第10話 ひつじとペガサス
ハイツ下村101号室にはちょっとした仕掛けがある。忍者屋敷のように手のこんだ仕掛けとはいえないが……。
それはフローリングの床と敷きっぱなしの布団である。
「まぁ遠慮せんと、とりあえず座っといて」
どうぞと布団を指し示す。堅くて冷たいフローリングの床を避けるために、たまたま柔らかい布団の上に座らせるのであって、よこしまな考えではない。と、自分自身にもアキにもテレパシーを送る。
アキは布団の上に座った、折り畳んだ足が完全に布団の上に乗っている。
よし、今のところはベストの展開だ。
テレビをつけたりして、万が一にも面白い番組をやっていてアキがそれにはまりオレと会話をするどころではなくなってしまうと困るので、音楽をかけることにする。会話の邪魔にならないように邦楽よりは洋楽だ。ダンスミュージックを流し、ボリュームは控えめに。あくまでもただのBGMだ。
「なぁ、麦茶とコーヒー、どっちがいい?」
「ねえねえ、やっぱり男の部屋だからエッチな本とか置いてあるの? 探してみよっと!」
まるでドングリを探す子供のように、アキはあたりをキョロキョロと見回した。
「ちょっと! タンマ! やめて! マジで恥ずかしいから!」
オレは苦笑し、恥ずかしがり、男という性の惨めさと、それに伴う可愛らしさを体現してみた。だが、彼女は本当に探すのをやめてしまい、動物占いの本をめくりだしていた。
ちっ! しくじったぜ! 枕元にでもエロ本を置いておけばよかった!
『な〜に、この本?』『あっ、それは!』『な〜に? 見せてよ』『ダメだって、ちょっと!』『いーじゃない、どういうの男が読んでるか気になるし』『返せよ!』『ほらこっち』『返せったら! 怒るぞ!』『見せてくれたら返したげる』本を奪おうとして、つい女を押し倒すかたちになってしまう。そして見つめあう二人……。
こういう展開もありえたのに、と妄想するオレをよそに、アキは動物占いの本を真剣に読んでいる。背筋がピンと伸びている、真剣だ。こういうマイペースな人間は好きだ。尊いとすら思ってしまう。
そんな彼女の関心を性的なものにむけるため、オレは努力するのだ。
「あ、ペガサスやったんやぁ、動物占い。どう? 当たってるう?」
オレはアキの肩から本をのぞきこむ。この作戦はキスができる距離まで顔を近づけ、鼻息や吐息を耳にかけてみるのがポイントなのだ。
うそお、オレと相性よくないや〜ん、ショックぅ! あんまベタベタすんのあかんのぉ? ペガサスって、つまみ食いは年中って書いてるけど、そこらへんはどうな〜ん?
占いのおかげで色っぽい話にもっていける。なんて便利なんだ、動物占いってやつは! 安倍晴明に感謝。
オレのところも読め! オレのマスコット動物、ひつじのページも読め! そしてオレを知りたがれ! と思うものの、彼女は自分の動物、ペガサスに夢中。
「え〜、そんなことはないけどなぁ、あ、確かにここは当たってる!」
思ったよりもピンクなムードに近づかない。
ラチがあかない、ここはすこし切り込んでみるか。
「あのさぁ、ちょっとお願いがあるねんけど……」
モジモジと照れ笑いをするオレ。
「おねがい? なに?」
よし、興味の対象が占いからオレに替わったぞ! 好奇心いっぱいの目でオレを見ているぞ。
「こんなことを頼むのも変だけど、ひざ枕してくれへん?」
オレは照れながらアキから視線をはずす。
「え? ひざ枕? 面白いこと言うね、そんなこと頼まれたの始めてだよ。別にいいけど、どうすりゃいいの?」
ひざ枕程度ならOKが出ることが多い。だってセックスさせてくれってお願いするわけではないもの。セックスに比べればポップなものだ。こうやって母性本能をくすぐるのだ。
オレは頭をアキのひざに乗せる。ひざ枕というのは正確には太もも枕だと思う。でも太もも枕だと卑猥な感じがするから、ひざ枕という言い方が妥当なんだろう。
「あー、落ち着く。こういうのって久しぶりやわ」
アキの左手をオレの頭に置き、撫で撫ですることを無言で強要する。彼女の右手の指を一本ずつ握ってみたり、オレの頬や額を触らせてみたり、心臓の上に置いてみたりと弄ぶ。
ひざ枕……それはオレの中では厳密にいえばBである。ABCのB、ペッティングとレベル的には変わらない。想像過多なオレはひざ枕でも充分勃起できる。時にはペニスの先が濡れるくらいにだ。
女はそんなことを想像できずに、この人って子供みたいでなんだか可愛い……なんて思ってるのだろうか? 勃起しちゃってすいません、じつは子供みたいじゃないんです。
それにしてもここまでの流れは順調だ。
時計を見ると八時をすぎたあたり……しまった! オレの好きなバンド『エレガントワニワニ』が歌番組に出るんだ。ちゃんとビデオを予約録画しておけばよかった。
セックスへのスムーズな流れを一時停止するものの、やはり見ておこう。まだ八時だし、性交のチャンスはまだまだある。リモコンを拾いテレビをつけるが、テレビは枕のある位置からじゃないと見づらい。オレの頭とアキのヒザは布団の中央に位置している。仕方なくいったんヒザから頭をどける。そしてテレビが見やすいように枕の上に頭を乗せ、体を伸ばした。
「私も足が疲れたから横になるよ」
思いもがけず、アキはオレの前に寝ころんだ。彼女の場合は男を誘ってるのか、たんに無防備なのかよくわからない。
折り畳んだ掛け布団をひっかぶった。アキの頭が埋まり、彼女はプハーッと顔の上半分をだす。ちょうどオレの眼前に彼女の後頭部、シャンプーの甘ったるいにおい、このまま寝てしまいそうだ……幸せ……。
「さっきのお礼に腕枕をしてあげるよ」
アキの頭を右腕に乗せ、二人とも右に傾いてテレビを見る。ということは当然、オレの胸やお腹に彼女の背中が密着しているわけである。
テレビが見えるように彼女の頭はオレのアゴあたりにある。にもかかわらず、オレのペニスはちょうど彼女の尻の割れ目にスッポリとはさまる位置なのだ。アキが小柄な女の子で実によかった、もうけた。薄い生地のスカートなので、尻の感触がハッキリと伝わる。ジーンズ越しに堅くなったペニスを押しつける。
そして歌番組のトークに爆笑をしつつも、下腹部に力を入れ、第二の心臓のようにトックン、トックン、と動かしてみた。ヤリたいですよ、ヤリたいですよとモールス信号を発信するのだ。
彼女はきちんと暗号解読をしてくれただろうか?
オレの好きなバンドが歌い終わった。もうテレビに用はない。我慢の限界! 抱きしめてやる! いや、待て! この男はさっきからずっと欲情をしつつもテレビが気になって襲いかかってこなかったのだ。なに? 私はその三十代の男四人のバンド以下なの? と彼女が気を悪くするかも……そしたら水の泡だ。
偽装のため、次に出てきた女性シンガーが歌ってる最中に、いかにも衝動的な感じでアキの上に覆い被さった。
押しのけようとしたり、抵抗しようともしない。よし、大丈夫。キスをしよう。が、顔を背けて「イヤ!」とかわされた。また、このイヤの言い方が鼻にかかった甘えた声だったので、ほんとにイヤで言ったのか、イヤよイヤよも好きのうち……のイヤなのかよくわからない。
迷ったときはプラス思考。
オレはその『イヤ』を好意的に解釈し、駒を前に進めることにした。
ポストカードの外人の男の子がするような可愛らしいキス。パステル調のキス。触れるだけのキスを頬にする。おでこにもしておこう。安心させるのだ。
でも、やはりエロの方向にも進まなければ。耳元と首筋にも軽くキスをする。そしてなんとか唇にもキスをすることが出来た。舌は入れていないけれど。
「なんでこんなことをするの?」
アキは甘ったれた声で聞く。
「んっと、そりゃまぁ、好きやから……やん?」
オレは目を見て答えられなかった。
好きだなんて、好きだなんて言ってしまった……。
ぎこちない空気が漂った。酸素が薄い。体は密着しているものの下手には動けない。
痺れを切らしたオレはついに動いた。またもや、アキにキス。舌を差し込もうとするものの、歯はガッチリと閉じられディフェンスされている。えぇ〜い、ままよ! オレはアキの胸に手を置いた。その瞬間、彼女はガバッと起き上がった。オレのマウントポジションはひっくり返そうと思えばいつでも返せたのだ。
なんで? なんで? なんで? 絶対にエッチが出来るはずだったのに!
こんなはずじゃなかったのに……。
さんざんと偉そうな能書きをたれながらもオレは結果を出せなかった。一点、二点は取れたかもしれないが負けは負けだ。それも絶対に勝てると思っていたゲームで、九回裏逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれたのだ。
「あぁ〜、なんかめっちゃへこむわぁ〜」
頭を抱え、背中を丸めるオレ。心の中で落ち込めばいいものを、ついそれを態度に出してしまう。
「そんなに落ち込まないでよぉ、私が思わせぶりだったのがいけないんだからさぁ、ホント悪いの私なんだから、ね」
そこでアキに優しい言葉をかけられ、よけい惨めになった。
「なんかね……なんやろ? あれ……死にたい……かも……」
こんな簡単に『死にたい』と言うダメ人間なんてそうそういるだろうか? いや、そうそういないだろう。たぶん腹を痛めてまでオレを生んだ母ですら、この場面でなら『死にたいなら勝手に死によし!』と言うだろう。でも、アキは優しかった。
「そんな、死にたいだなんて悲しいこと言わないでよぉ、ね。ユウジ君は悪くないんだからさぁ」
昔の人気ドラマで『同情するなら金をくれ!』という台詞が流行ったが、このときのオレは心の中で、同情するなら体でくれや……減るもんやないし……とブツブツ呟いていた。
「ね、元気だしなよ! 私が悪いんだからさぁ、死にたいなんて思っちゃダメだよ」
「慰めんでええよ、辛くなるから。それやったらまだ『死ね』て言われたほうが気が楽になるかなぁ。ねぇ、『死ね』て言ってみて」
オレは卑屈に笑う。
「死ね!」
アキの言葉がぴしゃりと飛んだ。オレは蚊のように叩き潰された。
「……死ねっていうのは言いすぎやわ。やっぱり〜」
アキの肩にもたれかかろうとするものの、バレーボールをトスするかのように、両手でゆっくりと押しやられてしまう。もう肉体的な接触もダメなのか?
アキは半笑い、そして苦笑い。
なにをオレは初対面の女を困らせているんだ? 気を使わせているんだ? 同情されるのにはもう嫌気がさした。
「まぁ〜、本当のところ、別に落ち込んでないねんけどなぁ〜、冷静に考えてみればオレ、彼女がいるからなぁ〜」
どうだアキ! オレは彼女がいるのに『好き』って言ってお前に抱きついたんだぜ! なんてひどい人! とオレを責めろ! オレはセックスが出来なくて背中を丸めるカッコ悪い男じゃなくて、なんていうかこう……悪い男なんだぜ!
これがオレに残された最後の抵抗だったが
「あ、そうなんだ。彼女のこと大事にしてあげなよ」
アキは少し驚き、その直後に安心した顔になった。
もうちょっとショックを受けてほしかったのに……それともアキは強がってるだけ? いや、この期に及んで不毛なプラス思考はやめろ! 彼女は全くオレに気がなかったんだ!
悔しい、オレは惨めなままじゃないか。いっそ責められたほうが楽だというのに……。
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