第11話 ピアノバージョン
駅までの道、だいたいわかるから送らなくてもいいよ。と言われるものの、それじゃあ男がすたる。ボクはできるだけ平気な顔をして、芸能、社会、スポーツなどの話題で彼女を笑わせた。
「じゃあ、バイバイね」
中板橋の改札でボクらは別れた。
今日のボクはかっこ悪かったな。いつのまにか一人称がオレからボクになってるや、元気がないんだな……ハハ。
あ! オレは重大なことを思い出した。今の今まで完全に忘れていた。
ピ、ピ、ピ、トゥルルルル……。
「もしもし! まだ駅のホームにいる?」
「うん、まだいるけどどうしたの?」
「待ってて! ダッシュで行くから!」
オレは走った、走った、走った……。
別に大した距離でもない。
「どうしたの? いったい……」
女はおどろいて男にたずねる。ハァハァ、ゼェゼェ、男は背中を曲げ、ひざに手を置き苦しそう。そんな男女の様子に周囲の人間が気づき、息をのんで見守る。愛の告白でも始まるのじゃないか? これから……。
息切れも少し回復し、少しかすれた声で男が言う。
「さっき、言えなかった……言い忘れたことがあるんだ」
ゴクリ……周囲の人間がつばをのむ。女の胸の鼓動が高まる。ドラマなら主題歌のピアノバージョンが流れ始めるとこだ。
だが、ドラマと違い、現実は凄惨だ。
「忘れてた。居酒屋甘太郎の三千円、まだもろてへん」
セコーッ! ここでアニメなら、女がズッコけてオチをつけて締めるのだが、現実はそうもいかない。甘いオチをつけてチャラにするなど許されない。
「ちょっと待ってね、あ、今、細かいのないや、七千円もってる?」とアキ。
「……いや、ないみたい」
「あ、もう電車が来る。どうしよう? 今度返しにいくよ、悪いから」
「あ、じゃあ返しに来るだけってのもなんかもったいないし、せっかくやからそのときまた遊ぼうよ、今日みたいなことは絶対ないから。今度は本音で話しよ!」
と、本当に心を入れ替え、アキと友達になろうとするものの……。
「いや、なんかやっぱ悪いからさ、返すだけにしとくよ」
と言われてしまうふがいのなさ。
そしてカボチャの馬車に乗り、シンデレラは帰っていった。居酒屋甘太郎のお代も払わぬまま……。
一人残されたオレは、なんだかアホみたい。このまますぐに部屋にもどるのもやりきれないので、光を求めてレンタルビデオショップに寄ることにした。
彼女がいるだなんてアキに言ったがそれは嘘だ。いや、嘘というのは浅はかな考えだ。オレには友達とも彼女とも言い切れない微妙な関係の女の子が一人いる。遠距離恋愛というのは何ヶ月会わないことで時効になるのか?
それ以前にオレとナツミには問題があった。長い間、それは解決していなかったし、未だに解決していない。半年以上も会っていないのに、ことあるごとに彼女のことを思い出してばかりいる。
そして、こんな事があった夜にもナツミに電話をしてしまう。
運よく、この日はすぐに電話がつながった。
「どしたん? 久しぶり、ユウちゃん」
「うん、ちょっと落ちこむ事があったっていうかさ……」
そう言いながらオレはエロビデオのパッケージを手に取り、眺めている。
「私でよかったら聞くよ、話して」
「いや、全く……東京って街はよぉ! ……いや、なんでもないねん、気にせんといて」
などとオレは意味深な台詞をはいてみる。君の声が聞けて落ちついたと電話を切る。
そしてオレは、今日のアキの服装に似ている女の子のエロビデオを借りて家に戻った。
男は優しくなければ生きる資格はない。男はタフでなければ生きていけない。
死のかなオレ……。
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