第19話
「よっ! 遅れてごめん! 東京で夢見る青年、元気にしてたか?」
ナツミは三十分遅刻してきた。
「夜勤明けでなぁ〜、目覚ましセットしてたんやけど二度寝してしまってん、ごめんなぁ〜」
拝むように両手を合わせ、上目遣いでオレの表情を観察し『申し訳ない笑顔』を作るナツミ。
久しぶりに会うというのに遅刻くらいで怒ってはいけない。自分にそう言い聞かせた。でも、今日という日が過ぎればまたしばらく会えなくなるというのに……彼女は平気で遅刻して三十分も無駄にするんだ。彼女にとってオレは所詮、その程度の存在なんだ。
心を許しているだけあって、彼女の前ではすぐに拗ねてしまう。ダメだ、せっかく会ったのに笑顔で返さなきゃあ
「遅刻したし悪いから、今日は私が奢るね」
「え? ホント?」
そんなことでオレの機嫌は回復した。ナースは収入がいいし、こういうときは甘えよう。オレとナツミは河原を離れ、繁華街の中央に歩き出した。
「どうする? とりあえずカラオケでも行く?」とオレ。
「ん〜、やめておく。積もる話もたくさんあるし、今日はとことん語りあお!」
そうなのだ。ふれワードで会う女の子と同じような遊び方をしてどうする? 彼女とは歴史がある。オレのことを世界で一番知っている女の子なんだ。話すことなんていくらでもある。
街を歩くと至る所に彼女との記憶が染み着いている。彼女と一緒に選んだジャケットを買った古着屋、春の夜、並んで座った公園のベンチ……あの夜オレは言ったんだ『君がどうしても性行為を拒むのなら、オレはオナニーで我慢する! だからもう一度つきあおう』オレはそのとき、ドラマみたいなシーンで物凄いセリフを言うよなぁ、やっぱり面白いや、オレ。と冷静に自分自身を観察していた。なのに彼女はありがとうと言って泣いていたのだ。オレたちのカップルは少しずれていた。
「なぁ、あの公園でのセリフ覚えている?」とオレ。
「うん、あのときは感動した」
オレたちは笑った。本当におかしかった。
久しぶりのデートだというのに、久しぶりという感じがしなかった。オレたちはすぐに昔にもどることができた。
でも、やはり今までのデートとは明らかに違う。昔話が多いのだ。所詮、距離が離れてしまえば過去の人間なのか? また一年後、彼女とデートしたときに、今日のデートのことを話題にしているのだろうか? そう思うと悲しかった。
だからオレは一度も入ったことのない新しい居酒屋を選んだ。
昔話があまりにも楽しいのは、今の自分の生活がショボくて満足のいっていない証明だ。若者は未来のこと、最近のできごとで盛り上がらなくちゃダメだ。
オレもナツミもカクテルを注文した。
そして乾杯をした。グラスを重ねる感覚でキスができたらいいのに……オレはカクテルを一気に飲み干した。
グラス越しに彼女を見つめる。少し傷んだ黒い髪、笑ったときエビスさんのように半円形になる目、人の良さそうな目だ。ちっとも変わっていない。一年でそんなに変わるわけがないか。
「さぁさぁユウちゃん! 今日は私の奢りやから遠慮せんと食べてね!」
「うん、普段ろくなもん食べてないから助かるよ」メニューを開く。
「一人暮らしやろぉ? ちゃんと自炊はしてるんか?」
「うん、でも晩飯はほとんどバナナかうどん。炊飯器まだ買ってないんよ。知ってる? 東京行って三ヶ月で五キロもやせてんで」
「もぉ〜、いつか体壊すでぇ〜、しっかり食べんとあかんやないの! お肉や野菜や魚とか食べや。夏バテおこして倒れるでぇ、一人にしてたら心配やわ」
こうやって彼女に母親のような口のきき方をされるのが少し心地よかった。どうやらオレはマザコンの気があるみたいだ。
とりあえず、シーフードサラダ、軟骨からあげ、そば飯、子持ちししゃも、揚げだし豆腐を注文した。
最初に飲んだカクテルはすぐに効いてきた。オレの顔は赤黒く火照ってきた。ナツミの手首を掴み、オレの顔を触らせる。彼女はオレの酒の弱さに驚き、感心するように笑った。
「どう? 最近はなにか変わったこととかあった?」とオレ。
「最近は仕事が忙しくてなにもないわ。ユウちゃんは?」
変わったこと……あることはある。だが、全部が全部ふれワード絡みの物語だ。話してしまって……よいものだろうか?
「いや、まぁ、あるといえばあるし。限りなくゼロに近いといえばゼロに近いともいえるし、そんなとこやね!」
と言葉を濁した。
「最近はコントとかやってるの? 台本とかあったら見せてほしいわぁ」
「う〜ん、ノートは今はないなぁ。口で説明するのは難しいコントが多いねん、体の動きで笑わせる……みたいな」
まったくよく言うよ、オレも。今の生活ぶりを知ったらナツミはどう思うだろう? 今のオレには彼女に提供できる話題がなにもない。ただ食って寝て、たまに性行為をしてるだけだ。目をキラキラ輝かせて語るような話はなにもない。
ナツミと一緒にいると彼女の顔を見ているだけでも飽きない。恋しさと懐かしさで頭の中がパンクしそうになる。でも時間は過ぎていく……なにか話さなければもったいない。
オレたちはモーニング娘の四期メンバーで誰が一番人気が出るかとか、最近観た映画の話をして盛り上がった。これじゃあ普通のデートと同じだ。違うだろ! なんかこう、もっとお互いの内面に……
「あのさ、最近は悩みとかはあるの?」
待ってました! とばかりにナツミは深刻そうな顔をしてうつむいた。
「うん、悩みっていうかね……」
爪楊枝で軟骨を転がしている彼女。
「自分を演じるのにも疲れたわ。みんながみんな、私のことを優しくて人当りのいいナツミちゃんやって思っていて、私だって怒りたいときがあるのに、でもそれをやってしまうとみんなビックリしてしまうわけで。汚い部分とかたくさんあるのにそれを見せることができない……というより許されないし、冗談やと思われるし、まわりの人間が勝手に私をイメージして性格まで作っているみたいで。もともと私ってどういう性格なんやろう? って自分でもわからなくなってしもて……」
一つの軟骨に彼女はたくさんの爪楊枝を刺していたので『黒ヒゲ危機一髪』みたいになっていた。あの軟骨はちょっと食う気がしないな。
「ねぇ、私ってどういう性格やろか?」
真面目、純真、善良、熱血、偽善者っぽい、夢見がち、博愛…こんなのもたぶんオレのイメージにすぎない。人の性格なんて簡単に説明できない。だからオレは『性行為をさせてくれなかった女性の前で死にたいと言い、あげくに居酒屋のお金を要求した男』の話をしてあげた。そして爆笑。
「ユウちゃんのまわりには変な人ばかり集まるね」
ナツミはおかしそうに目を擦りながら言った。
「まぁ、その彼なんかは本心見せまくり、弱いところ曝けまくりで大恥かくことが多いらしいからさ、それはそれで困りもんやろ? いつもネクタイをしめろ、とまではいかなくても、服くらいは着たほうがええやん?」
「そやね、ありがとう。じゃあ私も親しい人の前でだけはネクタイくらいは外すわ」
オレの生き恥経験がこんな形で説法になるとは思わなかった。ありがとう、昔のオレ。
考えこむタイプの彼女だから、他にも悩みはあるはずだ。それを少しでも多く下ろしてやるのが男のすることだ。
他にも悩みあるでしょ? 言ってみ。
「患者さんがね、いなくなるときってたまにあるんやけどな……」
「退院?」
「ううん、そうじゃなくて、病院で死ぬことってあるやん……」
「あ、あ、う……うん」
お、重いテーマだ! オレに気のきいたことが言えるのだろうか?
「最初はね、患者さんが死ぬたびにショックをうけててん。ご飯もノドを通らないほどに。でもな、最近はな、前ほどショックをうけなくなってきてん。仕事とはいえ、人が死ぬのに慣れるってどう思う? わりきってしまってええんやろか? だってね、親しかった患者さんが亡くなってショックをうけてるはずやのに、家に帰ったらそんなことは何も知らない家族が冗談を言って、それで私、笑ってるんやで! どう思う? ひどいと思う?」
自分の中にある汚いもの、人間が生きていくために必要ないい加減さを認めようとしない彼女の潔癖さ……オレにはそんなものは微塵も持ち合わせていなかった。だから彼女が好きだった。でもそんな融通のきかない性質は彼女を苦しめるだけなんだろう。
「でもさ、例えば生きている人でもさ、ケンカをして仲直りできなかったりとか、片方が会いたくなかったりで、もう片方を無視したりとか……そういう理由で会えなくなるってのも辛いと思う。だから最後を看取ったってことはけじめをつけたっていうか……無責任なサヨナラじゃないわけで、それは悲しいことじゃなくて、もっと悲しいのは……」
あれ? オレはいったいなにを言っているんだ? 話がずれてきてないか?
「うん、ありがと。なんとなくわかる」
ナツミが逆にオレを助けてくれた。
話が少し途切れたので時計を見ると九時だった。そろそろ出なければ……居酒屋なんて騒がしい場所ではムードを作ることができない。そんなところに長居をしてみろよ、外に出て「これからどうする?」「今日はもう遅いし帰るね」これで性行為はおじゃんになってしまう。決戦は鴨川の河原だ! そこでどうやってムードを作るべきか?
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