第17話
オレの部屋に入ると十分も経たないうちに、布団にもつれて倒れこんだ。電話で怒らせて必死に謝ったり、サティでも気をつかったりして疲れた。
リカの胸に顔をうずめる。自分のことを精神的に疲れさせた女に肉体的に癒してもらおうとする。やっぱりアメとムチだ。順序的にはムチとアメって言ったほうがいいかもしれない。
もう少し甘えていよう。布団のなかで頬と頬をすり寄せ、口と口の表面が触れる程度のキスをくり返しているうちに、あぁ……オレは生きている。一人じゃない。ここに寄りかかれる相手がいるんだ。と、そんなふうに思えてきて、なんだか瞳が濡れてきた。
「どうしたの? もしかして泣いてるの?」
「うん、一人で暮らしてるとさ、悲しいときや淋しいときでも泣けないやん。一人やと余計に落ちこむからさ、だからふと安心したときに前に泣けなかったぶんだけこぼれてくるんかなぁ」
「そうなんだ。ユウジはきっと精神過敏なんだよ。私がクリトリスを触られると痛いのと一緒で、すごくすごく精神が過敏なんだよ」
しんみりとした口調はいいんだけど、クリトリスに例えられるのは考えものだ。
どういうときにユウジは淋しくなるの?
「ん、と。そや、学校3って映画があってな、主人公がすごく幸薄いねん。んでも本人は必死に生きててさぁ、結局死ぬねんけど……それを見て淋しくなって、友達に電話をしようとしてんけどさぁ。いつもオレから電話かけてばっかで、相手からはかかってこんねんやん。そしたら急に自分が必要とされてない気がして周りとのつながりを切りたくなって、気がついたら五、六人の電話番号を削除してしまったりとかさ。そういうときは淋しいときやと思う」
リカは黙って聞いてるかと思うと深いため息をつき、それって考えすぎだよ! なんでそんな話をするの? そういう話は何度も何度も会って親しくなってくうちに少しずつ話していくものでしょ? 私までブルーになっちゃうじゃないの! とオレを責め始めた。
彼女は昔いじめられていた反動で気の強い性格になったらしいが、今も弱い自分を見せまいと必死にガードしているそうだ。どうしてユウジはガードしないのよ? しかたない、オレは人の目の前でかさぶたを剥がすタイプなのだ。みずから先に傷を広げてみせれば誰も攻めようとはしない。オレは周囲に愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたりするが、聞かされる人間が思っているほど苦しんでなかったりするのだ。いつもそのときの気分で話をするから誤解を招いてしまうのだ。
「あんまり気にせんといて、オレは朝は幸せでも夕方は死にたい気分になってたり、んでも寝たらケロッと忘れてたりとか気分のムラが激しいねん」
「死にたいとか簡単に口にしないでよ! 私も昔、自殺しようとしたことだってあるし、つきあっていた彼氏に寝てるときに本気で首を絞められたりもあるんだから!」
そう言うとリカは両手で耳を押さえて、背中を丸めて呪文のようになにかつぶやきだした。
「こわいよ、こわいよ、こわいよぉ……」
あんたが一番怖いがな!
と思うも、とりあえずは頭を撫でておくことにした。今、なにを言ったところでますます彼女を追いつめるだけの気がする。どんなことを言ったとしてもだ。オレとしては普通の会話をしているつもりだったのだ。それがこんなことになってしまうなんて……悪口や罵声を浴びせる以外にも人を苦しめる方法があったのだ。それを無意識のうちにやってしまうなんて、オレは化け物なのか?
嫌だ嫌だ、こんなムードは嫌だ。セックスをして全てをウヤムヤにしちまえ!
リカの腕を引っぱり布団の上に倒そうとしたが、彼女は腕を振りはらった。
「こんな気分なのに、もうエッチなんかできないよ! 楽しくエッチしたかっただけなのに、なんでトラウマまで思い出して泣かなきゃいけないの!」
よく見ると、いつのまにかリカは目が腫れていた。
「そもそもユウジは真剣に生きていこうって気があるの?」
「あるよ!」
「将来のこととかちゃんと考えてるの?」
「ん〜、たしかに今はアルバイトやけどさぁ」
「え! ユウジ高卒でしょ、五年もバイトしてるの? 社員だって思ってたのに! それってそうとうヤバいよ! なんで就職しないの?」
ほっといてくれよ! お前もバイトのくせに! 少なくともオレは親元を離れて自分の責任で誰の世話にもなってないんだから好きにやっていいだろ!
面とむかって言えずに、寝ころんでふてくされるしかできないオレ。
「なにそれ? ケンカ売ってるの?」
「ケンカを売るもなにも、勝手にそっちが感情的になってるだけやんけ!」
「そっちって言わないでよ、ちゃんとリカって名前があるんだから!」
……つかれる。
「んとね、今のバイト三時に終わるし、楽ちんやし、就職するにしても何がやりたいとかそうゆうのってないし、だから今、そのあまった時間でいろいろ探してるってかね……」
「ユウジみたいな若者ばかりだから日本の未来は暗いんだよ! 頑張ってるんだよ、みんな。ユウジはそうやって逃げてるだけでしょ! 夜間学校に行ってる人たちなんか昼間働いてそのうえ学校に毎日行ってるんだよ! 私だって仕事で嫌なことなんていくらでもあるよ! でもやめずに続けてるじゃない! そうやって嫌なことからずっと逃げてきたんじゃないの?」
確かにオレはそう見えるのかもしれない。『今はやりたいことを探している』なんて、やりたくないことをやっていない奴の言葉に聞こえるかもしれない。なにしろオレは人類滅亡の預言に期待していた男なのだ。だが、一昨日知り合ったばかりの人間にここまで言われたくはない。性行為だけしておけばよかったのに、なまじっか自分のことを話すからこうなるんだ。一生つきあうわけでもないのに、説教をしたがる人間が多すぎる。
さらにリカは続けた。
「だってさ、給料が月にしたらたったの十七万でしょ? 時給なんか私とたいして変わらないじゃない! もし結婚したらさ、それでやりくりするの無理でしょ? 妊娠して出産前になったら私だって働けなくなるんだしさ」
オレを相手に結婚のことまで想定していたんだ。体は一つになることはできるけど、他の面では無理だ。どちらかが我慢して相手に合わせて形を変えていかなきゃならないんだ。あぁ、つきあうってことはめんどくさいことだったんだ。
「ところでさぁ、実家にはときどき帰ってるの?」
急に話題を変えたリカにオレは少し驚いた。
「……いや、こっちに来てから一回しか帰ってないよ、会う友達もそんなにいないやろし、父と母の仲もそんなによくないしさ……」
「それでもさ、両親にはときどき甘えていいんだよ。ユウジがどんなユウジに変わったところで、両親にとっちゃユウジは子供のままなんだからさ」
リカが言った。なぜかオレはボロボロと泣いた。演技ではない。涙がとまらない。こんな女の前で泣くのはイヤだ! と思うものの涙がとまらない。
さんざん説教しておいた挙げ句に故郷の話をするなんて反則だ。ムチとアメだ。この部屋から逃げ出したくなる状況を作ったのは他ならぬリカ自身だというのに。
溢れる涙は暖かく、心地よい温度だった。
「泣いてるの?」とリカが聞いた。
「涙じゃねぇやい! 目にほこりが入っただけだ、バカやろぃ」
照れ隠しのため、江戸っ子オヤジの口調でオレは言ってみた。
「なによ! 心配してあげたのに、その態度は!」
なのにリカは本気で怒っていた。
「私たちって合わないみたいね、あんまりお金とかが大事だって考えてないでしょ?」
オレはうなずいた。
「昔は私もそう思ってたけど、結局世の中なんてお金だよ、いつかあなたにもわかるときが来るよ」
そう言い、リカは立ち上がった。
「駅前まで送るよ」
「いい! 道くらいだいたいわかるし!」
「なんていうかさ……悪かったわ……」
「若い男の子の友達いっぱいいるから、じゃ!」
リカはドアをバタンと叩き付け、出ていった。
部屋のテーブルにはリカのハンカチが忘れてあった。オレはスニーカーを履きドアを開け、道路に出た。
リカの姿はもうなかった。
たとえ出会ったばかりの女とはいえ、自分のことを否定されると傷がつく。あんな女にオレのなにがわかるってんだ? それはそうなのだがリカがオレにたいして思ったこと、感じたことはまぎれもない事実なのだ。
崩壊していきそうだった。誰かに助けてもらわないと、オレは誇れない自分のまま、自分に疑問をもったまま中途半端な努力を重ねていくのだ。オレはまだ親離れができていない。そう思いながらもナツミに電話をかけた。
「もしもし」
出た!
ナツミです。ただいま留守にしてるんで貴方のソウルフルなメッセージをシャウトして下さい……。
オレはその声を聞いて涙を流していた。さっきあれだけ泣いたというのに、ナツミの声で泣ける事がすばらしく思えた。この瞬間にコミュニケーションがとれるとれないかは重要でなく、彼女がオレと同じ世界に存在している事に感謝したくなった。
ピー音が鳴る。空白。何を言っていいか解らない。ただ、何か吹き込まないと不気味だ、心配させてしまうだろう。オレはソウルフルに「愛してる!」と叫んで電話を切った。
なにか一仕事終えた気分。
電気を消し、布団に横になる。今日は疲れた。よく眠れるだろう。そう思ったが、目を閉じたとたん布団や枕に染み付いたリカの匂いが気になり、寝つけそうになかったので、リカとの性行為を思い出しながらオナニーをした。それから熟睡した。
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