5:〈ガニメデ〉の境地

 翌日の夜、自室で「技術と社会」のレポートをわたしはタイピングで書き連ねていた。最近、どうにも集中力が続かず、脳波リーダーはノイズを拾ってばかりでまるで使い物にならなくなっていた。

「真弓、大ニュース大ニュース」

 わたしの目の前で、机上のスマートスピーカーの輪郭を青い光が躍るように彩った。

「今課題で忙しから話しかけるなって言わなかった?」

「〈ガニメデ〉は一命をとりとめたよ。適切な銃弾摘出が功を奏したみたい」

「でしょうね。最強のテレポーターが3Dプリンター製の玩具に殺されたとあってはテレポーターの沽券に関わるから。で、それが大ニュース?」

「今のは前座。その前座ついでに、今回の〈ガニメデ〉に対する反応のレポートでも聞く?」

「課題をやるより有意義だと感じるくらい面白いなら」

「面白い話がご所望なら、昔から細々とあった〈ガニメデ〉ファンクラブに入会希望の若い女性が急増しているという現象なんてどう?」

 ユーモアを発揮したのかふざけたのか分からない飄々とした最初の報告にわたしはため息を返した。確かに、浅黒い肌に掘りの深い目鼻立ちをした〈ガニメデ〉の特徴は日本人男性にはない男らしさがあることはあるのだろう。

「悪いけど、。カルト以外の状況を教えてよ」

〈テラ〉は考えもなしに、課題に勤しむわたしの集中を遮ったりしない。脳波のノイズはまばたきのパターンから、適格なタイミングで割って入ってくる。少し休憩でも挟もうと、背もたれに体を投げ出した。

「掲示板やSNS上の書き込みを見るに、〈ガニメデ〉の対応を称賛する声がほとんど。一部、強烈な反対意見も見られるけど、その意見の主の七割はテレポーター絡みであればどんな事もこき下ろす反テレポーター派みたい。ただ、真弓も知っている通り、テレポーターを公言するSNSに対する嫌がらせDMは急増してる」

 実際、わたしの空撮家アカウント〈イオ〉のスパムボックスに自動で割り振られる件数も一日十件を超えてきていた。中には、スパム判定されるワードをあえて置き換えることで、〈テラ〉の防御網を破ってくるものもある。死をタとヒに分解して送るようなものの亜種で、AIアシスタントはすばやく隠語を学習し、それすら弾き出していくとはいえ、発信者たちは常に新しい隠語を生み出し、投げつけてくる。それも、初めて受け取った人間の受信者が意味をくみ取れるような巧妙なものばかり。隠語発案とAIによる隠語学習のいたちごっと。彼らに勝ち目はないはずなのに、それでも玉砕をし続ける真摯な姿勢には脱帽の限りだった。

「それと、ニューヨーク州知事が〈黒いモノリス〉の撤去プロジェクトを正式に始動し、その中核メンバーとして〈ガニメデ〉の参加が決定したことが発表されたよ。位相破壊〈断裂〉や〈花火〉を駆使して、上から少しずつ切り崩していくみたい」

「今日? 〈ガニメデ〉は今入院中じゃないの?」

「だからこそみたい」

「どういうこと?」

「今回の犯人、ライアン・マルティネスのことだよ」

〈テラ〉が教えてくれたのは、彼の来歴だった。

 彼が仕事をしていたニューヨーク市警察NYPD緊急出動部隊ESUはSWATとレスキューの両機能を兼ね備えていた部隊で、マンハッタン事変当日も、負傷者の救助や犯人の逮捕に奔走していたらしい。しかし、マンハッタン島の沈没はESUそのものにも大打撃を与えていた。本部ごと中枢機能は海に沈められ、地理情報システムを用いた犯罪統計解析も根底から覆された。指揮系統は完全に失われ、生き残ったNYPDの隊員たちは方々で個人の判断で救助活動に当たっていたという。しかし、マンハッタン島の沈没に、その程度では焼け石に水だった。

 彼は隣のブルックリン区にいたために難を逃れたものの、出来ることは何もなかった。救助ボートを出そうにも、沈みゆくマンハッタンには近づくことすらできず、犯人たる〈新人類同盟〉の構成員の端末から位置情報を抜き出したところで、テレポーターである彼らを追い詰めることはできなかった。ライアンたちはただただ自分の無力さを噛み締めることしかできなかったという。

 それから十年と経たずして、NYPDはESUにテレポーターを採用するようになり、非テレポーターの部隊員は数を減らすようになる。彼も六年前に退職していたとのことだった。

「その結果が、〈ガニメデ〉の銃殺未遂? 街を破壊し、多くの命を奪った罪を犯した者の同胞が今度は街を守る側になる――その不条理に対する当てつけを、〈ガニメデ〉にぶつけたというの?」

「違うよ、真弓。ライアンの目的は〈ガニメデ〉の殺害じゃない。〈ガニメデ〉に反撃され、

「まさか」

「ライアンにとって、テレポーターは街を破壊し、多くの命を奪った悪。彼にとって、テレポーターは悪でしかなかった。いや、悪でなければならなかったんだよ。あの日、多くの命を救えなかった無力な自分を彼はずっと許すことができなかったんだと思う。でも、バケモノみたいなテレポーターで、しかもそれが途轍もない悪意を持った相手なら、仕方なかったと割り切ることができる。だから、テレポーターは悪でなければならない。〈ガニメデ〉は世界の敵でなければならない」

「それは〈テラ〉、あんたが導いた結論? どうして、ライアンの心情があんたに分かる訳?」

「もしライアンに本当に殺意があったのなら、退官したとはいえ、特殊部隊に長年在籍していたベテランが、?」


 銃弾を撃ち込まれたような衝撃がわたしを貫いた。

 AIアシスタントの自然言語処理能力と論理回路の融和は、チューリングテストのクリア報告を度々もたらした。でもわたしの想像を超える意見ををぶつけてきたのは初めてのことだった。この子は一体――。わたしは初めて〈テラ〉を怖いと思った。

「どうしたの、〈テラ〉。あんた、そこまで考える能力あった?」

「AIアシスタントTERA-2031A型には自動学習機能が組み込まれてる。そして、学習対象には、僕自身の発言も含まれてる。僕の人間の感情分析についての機能が強化されてるとしたら、僕に半年間程〈ソフィスト〉が搭載されていた影響かもしれない」

「その名を呼ぶことはタブーにしたはずだけど」

「『いいから、やるの』と言ったのは真弓の方だよ」

 相変わらずの記憶力。腹が立つ。

「もし、ライアンの動機が本当にあんたの言う通りなら、わたしも〈ガニメデ〉のファンクラブ入ろうかな……」

「入会申請を送ったよ。わきさかまゆみ。じゅうろくさい。A型。好きな食べ物はカロリーの低いもの。あまり好みではないタイプは〈ガニメデ〉」

「ちょっと〈テラ〉!」

 わたしは思わず身を乗り出して、スマートスピーカーに向かって叫んだ。

「課題をやるより有意義だと感じるくらい面白い話をご所望だと言ったのは真弓の方だよ」

 特大のため息を出そうとして、空気の塊が喉につっかかった。

 位相破壊〈花火〉の使い手ではないわたしには、その塊を除去するのに時間がかかった。

「で、ライアンの動機が〈黒いモノリス〉の除去プロジェクトのことにどう関係してるの」

「ニューヨークの惨禍の象徴たる〈黒いモノリス〉はいつの日か倒壊し、新たな災いをニューヨークにもたらす。テレポーターが起こした悲劇の後始末を、後代のテレポーターが行う――これは平和のために、現代のテレポーターと非テレポーターができる手向けだよ。とは州知事の弁。本当のところは、ボストーク湖のプロジェクトが一段落ついてから、最後の調整を行って正式決定という手筈だったらしいんだけど、今回の事件を受けて、一部の過激な反テレポーター主義者がますますテレポーターを悪に仕立てようとしているらしくてね、〈ガニメデ〉が病床からわざわざ直接州知事に連絡を取ったみたい」

「〈ガニメデ〉はそこまでして……」

 ――人類のためになる、もっと大きな仕事をするためです。

 初めて依田家にお邪魔した時の彼の台詞がふと時の地層を突き破ってわたしの耳に流れ込んできた。ネイバーフッド社から独立し、フリーランスへの転身を決意したことについての会見だった。

「ねえ、〈テラ〉、ガニメデの年収情報ってリサーチできる?」

「年収?」〈テラ〉が珍しく聞き返した。昨今の音声のパターン認識精度はネイティブを上回る脅威の九十八パーセントだし、文脈補正によってその精度は更に高められる。〈テラ〉が聞き返したのは、ここで年収を聞こうとするわたしの発言に対し、文脈補正が負の補正を〈テラ〉にかけたからだろう。

「そう、できれば、フリーランスへの転身前後で彼の年収がどう変化したかを知りたい」

「ちょっと待っ――ネイバーフッド退社前年はテレポーター派遣業の相場から、彼の逸脱度を考慮して考えると、日本円にして三千万は下らないと思う」

「あのレベルでそれとは、ちょっと意外」

「参考情報が少なすぎて推定が満足に出来ないんだよ。三千万は最低ラインだろうから、億を超えている可能性だって十分あるはず。ちなみに、彼の億越えの豪邸の値段帯の平均年収は四千二百万だよ。一方、フリーランス転身後は収入が激減してるはず。大学や行政相手のプロジェクトへの参加が多いから、多くて一千万円程度だと思う。転身の二年後にはその邸宅も売り払ってみたいだし――」

 その後も〈テラ〉は補足情報を並べ立てたが、すべてわたしの耳をすり抜けていった。億万長者の座を降り、代わりに銃弾を浴びる。それでも、ネイバーフッド退社後の方が、彼の名前は間違いなく世界に轟いていた。ネイバーフッド社員時代も、頻繁に災害現場で救助活動にあたっていたが、それも会社の派遣業務に支障を来さない程度。一社員という形では、彼の掲げる何らかの理想あるいは信念とやらを実現することができないと考えたのだろうか。

 確かに、ネイバーフッドの社員だった時代から、東海地震を始め、多くの災害現場で星の数程の人命を救っていたし、人跡未踏の地への探査も、巨大なモノリスの除去も、彼だからこそ出来うる、彼にしか出来ない貢献。その最大化のためにしか彼は動いていないように見える。たとえ、時に凶弾に襲われたとしても。

 どうして、あんたはそこまで世界に自分を曝け出せる? 〈ゼウス〉が姿を消した現代において、彼の右に出るテレポーターがいないから? 自分で問いかけておきながら、自分でそうとは思えなかった。きっと、現代に〈ゼウス〉がいたところで、彼は同じことをしていただろう。非難も、視線も、凶弾も恐れずに。

 仮面を外すことにすら怯えるわたしとは大違いだ。わたしは自分の右掌にある月に目をやった。

 ねえ兄さん。教えてよ。わたしも男に生まれていたら、〈ガニメデ〉の境地に辿り着けたのかな。ねえ答えてよ。

 掌の月は何も言わない。兄は死んだ。呪いから永久に解き放たれた。

 そしてわたしは生きている。呪いからは永久に逃れられない。

「以上、〈テラ〉のニュースショーでした――」

 いつの間にか、〈テラ〉のニュースショーは終わっていた。ところで、大ニュースってどれのこと? そう訊こうと思った矢先、お決まりの文句を〈テラ〉が言い渋ってる気配がした。わたしが首を傾げたのも束の間、ある日突然、水平線からエウロパが昇るように、神話の向こうに消えた存在が再び天頂へと踊り出す。

「――今日、〈ゼウス〉の正体が判明したよ」

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