですから、会社の規模もそうですし、信用、実績も必要です」

 市役所としては、すぐに潰れるようなところや資金繰りに詰まるようなところ、スキャンダルを抱えてるところとはつきあえない訳だ。

 そこでグラスが運ばれてきた。二人とも焼酎だ。

 山月市には日本酒、ビール、焼酎それぞれの製造所があり、そこで作られている焼酎のアルコール度数は20度だ。通常の25度より呑みやすい。

 ただ、松本さんはそれをビールで割り始めた。かなりタチの悪い呑み方をする人のようだ。

 もちろん、私にはその方が都合が良い。

 乾杯をして続きを話し出す。

「駅ビルってどんなのが出来る予定なんですか?」

「まだいろいろ変動がありそうなんですけどね。JRとの協議もありますし。あと、今の駅前の山月交通の営業所を丸々潰して、そこに10階建ての商業ビルを建てる計画があります」

 びっくりした。既に商業ビルは一度失敗してるのに、また繰り返す気なのか?

「ただまあ、そこはやはり慎重派の意見もありまして、調整中ですね」

 それはそうだろう。

「ウチの前に他の駅前でも同じような事やるみたいですからそこの結果次第かもしれませんね」

「そもそも、なんで今頃そんな話が出て来たんですか?」

「最初は市役所の老朽化による移転が決まったんですよ」

「え? 市役所も建て替えるんですか?」

「まだ内緒ですよ。一応、そっちがメインの話だったんです。で、その時の原資として合併債が使えるって事になりまして」

 そこら辺は稲村社長の情報通りだ。

「で、調べてみるとその合併債の使える額が結構デカかったんで、悲願の駅前再開発の話が出て来まして」

「そうなると、黒谷を初めとする合併された地区にも何か作らないと不満が出ませんか?」

「もちろんそれも検討中です。図書館とか公民館とか終末処理場とか道の駅の修復、改装とか、いろんなものが候補に挙がってます」

 どうやら合併債は思ってたよりもかなりの額が動くようだ。

 それを巡って、いろんな思惑や利権が飛び交うだろう。

 そうなると、いち早く情報を手に入れたものが勝ち抜け出来る可能性が高くなる。

 私はてっとり早く、松本さんをカタに嵌める事にした。

「ところで松本さん、叔父さんの家は凄かったですね」

 二人とも亡くなった時に私に連絡が来て、二人で家まで出かけたのだ。

 とにかく、銀行の通帳とかは後でいくらでも調べられるから、現金をどれだけ家に置いているかを確認するのが最優先事項だからだ。

 看護師さんに鍵を開けて貰って病院内を調べたら、案の定リネン室の黒いゴミ袋の中に無造作に一万円札が詰め込まれていた。

 ざっと見ても一千万円近くありそうだった。

「あの時の現金、どうしましたか?」

 松本さんは固まった。

「私としても、資産を計算しないといけないんで、現金と通帳、不動産、病院の設備なんかを調べてるんですよ」

 顔面蒼白になりだした。

「今のところ、自宅と別宅、診療所の土地建物、車3台、預金を合わせておよそ6億円くらいですかね。後は通帳に記載されてない現金だけなんですよ」

 50年間開業医をやって来て、子どももいなかったので結構貯めこんでいたようだ。

「いえ、あの時の現金がいつまで経っても私のところに計上されないのでおかしいなと思いましてね」

 松本さんはすがるような目で私を観た。

「滝沢先生! どうかこの事は、家内と叔母には…」

「もちろんですよ。バラしたって私には何のメリットもありませんから」

 そこでわざとらしく間合いを置く。

「それよりも松本さんと今後上手く付き合っていく方がよっぽどメリットありそうですし」

 松本さんは顔が赤くなったり青くなったり大忙しだ。悪酔いしなければ良いが。

「もちろん、滝沢先生にもいくらかはお支払いします」

「松本さん、『私まで』犯罪者にするつもりですか?」

「私まで」を強調する。

「私は情報を貰えればそれで充分ですよ」

 グラスに残っていた焼酎を一気に呑み干して、私は松本さんに笑いかけた。

 自分では爽やかに笑ったつもりだったが、松本さんにはどう映ったのだろう?

 グラスを持つ手が小刻みに震えていた。


 こうして私は市役所の中にしもべを手に入れた。



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