ネオンの海

1:エウロパの昇る空

 ――人類とテレポーターに告ぐ。二○二○年七月四日、新たな時代の〝夜明け〟が訪れるであろう。


 十六年前のその日、そしてわたしが生まれる一ヶ月前、人類は思い知った。九十億の人間すべての命運は、一人の〝異端者〟の手のひらの上にあることを。人は彼らをこう呼んだ。テレポーター、と。

 彼女たち――テレポーターの多くは女性だった――が今世紀初頭に歴史の表部隊に姿を現してから、多くの友好的なテレポーターたちはその力を人間社会に役立てようとした。被災地にはどこからともなく姿を現し、凶悪な犯罪者やテロリストを鎮静化させたことも数知れず。ただ、力は諸刃の剣と人類史は語るように、同じ過ちは現代史に刻み込まれた。星の数程の窃盗。殺人。そして、テレポーターによるテロ。二〇一〇年代には、世間は彼らを〝異端者〟とみなして迫害した。

 その時代を生き抜いた母は、小さい頃からわたしにこう言い続けた。

 ――テレポーターは誇り高き種族。高貴なる血が流れてる。胸に刻んで。あなたは、特別。ノブリス・オブリージュを果たすべくして生まれた存在なのよ。

 わたしは、特別。その言葉を幾度となく復唱させられたことだろう。他人と違う、特別な人間。母がくれたその言葉は、容易くわたしの小さな体に、小さな脳に、スポンジが水を飲み込むように吸収されて、毛細血管が体中に張り巡らされるようにわたしの中に広く根を伸ばした。それは呪文のように、幼いわたしをすべての嫌なことから守ってくれる加護となった。友達にいじめられて泣き続けるわたしに、母は言った。

 ――それでも、あなたにはその子を守る義務がある。あなたはその子よりも強い。その子に怒り、やり返すのは、あなたはその子と同じ程度の人間だと自ら示すようなものなのよ。

 その呪文は幼いわたしの守り神だった。その呪いが将来、わたし自身に返ってくることを、当時のわたしには知る由もなかったけれど。

 母がわたしにそう教えたのには、理由があった。

 堕落した同胞たちは持たざる者たちに危害を加え、それに対する反感が巻き起こさせた〝異端者テレポーター狩り〟。現代の〝魔女狩り〟の荒波に飲まれたテレポーターの中には、善良で非力な者も少なくなかった。報復を恐れたひ弱なテレポーターたちは姿を隠した。母もその一人だった。

 ――テレポーターであることは、誰にも言ってはいけません。

 それはきっと、弱き者たちが生き延びるための唯一の策だったはずだ。

 ただ、〈新人類同盟〉をはじめ、一部の強硬派は違った。反撃に転じたのだ。強大な力を持つテレポーターの集まりである彼らはニューヨークの名を人々の記憶に、負の歴史に刻み込んだ。九十万人を殺したのだ。だが、そんな血を血で洗う時代も、その十年紀限りだった。十年紀の終わり、凶悪なテレポーターたちは、それを上回る力を持った何者かに次々と粛清された。最恐のテロ組織と恐れられた。〈新人類同盟〉も一夜にして、自由の女神の血の涙となり果て、壊滅した。そして翌年のその日、正義の粛清者はその宣言通りのことを成し遂げた。木星第二衛星であったはずのエウロパが、地球の水平線から昇ったのだ。

 それがテレポーターの仕業によるものであることを、誰も信じようとはしなかった。テレポーターは多くの者を屠り、多くの物を盗んだ。だが、そんなバケモノはほんの一握り。重機メーカーは一社として倒産しなかった。その程度なのだ。しかし、地球から六十万キロの軌道上の天体がエウロパであることも、そして木星の第二衛星が突如姿を消したことも間もなく確かめられた。エウロパの語源たる女神エウローペーを攫った者として、彼の粛清者はこう呼ばれた。

〈ゼウス〉。

 今も尚、その正体は神話の向こうのまま。

 毎夜のように暗雲を切り裂くエウロパの威光は反テレポーターの過激派も、犯罪に手を染めていたテレポーターも瞬く間に黙らせた。人間たちの父だ。反逆の見返りは人類の、はたまた宇宙の滅亡か。そんな悲観論をSNSや仮想空間のインフルエンサーたちは吹聴し、目の眩んだ一部の研究者はそこに「科学的根拠」を植え付けて盤石なものにしてしまった。〝異端者狩り〟はあっという間に歴史のテキストの一行に収まり、埃を被って忘れ去られていく数多の事件の仲間入りを果たした。

テレポート学の発展に伴い、今ではテレポーターたちは効率的にその力を鍛えられるようになった。テレポートの力を総合的に判定、数値化したマコフスキーインデックス――MIの平均値も、テレポーター産業の双璧の一角たるネイバーフッド社の調査によれば、導入から七年連続で五パーセントを超える成長率を見せているらしい。同社は来年シンガポールに開校する世界初のテレポーター養成機関の生徒集めに躍起になっているし、テレポーターたちがこれから更に力を蓄えていくことは違いない。こうした時代の潮流は、テレポーターに逆らうべからずという現代の不文律を人々に深く刻ませることになった。かといってその恐怖を迂闊に隣人と共有することもできなくなった。テレポーターたちが姿を隠す時代は終わったからだ。わたしがそうであるように、テレポーターたちは人間の仮面を被って、人間社会の中に潜り込んで生きている。もし不満をぶつけた隣人がテレポーターであったなら、一体どんな制裁を受けよう。墜落死。溺死。圧死。いや、そんな殺害方法を実行できるテレポーターは一握り。だから、きっと皆が恐れるのは、どんなに非力なテレポーターにでもできる最恐の殺害方法――異物の体内転移による臓器等の機能不全だ。

 このご時世、ネオンに包まれた雑踏の中を、わたしが暴漢を恐れず歩くことができるのは、天上で新たなる夜の女神が見守っているからだ。でも、街頭のディスプレイでテレポーター絡みの事件が報道されるとき、わたしは燻る火種の存在を、彼らの瞳の中に垣間見る。眼の奥に滲む色は、いつだって同じ。ただ、彼らはその色を隠すことを覚えただけ。わたしたちも、隠されたことに気づいていない振りをしているだけ。結局、何も変わってはいないのだ。

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