4:憎悪の爆発

 朝の校内では、〈ガニメデ〉の件で話は持ち切りだった。最初は皆、大人になったらどのイケメンアンドロイドを購入しようかと夢物語を語ったり、有名空撮家の空撮映像について考察をぶつけあったりと思い思いの話をしていた。しかし、ニュース速報で気が付いた数人の生徒が騒ぎ出し、そこから瞬く間に拡散したのだった。

 そのとき、わたしとひかるもわたしの席で宿題の話をしていた。ひかるが書いた「技術と社会」のレポートで、知識的な齟齬がないかをチェックしてもらいたいと頼まれていたのだ。ひかる自身もきちんと参考アーティクルや書籍を参照リファーしていたが、記憶容量不足でうろ覚えだから曲解があるかもという不安がどうにも拭えないらしい。

 意識の七割をひかるのタブレットに向けつつも、残りの三割で周囲の会話を拾っていた。

〈ガニメデ〉が。

 銃撃事件。

 反テレポーター主義者?

最初は〈AE〉搭載の〈耳蓋〉機能でカットさせようかとも思ったが、そちらに耳を傾ける一部のわたしが頑なに反対した。ふと、ひかるに目をやると、ひかるは真摯にレポートを読む(ように見える)わたしを固唾を飲んで見守っていた。

 けれども、その瞳が時折微かに揺れ動く――周囲の会話をひかるが聞いていたことは明らかだった。

 どういう訳か、アメリカから帰ってきて以来、わたしとひかるの間では、テレポーターについて触れることはタブーになっていた。どちらが言い出した訳でもない。でも、確かにわたしはその単語を出すことが憚られ、それはひかるも同じようだった。

 ――真弓はさ、どう思ってる訳? テレポーターのこと。

 あの日、ひかるの祖父母の真実を聞かされたあの日、彼女はわたしに問いかけた。自らの心を開き、真相を打ち明け、そしてわたしを信じてくれたひかるをわたしは裏切った。炎上を回避しようと、何とかして体面を守ろうと四苦八苦した末の過ち。

 わたしはさ、どう思ってる訳? のこと。

 思うことは、本当ならいっぱいある。血のこと。加護のこと。呪詛のこと。掌の月のこと。兄のこと。ネイバーフッドからの特待生待遇。〈ゼウス〉の課した試練。未来。

 それは私生活を彩るスパイスにしては、あまりにも深く根付き過ぎた。最早テレポーターと脇坂真弓は切っても切り離せない関係にあり、わたしがわたしであるということは、テレポーターでありながら、それを隠して人間という仮面を被って生きていくことと同値である。

 そのすべてを、ひかるに打ち明ける訳にはいかなかった。少し前なら、いつかそれが出来る日を夢見ていたのかもしれない。やがては遅刻寸前のひかるを助けにいったり、高層ビルの屋上から、一緒にネオンの海の絶景を堪能したり。ひかるが知りたがっていた、テレポーターの見る世界をわたしなら教えてあげることができる。わたしはこんなにも美しい世界を知っている。わたしはこんなにも醜い世界を知っている。わたしはこんなにも月だけが昇る夜空を望んでいる。

 でも、そんな夢物語ももう叶うことはないのだろう。

「真弓?」

 ひかるがわたしの顔を覗き込んでいた。

「レポート、本当に読んでる?」

 わたしは視線をタブレットに落とした。指でスクロールはしていたはずなのに、内容は完全にわたしの掌から零れ落ちていた。

「うち、自分でやるよ。真弓にばかり頼ってちゃいけないからさ」

 ひかるがわたしの手からタブレットを抜き取った。わたしは思わず顔を上げて、目で訴えたが、ひかるの瞳は今度は揺れ動いているような様相を見せなかった。

「ごめん、ぼおっとしてた」

「最近多くない?」

 わたしは視線を外した。返す言葉もなかった。

「この間の模試だって、全然集中できなかったって言ってたじゃん。最近の真弓、なんだか変だよ。なんか心ここにあらず、って感じ」

 わたしは顔を上げた。ひかると見つめ合う形になったが、すぐに折れたのはわたしの方だった。

 始業のチャイムが、わたしの沈黙を隠してくれた。

 始業のチャイムは、弁明のチャンスをわたしから奪った。


 一、二限の授業は選択制自由科目。ひかるは教室に残って複素解析を、わたしはリモート講義室に移動し、大学基礎レベル課程のリモート講義を受講することになっていた。わたしが今回受講していたのはクイーンズランド大学で開講されていた「農工学概論」のダイジェスト版だった。元々は農学部志願者向けの授業だが、比較的単位取得が楽だからと数合わせにとっていたリモート科目で、植物工場のケーススタディーや遺伝子改良技術の紹介を通して、未来の農業のあり方を考えるという授業内容である。

 HRを終えると、ひかるに話しかける間もなく、わたしは一番に教室を飛び出した。誰の目もないことを確認してから、トイレに入り、そのままB棟の屋上にテレポートする。

 誰もいない朝の屋上で、わたしは腕時計端末に話しかけた。

「〈テラ〉、自動検索アルゴリズムの構築を頼みたいんだけど」

「何を調べて欲しいの、真弓」

〈テラ〉が耳元で囁く。

「今朝、プンタ・アレーナスで行われたボストーク湖探査プロジェクトの記者会見で〈ガニメデ〉が撃たれた件の詳細について。できれば、詳細が分かる映像をふんだくってきて」

「ちょっと待っ……現地のニュースメディアを一括検索したけど、いずれも〈ガニメデ〉が撃たれたことくらいしか報じてない。怪我の程度も不明だし、映像へのリンクは貼られてないよ」

「方法はある?」

「過去の同様の事件と詳細が分かる映像の漏洩事例とをピックアップしてみる。それなら、なんかしらの方策を立てられるかも」

「任せた」


 リモート講義の前半である一限が終わったところで、検索が終了した旨を〈テラ〉が腕時計端末のディスプレイ上で報告してきた。周囲はしんとしていて、まだ講義に聞き入っている学生も多かった。彼女たちは皆〈AE〉で講義の音声を聞いているし、多くは不必要な音声を〈耳蓋〉機能でカットしていることだろうが、念には念を入れ、端末付属のキーボードを腕時計端末にリンクさせ、タイピングで〈テラ〉に話しかける。

 ――〈AE〉を使って報告してくれる?

「分かったよ、真弓」

 腕時計型端末のディスプレイが時刻表示モードに戻り、〈テラ〉が囁いた。

「事件発生からまだ短時間であったことから、SNS路線で攻めることにしたんだ。だった。スタッフの一人が録画機能搭載型のコンタクトで会見を録画していたみたいで、その一部がSNSに投稿されてた。もう投稿そのものは削除されてたけど、それを保存していた人の二次配信映像を帆損した人の三次配信映像を、消去される前にダウンロードすることに成功したよ」

 ――よくやった。時間はどれくらい?

「四分程」

 わたしは腕時計型端末に目を落とした。二限開始まであと八分。

 ――コンタクトで再生して。


 それは、わたしが今朝見た公式のライブ中継とは異なるアングルから撮られたものだった。視界の左方には、部屋の奥に向かって置かれた長机に横並びに座る〈ガニメデ〉と科学者たち。対して右方に、彼らと向かい合うようにカメラと記者たちが群れをなす。その側方に待機しているスタッフの目線から、その映像は撮影されていた。

 映像の始まりは、既に会見の終盤だった。記者たちの矢継ぎ早の質問攻勢は〈ガニメデ〉に向けられており、それをいなす彼は最後にこう言った。

 ――テレポーターと非テレポーター、協力して今回のプロジェクトに挑むことができたことを、私は誇りに思います。

 わたしの心臓が高鳴った。司会によって、質疑応答時間の終了が告げられる。

 その時だった。カメラの群生林の中から、一人の男が体を乗り出した。

「どうして非テレポーターの機嫌取りばかりするんだ!」

 その男が怒号を放った。

 去りかけていた〈ガニメデ〉は声の主には目を向けず、苦笑を浮かべた。他の科学者たちも気にも留めず去ろうとしていた。ざわついていたのは記者たちの方だった。画質は荒くてよく見えなかったが、他の記者たちはその男が何かをしでかそうとしていることに勘付いたのだろうか。

 男が〈ガニメデ〉の方に腕を伸ばした。その先には黒い何かが握られていた。〈ガニメデ〉の視界に、それは入っていないようだった。

 直後、今朝わたしをびくっとさせたあの破裂音が弾けた。〈ガニメデ〉の体が吹き飛び、左方の壁に叩きつけられる。

 映像はそこで終わらなかった。視界の前を多くのスタッフが駆け抜けていく。半分は〈ガニメデ〉の保護に。もう半分は男の確保に。視界は大きくぶれていた。映像の撮影主はどうやら、足がすくんで動けなかったようだ。

 男は既にスタッフは記者らによって取り押さえられていた。地面に転がったプラスチック銃も別の警備員が回収した。しかし彼はしきりに叫んでいた。

「何が協力だ。何が人類のための仕事だ。一体、どれだけの人を殺したと思ってる! 一体どの面下げて、協力なんてふざけた台詞を吐けるんだ!」

 それからも、男は叫び続けていた。断片的な情報から推測するに、男は元々ニューヨーク市警察NYPD緊急出動部隊ESUだったらしい。そして、マンハッタン事変の目撃者にして、生存者でもあったようだ。

 彼は救助活動にも参加したものの、何もできなかったらしい。怪我人が運び込まれた病院で中年女性に「夫と娘を助けて」と懇願されながら、何もしてやれない自分の無力さが悔しくて仕方なかったという。

 そこからはわたしの推測になるけれど、きっとそんな彼にはテレポーターに対する並々ならぬ思いがあったはずだ。しかし、二〇二〇年代後半から、アメリカなど一部の国ではネイバーフッド社と警察とが共同でテレポーター特殊部隊を導入していると聞いたことがある。実際、救助活動においてテレポーターの右に出る者はいない。花形を奪われ、反抗的になったところ、クビにされた――そんなシナリオだろうか。

 その時、画面の左方で動きがあった。倒れた〈ガニメデ〉に駆け寄っていたスタッフたちが一斉に後ろに引いたのだ。その中心に〈ガニメデ〉は立っていた。彼は腕を男の方に突き出した。親指と人差し指で何かを挟んでいる。

 銃弾だ、とわたしは直感した。体内に捩じり込まれた銃弾を、ノールックテレポートで摘出したんだ。痛みに耐えながら、自分の体内の異物を取り出すノールックテレポート――一歩間違えれば自分で自分の心臓を握ることになる――を成し遂げられる自信は自分にはなかったが、〈ガニメデ〉には造作もないことらしい。

 取り押さえられていた男が乾いた笑みをこぼした。

 すると突然、画面右方、男を取り押さえていた男性の一人が吹き飛んだ。男が拘束を振りほどいたのだ。そしてどこからか、二本目の銃を取り出して。〈ガニメデ〉に向ける。今度は別の警備員も反応し、銃を男に向ける。

「〈ガニメデ〉! お前らを神に代わって裁いてやる!」

 そう男が叫んだ瞬間、男が握る銃と、警備員が握る銃とが弾け飛んだ。花火が破裂するように火花が飛び交い、破片は空に舞った。

 位相破壊〈花火〉。

 わたしも初めて見る大技だった。位相破壊〈断裂〉を瞬時に繰り返すことで対象物体を一瞬で粉々にする離れ業。男もその光景に空いた口を閉ざせないようだった。そして男は再び、警備員らによって取り押させられた。

 そして駆け付けた警察に連行される中、男は〈ガニメデ〉に訊いた。

「一ついいか。何故、警備員の銃も破壊した?」

 男の問いに、〈ガニメデ〉は笑った。

「お前が殺されると思ったからだ」

「どうしてだ! この国のみならず、世界は犯罪に対して刑を与えるのではなく、〈治療〉をする方向へと進みつつある。殺人未遂の俺は〈治療〉を受け、そして再び世に放たれるんだ。言っておくが、俺はもう一度お前を殺しに行くぞ。俺が殺されるまで、何度でも、何度でも。俺を裁かなかったことを、後悔する日がいつか来るぞ」

「だとしても、お前を裁く権利など俺にはない」〈ガニメデ〉の口調は至って冷静だった。

「そして、それは他のすべてのテレポーターでも、非テレポーターでも同じことだ。その立場にあるのは法だけだ。お前の身柄はチリ当局に引き渡す。そこで適切に裁かれろ。適切な刑を執行されろ。そして――適切な治療を受け、更生して戻ってこい」

〈ガニメデ〉は翻り、彼の背後に呆然と立っていたスタッフの一人に言った。

「何をぼけっとしてる。早く病院の相対座標を教えてくれ。これでも、俺は重傷なんだぞ」

 スタッフにもたれかかるようにして、彼は倒れた。

 映像はそこで終わっていた。

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