5章 サービスタイム
第12話
ナツミは許してくれなかったのだ。ナツミとつきあい始めてから四ヶ月経っても……セックスはおろかペッティングはおろかキスさえも許してくれなかったのだ。どんなハリウッド映画でも最後までにキスシーンはあるはずだ! それなのになぜ? ユウジは悩んだ。普通のカップルがやってるような当たり前のことを堂々とやりたかった。
ナツミがA・B・Cといった肉体的な接触を拒むのには理由があった。トラウマとよんでもいいかもしれない。二人がつきあい始めの頃にこんな話を聞かされたことがあった。
「男に生まれてくりゃよかった」
ナツミは言った。風の強い秋の日、ユウジたちは海に来ていた。
「立ち話もなんだし」恋人たちは石の階段に腰掛けた。近くに水族館があるので子供達がはしゃぐ声が聞こえた。
「あのね、昔ね、劇団におったって前に言うたよね?」
それは聞いていた。ナツミがいたのは、よく新聞の広告に載ってるような劇団、子役から大人までそろってる、いわばプロダクションのようなところだった。
「すごい悔しいことがあってな。劇団の上のほうの人間が『次の公演でいい役を与えるから……わかってるだろ』てな、近寄ってきてさ……そういうことをする人間やと思わなかったからショックで……そんなこともあってその劇団をやめてん」
そんなゴシップネタが実在するんだ。権力を利用してセックスしようとするやつは最低だ!
「ほんまはやめたくなかってん、好きな友達もいっぱいおって楽しかったのに、せっかくできた居場所やったのに……」
とナツミは泣き出した。鼻はグジュグジュに濡らし、顔はくしゃくしゃになった。
泣くとこんなに顔が変わるんだ…とそのことにまずユウジは驚いた。こんなときになんて声をかければいいのか? 彼は路上詩人ではないし『みのもんた』でもないのでわからなかった。
ユウジにできることは何もなかった。だからとりあえず彼女の頭を撫でておいた。
「こんなんな、今まで誰にも言えへんかってん。なんで急にやめたん? て母親に責められたときも、何も言い返せなくて……ただ笑うしかなかってん!」
ひどい声、好きなだけ泣いたらいい。泣き止むまではずっとこうして頭を撫でておこう。
「ありがとう、ありがとうな」何度も何度もナツミは言った。小さい肩が震えてた。
今ならキスできるかな?
ずるい気がしてできなかった。風が強くなりナツミは立ち上がった。
「今、すごい顔してるから見たらあかんで!」
少し無理してナツミは笑った。目は腫れてて鼻は酔っ払いのように赤くて、確かにすごい顔だった。でも今までで最高の笑顔だった。
そんな彼女を大好きなことに気がついて、そのときのユウジは泣きそうになった。
でもそれはそれ、これはこれ。エッチなことがしたくなる気持ちは押さえられなくなる。彼女のことを好きであれば好きであるほどに、好きになれば好きになるほどに。
彼女があのとき泣いたことも忘れ、ケチな女だ、キスもダメだなんて何様のつもりだ? つきあっててたいしたメリットもないなぁ、なんてたまに思ってしまった。そしてナツミのことを念じ、オナニーする回数も増えた。そんな自分を惨めでダサくてショボいと感じ、オナニーの後は決まって落ち込んだ。
もっとくっついて体温を感じたり、人に触らせないとこを触れあったり、心だけじゃなく体もひとつになりたい。じゃないとやっぱり淋しいし、せっかくの青春がもったいないと思った。
簡単にセックスをあきらめれない。身も心もいっしょ……だなんてよく言うし。心だけでは成立しえないのだ。あきらめた時点で二人の仲は進展しない。
手を変え、品を変え、場所を変え、セリフを変え、徹底的にムードを演出して、今回はキスできる! と思うものの
「ごめん、やっぱり無理。やっぱり私たち友達でいよ! ね!」
ユウジがせまるたびに恋人同士という設定事体を解除しようとする。
「友達だなんて中途半端な関係が嫌っていうんやったら、ユウちゃんには悪いからもう会われへん」
そんなことを言われたって好きになってしまったんだから、恋人じゃなかろうが友達であろうが関係なく会いたいに決まってる。こうやってズルズルと友達と恋人の間を行ったり来たりすることが一種のレクリエーションみたいになっていた。エアコンの効能が落ちないように定期的に行うフィルター掃除みたいなものだった。本当に別れることなんてあり得ないと信じていた。それでもやはり、あぁ……いちゃいちゃしたい……性欲はただただ育っていく一方で、ユウジは爆発しそうだった。
「そーかー、彼女にヤラせてもらえへんのかぁ、たいへんやなユウちゃん。よしゃ! こうしよ! 二号を作ってしまえ! 二号を!」
バイト先の先輩の悪魔の囁き。
二号? いいのか? でもナツミはオレとのことを友達と言ってるから、別に二股にも浮気にもならない。だから別に彼女を作っても構わないし、新しく出来た彼女のことを真剣に好きになれば、それはそれで問題なし!
「でもオレ、出会いないですよ。コンパのつてもないし」
「ユウちゃん、今はな、こういう雑誌で女と知り合えるんやで!」
その時、先輩が教えてくれた一冊の雑誌、それが個人情報誌ふれワードだったのだ。
さすがに最初から自分の携帯電話を載せるのには抵抗があったので、編集部経路で自宅に手紙が届くやり方にした。三通の手紙が届いた。ユウジはそのうちの一人の女の子、エミと会った。二回目のデートでキスをして、三回目のデートでセックスをした。
なんだ、こんなものなんだと思った。そしてナツミが頑なにセックスをさせてくれないことが不思議に思えてきた。ナツミ一人と真剣につきあうってことは、それこそハンデを背負い込んでるようなものだと思った。せっかくの若さを無駄にしてるとさえ思ってしまった。
「あのさぁ、先輩と相談した結果、二号を作ろうってことになってな……」
試しにナツミに言ってみると彼女は激怒した。
「そんなことを……私たちのことをペラペラと他人に喋ったんか? 私にそんな話聞かせてどうしろと言うの? 私のことを試してるんか?」
試してるのではない。傷つけてみたかったのだ。オレに惨めな思いをさせてるぶん、存分に傷ついてほしかったのだ。でもここで、実際に二号を作ったなんて言うとナツミは『そのエミって子に悪いから私はもうユウちゃんとは会えない』と言うだろう。だから黙っておいた。
ユウジはエミと毎週セックスをした。彼女の働いてるおもちゃ屋は火曜が休みだったので、それにあわせて彼もバイトを休み、ラブホテルの平日サービスタイムを利用し、昼間の十一時から夕方の四時までセックスに明け暮れた。セックスは確かに気持ちがよかったが、子供を作る行為を子供ができないようにこなすというのは滑稽にも思えた。とても。
ナイーブなナツミとは違い、エミはのほほんとしていた。ユウジがなにか悩みを言っても「私、そんなことなんて考えたことないよ」と笑われ、ハイ、それまでよ! と話が終わりになることが多かった。だから彼も内的なことは一切話さないで、テレビやゲームの話などしかしなかったし、たとえ悩みを聞いてくれなくてもただ肌を重ねるだけで落ち着いたし安心した。理屈なんて必要じゃなかった。
コントをやってることはエミには言わなかった。会場でナツミとエミがはち合わせると困るからだ。
互いにあまり依存はしなかったので楽だった。そう思っていた。
回を重ねるごとにセックスは良くなった。エミといるあいだは何も考えなくてよかった。ただ時々、行為の最中に目をつぶり、ナツミのことを思ったりした。そのことに対し、別に罪悪感はなかった。エミだって気持ちいいはず、もちろんオレも気持ちいい。そしてたぶんいつかは別れるはず、なら今は別にいいだろう。
ある日、ラブホテルの中、エミは珍しく仕事の愚痴を言った。とても意地悪な同僚がいて、色々と腹の立つ事を面白可笑しく話してくれたので、ユウジも楽しく聞いていた。が、エミは突然泣きだした。彼のTシャツがグショグショになった。エミの涙と鼻水が胸に広がっていった。
脳天気に見えたエミにも、泣くほど嫌なことがあるんだ。世界はなんてせまいんだ。彼女もオレに依存していたんだ。そしてオレには好きな人がいる。明らかに泣いていながらも「泣いたりなんかしてないからね!」と強がるエミがたまらなく健気に見えた。その後のセックスは今までで一番燃えた。
でもそんな関係も長く続けるべきじゃない。ある日ユウジは決心した。
「別れよう」とエミに言った。「え? なんで? 私のことを嫌いになったん?」そんなことはない。「なんか悪いとこあった? あったらちゃんと言って! 治せるんやったら治すから…」
ユウジは正直にナツミのことを包み隠さずに話した。正直に話すというのは単なるユウジ自身のエゴで、そのことがかえってエミを傷つけるなんて考えもしなかった。
「ユウちゃんは私のことを好きじゃないのにエッチしたん?」
ごめんなさい。
「じゃあもうユウちゃんとは会われへんの?」
ユウジはなにも言えなかった。グスグスと泣きながら背中を向けて立ち去るエミは迷子の子供のように見えた。いや、迷子の子供そのものだった。
それから一ヶ月のあいだ、ナツミには会わなかった。ふとエミのことが気になり、非通知で彼女に電話をした。「もしもしぃ?」エミらしいおっとりとした声だった。思わずユウジは電話を切った。そして彼女の電話番号を携帯のメモリーから消した。
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