7:手を取り合える世界は何処に

 どうして気が付かなかったんだろう。ひかるの祖父はアメリカの大手銀行に勤めていたことは前々から聞いていた。勤務地がマンハッタンのウォール街であっても何らおかしくはないはずなのに。二〇〇八年の金融危機で一旦は離れて、その十年後に再びマンハッタンに戻った。マンハッタン事変の前年だ。だから、ひかるの母方祖父母、つまり玲奈さんの両親はあの事変の時、マンハッタンにいたことは予想できたはずなのに。玲奈さんがテレポーターに過敏な反応を示したことについても辻褄が合ったのに。マンハッタン事変についての授業でひかるが具合を悪くした理由も、説明できたのに。

 あの慰霊碑を離れてから、わたしたちの班だけはまるで〈AE〉によって全ての音がカットされたかのように、無音が支配していた。帰りのバスも、わたしたちの班だけが眠そうな振りをして、一言も喋らなかった。

 ――うちにはね、あの人の気持ち、全然分かんないや。

 慰霊碑を前に祖父母がマンハッタンの海に沈んだことをひかるが告白した時、わたしたちは何も言えなかった。ひかるが次に発した言葉がそれだった。

 ――確かに、うちの祖父や、大勢の人を殺した〈新人類同盟〉は許すことはできない。この事件を風化させちゃいけないし、テレポーターを憎む気持ちは痛い程分かる。うち、母親が完全なアンチテレポーターだから、その影響か、うちもちょっと思っちゃうんだよね。悪事を働いたテレポーターが逮捕されたとかいうニュース見ると、ざまあみろ、と思っちゃう自分がどこかにいる。〈新人類同盟〉が〈粛清者〉に下された罰も当然だと考えちゃう自分がいる。

 でも、それでいいのかな。感情に身を任せて、互いに互いを恨んでたら、溝はいつまでも埋まらない。埋めたいけれど、埋められない。うちにはきっと無理だ。幼い頃から、呪いのようにテレポーターへの反感を叩き込まれて、それはおかしいことだと思っていても、そう思ってしまううちの脳は変えられない。だからあの人みたいに、理性的に未来のためにこうしましょう、なんて絶対ムリ。感情がそれを許してくれない。でも、それが正しいことは痛い程理解できる。ねえ、どうしたらいいの。テレポーターも、非テレポーターも関係なく、手を取り合って暮らしていける平和な世界はどこにあるの。教えてよ真弓! ねじくれた害悪な思考回路を植え付けられたうちらが死んで、その呪縛から解かれた遠い未来の子孫たちの時代になって初めて、その時代は訪れるというの?


 ホテルに戻ってからも、同じ部屋のわたしとひかるの間に会話はなかった。淡々とシャワーを浴びて、淡々と寝る準備を進める。長距離のフライトに備え、睡眠は長くとっておきたかった。

「ねえ、ひかる」

 重い沈黙にわたしは耐えきれなかった。ベッドに座ってタブレットをいじっていたひかるはわたしに目を向けた。その目に宿る光は案外、優しい色をしていた。

「ごめんね、重苦しい話しちゃって」

「いや、それはいいの。全然。気にしないで」

 思わず声が上ずった。

「どうかした?」

 こちらをまっすぐ見たまま、ひかるは訊いた。わたしは薄氷の上に足を踏み出すように恐る恐る言葉を発した。

「一つ、聞きたいことがあって」

「何でも」

「どうして、映像史展で、テレポーターの空撮を体験しようと思ったの」

 ひかるは目を反らした。わたしは続ける。

「テレポーターは、ひかるの祖父母を殺した悪人だよ。その彼らの世界を体験したいと思う?」

「真弓なら、すべてのテレポーターが悪人じゃないことくらい、分かるよね?」

 思わず返ってきた反駁にこちらも迎え撃ちたいと思ったが、ひかるの放った言葉は思っていた以上に、わたしの腕にのしかかっていた。

「だからね」ひかるは続ける。

「彼らの見る世界を知りたかったの。このままじゃ。うちの母みたいに、テレポーターを憎むだけの人間になっちゃう。彼らがどんな人間なのかも知らずに、ただその一部の人間が起こした犯罪だけでその全員に対して悪人というレッテルを張るのは間違ってる。

 わたしたちがまだ小さかった頃、東海地震のことは覚えてるでしょ? わたし、テレビで見たんだ。襲い来る津波から人々を救うテレポーターの雄姿をね。そこには〈ガニメデ〉の姿もあった。うちは、彼らを悪人とみなすべきだとは思えない。

でもね、悲しいことに、うちという――依田ひかるという人間の、理性以外の部分はそう考えてくれないみたい。憎しみ。怒り。そういった負の感情が染み出すように沸き上がって、うちの心を支配しようとしてくる。だから、それを少しでも抑えたかった。彼らテレポーターを今まで以上に知って、彼らを憎まずに済む自分になりたかった」

 その結果は? 思わずその言葉が口を突いて出そうになった。わたしはすんでのところで食い止めた。

「真弓の意見も聞かせてよ」

 吐き気をこらえるような気分のわたしに、ひかるの言葉が叩きつけられた。

「うち、聞いたことないよ」

 ひかるのまっすぐな目が、わたしの瞳孔の奥を覗こうとしてくる。

「真弓はさ、どう思ってる訳? テレポーターのこと」

「わたしは、わたしは――」

 何か言葉を紡がなきゃと思った。記憶と思考が乱雑に押し込まれた書庫をひっくり返しひっかき回して、こぼれ落ちた中から使えそうな言葉を手繰り寄せる。何かしら、体面という虚像を形作れる意見を練ろうと苦心する。けれども、空漠な骨組からできた意見が出来上がる度、空中楼閣であることを知らしめるように、虚像は瞬く間に霧散し、わたしが伸ばした手の中からするりと抜け落ちていく。嘘と加護とで塗り固めたわたしに、掴めるものなどなかったということを突きつける。

「わたしは――」

 それでも、取り繕わないといけないとわたしの中のわたしが叫んでいた。わたしはその声を一刻も早く収めたくて、わたしの頭の外へと手を伸ばした――ネットからそれらしき考えのテンプレートを引き出そうとした。

 後ろ手に、腕時計端末でこっそり〈テラ〉の標準搭載アプリケーション〈プロンプター〉を起動した。〈テラ〉の一時メモリに保存されていた一連の文脈分析とそれに伴うネット上の世論分析から、瞬時に当たり障りのない発言候補をレコメンドしてくれる。〈ソフィスト〉が商人の相棒なら、〈プロンプター〉は政治家の相棒だろう。複数の発言候補がわたしの視界に表示された。わたしはその一つを選び、口調を変えて読み上げた。

「正直なところ、テレポーターとの共同生活がちょっとだけ怖い。でも、こうやって発言することすら、本当は怖い」

 わたしが声を発し始めても、ひかるはわたしの瞳をずっと見続けていた。コンタクトディスプレイに映る逆文字を読み取られないかと不安にはなって、またその瞳を見返す資格がない気がして、目を反らす。次の台詞が視界に浮かんできた。

「テレポーターのほとんどは、自分がそうであると隠して人間社会に生きている。だから、たとえ自分の隣にいる人間がテレポーターだとしても、気が付かない。もちろん、善良なテレポーターの方が多いのだから、それで仲良くできているならそれでもいい。でも、体内への異物転移だったり、それからマンハッタン事変だったり……こういった事例を見せられると、その力を持っているというだけで怖くなる。でも、その微かな不信や不安を誰かと共有しようにも、その誰かがテレポーターだったらと考えただけで、足が竦む。だから、その感情を抑え込んで、自分一人で噛み締めないといけなくなる」

〈プロンプター〉の意見は以上だった。足の震えを堪えながら、ひかるの返答を待つ。

「うちだってそうだよ」

 ひかるは視線を下ろし、力ない声を落とした。

「だから、うちはテレポーターに対する意見を大っぴらにするつもりもないし、祖父母がマンハッタンで命を落としたことも、本当はあまり知られたくなかった。うちがどう思おうが、祖父母が殺された――それだけで、うちがテレポーター全般を恨んでる、と思われるだろうからね。そう感じてしまうのは半分は本当だけど、うちはそう感じることを望んでない」

「じゃあ何で、わたしたちに真実を話してくれたの?」

〈プロンプター〉をシャットダウンし、視界が完全にクリアになると、わたしの顔を覗き込むひかるの目があった。

「真弓たちを信じてるから」

「わたしたちがテレポーターでないと?」

「そうじゃない」ひかるはゆっくりと首を横に振った。

「真弓たちがテレポーターでも、非テレポーターでも、どっちでもいい。うちが信じてるのはね、仮に班員の中にテレポーターがいたとして、たとえうちの祖父母のことを知られても、うちがどう感じているかを悟られても、関係がこじれるようなことはないだろうってこと。だって、教えてくれたのは真弓じゃん。テレポーターは百パーセント遺伝性なんだよ。ただ、設計図にテレポーターになるように書いてあって、その設計図通りに育っただけだから異常でもなんでもないって」

 わたしは何も返す言葉を自分の中に見つけられなかった。心を開いたひかるにしてしまった自分の仕打ちを思い出すと、ひかるを直視できなかった。

「もう寝よっか、真弓。明日は長いフライトなんだから。おやすみ」

 ひかるはそう言い捨てて、返答も待たずにわたしに背を向けるようにしてベッドに横になった。

 暗闇の中で、ひかるに背を向けて体を丸め目を固く閉じた。

 テレポーターになる設計図DNA。わたしはそれを持ってこの世に生まれて、その設計図通りに育っただけ。何も問題はないはずなのに、どこで間違えたのだろう。

 極圏の夏の太陽のようにわたしの意識の灯は沈む気配はなく、煌々と忍び寄る睡魔をいつまでも跳ね除け続けていた。

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