第3話 真柴智明の場合 2

「北園と申します。よろしくお願いします」

 山月の中ではおしゃれな部類に入る喫茶店で俺は北園冴子に会った。

 西田の情報に間違いはなく、北園さんはこちらではまずお目にかかれないような、すこぶるつきの垢抜けた美人だった。

 驚くほど長い睫毛に覆われた瞳は大きく、黒目がちだ。

ちょっと気を抜くと吸い込まれそうになる。

 東京とは言え、中央線沿線や三多摩地区を根城にしていた俺なんかとは違って、青山や恵比寿辺りに生息してる人種だ。

 一度、デザイン会社に行った帰り、夜中に恵比寿駅から中目黒方面に向かって歩いてたら、代官山の方から同じ人間とは思えないような細くて足の長い外人さんたちの集団が酔っぱらって嬌声を上げながら歩いてきて「異星人の襲来か!」と慄いた事を思い出した。

「真柴です。デザイナーをやっています。YEGでは同じ『街づくり委員会』になりますんでよろしくお願いします」

 一応、俺はそこの委員長なので、事前に新入会員との面談という体裁で彼女に会う事になったのだ。

 北園さんは上目使いで俺を見ながらこう言った。

「私、まだこっちに戻ったばかりですし、黒谷の人間なんで山月にほとんど知り合いがいないんですよ。仲良くしてくださいね」

 その一言で、俺は骨抜きになった。

 一瞬、妄想の世界に身を投じたが、なんとか堪えて現実世界の話をする。

「七夕祭りの出店の件ですが、保健所に訊いたところ、活きている魚介類を売る分には何の許可もいらないそうです。ただ、加工品とか魚を締めて売る場合は臨時営業許可を保健所に申請しないといけないようです。ただ、今回はYEGとしてお酒を売るんで、どっちみち保健所には臨時営業許可取りますよ」

「じゃあ、丁度小エビが入荷してるんで、真空パックして冷凍で持って行きますね」

 彼女がそういった作業をしてるのが想像出来ない。

 やはり、長靴にゴム合羽なんだろうか? それもなかなかそそられるものがあるなあ。

「あと、私、今やってる事業を法人化したいんですけど、どなたに相談すれば良いですか?」

「ああ、それでしたら商工会議所のYEG担当で町田君ってのがいますから、彼に相談すると良いですよ。後で一緒に行きましょう」

 山月商工会議所は会頭(商工会議所では会長ではなく会頭という役職になる)命令で、女性の起業家を育てるのが今年の目標になっている。

「登記に必要な書類や、司法書士とか金融機関も紹介してくれて、段取りも教えてくれますよ」

「良かった! 右も左も分からなくて、凄く不安だったんですよ」笑うと益々魅力的になる。

「YEGの中にも行政書士や社労士がいて、お店出すんだったら看板屋や僕みたいなデザイナーもいますし、経営者だらけですから、いろんなアドバイスも訊けると思いますよ」

 ここぞとばかりにYEG所属のメリットをまくし立てた。

 そうすれば、毎週のように会う事が出来る!

「それに理事になると市長を初め、市会議員や市役所、観光協会、金融機関、警察署、税務署と、いろんなところのお偉いさんと交流出来ますからね。山月市で商売する上では、かなり役立つと思いますよ」敢えて、その弊害については黙っている事にした。

「本当に助かります。真柴さんにもこれからいろいろお聞きすると思いますので、名刺に書いてるケータイに掛ければ良いですか?」

 再び俺は舞い上がった。

「ええ、いつでも大丈夫ですよ」

 日々理不尽さと戦っている俺に、神様がご褒美をくれたんだろうなあ。


「一応、形式的に月一の定例理事会で承認を受けてから正式入会になりますけど、親会の会員さんからの紹介ですし、、まず問題ないと思いますよ」

 一緒に商工会館に向かう道すがら、俺は彼女に説明した。場所は俺の車の中だ。

 幸い、町田君が商工会館にいたのでアポを取ったのだ。

 商工会館の地下駐車場は恐ろしく狭く、慣れてないと確実に柱にぶつける。

 彼女は免許取立てのようなので、俺の車で一緒に移動する事になったのだ。

「真柴さんの車、クラシックカーっぽくて可愛いですね」

「光岡ビュートって言うんですけどね。中身は日産マーチで、ガワだけジャガーっぽいのを被せてるんですよ」

「デザイナーっぽくて素敵です」

 俺はこのままビュートで空を飛べるんじゃないかと思った。


 商工会館に着いて町田君を呼び出して貰ってる間に、商売柄、受付横に置いてあるチラシ置き場が目についた。

 その中の一枚が、カルト的な人気を博しているイラストレーターの作品を使っている。

 多分、無許可だろう。こっちでは、そういった著作権を全く考えていないケースが多い。

 以前、こっちでは珍しいタレントスクールのチラシとHPに、国民的漫画のイラストが使われていたのを見た事がある。

 連載してる雑誌は日本一著作権にうるさい媒体なので、発見した時は背筋が凍ったものだ。

 まあ、民間ならよくある話なのだが、困った事にこっちでは行政や公共団体が平気で著作権違反を繰り返している。そもそも公務員や団体職員が、上層部も含めて著作権を理解していないのだから当たり前のような気もするが。

 俺も見かける度にそれとなく指摘はするのだが、いつまで経っても堂々巡りだ。

 どうも「バレなきゃOK!」だと思ってる節が見受けられる。

 実際、著作権違反は親告罪といって著作権者が訴えない限りは罰せられる事は無いが、公的機関のコンプライアンス的には如何なもんかと常々思っている。

 そんな事をぼんやり考えてる内に町田君が現れた。

 相変わらず、真面目さを絵に描いたような黒縁メガネに七三分け、紺スーツだ。

 青年部が出来る前は女性会担当で、なにかにつけておばさまたちに「社交ダンス」のお相手をさせられていたらしい。なかなかに辛そうな仕事だ。

「町田君、こちら北園さん。今度青年部に入会予定で、起業の相談をしたいらしいよ」

「初めまして、北園と申します」北園さんが町田君に名刺を渡す。

「町田です。青年部の担当をやっています。北園さんは黒谷の方なんですよね?」

「はい、ですので本来は黒谷の商工会に入らないといけないとは思うんですが、今度山月に新しく青年部が立ちあがったとお聞きしまして」

「そうですね、青年部ですと特別会員枠があるので越境入会は大丈夫なんですけど…」

「けど?」俺も彼女も同時に訊き返す。

「例えば政策金融公庫に融資を申し込む場合、商工会議所経由の『マル経融資』ってのがあるんですけど、北園さんの場合はその窓口は黒谷商工会になります」

「あ、そんな縄張りがあるのね」俺もつい口を挟んでしまう。

「まあ、これは事業が走り出してからの融資なんで、今後の話として聴いて頂ければ」

「起業の時はどうすれば良いでしょう?」

「どっちみち、法人を立ち上げる時に銀行に口座を開いて資本金を入れないといけないですからね。その銀行さんに相談するのが良いと思いますよ」

「ウチの父親が昔、外部役員をやってたみたいなんで、山月銀行を考えています」

 地元の最大手の銀行だ。

「後はウチの副会頭が山月信用金庫の理事長ですから、担当者を紹介して貰えると思いますよ」

「青年部の定例会でも、各金融機関の人たちが講演してくれてるし、銀行マンも地元の若手の経営者や起業家とは知り合いたいみたいだしね」

 銀行だってお金を貸さないと商売にならない。

 そこに商工会議所のお墨付きがある方が安心感が生まれるってもんだ。

「会社設立の手続きはどうしたら良いですか?」彼女としては、一番気になるところだろう。

「個人事業主と違って、法人ですと手続きが煩雑ですからね。司法書士の先生をご紹介します。その方は税理士の資格も持ってらっしゃるので、決算の時にも頼りになると思いますよ」

 嫌な予感がした。まさかその先生って…

「町田君、ひょっとしてその先生って滝沢の事?」

「あ、そう言えば真柴さんは高校の同級生でしたっけ?」

 嫌な予感は的中した。ヲタクの須山と双璧を成す「困った同級生」だ。

 いや、須山は葉や茎が腐ってはいるが根はイイ奴だ。滝沢は、明らかに「嫌な奴」なのだ!

 しかも男前だ。

 北園さんに紹介するのは気が進まないが、能力的には頼りになるのは間違いない。

 人の心が無い分、物事をドライに進める事が出来るので、お役所相手の仕事は天職みたいなもんだ。

 ただ、今までの経験から、奴に関わると碌な事が無いのはよく分かっている。

 こっちに戻って来てからも、極力避けて来てた。

 でもまあ、仕方ないか。今回は北園さんの会社設立が第一優先だ。そんなに深く関わる訳でもないし。

 が。

 俺は、この時の自分の決断を後々後悔する羽目になるとは、この時点では知る由も無かった。

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