決戦!「まちづくり」
宗崎佳太
第1話 真柴智明の場合 1
「てなわけで真柴君、チャッチャとHP作ってくれん?」
山月市役所観光課の応接室で、町山観光課長が俺に言う。
「わかりました。予算はどのくらいで考えれば良いですか?」
「え?」観光課長は心底驚いたような顔をする。
「お金掛かるの?」
この人は何を言ってるのだろう?
「そりゃあ、毎月サーバ代も掛かりますし、私も仕事でやってますからタダって訳には行きませんよ」
町山課長は目の前で手を何度も振る。
「いやいやいやいや! そんな大袈裟なもんじゃなくて、今度の七夕祭りまでの一ヶ月くらい、市民の皆さんが日程とか内容を確認出来る簡単なので良いんだから」
ため息も出ない程の虚脱感が襲ってくる。この街は、行政ですらこの意識だ。
民間だともっと露骨に「情報やデザインなんて仕入れがいらないもんには金は払えん!」という強い意志を感じる事が多い。
ここ山月市は人口10万人ほどの九州の地方都市。
県庁所在地でもなく、高速に乗ればすぐに隣県。「平成の大合併」により、周辺の3つの町を吸収合併して、九州でも有数の面積を誇る市になった。
もともと国内有数の企業城下町で、工業都市でもあったが、吸収された町が漁業、農業、林業といった第一次産業が盛んだったので、最近はグルメやアウトドアスポーツを前面に押し出して観光客増加を狙っている。
まあ、よくある地方のさびれた街だ。俺の故郷でもある。
地元の公立高校から東京の美術大学へ進学し、卒業してからそのままデザインの仕事をやっていたのだが、両親が高齢になってきたのを機に、一人っ子の俺は15年振りに故郷に帰って来た。それが5年前の事だ。
幸い、パソコンさえあれば自宅でも出来る仕事だ。
昔と違って買い物もネットで済むし、ネット環境は田舎の方が充実してるくらいだ。
地元のCATVの回線は意外に太い。
イベントや小洒落たお店は無いが、その分新鮮な空気と食べ物には事欠かない。しかも格安だ。朝採れの野菜や釣りたての魚を貰う機会も多い。正直、東京よりも遥かに暮らしやすい。
東京時代は仕事柄もあって、朝寝てお昼に起きる生活だったが、こっちではちゃんと夜に寝て、朝起きる健康的な毎日を送っている。
自宅兼仕事場なので通勤時間というものがないのも大きい。IT企業が続々と地方都市に引っ越してるのも納得出来るってもんだ。
ただ、やはり地方都市ならではの問題はここにもあった。
濃密な人間関係と、時代錯誤の既得権益の確保、リテラシーの無い公共機関。そういった民主的でない、理不尽な思いをする事は多々ある。
仕事上でも、当たり前の商習慣が通用しない。前述の「情報とデザインには金を払わない」ってのはその典型みたいなもんで、とある会社のロゴデザインを頼まれて作成したところ、納品しても一向にお金を払ってくれない。
「なんでそのくらいのもんが3万円もする?」と面と向かって言われた。予め見積もりも出してたのに。最初だから5万円は欲しいところをマケたのに。
それからは、完成デザインの上に「sample」の文字を薄く載せて納品する事にした。入金が確約されてから文字の無いものを納品するようにしたら、取りっぱぐれは無くなった。
こちらでは、ロゴなんてものは会社の看板とか扉を発注した時についでについてくるもので、わざわざ単体でデザインだけ発注するという概念のないところが多いのだ。
市役所や観光協会、商工会といったところは俺のお得意様でもある。
チラシ(敢えてフライヤーやリーフレットといった単語は使いたくない!)のデザイン発注が多く、助かっている。
こっちに戻って来たばかりで知り合いも少なかった俺は、高校の同級生で美容室を経営してる大志田に、山月市で発足したばかりの商工会議所青年部(YEG)に誘われた。その団体に入る事によって、公共機関の人たちと知り合い、仕事の発注を頂けるようになったのだ。
それまでは印刷屋さんがデザインも兼務していたようだが、若者向けのチラシデザインだと、今までつきあいのある印刷屋さんのセンスだと「さすがに古臭過ぎる」との判断だったようだ。
そういった意味では、町山課長の要望に応えるのも顧客サービスとしてはアリなのだが、ここで無償で引き受けてしまうと泥沼にハマるような気がしたので、ひとこと釘を刺しておく事にした。
「町山課長、いくら仕入れのないものでも手間暇は掛かってるんですから、本来はそれなりの報酬は戴くのは当たり前ですよ。まあ、今回はチラシデザインの発注も頂けたんで、それに少し上乗せって事で」
「あー、そうしてくれる?」町山課長は相好を崩した。
どこまで理解してるのか分からないが、取りあえずHP制作って案件に新たに金銭が発生しない事に安堵したようだ。
ふん。こっちも、チラシデザインのデータを丸々流用して手抜きのHP作るか。
課長だってお金が惜しい訳じゃない。自分の懐が痛む訳でもないし。
ただただ、面倒臭いだけなのだ。お役所ってのは書類の辻褄さえ合っていれば、細かい事はとやかく言わない。今回の件はチラシデザインの見積書を書き換えるだけで済む。
こっちとしても、市役所からお金貰うには事務仕事が煩雑なので「まとめていくら」の方が楽なのだ。お役所だけあってチェックが厳しく、少しでも書式に間違いがあれば突き返されるが、取りっぱぐれはないし、入金サイトも短い。上客なのは間違いないのだ。
「ストレス感じるのも仕事の内!」と自分を納得させるしかない。
「で、来週の水曜日の19時から、七夕祭りにブースを出す市民団体集めての説明会があるんだけど、YEGとして参加しといてね」
それは仕方ないだろう。そもそもYEGに入っていたからこそ回して貰った仕事だし。
YEGは全国組織で、ほとんどの市に設置されている。ただし、会則とかはその自治体のYEGがそれぞれ決めているので定年とかは地域によってバラバラだ。中には定年が55歳という、もはや「青年部」と称するのが憚られるようなところもある。
一方、同じく全国組織の「青年会議所(JC)」はガチガチの体育会系で、会社の二代目、三代目も多く、政治家も数えきれないくらい排出している。
こちらは全国どこの支部も40歳で定年なので、JCを卒業してからYEGに入る人も多い。実際、山月市のYEGも半数以上が元JCの会員だ。
どちらも「地域の商業人育成」という大義名分があり、ライバル関係ではあるのだが、両方に所属していた人も多い為、なかなか複雑な力関係になっている。
俺としては、ガチガチの体育会系が性に合わないので、ユルユルなYEGの方が気楽で良いのだ。年会費も安いし。
YEGを卒業すると、今度はライオンズクラブとかロータリークラブに誘われるが、俺みたいなフリーのデザイナー如きの年収では年会費もままならないのだ。
説明会の会場である「市民交流ビル」の5階には、いろんな団体が集まっていた。
知った顔もチラホラいる。
「やあ、真柴さんお久しぶりです!」JCの川添副理事長が俺を見つけて挨拶に来てくれた。
歳は俺より少し上だが、見事に太ってて貫録十分だ。声もデカい。でも常にニコニコしてるので愛嬌がある。確か仕事は老舗和菓子店の三代目だったはずだ。
「川添さん、今日はお一人ですか?」
「いや、後でもう一人来ますよ。真柴さんは?」
「ウチももう一人来る予定です」
と言ってる間にウチの若いのが来た。薬剤師の西田。まだ若干25歳の若者だ。
山月市に新設された大学の薬学部の最初の卒業生で、市内に調剤薬局を開いたのも卒業生の中で彼が最初だった。もちろん、親の援助や市の助成金もあったのだろうが、若くして経営者になったのは、彼の努力と才能の賜物なのだろう。
JCの若い子も到着した。こちらは女性だ。「生島みのりと申します。生島酒造の専務をしております」とチラシを渡された。
そのチラシは、お酒よりもモデルである生島みのりの和服姿の写真の方が目立っていた。
嫌な予感がしたので川添さんに救いを求めようと思ったが、目を逸らされてしまった。
西田が耳打ちしてくる。
「あの人、一部じゃ有名ですよ。生島酒造の社長令嬢なんですけど、お酒を売りたいのか自分を売りたいのか分からないって」
「販促物、みんなあんな感じなの?」
「HP見ますか?」スマホを差し出してくる。
「うわあ…随分磨いてんなあ」つまり、Photoshopでレタッチ処理してるのだが、やり過ぎて肌がツルツルになってしまっているのだ。
「バックがあったら時空が歪んでるんだろうな。不自然に顔が細いし」
「着物姿じゃない写真、もっと凄いですよ」
ここからデザイン発注が来たら、レタッチ料金をいくらに設定しようか考えてると、後ろから声を掛けられた。
「マーシー殿、お久しぶりでござる! ぷぷぷッ」
…高校の同級生だった須山だ。確か、コイツは文化団体である「山月市ゲーム同好会」の会長をやってたはずだ。
奴は典型的なヲタクだ。べっとりとした長髪に黒縁メガネ、チェックのネルシャツにケミカルウォッシュのジーンズ、肩掛けのバッグ。体型は小太り。あまりにもソレっぽくて笑ってしまうくらいだ。
ただまあ、悪い奴ではない。多少空気の読めないところはあるが、根はイイ奴なのだ。
葉や茎が腐ってるだけで。
「須山のところ、何やるの?」
「ぶふう! 拙者のところはプロジェクタ用意して、大スクリーンにゲームを映し出すでござるよ。みんなが馴染みのある『ぷよぷよ』とかで考えてるなり!」
どうもコイツと話してると疲れる。
そうこうしてる内に時間になり、七夕祭りの説明会が始まった。
町山観光課長と他に2人の観光課の職員が説明を始める。
いろんな市民団体が集まっている。
YEGやJCのような半公共的な団体、映画や読書といった文化的、趣味的なところ。
そして。毎回毎回厄介な騒動を引き起こす、政治的な全国組織の支部。
今回も、そこの人が早速観光課に無理難題を吹っかけている。
「私たち、七夕祭りでのパネル展をやるんですけど、メンバーの車だと、みんな小さくてパネルが運べないんです」
他の市民団体は目配せして(ほら始まったぞ!)という意味のアイコンタクトを開始した。
市役所としては無視する訳にもいかず、取りあえず話を聴く事にしたようだ。
「それは困りましたね。どなたかお知り合いで大きいバンとかを持ってる人はいませんか?」
「市役所の車で運んで貰えませんか?」
ストレートにお願いをしてきた!
観光課の3人もアイコンタクトを始めた。他団体の人たちもみんな固唾を飲んでいる。果たしてそんなわがままが通用するのか? 町山課長は深いため息と共につぶやいた
「その日の車のスケジュールが空いてるかどうか、ここでは確認出来ません」
まあ、そりゃそうだ。
「なので、確約は出来ませんので後ほど連絡させて頂きます」
町山課長としても精いっぱいの対応なのだ。
ここで「出来ます」と安請け合いしてしまうと他の団体に対して示しがつかない。市役所としては全ての市民団体に対して平等に接しなくてはならないので、えこひいきする訳にはいかないのだ。 が。この団体は、とにかくややこしいのだ。
下手をすれば「私たちは差別された!」とか訳の分からない事を言い出し、市長に直接文句を言いに行く。それを知ってるので、他の団体も課長に同情的だ。
触らぬ疫病神に祟りなしなのだ。
「あとは、飲食の屋台を出すところは保健所の臨時営業許可を取ってくださいね」
山月市の保健所はうるさい事で有名だ。一度、隣県のYEGとの合同イベントで飲食のテント出店をした時に、その県の保健所の、あまりのいー加減さにびっくりした事があった。
碌に検査もしないし、事前の連絡もない。
全国組織である保健所の検査基準が自治体ごとに違うというのはおかしな話だが、実際には担当者やその地区の慣習でかなり違って来る。
山月保健所の担当者は異常な程に厳しい人なのだ。
しかもこれは市長に直訴してもどうにもならない。保健所は厚生労働省の管轄なので、如何に市長と言えど、口を挟めないのだ。
なのに、以前イベントでカレーの暖め直しが原因でウエルシュ菌が発生して200人以上が食中毒になった後も、「出店でのカレー提供禁止」にはならない。
そこら辺の基準がホント謎なのだ。
「ウチはお酒と飲み物でしたよね。酒類販売の許可もいるんでしたっけ?」西田が訊いてくる。
「一応、酒屋の米山さんがいるけど、生ビールとか、缶でもプルトップを開ければ酒類販売じゃなくて臨時営業許可だけで大丈夫だよ」
缶のまま売るのは酒類販売になるが、蓋を開けたものは「お酒の提供」なので、一般の飲食店と同じ扱いになる。
「あと、新しく入る黒谷の人が魚介類販売もするみたいですけど何か許可がいるんですかね?」
黒谷町は合併した3つの町の一つで、漁業が盛んなところだ。
巻き網漁があるので、県内一の水揚げを誇る漁港がある。
「そこら辺、俺もよく分からないから保健所に訊いておくかな」
「なんか、その新しい人は女性みたいですよ」
そうなのか。魚介類扱ってるって事は、男勝りなんだろうな。俺は勝手に想像していた。
しかし西田の追加情報に、俺は度肝を抜かれた。
「なんか東京で女優を目指してたみたいで、エラい別嬪さんらしいですよ」
マジか!!!!
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