第2話『シスター』

 家に帰ってからはずっと、大曲さんのことで悩み続けている。


『あり得ない! 最低! 絶対に許さないから!』


 大曲さんから言われたその言葉が何度も頭の中で響き渡る。

 よく考えたら、俺がやっていたことってストーカーと変わりないじゃないか。大曲さんはああいうことを誰かに知られるのを凄く嫌がっていたし、最低などと罵倒されて当然か。あぁ、学校で買ったブラックコーヒーが凄く苦い。


「ただ、あのときの大曲さんも可愛かったな……」


 あのときのことを振り返ると、顔を赤くして怒った表情もなかなか可愛らしかった。

 ただ、一番可愛いのはもちろん笑顔だから、それを取り戻すことができるようにしないと。そのためには放課後のことを謝るのが一番だと分かっているけれど。こんな俺を大曲さんは相手にしてくれるのだろうか。


「前川に相談してみるか」


 夕ご飯を食べ終わった後にそんなことを思いついた。1人で悩むよりも、誰かに相談した方が解決策も早く見つかるかもしれないし、気持ちも軽くなるかもしれない。


『大曲さんのことで相談したいことがあるんだけれど、大丈夫かな?』


 恋人がいる前川なら、何かいいアドバイスをしてくれるかもしれない。

 ――プルルッ。

 おっ、前川からかな。1件メッセージが届いている。


『もちろんいいぞ。どうした? 告白のことか?』


 大曲さんのことが好きだって知っているから、彼女のことで相談したいと言われたら告白についてだと思うか。


『ううん、違うんだ。実は放課後に、大曲さんが別の男子生徒から告白されるところを見て。その告白を断ったから一安心したけれど、俺がこっそりとのぞき見したのがバレて。最低とか許さないって言われたんだ。どうやら、そういう場面を他の人に知られるのが嫌だったみたいで。謝りたいと思うんだけど、かなり怒っていたから、どういうタイミングで謝ればいいいのか迷っちゃって』


 というメッセージを前川に送る。こうして文章にしてみると、俺、大曲さんに対してかなりひどいことをしてしまったと改めて思う。

 メッセージを送ってから2分くらいで、前川から返信が届く。


『なるほど。大曲が気になるお前の気持ちも分かるし、大曲が怒る気持ちも分かる。今日、彼女がずっと不機嫌だったのはその告白が絡んでいたのかもな。連絡先も知っているし、今すぐに謝ることもできるけど、今日の大曲を考えるとそれは止めた方がいいな。一晩経ったら、ある程度機嫌が直っている可能性もある。明日、学校で大曲に謝ってみたらどうかな』


 このメッセージを読むと、前川の方が大曲さんの気持ちをしっかりと考えているように思える。さすがは恋人がいるだけのことはある。


『分かった。アドバイスありがとう。明日、頑張って謝ってみるよ』


 前川にはお礼のメッセージを送っておいた。的確なアドバイスを受けたにもかかわらず、がっかりしてしまう。情けないな。俺。


「颯ちゃん、夕食のときに元気がなさそうだったけれど大丈夫?」


 気付けば、姉・菜月なつきが俺のすぐ側にいた。いつもなら神出鬼没に姿を現す姉ちゃんに驚くけれど、今はそんな元気さえなかった。家族の前ではいつも通りにしていたつもりだったけれど、姉ちゃんには見抜かれてしまったのか。


「まあ、色々とあってさ。悩んでいるんだ」

「やっぱり。颯ちゃんさえ良ければ、お姉ちゃんが相談に乗るよ? 同じ道を通って産まれてきた仲なんだし」

「……そう言われると、相談しない方がいいかなって思うよ。それに、もう友達に相談したし」

「ええ、大好きな颯ちゃんにそんな風に言われちゃうとお姉ちゃん、寂しい……」


 姉ちゃんは寂しげな表情を浮かべながら、ベッドに入ってきて俺に寄り添うようにして横になる。その瞬間、姉さんの長い黒髪から甘い匂いが香ってきた。

 姉ちゃんは俺を溺愛している。さすがにこの春から大学生になっただけあって、昔よりはマシになったけど。昔は一緒にお風呂に入ったり、同じベッドに寝たりするのは当たり前で。姉ちゃんが小学生のときは、学校の行き帰りは必ずと言っていいほど手を繋いでいたっけ。友達と喧嘩したり、からかわれたりしたときはいつも姉ちゃんが助けてくれたな。


「そうかぁ、颯ちゃんもついにお姉ちゃん離れかぁ」

「姉ちゃん離れっていう感じはないけれど。姉ちゃんは弟離れしないの?」


 俺を好きでいてくれるのは嬉しいけれど、姉ちゃんは大学生で俺は高校生。もう少し姉弟としての付き合い方を考えるべきではなかろうか。


「……お姉ちゃん、颯ちゃんにとって要らない人になっちゃったの?」

「そんなことないです。姉ちゃんが側にいてくれて嬉しいよ」


 涙を流されてしまうと、そう言わざるを得なくなる。


「良かった。もし、颯ちゃんに要らないって言われたら、お姉ちゃん首を吊って死んでいたところだよ」

「死ぬことだけは止めてね」

「うん!」


 姉ちゃんは俺の腕を抱きしめながら、にっこりと笑みを浮かべてくる。その際、腕にとても柔らかな感触が。俺に向けた姉さんの愛情が病的じゃないかと思うほどに深いのは気のせいだろうか。どうか気のせいであってほしい。


「じゃあ、お姉ちゃんに悩みを言ってみて?」

「ええと……」


 大曲さんのことで悩んでいると正直に言ったら、姉ちゃんはどう思うだろうか。ただ、それを隠したり、嘘を付いたりした方がより傷付いてしまうかもしれない。ここは正直に話してみるとするか。


「実は、高校のクラスメイトの女の子に恋をしているんだ。でも、色々とあってその子に最低だとか、許さないとか言われちゃって。謝りたいとは思っているんだけれど、具体的にどうしていけばいいのかどうか考えていてさ」

「えっ」


 姉ちゃん、思考が止まってしまったのか、無表情になり固まってしまっている。片想い中の女の子がいるのを知った衝撃が大きすぎたのだろうか。

 すると、姉ちゃんははっとした表情になり、

 

「お姉ちゃん、聞き間違えちゃったのかな。颯ちゃんから、高校に好きな女の子がいるって言われた気がしたんだけど……」

「聞き間違いじゃないよ。片想いの女の子がいるんだ」

「そ、そうなんだね……」


 はああああっ、と姉ちゃんは大きなため息をついて、露骨にがっかりとした様子を見せる。姉ちゃんにとっては大事件か。


「今までそんな話はなかったのに。まあ、颯ちゃんはかっこいいから、誰かに告白されるかもしれないとは思っていたけれど、まさか颯ちゃんが片想いをするなんて。ううっ、将来は颯ちゃんを監視したり管理したりして、お互いの初めてをプレゼントし合うつもりだったのにな。颯ちゃんと愛の結晶を一緒に作って、出産したかったな……」


 そんな未来はまっぴらごめんだ。


「颯ちゃんは今もその子のことが大好き?」

「もちろんだよ。大好きじゃなかったら、ここまで深くは悩まないよ」


 最低とか、許さないって言われたときにはお先真っ暗だと思ったほどだし。もちろん、彼女の笑顔を思い浮かべると温かい気持ちにもなる。


「……そうなんだね。凄く悔しくて死ぬほどに辛いけれど、お姉ちゃんとして応援するしかないか。もし、悩みの種の女の子が颯ちゃんの好きな子じゃなかったら、どうやって殺そうか考えるところだよ」

「そっか。恐ろしいことを考えさせずに済んで良かった」


 昔、俺のことを助けてくれたとき、ケンカの相手やからかった子を完膚なきまでにボコボコにしたこともあったな。大学生の今なら殺せるか。姉ちゃんのことだから、警察に逮捕されないように上手くやってのけてしまいそうだ。


「それで、その子とはどこまでしたの? キスしたの? それとも、まさか最後までしちゃった? 近いうちに私は伯母さんになるの?」

「片想いの子だって言っているじゃないか。キスはおろか告白すらしてないよ」

「……そっか。もし、そういうことの練習がしたくなったら、お姉ちゃんがいつでも相手になるからね」

「そいつはどうも。気持ちだけ受け取っておくよ」


 高校生の弟に対して言う言葉としてはあり得ないけど、それは昔からのことなので注意する気もなくなった。


「果てしなく脱線しちゃったから本題に戻ろうか。颯ちゃんはその片想いの女の子を怒らせちゃったから謝りたいんだっけ?」

「うん。告白されているところをのぞき見しちゃって。それについて謝るためにはどうすればいいか友達に訊いたら、明日学校で謝ってみるのはどうかってアドバイスされて。今のところはそうしようかなって思ってる」

「そっか。一晩経ったら気持ちが落ち着くこともあるもんね」


 姉ちゃんも前川と同じ意見か。


「そうなればいいなと思ってる。ただ、彼女は告白されたことを他の誰かに知られるのが嫌みたいで。そう考えると、俺、とてもひどいことをしちゃったなって」

「なるほどね。それだと、なかなか怒りが収まらないこともありそうだね。ただ、時間がかかってもちゃんと謝りなさい」

「ああ、頑張るよ」


 明日、大曲さんはどんな表情をして学校に来るのだろうか。隣に座る俺のことを見るのだろうか。不安だれど、原因は俺にある。ちゃんと向き合わないと。ちゃんと謝らないといけないな。


「じゃあ、そんな颯ちゃんを元気づけるために、今夜は久しぶりに一緒にお風呂に入って、一緒のベッドで寝よっか」

「それは遠慮しておく」

「ええっ、そんなぁ。颯ちゃんと一緒にお風呂に入りたいし寝たいよ! ……あっ、その子みたいに怒れば、颯ちゃんが折れてくれるかもしれない。颯ちゃん、お姉ちゃんはとっても怒っていますよ!」

「はいはい、そうですか。いくらでも勝手に怒っていなさい」


 嫌われているよりはマシだけれど、好かれすぎるのも考えものである。

 その後もしつこく姉ちゃんが絡んできたので、折衷案として俺の部屋のベッドで一緒に寝ることにした。久しぶりに、姉の温もりや匂いを感じながら寝るのは心地よかったことは秘密にしておこう。

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