2:視点の氾濫

 映像史展は、主に時系列に沿って、映像が辿ってきた歴史の概略を俯瞰できるすると共に、その映像を体感できるというものがコンセプトだった。

 最初のコーナーは「映像の起源」。

 十九世紀、カメラの発明により、人間は初めて自分以外の視点を捉えることができるようになったという。ダゲレオタイプやカロタイプといった最初期のカメラの本物が飾られていたが、わたしも含め、多くの者がその大きさに驚いた。わざわざコストのかかる銅板を感光材料にしているというのも衝撃だった。

 近くにいた小さな子が、彼女のつけているおもちゃのような腕時計に聞いていた。

「このカメラって、AIが喋るためのスピーカー、どこについてるの?」

 続いて、リュミエール兄弟が発明した初の映写機、シネマトグラフが置かれているエリアがあった。その奥には椅子が並んでいるスペースがあって、そこに腰かけた人々は各々のコンタクトで人類初の動画を体感できるようになっていた。

 人でごった返していたためにいったんひかると別れ、空いている席に各々腰掛ける。コンタクトで再生した人類初の映像は、ストーリーも何もない、白黒で画素の粗いノイズのようなものだった。それでも、何とかノイズの中からパターンを見出すと、どうやら列車がやってくる駅のホームを写した一幕のようだった。ただ、列車が画面右奥からやってきて、左手前へと消えていく。右側に写っているホームを人々が行き交う。ただ、音声が何も聞こえず、〈テラ〉に問いただした。

「〈AE〉の調子がおかしくない?」

「真弓、世界初の映像はね、無音声だよ」

 映像を一通り見終え、ひかると合流した。

「ひかる。今のだけど、面白かった?」

 ひかるは苦笑いした。「一体何に興奮したんだろうね、昔の人は」

 でも、当時はこれが爆発的にヒットしたらしい。カメラマンたちは世界各地を飛び回り、ヨーロッパにいながらにして、ピラミッドの大きさに驚き、極東の和装に惚れた。こうして、人々にとって新たな「視点」を獲得することが普及していったという。

 他にも多くのコーナーがあった。映像にストーリーを組みこむことで生まれた映画。それについての歴史を俯瞰できる「映像と物語」、映像がプロパガンダにされた時代に着目した「映像の政治」。

 そして最後のコーナーは「映像の氾濫」。

 テレビ、インターネットの普及、撮影用端末の小型化。これらがもたらし、発信者が特別なものではなくなっていった時代。現代の話だ。

 誰もが監督に、誰もが主演になれる時代。今世紀に入ると、YouTuberのように、一般の発信者が栄光を掴むこともあった。二〇二〇年代半ばにはAIがその座を奪い始めた。映像の自動作成技術の発達がそれを後押ししたのだ。量産型のコンテンツ作成は既にAIの主戦場となり、非AIの配信者たちはニッチを求めて特殊化していった。映像の自動作成AIはそちらの進化も後押しし、科学者たちも科学への興味喚起のための手段として目をつけた。今まで目もくれられなかった生物たちの視点を再現した動画――あるいはVR映像は人気を博し、特に理系志望の中高生や好奇心旺盛な小学生に受け入れられ、学校教育にも取り入れられるようになったことが大きかった。今では、それを生業としたVRコンテンツメーカーも多く、絶滅したコウモリの見る世界や、一時絶滅が騒がれたアカウミガメ、そして人間の想像もつかないほど実は多様な感覚器を備えていた植物の認知する世界の再現動画すら作られた。

 こうして、映像の多様化が爆発的に進み、また数そのものも爆発的に増えた。現代の人々は常に何かの映像に触れ、いつも異なる「視点」で世界を見続けている。自分自身の視点じゃない、別の何かで。それに慣れてしまった果てに、自分の「視点」はどうなることだろう。

 映像史展はそんな不穏な言葉で締めくくられていた。


 目から鱗だった。わたしが生まれた時には既に、別の「視点」を体感できるコンテンツで溢れていた。だから、映像とはそういうもの。常識なのだと思っていた。

 それならば、わたしが〈イオ〉として投稿しているテレポーター空撮はどうだろう。あれらはすべてわたしの頭部にバンドで巻き付けたカメラで撮影している。映像の視点はすべてわたしの――テレポーターのもの。それを見た非テレポーターはわたしの視点を体感し、そして何を思っているのだろう。その人の「視点」にどんな影響を与えることができるのだろう。テレポーターの見え世界は美しい。テレポーターの見る世界は醜い。テレポーターも、同じ人間だ――そう思ってくれるのだろうか。

 そのテレポーター空撮の体感コーナーが最後に用意されていた。視覚を中心に五感を錯覚させるVRで、テレポーターの視点を、全身で味わうことができる。

 意外なことに、ひかるは迷うことなくその列に並んだ。

「あれ、真弓は?」

 わたしがついてこないことに気が付いたひかるが振り返り、怪訝そうな目を向けてきた。

「わたし、実はさ」頬をかいてみせる。

「五感VR苦手なんだよね。酔いそうだから」

「え、ほんと? うちだけやるの悪いな……」

「いいから、ほら、気にしない気にしない」

 ためらうひかるを無理やり並ばせ、わたしは待機していた。列が前に進み、ひかるはやがて筐体の入り口の向こうに消えていく。彼女の背中を見送った後、わたしは筐体の出口から出てくる人たちの表情を観察していた。

 ある者は興奮気味。ある者は吐き気をこらえて歯を食いしばっている。

 筐体から出てきたひかるは頬を紅潮させていた。一方で、近くで待っていたわたしに駆け寄る足取りは心なしか、重そうに見えた。そんな素振りを見せる人間は他には見なかった。

「高層ビルの屋上から見下ろす夜の街って清々しいもんだね。でも、あんまり好きじゃないかな」

「どうして」

「一人だから」

 わたしは答えられなかった。しかし、ひかるはわたしの表情には気にもせず、そのまま続ける。

「爽快さと孤独感が相まって、何だか神にでもなった気分」

 衝撃が体を突き抜けた。目線を落とすと、ひかるの言葉がわたしの胸に突き刺さっているのが見えた。

「ねえ、ひかる」

「何」

「テレポーターになってみたいって思った?」

 その瞬間、ひかるの頬から赤みが引いていった。

「うちは、このままでいいよ」

「入口のとこにいたデモ隊のような人たちに、非難されるから?」

 ひかるは静かに首を横に振った。

「そんなんじゃないんだ。きっと、うち、自分が自分じゃなくなっちゃいそうで、怖い」

 足が動かなった。ひかるの言葉は、今度はわたしの足を地面に縫い付けるように射止めていた。

「真弓?」

 立ち去ろうとしたひかるが振り返る。

「だって、うち、そんな精神強くないから、あんなすごい力があったら、傲慢になっちゃいそうで。そんな自分と戦うの、めんどくさいよ。だからね、それと戦い、自分と向き合って、自分を律することができる――〈ガニメデ〉みたいなテレポーターは、うちよりずっとすごい。偉いんだって思う」

 そのテレポーターの名が、ひかるの口から出てくるのは意外だった。その衝撃はわたしの記憶の地層を貫いて、眠っていたハイビスカスの匂いを再び思い出させる。その匂いのベールを抜けた先に、玲奈さんが――ひかるの母が笑っている。あるいは、温度のない目をしている。


 何度か、依田家に遊びに行ったことがある。都内の駅直結のマンションで、ひかるの母の玲奈さんの流暢な日本語の挨拶が印象に残っている。

 ――うちの母さん、アメリカ人とのハーフだから、ちょっと変かも。

 最初に遊びに行ったのは、中学に入学してひかると知り合ってから数か月が経った頃。わたしの話をひかるから聞いたひかるの母は是非わたしを自宅に招きたいと言っていたらしい。ただ、当時、とうのひかるはあまり乗り気ではなかった。苦笑しながら、母の熱意に押されて、仕方なくわたしに声をかけているような様子だった。その理由を、彼女はそう説明した。曰く、価値観がずれているんだと。母方の祖父がニューヨークの大手銀行に勤めるメキシコ系アメリカ人で、アメリカに留学していた祖母が知り合い、後に結婚したという。

 ハーフだと聞いていたから、話が通じるかと不安に思ってもいた。初めてお邪魔した当日、依田家のある十三階に向かうエレベーターが、どこか異国に通ずるものに思えた。それに、「友達」の家に遊びに行くなど、何年振りか分からない。わたしは思わず、十三階から屋上までの距離を計算した。約十五メートル。万が一部屋の中から一時的に何かの物体を避難させたくなったら、屋上の地面すれすれに転移させておくのが一番安心だからだ。そんなシミュレーションが杞憂になることを祈りながら、エレベーター内のディスプレイで増えていく階数表示を見ていた。

けれども、扉の向こうでわたしを出迎えでくれたのは、ひかる以上に高い鼻を除けば、流暢な日本語と、ひかるに何を以て変と言わしめているのか理解に苦しむ程の感じの良さだった。わたしはすぐに肩の荷を下ろすことができた。強張ったわたしの筋肉をほぐすような繊細な言葉遣いがわたしのなかにするりと入り込んで、内側からわたしの緊張を解かしていくような感覚。わたしは心の底から安心して、ひかると流行りのVRパーティゲームに興じた。玲奈さんとも、すぐに話が弾むようになった。

 玲奈さんは生まれこそアメリカであるものの、二〇〇〇年代の金融危機の影響で祖父がリストラに合い、その後は祖母の出生地である日本で長いこと暮らしていたという。十年が経ち、ようやく祖父母はアメリカに戻ったものの、玲奈さんは夫が日本人であることから、日本に残ったという。

 わたしの父がくれるお土産のお陰で、脇坂家は常に世界各地の芳醇な香りで満ちているが、依田家でふるまってくれた飲み物やお菓子もそれに比肩する程だった。爽快なハマイカから香るハイビスカスの匂いは今でも記憶の片隅に鮮明に焼き付いている。ただ、依田家のリビングで、それを頂いていたとき、テレビで流れていたライブニュースが目に留まった。

〈ガニメデ〉がネイバーフッド社を退社し、独立したことについての彼の会見の様子だった。

 ――七月二十三日をもって、私〈ガニメデ〉はネイバーフッド社を退社させていただく運びになりました。

 当時主流だった自動翻訳テロップが画面下に表示される。一通りの挨拶を済ませた後、記者からの質問が飛び交った。

 ――退職の理由は?

 ――今後はどのような仕事をされるご予定でしょうか。

 その一つ一つに、〈ガニメデ〉は真摯に向き合い、丁寧に答えていった。その無機質な訳が画面の下に表示されるだけだが、それでも彼の紳士的な態度が画面越しに伝わった。

 ――人類のためになる、もっと大きな仕事をするためです。

 けれども、そのテロップが表示されたとき、わたしは依田家の空気が澱むのを感じた。どこかで空気が滞ったような、微かな違和感。その発信源を探るように首を回すと、玲奈さんは感情が削ぎ落されたような顔をしていた。無言で、瞬きもせず、そのニュースを見ていた。見てはいけなかったようなものを見たような気がして、わたしは目を伏せた。

 テーブルの上に投げ出していた右手を思わず見た。手の甲が上になっているか確認せずにはいられなかった。

 そのときひかるがどんな表情をしていたかは分からない。ただ、母の態度を知ってかまでは分からないが、チャンネルを変えたひかるは自然な体を装っているように思えた。装っているかと勘繰る程、不自然に自然だった。

 砂をかけて埋めたはずの母の呪いが、どこからともなく滲み出して、黒い水でわたしの中を浸した。呪詛がわたしの中に沸き上がる。

 テレポーターであることを、悟られてはいけない。

 以来、わたしはひかるや玲奈さんと話すとき、テレポーターについて触れることを避けてきた。実際、玲奈さんもひかるも自分からテレポーターの話題を切り出すことはなかったから、玲奈さんのあの表情を見たのはあれが最初で最後だった。時の地層の奥へ奥へと進んでいく度、その日の記憶は掠れていく。依田玲奈という人は、優しくて、感じのいい人――そんな印象だけがわたしの中で育っていった。

 小学生の頃と何も変わっていないじゃないか、と自問するときもあった。でも、少し大人になったわたしは、仮面を被るということを覚えていた。下手なりに、相手の立場や価値観を踏まえて、外に出す言葉を選ぶ。喉まで出かかった心の声は飲み込んで、常識や世渡りというフィルターを通して発言を生み出す。あるいは、そのフィルターそのものから台詞を練り上げる。

 だから、〈ガニメデ〉という名をひかるが出した上で、しかも彼のことを評価するような発言をしたとき、わたしは被るべき仮面をすぐには見つけられなかった。被らないことが正解なんじゃないかと気づいた時には、出口に向かう人の濁流にわたしたちは飲み込まれていた。

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