第2話 北園冴子の場合 1

「てめえら、これで何度目だと思ってんだ!」今日も父親が役場の人間に電話で怒鳴っている。

 無理もない。役場がウチの看板の前を塞ぐようにのぼり旗を立てたのは、これで5回目だ。

 いつも何かのイベントがある度に道路沿いにのぼり旗を立てるのだが、毎回毎回必ずウチの看板の前に、まるで邪魔をするように立てる。

 恐ろしい事に、悪気は無いのだ。ただただ、毎回連絡が行き届いてないだけのようだ。

 その証拠に、毎回毎回責任者がすっ飛んで来て謝る。

 ただ、責任者は毎年変わるし、そういったクレーム対処の引き継ぎは行われていないようだ。

 ここ、黒谷町の役場は、正式には山月市役所の支所だ。

 地元では未だに「黒谷役場」と呼ばれている。住民にはまだ、山月市になった自覚が無い。

 市内まで車で30分。昔は1時間以上掛かったが、トンネルが2つ抜けてから近くなった。

 それでもやはり、黒谷の人間にとって山月市は「マチ」だ。

そもそも、黒谷町は合併しなくても県内一の漁港があるので税収には困っていない。

 どちらかと言えば、山月市が一番合併を望んでいたのだ。

 水道代も上がったし、合併してもあまり黒谷にとっては良い事は無かった。

 強いて言えば、住所を書く時にシンプルになったくらいだ。

 どこの漁師町もそうだと思うけど、黒谷の住人は郷土愛が強い。

 そして、荒くれ者揃いなので、山月の市内の人たちからは恐れられている。

 黒谷の子どもたちは全員黒谷小学校、黒谷中学校を出て、高校はほとんどの人間が山月市内に通う。

 昔はだいたい、どこの高校も黒谷出身者が番を張っていた。

 さすがに今はそういうのは流行らないみたいだけど、部活動やスポーツは、今でも目覚ましい活躍をしている子が多い。

 小さい頃から船に乗ってるので、足腰が鍛えられてるのかもしれない。

「冴子! 役場の奴が来たら呼んでくれ」

「わかったー」


 去年、私は生まれ故郷の黒谷町に帰って来た。

 小さい頃から田舎に馴染めなかった。 

 幼い頃から目鼻立ちのくっきりしてた私は、可愛い可愛いと言われて育った。

 両親も猫っ可愛がりしてくれた。

 今思えばアホみたいな話だが、私は自分を特別な存在だと思っていた。

 こんな田舎の連中とは違う、選ばれた人間だと。

 ホント、若くてイタかったのだ。

 黒谷町には当時も今も本屋さんが一軒もない。もちろん、コンビニもない。

 山月市内に出た時にしか本が買えない。

 当時は市内に出るのにバスで一時間以上掛かった。

 中学生の私は、市内に買い出しに行った母親が買って来てくれる雑誌を心待ちにしていた。

 そこに載っている芸能人はみんな輝いていた。

 民放が2局しか入らないチャンネルを呪い、可愛い洋服が売ってない田舎を嘆いた。

 私だって、ちゃんとプロの人にお化粧して貰って着飾れば、この人たちに負けないはずだと思った。

 高校は進学校で、修学旅行も無かったので、私に甘い両親におねだりして、高1の夏休みに東京の親戚の家に遊びに行った。

 精一杯のおしゃれをして原宿に繰り出し、あまりの人の多さに酔いそうになりながらも、スカウトされたらどうしようかと考えていた。それだけで幸せだった。

 高校を卒業した私は、東京に出た。親には、東京の大学に出したと思って4年間分の仕送りをしてくれないかとお願いした。

 女優になりたかったのだ。

 今思えば私は本当は女優になりたかったんじゃなくて、芸能人になりたかったんだと思う。

 なんとなく、歌よりもシビアな評価はされないし、チャンスも多いような気がしてた。

 かといって、演技のワークショップとかレッスンに通う訳でもない。舞台にも興味が無い。

 そもそも演技にそれほど思い入れも無い。映画も人並み外れて観てる訳でもない。

 今なら分かるけど、私は努力もしてないのに、何か出来るんじゃないかっていう根拠の無い自信だけで生きていた。

 実際、世間は若くて見た目の良い女の子には甘かった。

 ご飯を奢ってくれる人、いろんなものをくれる人には困らなかった。

 そういった人たちとつきあってるうちに、私も男のあしらい方を覚えてきた。

 そんな男の人たちの中に、いわゆる「業界の人」も何人かいた。

 事務所を探してた私は、その人たちに相談する事にした。

 原宿の表参道沿いに劇場とレッスン場を持っている事務所に入ろうかどうか迷っていたからだ。ただ、そこに入るには毎月レッスン料を払わないといけない。

 一番下心が無さそうな、信頼出来る人に話を聴いて貰った。

 出会いはゴールデン街の妖しいバーだったが、その人は初めて会った時から話しやすかった。

 なんでも、昔は大手レコード会社で働いていたそうだ。

 いつもニコニコ笑ってて、捉えどころのないその人は、ニコニコしたままでこう言った。

「俺がその事務所の社長だったら、君たちをデビューさせないでずっとレッスン代を取り続けるね。その方が確実に儲かるでしょ?」

 その言葉で目が覚めた私は、その人の紹介で、モデル・エージェンシーに登録した。

「モデル業界はまたちょっと特殊で、芸能事務所と違って最初に自分のプロフィール用の宣材写真とか撮るのは自腹だけど、後はお金取られるような事は無いし、拘束もキツくないから、取りあえず登録だけしときなよ。そこから繋がる縁もあるから」

 その人の言う通り、モデル仕事は割りと性に合ってた。

 拘束時間の割にギャラも良いので、生活も楽になった。

「でもね、モデル仕事を極める気が無くて、本当に女優になりたいんだったら、ちゃんと演技について勉強しないとダメだよ。君は今は若くて可愛いけど、そんな人ばかり集まってる世界なんだし、年々見た目の商品価値は下がって行くんだからね」

 その人のアドバイスは的確だった。

 でも私は、多分どこかで甘く見てたんだと思う。若さゆえの傲慢さで、その言葉を軽く捉えていたんだろう。日々、楽しく過ごしてるだけで満足してたんだと思う。

 気が付けば、上京して4年が経っていた。モデルの仕事も、年々減っていってた。

 変なプライドが邪魔をして、事務所も大手以外には所属する気が無かった。

 当然の事ながら、オーディションも落ちまくった。何も積み重ねてないのだから当たり前だ。

 切羽詰まった私は、恥も外聞も捨てて、再びその人に相談に行った。

「だから言ったでしょ?」

 その人は「困った子だね」とでも言いたげな顔をして迎え入れてくれた。

「冴子ちゃんは、自分で考えたり、何かを作り上げるのが苦手なんだろうね」

 ニコニコしながら、結構酷い事を言う。

「周りが優し過ぎたんだろうね。でも世間、特に芸能界ってそんなに甘くないからねえ」

 そこで少しおどけてこう言った。

「ま、俺も今は芸能仕事ほとんどやってないから、人の事言えた義理じゃないんだけどさ」

 大手レコード会社を辞めた後、自分でインディーズレーベルを立ち上げて好きな音楽の仕事だけやってるらしい。本当に好きな事がやりたくて、安定とか世間体、女の子受けの良い会社を捨てた人だから、説得力があった。

 私の本当にやりたい事ってなんだろう?

「冴子ちゃんが本当にやりたい事みつけたら、その時は協力するよ。ただし、やりたい事やる為には、その為の対価を払わないとね」

「対価って何ですか?」

 まさか、身体を要求されるのだろうか?そういう事は言わない人だと思っていたけど。

 ゲイだとかバイだとかという噂もあるし。

「努力もそうだし、リスクを負う事もそうだね」

「リスクって?」どうやら生臭い話ではないようなのでホッとした。

「どこかで勝負する時が来るからね。その時は、多少勝率が低い事が分かっててもチャレンジしてみる事も大切だよ。もちろん、リスクヘッジや担保も考えないといけないけどね」

 よく分からない。確かに私は考える事が苦手なのかもしれない。


 上京して10年。ある事件をきっかけに、私は田舎に帰る事にした。

 東京は、楽しかった事も辛かった事もいっぱいあった。

 その振り幅の大きさに疲れたような気もする。

 お世話になったその人に挨拶に行った。

「そーかー。寂しくなるね。実家は九州だっけ?」

「はい。父が魚介類販売の仕事やってるんで、手伝う予定です」

「じゃあ、美味しい魚介類送ってよ。代引きで良いから」

「お金なんて取れませんよ」

「これから経営を学ぶ人間がそんな経済観念の無い事言っちゃいけないなあ」

 最後までニコニコしながら、飄々と送り出してくれた。本当に感謝しかない。


 田舎に帰った私は、早速因習と戦う事になる。

 こっちでは、警察ですら信用出来ないという事が身に染みて分かるのに、そんなに時間は掛からなかった。


 戻ってすぐに、車の免許を取りに行った。こっちでは車が無いと生活していけないからだ。

 ジャージにサンダル履き、眉無しの若い子たちに混じって教習所に通い、免許を取ると同時に中古の軽自動車を親に買って貰う事になった。

「どうせ最初はぶつけるから、それで充分だろ。事務所を車庫で使いな」と父親に言われた。

 車を買うに当たって、車庫証明を取りに警察に出向いた。山月警察署交通課で書類を貰う。

「車庫証明は、土地の持主と借主、両方の許可がいります」と言われた。

 ウチの事務所は港湾事務所が管理している県の土地に自前の建物を建てている。

 この場合、港湾事務所と借主である父親の判子がいる訳だ。

 父親の判子はすぐに貰えるが、港湾事務所は車で一時間以上掛かる場所にある。

 それでも仕方ないので、父親の車を借りて港湾事務所まで出向き、申請をする。

 そこから判子を貰うのにまた何日か掛かった。が。ネットで調べてみると、車庫証明は「土地の持主か借主、どちらかの判子が必要」と書かれていた。

 つまり、わざわざ遠い港湾事務所まで出向かなくても、父親の判子だけで充分だったのだ。

 山月警察は、車庫証明を出す立場なのに、その手続きを間違っていたのだ。

 頭がクラクラしたが、取りあえず警察に嫌味を言いながらも車庫証明を出して貰った。


 それを皮切りに、役場や観光協会との戦いが始まった。

 でも個人で出来る事なんてたかが知れている。

 これから、父親が個人事業としてやっていた魚介類販売の仕事を法人化する予定で、その為の手続きやら金融機関への融資の相談とか、やらなきゃいけない事もたくさんあった。

 困っていると、ウチのお客さんで山月市の商工会のお偉いさんが「ウチの商工会の青年部に入ってみれば?」と誘ってくれた。

 でも黒谷町にも商工会がある。

 普通は黒谷に住んでて黒谷に事業所があるんだから、山月市の商工会には入れないはずだ。

「大丈夫大丈夫。青年部は出来たばっかで人が少ないし、そんなにカチっとしてないから、特別会員って事で入れるよ」

 そんな裏技があったのか!


 こうして私は、山月市のYEGに入る事になった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る