黒いモノリス

1:日曜日

 日曜日、わたしは久しぶりにおしゃれをしてみた。

 クローゼットの左から十八番目、壁面からの距離一六二センチのところにかかっているハンガーにスマートウェアの一種、通称〈カメレオン〉のカーディガンはある。手元に寄せたそれは一見すると、何の変哲もない真っ白なカーディガンにしか見えない。

 今日はテレポートすることもないだろうと、背が高く見えるロングスカートを履いて、ブラウスの上にカーディガンを羽織る。後は〈MAI-Style〉の番。これがもたらす魔法が、〈カメレオン〉を文字通り化けさせてくれる。

〈MAI-Style〉はスマートウェア最大手MAI社が運営するフリーのオンラインコーディネーターAIで、自身の身体情報、性格情報データセット、所持アイテムリスト一式をアカウントに登録し、後は行く場所のカテゴリや一緒にいる相手など、いくつかのオプションを選択することで、自動的にコーデをレコメンドしてくれるという代物。わたしのようなファッションセンスに疎い人でも、安心してプロのスタイリストが用意したようなコーデを身にまとうことができる。おまけに、所持アイテムとの相性が抜群なアイテムも定期的にレコメンドしてくれるのだから、わたしにとって、衣服とはすべて窓辺のところにやってきたドローンから受け取るものだ。

 このレコメンドシステムは通常、自分自身の持っているアイテムの中で最適な組み合わせを選ぶだけになるが、〈カメレオン〉があれば話は別。これは任意の発色、模様に化けることが出来る。

〈MAI-Style〉おすすめの〈カメレオン〉の柄の中からわたしが選んだ柄は、今年の流行らしいグラデーションのツートーンだった。わたしの好きなネイビーを基調に大人っぽい印象を与えつつも、淡いピンクのアクセントが可愛らしさの花を挿すようなデザインで、何より忌々しいピンク色が自然に映えていて、きつい印象を全く覚えなかったことが何よりの決め手だった。

 今回の柄はやや値が張る公式デザインではなく、個人が投稿したクリエイターズデザインのもので、一日無料体験の特典つきだから今日の課金額はゼロ。以降の一日レンタルも百二十円、永久利用権の購入も五百円と学生には優しい仕様なのも嬉しい。

 実際にその柄を〈カメレオン〉に再現させてみると、鏡に写るわたしはまるでわたしではないかのようだった。いつの間に、首から下を別人にすり替えたのだろうと勘繰る程だった。

「今日の真弓、とっても素敵。惚れちゃいそう」

 耳元で〈テラ〉が囁いた。

「勘弁してよ。怒るよ」

「事実を言って何が悪いのさ」

 今日の〈テラ〉はやけに上機嫌だなとため息をこぼす。でも大して息が吐けなくて、上機嫌なのはわたしの方だと気づく。

「そろそろ家を出る時間だよ」

「分かってる」

 あとは一張羅の仮面――「人間」のそれを被るだけだ。

 自室からベランダに出て、靴を履き、晴れ渡る空へと駆け出した。


 昼過ぎにひかると上野駅で落ち合い、まずは上野公園内の美術館で催される特別展に向かった。映像史展が目的だった。写真を含む映像というものの起源から、その発展の歴史を辿り、最先端の技術に至るまで、映像史を俯瞰することができるというものだった。最先端の映像コンテンツには、テレポーターたちが提供する空撮も含まれていると聞く。

 ――映像史展、見に行かない?

 そう誘ってきたのはひかるの方だ。わたしとしても、覆面空撮家として活動している以上、映像史について興味はあった。

 ただ、テレポーター空撮家の撮る「空撮」はときに反テレポーターの攻撃の標的になる。インターネットがもたらす匿名性は攻撃者をテレポーターの反撃から隠してくれる。わたしのアカウント〈イオ〉にも心無いダイレクトメッセージは毎日雨のように降り注ぐ。基本的に暴言は〈テラ〉の迷惑DM自動判別機能でスパムボックスへ送るようにしているから邪魔ではないし、何なら時たま送信者の程度が知れるからと、敢えて読んで語彙力の低さを嘲ってる始末。これが結構いい娯楽にもなることは置いといて、それだけ悪い意味でも注目されやすい空撮――つまり、テレポーター絡みの芸術が含まれた世界初の展覧会ということで、この映像史展は話題の的になっていた。そして、ニュースでは連日のように、反テレポーター派のデモが美術館前で行われていることが報じられていた。

 それを抜きにしても、展覧会そのものは中々楽しめるものだと思う。けれども、これだけ物議を醸している展覧会をわざわざ現地で見に行こうとひかるは言うのだから、初めて彼女に誘われたとき、わたしは面食らった。

 ――展覧会そのものは面白そうだけど、トラブルに巻き込まれるの怖くないの? 実物には劣るけど、リモートVRブース対応の展覧会だから、現地じゃなくても見られるよ。

 わたしは現実的な提案をした。

 各地にあるリモートVRブースでは様々なVRコンテンツを楽しむことができ、世界各地の博物館、美術館の展覧会も例外ではない。東京にいながらルーヴルに酔いしれ、スミソニアンに興奮することだっててきる。

 そして何より家庭版VRとの違いは実際に歩くことができる点。十畳程の空間に一人で入り、一連の機器を取り付けた後、仮想空間を歩くように踏み出すと、反対方向に「床」が動いてくれる。「床」を構成する卵サイズのボールが蠢くことで、段差すらも再現できる。この仕組みにより、リモートVRブースなら世界のどこにでも行けるようになった。

 やや値が張るために、都内の展覧会を都内のリモートVRブースで体感することはせいぜい混雑回避にしかならないものの、今回の展覧会に限ってはトラブルを避けるために利用している人も多いと聞いた。

 わたしの提案に対し、ひかるは首を横に振った。

 ――現地で見なきゃ、意味ないかなって思って。

 ぶっちゃければ、わたし自身はトラブルを何も恐れていなかった。位相破壊〈不全〉を使えば、物体の見た目を変えずに、内部構造を破壊できる。だから手に凶器が握られていたとしても、テレポートを常人に認知させることなく、振っただけで刃が折れる、あるいは触れただけでぼろぼろになる程に脆くすることは造作もない。

 だから、わたしが心配していたのはひかるの方だけであって、彼女がいいと言うのなら、わたしには何も反対する理由はなかった。

 ――確かに。それでいこう。

 ただ、ひかるがどうして現地で映像史展を見ることに拘ったのか、わたしはついぞ訊けなかった。


 既に公開から一ヶ月以上を経ていたとはいえ、休日の上野は人でごった返していた。長蛇の列を認識した〈テラ〉が推定待ち時間を弾き出す。

 一時間十分の文字がコンタクトディスプレイの隅っこに表示される。

 雑談に花を咲かせ、列も半分ほどに到達した頃、わたしたちは入り口の方がざわついているのに気付いた。よく見ると、プラカードを掲げた集団が何やら喚いているのが見える。

「ひかる、あれ」

 わたしは左手で集団を指さした。嫌な予感がして、右手をカーディガンのポケットに突っ込んだ。

「ひかる、コンタクトにズーム機能搭載してたっけ」

空撮用に多様なズームレンズを持っているからと、わたしはコンタクトディスプレイにズーム機能を搭載していない。

「そうだよ」

「あのプラカード、何が書いているか見える?」

 ひかるに頼むのも初めてではなかったし、アメリカへの修学旅行も控えているから、これを機にわたしもズーム機能つきを買おうかと思った。

「ちょっと待ってね」

 ひかるは目を細め、プラカードの集団を見やる。それから、素早く二回まばたきをした。そして今度はやや長く目を瞑る。再び瞼を開けたひかるの目は黒目が大きく見えた。倍率を上げ過ぎたのか、三度のまばたきを挟んでから、もう一度目を瞑り、そして開く。黒目はもう少し小さくなっていた。

「どう、読める?」

「『テレポートで芸術を汚すな』とかとか『上野から飛び去れ』とか『テレポーターの視線から世界を見れば、テレポーター遺伝子が目覚める』とか」

 ひかるは淡々とプラカードの主張を読み上げたが、思わず最後のには吹き出してしまった。どんなB級SFに触れて育ったらそんな主張が出来るようになるのだろう。見れば、その馬鹿げたプラカードを掲げていた男性は義務教育すら満足に理解できなさそうな顔立ちをしていた。

 プラカードを掲げた集団は尚も喚いている。入り口に近づくと、彼らはこの展覧会に入ろうとしている客に呼びかけているのが分かった。

「お前たちはエウロパ人の撮影した映像を芸術として認めるのか!」

 並ぶ客の反応は大方一通りだった。目を反らし、声は聞こえない振り。その理由は聞かずとも分かる。デモ集団と同じ考えを抱いていると思われ、どこかに潜むテレポーターに狙われる標的にされないため。

 テレポーターが直接的に恐れられる原因の一つが、異物の体内転移だ。高所にテレポートさせられて墜落死とか、背後を取られて攻撃されるとか、そういった一般的に思いつくような殺害手法はほとんど用いられない。用いることができない、というのが実情。八割のテレポーターは自身の肉体のテレポートができない――つまり逃げることすらままならないのだから、硬貨や石などの異物を相手の体内に転移させることこそ、誰にでもできて、そして誰をも死に追いやるも最も簡単にして、最も凶悪な反撃方法。

 ――私、人を殺したことがあるの。

 母が焦点の定まらない目でそう告白したのは、時の地層の浅いあたり。わたしが中学生になったばかりの頃。父が土産にくれたマンデリンのコーヒーの味が、苦くて舌に合わなかった頃。

 テレポーターによるテロ行為と人間による〝異端者狩り〟が横行した二〇一〇年頃。実家からは縁を切られ、大学は中退し、夜の街をさまよう中で、自身のテレポートすらできないひ弱な母は、財布や現金をくすねて辛うじて生きていたと言った。まだ日本では現金が主流だった頃で、ひったくりで生計を立てることは難しくなかったという。しかし、ある日、自分がテレポーターであると悟られ、複数の暴漢に疑われ、彼女は廃屋に追い込まれた。逃げることのできなかった彼女にできた足掻きは、転がっていた小さなコンクリート片を相手目掛けてテレポートさせることくらい。

 ――コンクリート片はたぶん、相手の脳に転移されたのだと思う。

 暴漢の一人は、突然動きを止め、そのまま地に突っ伏したらしい。他の暴漢が慌てふためく隙をついて逃げ出せたと母は言ったが、その告白した母の表情は娘に見せる親の顔とは思えないくらい、今にも壊れてしまいそうに脆かった。

 異物の体内転移は、非力なテレポーターたちが自らの身を守るために縋りざるを得なかった最後の砦。しかし、キメラ死体と言われるそれは、より一層、テレポーターへの恐怖を、反感を助長した。

 だからこそ、今のご時世、テレポーターへの反感をあからさまに示す団体や個人は天然記念物だ。ただ、それでもなかなか淘汰されないどころか、最近のテレポーター側の寛容さ故か、反テレポーター派のデモの数は徐々に増えつつあるらしい。

 今回のデモ隊はせいぜい十数人程。ただプラカードを掲げて、陳腐な主張を並べ立てるだけ。周囲に目を配ると警察らしき姿は見られなかったが、美術館の入り口あたりにいる屈強そうな警備員たちが眼光を光らせていた。

「あの人たちってさ。本当は芸術なんてどうでもいいんじゃないかな」

門をくぐり抜け、デモ隊のいない一帯まで辿り着くと、後ろを振り返りながらひかるが言った。

「テレポーターに対する憎さをぶちまけるはけ口が欲しかっただけに見えるよ」

 ひかるが心底打ちひしがれているようなか細い声をあげたものだから、わたしは思わず笑いそうになった。

「世の中さ、論理よりも倫理よりも、まず感情が来る人だっていっぱいいる。ひかるとは違うんだよ」

 ひかるはわたしの方を振り返った。虚をつかれたように、目を見開いている。ただ、わたしが続けるより早く、ひかるは目を伏せた。

「それ、本気で言ってる?」

 ひかるが言う「それ」が何か、わたしにはよく分からなかった。けれども、それに突っ込む間もなく、列の流れは入館ゲートに到達していた。

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