第21話『ほんと』

 昼休みが終わる直前になって、優那は教室に戻ってきた。

 午前中と同じように、午後の授業でも何度も優那のため息が聞こえた。そんな彼女に、前川など優那の近くの席の生徒も気にしているようだった。

 それでも、優那が隣にいる中で今日の授業は全て終わり、放課後となった。


「今日はずっと、大曲は元気がなかったな」

「そうだね。きっと、明日には元気になっているから大丈夫だよ」

「……真宮がそう言うなら大丈夫か。じゃあ、僕は部活に行ってくるよ」

「頑張れよ。また明日」

「ああ、また明日な」


 そう言って、前川はいつもの爽やかな笑みを浮かべながら教室を後にした。


「優那ちゃん。優那ちゃんに大事なことを話したいんだけれど、これから付き合ってもらってもいいかな」

「えっ?」

「今日の優那を見てきて、小春と俺は思ったんだ。優那はとても重要な勘違いをしているかもしれないって。その勘違いが、優那にため息ばかりつかせていたのかもしれない。教室だと人もまだいるから、ストーカーを捕まえたあの多目的スペースまで行こうよ。そこでちゃんと話したい」


 人がほとんど来ないあそこなら、周りを気にすることなく色々なことを話せると思うから。

 俺の言葉に対して、優那は黙って俯いたままだけど、


「行こう、優那ちゃん」


 小春が優那の手を握り、強引に教室から連れ出した。そんな小春に対して、優那は何の抵抗もしなかった。俺や小春に向き合おうとしてくれているのかな。

 多目的スペースに行くと、小春のストーカーを捕まえたときと同じように、生徒や職員は誰もいなかった。

 俺達は3人並んでベンチに座る。ただし、優那を俺と小春で挟むようにして。

 依然として優那が俯いているので、俺は小春のことをチラッと見る。彼女と目が合うと一度、ゆっくりと頷き合った。


「優那ちゃん。私と颯介君が話したいことって言うのは――」

「ごめん。小春、颯介」


 そう謝る優那の両眼には涙を浮かべる。ようやく優那が口を開いたんだ。今は彼女の話をしっかりと聞くことにしよう。


「あたし、追田先輩のことを怒る資格ないよ。デートするって聞いてから、2人がずっと気になっていて。実は昨日……2人の様子をずっと遠くから見てた。だから、映画のことも、パスタを食べたことも、ゲームコーナーでぬいぐるみを取ったことも、2人が楽しそうに歩いていたことも知っていたんだ。だけど、あの公園で小春が颯介に告白して、キスしたところを見たら胸が凄く苦しくなって。目の前の現実を受け入れたくて、あたしはその場から逃げたんだ」


 ボロボロとこぼれる涙を優那は両手で拭う。しかし、涙が止まる気配はない。

 やっぱり、小春と俺が思っていた通り、優那は昨日のデートの様子を見ていたんだ。小春が俺に告白してキスをしたところまで。


「それからは、颯介と小春のことがずっと頭から離れなかった。2人のことを祝福しないといけないのに、颯介が他の誰かの恋人になるのが嫌だっていう気持ちがどんどん強くなっていって。こんな形で颯介のことが大好きだって分かったのは、きっと今までひねくれたり、酷い態度を取ったりした罰なんだって思った。あたし、これから2人にどう接していけばいいのか分からなくて。色んなことを考えていて。眠れなかったり、返信が遅くなったりしたのはDVDを観たからじゃなくて、そのせいだったの。2人とも、本当にごめんなさい。今が苦しくて、辛すぎるよ……」


 優那は両手で顔を覆い、声を上げて泣き始めた。そんな彼女のことを小春がそっと抱きしめ、頭を撫でる。


「……予想通りだったね、颯介君」

「うん。ただ、ここまで深く考え込んでしまったことは予想外だった」

「そうだね。……ごめんね、優那ちゃん。優那ちゃんには、昨日のうちにデートのことを全部言うべきだった。確かに、私はストーカーの件を通して颯介君が好きになったよ。その想いをあの公園のベンチで伝えて、キスもした。でも、颯介君は……優那ちゃんのことが好きで、付き合うなら優那ちゃんしか考えられないっていう理由で私を振ったの。だから、颯介君は私と付き合っていません」

「えっ……」


 すると、優那はゆっくりと顔を上げて、目を見開いた状態で小春と俺のことを見てくる。


「今の話って本当なの? 颯介」


 俺からも、昨日のことと自分の想いをちゃんと説明しないといけないな。


「そうだよ。公園で小春から告白されて、キスされたから驚いた。正直、ドキドキもした。でも、一目惚れしてから、優那のことが一番好きだって気持ちはずっと変わらないし、恋人として付き合うなら優那しか考えられないよ。だから、小春の告白はキスされてすぐに断ったんだ。そのことを優那に話そうか考えたけど、小春のことも考えたら話さない方がいいのかなと思って話さなかったんだ。ただ、昨日のうちに話していたら優那がここまで辛くて、悲しい想いをせずに済んだかもしれない。本当にごめんね、優那」

「ごめんなさい、優那ちゃん」


 小春と相談して、昨日のうちに告白についても優那に話しておくべきだったんだ。そうすれば、優那が一晩中、小春と俺のことを考えることにはならなかったのかもしれない。

 再び優那は俯き、少しの間黙っていたけれど、


「……颯介と小春が謝ることじゃないよ。2人は気を遣ったから言わなかっただけ。ほんの少しでも心が強かったら、本当のことが分かったんだ。それができなかったあたしが悪いんだよ。2人は何も悪くないって」

「優那ちゃん……」

「……あの告白とキスをしたときの小春。今までの小春の中で一番強いなって思えたよ。だから、そんな小春を見習わなくちゃ。颯介に告白の返事を待たせているし、もうあたしの想いを漏らしちゃったけれどね」


 優那は俺の右手をしっかりと掴み、今日初めて彼女本来の可愛らしい笑みを俺に見せてくれる。


「あたしは颯介のことが大好きです。だから、颯介からの告白は……OKです。これからはあたしと恋人として付き合いましょう」

「ありがとう。これから恋人としてよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 優那はにっこりと笑みを浮かべると、俺にキスをしてきた。優那の唇はとても柔らかくて、熱くて、ほんのりと甘い。この瞬間に、俺は優那と恋人同士になることができたのだと実感した。幸せすぎて天に昇りそうだ。

 昨日、小春としたときも思ったけれど、キスは言葉以上に気持ちを伝えられる方法なんだなと思う。

 唇を離すと、そこには優しい笑みを浮かべる優那の姿があった。


「何だろう。颯介とキスをしたら、愛おしい気持ちでいっぱいになっていくね。あと、とても心が軽くなった。今までたくさん告白されて、振って、文句を言われたりしたからかな。晴れやかな気分になっていくよ。颯介と恋人同士になれて本当に良かった。嬉しくてたまらないよ。あたしのファーストキスをあげちゃったし」

「……そうか。俺も優那と恋人同士になることができて嬉しいよ」

「……優那ちゃん、颯介君。おめでとう。私が2人なら大丈夫だっていう証人になるよ。これから仲良く付き合っていってね。本当におめでとう」


 小春は嬉しそうな様子で、俺達に向けて拍手を贈ってくれた。笑顔を見せているけれど、とても悔しく思っているかもしれない。ただ、この拍手の音が心の奥まで響いているから、俺達が付き合うのを祝福してくれているのは確かだろう。


「ねえ、颯介。日が暮れるくらいまででいいから、颯介と一緒にいたいの。できれば……2人きりがいいって思ってる」

「そっか。真っ先に思い浮かぶのは俺の家になるけれど」

「うん。颯介の部屋でゆっくりとした時間が過ごしたいな」


 上目遣いで見てくる優那が可愛すぎる。こんなに可愛い子が恋人になったんだよな。あぁ、幸せだ。


「ふふっ、昨日は私が颯介君とデートしたから、優那ちゃんも颯介君と2人きりになりたいよね。私も帰るつもりだから、校門までは3人で一緒に行こうか」

「うん!」


 優那、ここに来たときの元気のなさが嘘のようないい笑顔をしている。

 その後、俺は優那と小春と一緒に校舎を後にして、校門で小春と別れようとしたときだった。


「颯ちゃん! やっと来たよ!」


 バッグを持った姉ちゃんが、大きく手を振りながら俺達のところにやってきたのだ。俺に会えたからとても嬉しそうだ。


「姉ちゃん、どうしてここに……」

「今日は大学の講義が早めに終わったから、颯ちゃんのことを待ち伏せしていたの。そうしたら、なかなか姿が見えなくて。ようやく来たと思ったら……ふふっ、優那ちゃんとしっかりと手を繋いじゃって」

「ああ、これは……」


 姉ちゃん、俺が告白したことを知った上で優那を気に入っているけれど、付き合い始めるって知ったら凄くショックを受けそうだ。でも、ちゃんと伝えないと。


「姉ちゃん、ついさっき……優那から告白の返事をもらって。俺、優那と恋人として付き合うことになったんだ」

「颯介と付き合うことになりました! これからもよろしくお願いします」


 真剣な様子でそう言うと、優那は姉ちゃんに対して頭を下げる。


「……よろしくね、優那ちゃん。あと、おめでとう。お姉ちゃん、泣いちゃうほどに嬉しいな。きっと、いずれは優那ちゃんっていう可愛い義理の妹ができるだろうし。そう、この涙は嬉しさから来ているんだからね! 決して、可愛くてかっこいい颯ちゃんが、お姉ちゃんから離れるのが寂しくて流している涙じゃないんだから……」


 姉ちゃんは笑顔を見せながらも、涙を滝のように流している。まあ、こうなるのは予想通りだったけれど、嬉しいと言ってくれて良かった。


「あの、良かったらハンカチ使いますか?」

「ううん、大丈夫だよ、ありがとう」


 小春がハンカチを差し出すと、姉ちゃんは右手で涙を拭った。


「……もしかして、あなた……優那ちゃんの親友で、昨日、颯ちゃんとデートした小春ちゃん?」

「はい、そうです。初めまして、岡庭小春といいます」

「初めまして、颯介の姉の真宮菜月といいます。小春ちゃんのことは颯介から聞いているよ。あなたとは一度会ってみたかったの! 写真も可愛いけれど、実際に会うともっと可愛いね!」

「私も颯介君から話を聞いていて、一度、菜月さんと会ってお話ししたいなって思っていたんです! ここで会えるなんて嬉しいな……」

「私も嬉しいよ!」


 さっきの涙はどこへ行ってしまったのか、姉ちゃんは興奮した様子で小春を抱きしめる。小春も姉ちゃんの背中に手を回す。お互いに会いたがっていたので、それが実現して嬉しいのだろう。


「姉ちゃん。俺はこれから優那と一緒に家に帰るつもりなんだけど」

「そうなの。じゃあ、2人の邪魔をしないためと、小春ちゃんとお話ししたいから、お姉ちゃんはこれから彼女と一緒に駅の方に行こうかな。小春ちゃん、これから何か予定ある?」

「いえ、特にないです。むしろ、私の方が菜月さんに、これから喫茶店とかでゆっくりとお茶しませんかって誘おうと思っていたくらいで」

「そう言ってくれて嬉しいよ! じゃあ、一緒に行こうか」

「はい! 優那ちゃん、颯介君、また明日ね」

「うん、また明日ね、小春」

「また明日な、小春。日が暮れるくらいまで優那は家にいる予定だから、姉ちゃん」

「分かったよ、颯ちゃん。2人とも、仲良く楽しい時間を過ごしてね」


 姉ちゃんと小春は駅の方へ歩き始めた。小春が喫茶店でゆっくりとお茶をしたいと言っていたからその通りになるだろう。ただ、出会ったばかりの2人はお茶をしながらどんなことを話すのだろう。やっぱり、俺と優那のことや、姉ちゃんがOGということもあって真崎高校のことが話題になるのかな。


「小春も菜月さんも会いたがっていたなんて意外だね」

「俺が2人にお互いのことを話したら、興味を持ったらしくて」

「なるほど、颯介が2人を繋げたわけだ。凄いね。じゃあ……あたし達も行こうか」

「うん、そうだね」


 俺は優那と手を繋いで自宅に向かって歩き始める。

 初体験の恋人繋ぎはとても温かく、ドキドキして。これが恋人になるってことなのかなと思ったりもして。ただ、優那とはこうして一緒にいつまでも未来を歩んでいきたいと強く思うのであった。

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