3:凶弾

 エウロパが夜空に昇って以来、いよいよテレポーターに直接被害を加えようとする者はいなくなった。ただ、テレポーターも穏便に過ごすようになって、一部の過激な反テレポーター派の反対運動は勢いを増している――そう評したのはいつか、どこかの評論AIだったが、わたし自身、それを身に染みて実感していた。

 わたしの空撮用アカウント〈イオ〉には毎日のように反テレポーター派からのこき下ろしや脅迫文が届いているが、試しにその度数の単回帰を行わせると、わずかに微増傾向にあると〈テラ〉は結論付けた。フォロワー数の増大に伴う宿命かとも思ったが、それに対して〈テラ〉が見つけてきたコラムによれば、個人のアカウント攻撃件数の総数は六年連続で増加傾向にあるらしい。

 そのコラムは一ヶ月前のものだったが、こう締めくくられていた。

 ――この個人攻撃が、生身のテレポーターに対する殺傷事件とならないことを切に祈る。

 それを読んだ時、わたしの中を嫌な予感が突き抜けた。そしていつだって、嫌な予感程、的中するものだ。

 その二日後のこと、〈ガニメデ〉も加わっていたボストーク湖探索プロジェクトの成果報告会見で遂に事件は起きた。チリのプンタ・アレーナスの会見会場に、記者に扮していた男が、三脚に仕込む形でプラスチック銃を持ち込んでいたのだ。

 その日の朝、電車内、わたしはライブサービスでその一部始終を目撃していた。いつも通り、ライブ画面はコンタクトディスプレイに、〈コンジャック〉で翻訳させた音声は〈AE〉に。〈AE〉の三半規管干渉波で電車の揺れの体感度合を最小限に抑えて、わたしはそのライブ映像の世界の中に飛び込んだ。

 多くのカメラが〈ガニメデ〉たちを囲んでいる。そしてわたしの視点は、その中の一つだった。彼と並んで座る多くの科学者がいながら、学士号すら持たない〈ガニメデ〉が中心に座り、そしてマイクを握った。ただ、科学者たちの表情を見るに、そのことに不満げな者は誰一人としていないようだった。むしろ、今回の調査の立役者にして、テレポーターである〈ガニメデ〉が報告者として最も相応しい――そう本気で信じている眼をしていた。

「ボストーク湖の大規模調査で、私たち国際研究チームは多くの発見をしました。推定二三〇〇万年前に他の世界と確立された世界。日光の届かないそこでは、光合成に頼る植物はおらず、従って動物も栄えず、二十年以上前に見つかっていた微生物たちが細々と暮らしているだけ――そう考えられていました。しかし、ここ二十年間、ボストーク湖で観測されていた小さな地震の数は急増しており、これは活発な火山活動の存在を予言するものです。そして火山活動は、生命を育む熱水噴出孔が湖底にある可能性が示してくれるのです。

 そこで、私は大規模な調査潜水艇四艇を湖中に送り出しました。

 湖底へと向かう道中、私たち研究チームは暗闇の中に漂うランタンの群れと遭遇しました。浮き沈み、明滅するその光の正体はアンコウのように発光する魚類でした。ただし、発光する部位は疑似餌となる誘引突起イリシウムではなく下腹部であり、また血液が無色透明であることから、南極近海に住み、ヘモグロビンを持たない唯一の種たるコオリウオから分岐した種であると予想されます。

 やがて湖底に辿り着くと、そこには確かに熱水噴出孔がありました。細菌バクテリア古細菌アーキアはもちろん、貝類に甲殻類、チューブワーム。すべてが新種と思われる、見たことのない姿かたちをしていました。ここで、その幾つかのご紹介をさせていただきます」

 ここで〈ガニメデ〉は科学者にバトンタッチをした。背後のスクリーンにその生命の写真、動画が表示され、間もなくライブ映像もその画像へ同期し、切り替わった。

 チューブワームの森。そこを行き交う、フィラメント型の爪を持った半透明のエビ。ムール貝のような形に二枚貝に真っ白なカニの群体。

 しかし、最後に科学者が見せた写真は、一枚の顕微鏡写真だった。記者たちがざわめく音声がかすかに聞こえた。既に新種の細菌は大量に見つかっており、今回の目玉は肉眼でも確認できるレベルの多細胞生物の数々のはずだと誰しもが思っていたからだ。

「私どもは、この単細胞生物を、先ほどお見せした生物の楽園とは大きく離れたところにあったアルカリ熱水噴出孔で発見しました。この細菌を見つけたとき、取るに足らない新種のバクテリアの一種だと思っていました。しかし、よくよく調べてみると、この単細胞生物は他のどの単細胞生物とも異なる化学組成の細胞壁を持っていたり、核の中にリボソームがあったり、細菌とも古細菌とも似つかない特徴を数多く持っていました。私たちはまだ、この名前のない単細胞生物が、どの細菌、あるいは古細菌から分岐したものなのか、そしてこれらが生息していたアルカリ熱水噴出孔でなのか、その判別すらできないというのが現状です」

 いよいよ、会見会場の空気がどよめくのが分かった。科学者は続ける。

「だから、もしこの生物が後者であるならば、それは生命の起源に迫る一大発見となる訳です」

 一通りの紹介を終えると、再び〈ガニメデ〉がマイクを握った。

「今回の発見はの地球外生命体とのファーストコンタクトの可能性をより現実に近づけるものとなりました。大氷下の海でも、生命は生きていける。確かに、今回発見された生命のほとんどは、ボストークが氷に閉ざされる以前からそこに生息していた生命の子孫であると考えられます。光のない世界で、眼球と発光器を持った生物がいることがその証左です。しかし、最後にお見せした単細胞生物のように、ボストークが新たに生命を生み出しうる可能性が生まれました。そしてこれは、地球外でもその可能性があるということを意味します。

 そう、エウロパです。あの大氷の下にも水はある。それも、ボストークの比にならない程の大海です。木星の潮汐力で内部を掻き回されたために、熱水噴出孔があることはほぼ間違い会いません。エウロパの海に行けば、私たちはファーストコンタクトを成し遂げられる可能性があるのです」

 そこで質疑応答の時間になった。スクリーンとの同期モードが解除され、再び横並びに座る〈ガニメデ〉や科学者らが写った。新種の生命体についての質問には担当の科学者が代わる代わる返答したが、いかんせんまだ調査は十分とは言えず、分からないとの答えが多かった。それに、今回発見した謎の単細胞生物は一個体のみであり、突然変異の可能性が否めないことから、これだけでは新たな生命発生の確固たる証拠とはならないのだという。

 それに意気消沈したのか、やがて記者たち――人間、AI問わず――の質問の矛先は〈ガニメデ〉へと移っていった。

 今回の調査への〈ガニメデ〉の貢献。彼の今後。やがて、一人の記者がこんなことを質問した。

「NASAが主導となってエウロパ探査の計画を立てているとのことですが、そこにあなたが加わる可能性は?」

 その瞬間、音声が途切れたかと疑った。それ程までに、誰もが固唾を飲んで、真顔の〈ガニメデ〉が次に発する言葉を待っていた。

「その件については、私から話すことは何もありません」

 他の記者たちも追撃をかけていった。

「太陽までの距離が近づいたことにより、氷床は急速に融解しています。完全な融解は二十年後とも言われています。そうなれば、もしエウロパ生態系があったとしても、環境変動によって死滅してしまう可能性もある。……本当に、何もないんでしょうか」

「今回のプロジェクトの成功が、エウロパ探査に対する反対の気運を抑えるのでは?」

 何を言われようと〈ガニメデ〉ははっきりとした答えを返すことはなかった。確かに、エウロパはいつまでもわたしたちを待ってはくれない。科学者たちという獣にとって、エウロパは目の前に吊るされた釣り餌だ。しかし、エウロパ探査を試みたブラジルの宇宙ベンチャーの打ち上げが反テレポーター派によって妨害された事件があったように、エウロパ探査には未だ反対意見が根強く残っている。彼らに言わせれば、あの星は――凶星は、テレポーターエウロパ人たちの故郷だそうだ。

 きっと、今の時点では本当に話はないのだろう――わたしはそう踏んだ。でも、もしNASAが本当にエウロパ探査に踏み切るのなら、数キロの厚い氷床を跨いで大型探査艇をテレポートさせられる〈ガニメデ〉は欠かせないピースになるだろうし、その有用性は今回のプロジェクトで実証されたばかり。NASAが目をつけない訳がない。

〈ガニメデ〉がはっきりと否定しなかった理由も分かる気がした。今は本当に話はなくとも、今後もそうだとは限らない――彼もそれを分かっているんだ。ボストークでの発見は、エウロパ生態系の存在可能性を一挙に引き上げた。そして、〈ガニメデ〉がいれば、エウロパの海の探査だってきっと無理難題じゃなくなる。

〈ガニメデ〉は最後にこう告げた。

「テレポーターと非テレポーター、協力して今回のプロジェクトに挑むことができたことを、私は誇りに思います」

 司会によって、質疑応答時間の終了が告げられた。

「どうして非テレポーターの機嫌取りばかりするんだ!」

 記者の集団の中から怒号が飛んだ。去りかけた〈ガニメデ〉も思わず苦笑をしたが、声の主には目を向けなかった。周囲がざわついた。ただ、それはへまをした同類を見下し、あるいは同情するための発話だった。わたしもそう感じていたし、感情抑圧的なAI記者だけに取材させればいいものを、と軽く思っていた。

 破裂音が耳を劈いたのはその直後。〈コンジャック〉のフィルターが自動的に音量を落としてくれたとはいえ、わたしは電車内で思わずびくっとした。

何、今の。もしかして、銃声?

 怪訝に思ったのも束の間、スロー再生された映像を見ているかのように、一瞬遅れて〈ガニメデ〉の体が吹き飛び、背後の壁に打ち付けられ、そのまま沈んだ。その後には血の滝があった。

 悲鳴の洪水がどっとわたしの聴神経に押し寄せた。〈コンジャック〉のフィルターが音量をカットしてくれたお陰で、辛うじてわたしは溺れずに済んだ。その中を泳いで事の顛末を探ろうと意識を集中しようとしたその時、ライブ中継から強制的にログアウトさせられた。配信主が中継を終了したんだ。

 わたしの視野には、やや混雑した朝のメトロの車内が写っていた。スーツ姿のサラリーマンに大学生らしき私服の若者。そしてわたしのような制服に身を包んだ高校生たち。彼らの無数の瞳の中で映像が揺れ動いている。わたしの高鳴る心音が聞こえている様子はまるでない。きっとコンタクトディスプレイと〈AE〉とで自分の世界に没頭し、コンテンツを消費することに夢中になっているに違いなかった。

〈AE〉の三半規管干渉波も解除され、電車の揺れが否応なしにわたしが確かに車内にいることを主張してくる。

 周囲を見渡すも、わたしのように冷や汗をかいた人など誰一人としていなかった。ただただ見慣れた、朝のメトロの車内だけがわたしの目の前にあった。

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