第7話 滝沢優一の場合 2
「それでね、滝沢先生。ここのところの減価償却か代表者勘定をどうにかいじって、今期の決算を『少し黒字』にしたいんですよ」
イナムラ製作所の稲村社長が、私が一度提出した決算書を見て訂正を求めて来た。
社長室の壁一面は経営学やマーケティングの書籍、「プレジデント」のバックナンバーで埋め尽くされている。
だが、イナムラ製作所の仕事の9割以上は地元のガリバー企業からの下請けだ。
経営学を学ぶよりも、発注元の担当者の接待の方がよほど大事だと思う。
稲村社長は典型的な「意識高い系マーケティング親父」なのだ。
「少し黒字」というのは、ぶっちゃけて言うと「あまり税金払いたくないけど、赤字にすると金融機関から融資が受けられなくなるから、数万円くらいの黒字になるように調整してね」という意味だ。まあ、中小企業の決算ではよくある話だ。
設備費用の減価償却費や、代表者の個人資産を投入したという意味の代表者勘定で上手い事調整して、少しだけ黒字にして税務署と金融機関に見せる訳だ。
「承知しました。それでは調整しておきます」
そこら辺の微々たる修正は、パソコンに打ち込むだけで済む。
本来なら、こういったこまごまとしたところは若いのに任せるのだが、稲村社長は亡くなった父親の代からのつきあいなので仕方ない部分もある。
それに、マーケティング好きだけあっていろんな団体に加盟している稲村社長は事情通でもあり、その情報網は馬鹿に出来ない。
今日もホカホカのニュースが聴けた。
「駅前再開発が決まったみたいだね」
私はちょっと驚いた。どこにそんな予算があったのだろう?
「黒谷とかの3つの町を吸収合併したでしょ? それやると合併債ってのが使えるから、それが原資みたいだね」
「合併したのってもう10年くらい前ですよね? まだ有効なんですか?」
「ああ、改正改正で、今は合併から20年間有効になったみたいよ」
それは知らなかった。
我々が子どもの頃は山月の駅前にはデパートが2軒あり、映画館やアーケード街もあったので賑わっていた。
それが今や見る影もなく廃れてしまい、更に数年前に市が15億円以上の公金を投入して建てた商業施設が大失敗に終わってしまった。
そういった経緯があるので「駅前再開発」と言っても素直に喜べないのは私だけではないだろう。
どちらかと言えば、不安が先に来る市民がほとんどだと思う。
「今回は、失敗しないように東京からコンサルタントを何人か呼んで、コンペするみたいよ」
それを訊くと、ますます不安になる。
選ぶのが公務員やこの街の「有識者」と呼ばれるあの人たちなのだ。
海千山千の怪しいコンサルタントの口八丁に騙される可能性は高い。
「完成予定はいつくらいですか?」
「3年後って話だね。その間に市議選も市長選もあるから、それが争点になるだろうね」
「でも決まっちゃったんですよね? 反対派が通っても今更止めるわけには行きませんよね?」
「そりゃあ、いろんなところと契約しちゃったら違約金払わないといけなくなるからねえ。でも、そこで現実的な摺合せやドロドロした利権の奪い合いはあるだろうね」
個人的には、誰かが既得権益を得ようとも、市民の生活が便利になるのなら良いと思うが、そう考えない人も多いだろう。
特に既得権益にありつけなかった反対勢力からの告発は多そうだ。
以前新任の税務署長と話した時に「山月ほどチクり電話の多いところはない」と言っていた。
着任すると、その日の内に匿名の告発電話が引っ切り無しに掛かって来るのだとか。
そしてそれは警察署長も同様らしい。
同業他社からのタレこみなのは分かっているのだが、全部まともに相手にしてたら仕事にならないくらいの量のようだ。
大学の先生も「有識者会議に呼ばれて行ったら、最初は『一緒に山月を良くしていきましょう!』なんて言ってた経営者たちが、自分の既得権益が侵されると分かった途端、手の平返しをしてくる」と言っていた。
そういったパワーゲームはどこの街にもあるものだろうけど、山月の場合、それが露骨に表に出る事が多いような気がする。
みんな、もうちょっと上手く立ち回れば良いのに。
「まあ、結構大掛かりな計画みたいだから、ひょっとしたら街の様相がガラリと変わるかもしれないね。少なくとも駅前の地価はかなり上がると思うよ」
「ですよね。どんな施設が作られるかも気になりますね。そこら辺、どこが情報持ってますかね?」
「公務員は一応守秘義務があるからねえ。まあ、口の軽いのも多いけど」
それは私も同意見だ。
「でも一番現場が分かるのは、建設関係だろうね」
それはそうだ。何を作るにも、公共工事の入札がある。
彼らにとって、その情報は生命線だ。
「後は、議員かなあ。何を作るにしても議会の承認は必要だろうしね」
なるほど。まあ、そこら辺は一時情報源としては普通だ。
情報はなるべく雑味の入ってないものに限る。
そう言えば、市役所の職員絡みで相続の案件があった事を思い出した。
ややこしそうなので距離を置いていたのだが、情報収集の為に恩に着せるのならアリかもしれない。
なんでも、医者をやっていた伯父さん夫妻が亡くなって、子どもがいないので相続がどうなるかの相談だとか。
その伯父さんというのがまた父の釣り仲間だったようで、生前から親しかったみたいなのだ。
なんでウチの父親は、ややこしい案件ばかり残して亡くなったのか?
まあ、生前ややこしかった訳じゃないから不条理な文句ではあるのだが。
「では稲村社長、決算書は修正してすぐに届けさせますね」
私は外に出てすぐに件の公務員に電話をした。
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