第2話 個人情報誌

     ★


 「あの、ふれワードって雑誌見たんだけど……」


 マイから初めて電話がかかってきたのは五日前だった。

 そう、オレはふれワードという雑誌に原稿を載せていたんだ。簡単に説明すると『ふれワード』は個人情報誌といって、見ず知らずの他人同士が不要になった物を売ったり、友達や恋人を募集したりする雑誌だ。


『ヒマしてる女の子、気軽に電話ください。軽くお話しましょう。ノリが合ったら一緒に遊びましょう』

 これがオレの載せた文章だ。この文章のあとには携帯電話の番号がつづき、ここ最近では一番写りのいいオレのプリクラも載せてある。


 別にオレは特定の恋人がほしいわけではなかった。ただ、いろんな種類の女の子に会いたかった。そしてまぁ、恥ずかしい話、あわよくばエッチしたろ。なんてことばかり考えていた。


 マイはしゃべるのが異様に早く、おまけに聞き取りにくい声をしていた。なのでオレは話をろくに聞かず、適当に相槌ばかりうっていた。彼女はほとんどオレのにたいして質問しないで、自分のことばかり喋っていた。おもに愚痴が多かったと思う。一時間以上しゃべっていたにもかかわらず、ノートへのメモは六行くらいにしかならなかった。


 あまり内容のない話をしていた証拠だ。


 雑誌には「ノリがあったら一緒に遊びましょう」と書いていた。その主旨からいえば彼女は完全に外れていた。彼女は楽しそうに話していたが、オレときたら相槌をうつタイミングを見計らうので精一杯だったのだから。


 にもかかわらず、その三日後、オレのほうから彼女に電話をしたのは、銀行員は美人が多いというオレのイメージ(偏見?)、身長158センチで体重42キロという痩せた体型、そしてなにより自分自身で「けっこう可愛いほうだと思うよ」と話していたのがでかい。


「じゃあ日曜日に会おう、上野でええ?」


 マイは千葉の松戸に家族と住んでいる。そこからアクセスしやすいであろう上野を選んだのだ。


「うん、上野ならわりと行ったことあるし。ところで上野でなにするの?」


「まぁ、いろいろあるやん、映画とか散歩とかカラオケとか、他にもまあいろいろと」


「他にもって? たとえば?」


 ええい、もういい。ここで勝負をかけてやる。


「たとえば、歩き疲れてゆっくりくつろぎたくなったらラブホテル……とか?」

 運命のサイは投げられた。半か、丁か?


「え? 上野にそういうところあんの?」

 よし。相手もすこしノッてきた。


「うん、不忍池から湯島にかけて何件かあるし、隣の駅の鴬谷は秋葉原の大型家電店の数と同じくらいラブホテルがあるで」


「遊びで、するの?」


「んー、まぁ悪い事やないしええんとちゃう?」

 オレなりの正論を言ってみる。


「へぇー、新しい下着履いていこーかな。そうだ、コールドスプレーも持っていかなきゃ。すぐに腰が痛くなるしね……」

 オレの反応を確かめるわけでもなく、一人ごとのようにマイはつぶやいたのだった。


     ★


 これから性行為をする事になるのだ。そんな事を考えるとつい勃起してしまう。人通りの多いアメ横で、この瞬間に勃起している人はどれくらいいるのだろう?

 きっと3パーセントもいないのだろうな。


 オレたちはただ歩いた、アメ横や中通りを上野に向かって歩いたり御徒町に向かって歩いたりした。どうやってラブホテルに行こうと切り出すべきかをオレは考えている。


「今日はね、実は彼氏と会う約束してたんだよ」

 突然、マイが口を開いた。いままでで一番明朗な口調だった。


「だからね、もし連絡が繋がったら彼氏のほうが優先ね」

 おいおい、ちょっと待てよ……。


「彼氏はねぇ、テコンドーやってるんだよ。だから私と歩いてるとこなんか見られたら、いきなり跳び蹴りだよ!」と彼女は笑う。


 どうして彼氏と比較され、おまけに雑魚キャラ扱いされてるんだろう? それも初対面の女に……。

 と、不快に思うものの、状況だけはしっかり把握しておこう。


「なに? 連絡がつながらないって、電話をかけても出ないってこと?」


「うん、ある時を境にね、電話かけてもつながらないの。でもね、非通知で電話をかけたらね……出たんだよ。どう思う?」


「んと、彼氏とは今まで何回会ったん?」


「二回」

 それは彼氏だといえるのだろうか?


「えっと……彼氏とはどういう感じで知り合ったん?」


「ふれワードで知り合ったんだけどね」

 情報をまとめてみよう。ふれワードで知り合った人とつきあって、二回だけしか会ってなくて、電話がつながらなくなった。ということは?


 名探偵でなくてもわかる。軽く遊ばれただけなのだ。


 だけど、マイは泣きそうな顔で何度も何度もその男に電話していたので、さすがに何も言えなかった。


 ついに諦めモードに彼女が入ったものの、顔色はどんよりしている。ここでいきなり「じゃあ彼氏と電話がつながらなかったから、オレとラブホでつながろっか?」などと言うと彼女は機嫌を損ねて帰ってしまうだろう。


「まあ、そんなに落ち込まんと、とりあえず昼飯でも行っとこ! な!」


 オレたちは築地直送の海鮮マグロ丼を食べた。彼女は丼内のワサビを、まるで地雷を扱うように慎重に撤去していたので、落ち込んでいるとはいえ、その程度の冷静さは残ってるんだと安心した。

 

 人間の三大欲の一つ、食欲は満たされた。残るは性欲と睡眠欲。どちらもベッドが必要不可欠な欲だ。さて、どうやってその欲にたどりつくべきか。


 とりあえず繁華街を離れ、上野公園に向かった。開けたところに出ると、雲一つない申し分のない天気だということに初めて気がついた。五月の青空は眩しかった。


 不忍池にはアヒルや鴨がプカプカと浮かんでいた。亀も浮かんでいる。鯉も泳いでいる。水鳥のエサを買い、水の中に放り投げる。鴨たちがゆっくりと近づいてくる。アヒルはガァガァと羽を広げ踊っている。


「ほら、マイも投げてみ」

 おしつけるようにエサの袋をマイに持たせる。


「え? いいの?」


「えーからえーから、おもろいで」


 うつむいたままマイは笑うと、つかめるだけつかんでオーバースローで投げた。始球式のアイドルのようにぎこちない動作だった。彼女の足元にエサがこぼれ、無表情な鳩たちが集まってきて、それが仕事であるかのようについばみ始める。

 マイはその日一番の笑顔で地面を蹴り上げた。鳩たちが散開する。彼女はケタケタと笑う。腐った木のベンチには新聞の束を枕にした浮浪者が眠っていた。


 オレたちはボートに乗ることにした。男女がむかいあって、オールで漕ぐタイプの定番のボートよりも、オレは白鳥の形をした脚でこぐボートを選んだ。静かで落ちつくムードよりも明るくコミカルなムードに持っていきたい気分だった。


 笑いながらペダルを漕ぎ、オレたちは池の真ん中までたどりついた。


「あ〜、疲れた。ちょっと休もうぜ」


 まわりを見渡してみると、ボートに乗っているのはやはりカップルたちばかり。彼らのうちの何組がこのあとに性行為をするんだろうか? などど下衆なことを考えてしまう。


 ふと、マイを見ると、彼女はうつむいて水面を眺めていた。


「なんかもうすべてが嫌になってきた。死んでしまいたい気分……」

 マイは唐突に絶望的な台詞を発した。


 もし、万が一、ここで彼女がいきなり飛びこんだら? 池はどれくらい深いのだろうか? プールサイドの監視員みたいに助けてくれる人はいないのだろうか?


 彼女は左手を水面につけ、春だといってもまだちょっと冷たいね。やっぱやめとこうかな。などと言っている。


「時間、まだ残ってるけど地上に戻ろう!」


 オレは全速力でペダルを漕いだ。が、まっすぐ進まず左の方に旋回していく。しまった! このタイプのボートは二人で息を合わせて同じ速さで漕がないと、前に進まないのだ。


 マイは相変わらず、ボーッと水面を眺めている。


「あ、あの……死にたいところ恐縮なんですけど、漕ぐの協力してほしいんですけど……」


「ん? あ……あぁ、うん……」


 ボートはゆっくりと進む。無気力に漕ぐ彼女の足の動きに合わせ、オレもゆっくりと漕ぐ。阿吽の呼吸で。それにしても……空気を読んでくれ! お天道様よ。空からと水面からと眩しすぎるんだよ!


 ボートを降り、オレたちは池の周りを歩き始めた。


「これからさぁ、どっか行きたいとこって残ってる?」

 つとめて、何もなかったかのようにオレは聞く。


「もう、なにもかもどうでもいいよ。好きなとこに行っていいよ、あんたもどうせヤリたいだけなんでしょ?」

 彼女はいつの間にか泣いていた。


 ここでラブホテルをチョイスするのは人としてどうかと思うものの……。


「うん、分かった、じゃあ君も少し取り乱してるみたいやから落ち着ける場所にでも行こう」

 やはりラブホテルに向かうのだ。


 これはヤリたさからくる行動ではない! 静かな場所に連れてって彼女の心を落ち着かせてあげようという優しさからの行動だ!


 ヤリたさではなく、やさしさなのだ!


 そう自分に強く言い聞かせるものの、体の方は説得力がなく勃起していた。どうしようもない。


 マイの手首を掴み、オレは速歩きになっている。


 とつぜん、マイが咳を連発しはじめた。


「あー、もう最悪、頭も痛くなってきたし。私ね、子供の頃から体弱いんだ。母親からの遺伝で、目眩とかもしょっちゅうだしね。365日、バッグに薬が入ってない日はないんだよ。考えられる? 妹の方はさ、私と違って昔からすごい健康で、だから親は二人とも妹の方が好きなんだよ、悔しいけど性格もいいしね。ダメだ。自分で自分が嫌になってくるよ。思うように体も動いてくれないしさぁ……不公平だよ……」


 ラブホテル……ラブホテル……。


 お前になにか気のきいた事が言えるのか? 彼女の気持ちを一言でスカっとさせるような男前な台詞が出るのか? ここは黙って抱いてやるんだ! 別にお前は弱い人間の気持ちにつけこんだりしてないぞ! そうだ! 別にお前は下衆ではない! やましくもやらしくもない! 言葉じゃ彼女は救えない! そうだろ?


 オレは自分に強く言い聞かせた。ほとんど怒鳴っているような感じで。

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