第8話 ナツミ

 ユウジが次にナツミと会うのはそれから一ヶ月後のことだった。


 ユウジはこの一ヶ月、ナツミの顔を忘れないように、テレビや雑誌で女性タレントを見るたび『あ、これ目元が似てる』『あ、そうそう、輪郭はこんなだったよな』と細かくチェックし、目は中山エミリ似、輪郭は高橋由実子……と頭のなかでモンタージュを作成した。


 モンタージュとは一致しなかったけど、一ヶ月ぶりに見るナツミは素敵な笑顔だった。バラのような美しさではなく、タンポポのような可愛らしさがあった。


 ユウジたちは彼女の行きつけのお好み焼き屋に入った。


 お酒が進むにつれて、恋の話になった。ときメモの話は隠しておいた。ユウジは好きな子を友人に取られ、風俗で童貞を喪失したことを話した。会って二回目の人になんでこんな話をするのだろう? たぶんこの女の子なら同情してくれるとオレはふんだのだ。プライドが邪魔して周りの友人には話せなかった。でも、ナツミになら同情されたっていい、むしろ同情されたい。『かわいそう』とオレのために目を潤ませてほしかったんだ。


「話をしてくれてありがとう」ナツミは言った。今度は私の番やね、と、彼女は少し前に二十才も年上の外科医と不倫をしていたと告白した。


 え?


 固まるユウジ。そんな童顔のくせになにやってんの? ナニやってんの? あぁ、オレの恋も終わった! 彼女を傷つけてるとんでもないやつがいるんだ、くそ! やっぱ医者ってモテんのかな、こんな年下をゲットしやがって! オレなんかよりもずっと収入いいんだろうな。さまざまな感情がシェイクされた。

 そんな彼の動揺をくみとったのか彼女は

「でも半年前の話やから。それに肉体関係はなかったし、なんかドロドロするのって私いややから」 

 と出羽先を串から取りながら笑った。別に笑うところでもないのだろうが、彼女にあわせて笑ってみた。少し歯がしびれた。


「なんか、会ってそんなに経ってへんのに、いきなりかっこ悪いね、私ら」


 ナツミはユウジの目を見て言った。ユウジは照れくさくて目をそらしたくなったが、目をそらしたくもなかった。視線を外すと失礼な気がした。


「うん、こんなにかっこ悪いのって久しぶり、修学旅行の風呂以来やわ」


 そしてオレたちは笑った。嬉しいときにも涙が出るように、少し悲しいときにも笑うことがあるんだ。と、ひとつ勉強になった。そんなこととはおかまいなしに、お好み焼きの破片は焦げ付いていた。ジャンケンで負けたのでオレがそれを食べた。そして店を出た。

 彼女にはかっこいいと思われたいけど、かっこはつけないでおこう。でも少しずつは、かっこよくなっていこう。


 それから何度かデートした。夜に会って居酒屋に行くことが多かった。


「今ね、私、ラブレターの本を読んでるねん。幼稚園の子供が先生に書いたのとか、七十のおじいさんが長年連れ添った妻に書いたラブレターとかね、いろいろ載ってるねん」


 ナツミは一冊の本をだした。


「へぇ〜、なんか詩集みたいやね」


「そや! 私らも書いてみいひん? この本の第二弾が出るからラブレターを募集してるらしいねん! いっしょに出そ!」

 ナツミははしゃいで言った。その勢いに負け、ユウジはうなずいた。


「じゃあ次に会うときまでの宿題ね、約束やで!」

 ナツミはユウジの肩をバンバンと叩いた。


 これはオレにたいして告白のチャンスをくれたのだな?


 その八日後にナツミと会った。

 彼女が来るまでユウジは駅前のケンタッキーフライドチキンで、ラブレターの編集作業をしていた。あぁ、三行めと一六行めの表現は重複しているなぁ……カット! ここはちょっと臭すぎる感じがするし、削っちゃおう! 起承転結が大事やね。山場の前にもうちょっと言葉がいるかな? と、まるでコントの台本を推敲するように要領よくまとめた。どうせ見せるのなら、伝わりやすいかたちにするべきだ。気持ちをそのまま真直ぐにぶつければいいというものではない。相手にわかりやすい形で伝わらなきゃ意味がない。


 そして、ナツミが来て一緒に居酒屋に入った。ユウジはアルコール類を注文するなり、ラブレターのことを聞いた。だが、彼女は「あ、ごめん! もってくるの忘れてたぁ! めんごめんご!」と、すっとんきょうな声を出した。ユウジはしばいたろかと思うた。彼女はたいした意味もなしに『ラブレターを書こう』と言ったのか? だとすれば……オレ、フライングしてるじゃん!


「ユウちゃんは書いてきたん? 見せてよ見せてよぉ!」


「いや、ここではちょっとムードが……」


「ムード? なんでなんで?」


 まだガーリックチャーハンや大根サラダもテーブルに届いてない状態なのに、こんな序盤に告白が失敗したらこのあとどうなるのだ。


 たくさん食べて飲んで居酒屋を出る。石畳の緩やかな坂道を歩き、ユウジたちはベンチに座った。


「さ、見せて見せて! ラブレター!」

 ナツミは無邪気なテンションだった。


「よし! じゃあオレが詠んで聞かせるわ!」


 茶封筒からルーズリーフを取り出し、広げるユウジ。やはり告白は自分の声で……。


『一目惚れって言葉を信じますか? ぼくは信じます。あのとき、たまたまあなたが隣にいた奇跡に感謝します。あなたといるときは春の朝、布団の中にくるまってるときのような安心した気持ちになります。あなたがいる、ただそれだけで、親に内緒で遠くの街に出かける子供のように浮かれてしまいます。………………………』


 読めん。


 とてもこんなの朗読できん。そもそもなぜ一人称が『ぼく』になっている?


「ごめん! やっぱ君が読んでくれ!」

 ユウジは彼女に手紙を押しつけるように渡した。少し首をかしげてナツミは手紙を受け取る。


 手紙を見て一言。


「あれ? ユウちゃん。応募規定って確か百文字以内やで! 言わんかったっけ?」


「そ、そうなん? ま、まぁ、読んでみてよ……」


 五秒程、目を通してからナツミが言った。


「あれ? もしかしてこれって私のことを書いてくれてんの?」


「うん、まぁ……とりあえず最後まで読んでみてよ!」


「あ、解りました……」


 待っている間はやることがなく落ち着かない。判決はどう出るのか? 足をパタパタさせたり、ギターを弾くマネなんかをしてるオレ。ガキみたいだ。


「これ、信じていいの?」とナツミ。


「うん、君の前ではほんまのことしか言いたくないからオレ」


 この手紙もらっていいの? うんあげる。ありがとう、私も返事書くから住所教えて。OK、百文字以内で書いてきてや! もう、さっきのは勘弁してや!

 ユウジとナツミは笑った。ドラマみたいなカッコいい告白は出来なかったけど、これはこれで、オレとナツミらしいやと思った。これからもいろんなドラマを彼女と織り成していくんだ。


 一週間後、彼女からの手紙が速達で届いた。


『ユウちゃんといると、普通の人はみんな見過ごしてしまいそうな、忙しさでみんなが見落としてしまいそうな物事を気づかせてくれる。人がつまらないと思うことを自分の手で楽しくして、過ごす時間がいっそう楽しくなる。できれば私もあなたの中でそういう存在になりたい』


 オレはよく友人から「宮本ってほんましょうもないことばっか言うよなぁ、ほんまアホやなお前って!」と笑われるが、この手紙も同じ内容なのだ。でも褒められたような、評価されたような気がする。ものは言い様次第なのだ。なんだか自分に自信が持てた。


 そんなわけで、二人は恋人同士になった。


 ユウジは月に二、三度、小さな事務所のコントライブの舞台に立っていた。観客はだいたい三十人くらいしか入らなかった。演じてるほうは真剣だったと思うが、観客からすればちょっとした学芸会みたいだったろう。


 彼女はユウジがコントライブをやるときはよく足を運んだ。舞台の上に立つのは自分が好きだからやっていることなんだけど、彼女の喜ぶ顔が見たいからやっている、そう思うと練習も楽しかった。ユウジは相方の喜ぶ顔よりも彼女の喜ぶ顔を想像してネタを書いていた。


 デートのときナツミを楽しませようとはしゃいでるオレが好き。かっこいいところを見せようと頑張っているオレが好き。彼女を励ますオレが好き。どうしようもなく自信をなくし、けど彼女に懸命に励まされ、結局は頑張るオレが好き。彼女と出会ってからは、彼女の目という鏡を通して自分のことが初めて好きになった。また、そんなオレに導いてくれる彼女のことが大好きだった。


 今まで髪型や服装に気を使わなかったユウジが、ナツミとデートを重ねるうちにだんだんと気を配るようになってきた。また、彼女と接するうちに、他の女の子とどう接すればいいのかもだんだんとわかってきた。意味もなく女の子の前で赤面したりどもったりすることもなくなったし、ちゃんと異性の目を見て話せるようになったし、初対面の女の子とも談笑できるようになった。


 恋をすると女の子は綺麗になる……なんて言葉があるけど、どうやら男にもそれは当てはまるみたいだった。髪を染めたり、流行りの服を着てみたり、外見上の変化はもちろん。どういうふうに接すれば女の子は喜ぶのか、彼女を通して知らぬ間にユウジは学習していた。




 

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