第7話『さらり』
大曲さんの笑顔を見ることができたことに嬉しさと安心感を抱きつつ、俺はコーヒーを一口飲む。笑顔の彼女がすぐ側にいるからか、今までの中で一番美味しく思える。
「美味しそうに飲むね。コーヒー派なの?」
「そうだよ。紅茶も好きだけれど、どっちかって言われたらコーヒー派かな。大曲さんはどっち派?」
「あたしは断然、紅茶派。コーヒーも砂糖やミルクをたくさん淹れたら飲めるけれど、あまり得意じゃないかな。だから、真宮君が凄く大人に思える」
「確かに、コーヒーを飲むことができる人って大人って感じがするよね。小さい頃、コーヒーを飲む父親の姿が一番大人だなって思ったよ」
「それ分かるかも」
ふふっ、と大曲さんは笑う。何気ないことでも大曲さんと楽しくお喋りできるなんて。本当に良かった。嬉しすぎて涙が出てしまいそうだ。
「男子と普通に話して、しかも楽しいって思えるのは久しぶりだな。出会って間もない男子だと真宮君が初めてかも」
「そう言われると、何だか光栄な気分になるね」
すっごく嬉しい。心の中でガッツポーズ。昨日の俺では考えられないようなお言葉をいただいているよ。
「今朝の女の子も言っていたし、もう誰かから話を聞いているかもしれないけれど……あたし、ひねくれ女って呼ばれているんだ」
「昨日も女子生徒が大曲さんをひねくれているって言ってた。あと、実は昨日の夜に岡庭さんから電話がかかってきて、大曲さんのことを色々と教えてもらったんだ」
「そっか。昨日の放課後に真宮君へ冷たい態度を取ったことを小春に話したからね。あの子はとても優しい。出会って、親友になってから変わらずに付き合っているのは小春だけだよ」
「そっか。でも、岡庭さん言っていたよ。ひねくれているところもあるけれど、根は優しい女の子だって」
俺がそう言うと、大曲さんは頬を赤くする。
「……人づてでも、小春の本音を言われると照れるな。今までにも告白されて、振って、そのことで文句言われて。それが定期的にあったから心が潰れそうになって。どうすれば自分を守れるのか考えて見つけた答えは、不機嫌そうな態度を取ることだったの。本当に嫌だと思っていたから、そうするのは簡単だった。ひねくれ女って呼ばれるようになったけれど、告白されることも減ったし結果的には良かったかな」
「そうなんだ。岡庭さんは、一時期は連続で告白されてずっと不機嫌だったって言っていたけれど」
「……はああっ」
そのときのことを思い出したのか、大曲さんは大きくため息をつく。余計なことを言っちゃったかな。
「……あったな、そんなこと。そのときに凄く不機嫌で無粋な態度を取ってね。それを機に告白はかなり減ったよ。ただ、高校に進学したら、そんなあたしの過去を知らない人が多くなるから、もしかしたら告白されることが増えるかもしれないって思ってた。自意識過剰かもしれないけれど……」
本人はそうは言っているけれど、実際に入学してから数日ほどで男子生徒から告白された。それに、俺も彼女に一目惚れをした。彼女の予想は見事に当たっていたのだ。
どうやら、大曲さんにとって「告白される」という行為は、とても嫌なことのようだ。
好きだという想いを大曲さんにいつか伝えたいけれど、今は様子を見た方が良さそうかな。こうして普通に話せるようになったし。少しずつ仲を深めていくか。
「真宮君のときのように、酷い態度を取ったことはこれまでに何度もあった。怒る人もいれば、泣く人もいて。一切関わらなくなる人もいた。でも、あたしに向き合おうとして、挨拶を変わらずにしてくれたのは真宮君が初めてだった。どうして、真宮君はこんなあたしと向き合おうとしてくれたの? 小春みたいに付き合いが長いならまだしも、君は出会ってまだ1週間も経っていないのに」
今まで一番と言っていいくらいの真剣な様子で、大曲さんは俺のことを見てくる。きっと、彼女なりに俺と向き合おうとしてくれているんだな。
「岡庭さんと比べたら、俺はほんのちょっとしか大曲さんとは話したりしていないよ。でも、そのときの大曲さんは楽しそうだった。岡庭さんに見せる笑顔こそ、本当の大曲さんだとも思えて。ただ、俺が隠れて告白を見たから大曲さんの心を傷つけて、学校で笑顔を見せることがなくなった。それがとても心苦しくて、悔しくもあった。昨日まで大曲さんの事情は知らなかったけれど、とにかく大曲さんには笑顔を取り戻して欲しかった。笑顔でいる方がきっと学校生活も楽しくなると思うし。好きな人の笑顔を一日でも早くまた見たいっていう俺の我が儘でもあるんだけれど。大曲さんの笑顔はとても可愛くて素敵だから」
だからこそ、たくさん悩んだ。姉ちゃんや前川、岡庭さん、冨和さんにも相談した。大曲さんと少しでも向き合えるように挨拶だけは欠かさずにしようと決めた。
大曲さんに色々と言われてしまったけれど、謝って、仲直りして、またこうして大曲さんとたくさん話すことができるのが嬉しい。
「ねえ、真宮君。……今、何て言った? 特に最後の二言」
大曲さんは顔を真っ赤にして、俺のことをチラチラと見てくる。
「ええと、好きな人の笑顔は一日でも早くまた見たいって……あああっ! い、言っちゃった……」
かなりのうっかりをしてしまった。
今は様子を見て、親交を深めてから告白しようって決めたのに。まさか、こんな形で大曲さんに好きだと言ってしまうなんて。色々な意味で恥ずかしくなり、急に全身が熱くなる。きっと、今の大曲さん以上に顔が赤くなっているだろうな。
「やっぱり、聞き間違いじゃなかったんだ。……改めて訊くけれど、真宮君はあたしのことが好きなの?」
「……もちろん。大曲さんのことが好きだよ。入学式の日、クラス分けの紙を岡庭さんと一緒に見ているときの大曲さんの笑顔に一目惚れしました……」
「そっか、そっか……」
うん、うん……と大曲さんは何度も頷いている。
本人に好きになったきっかけを言うのって、こんなにも緊張することだったんだ。言葉にすると凄く気恥ずかしい。
「小春と一緒のクラスになったから、あのときは小春も嬉しそうな顔をしていたよ。小春は笑顔が素敵だし、女の子らしいし、胸だってあたしより大きいし、何よりも優しいし。その笑顔、小春のものと勘違いしてないよね?」
「岡庭さんの笑顔も素敵だとは思うけれど、勘違いしないよ。大曲さんの笑顔が一番好きだ。あと、綺麗なその茶髪もはっきりと覚えているから」
「そっか。それなら勘違いじゃないね……」
良かった、俺が大曲さんに好意を抱いていると伝えることができて。岡庭さんも魅力的な女性であるのは間違いないので、大曲さんは彼女と勘違いしていないかどうか確認したんだろうな。
「ありがとう、真宮君。こんなに心に響く告白は初めてだよ」
「……そっか」
「ただ、すぐには心の整理がつかないというか。一緒に高校生活を送って、真宮君のことをもっと知りたい。その上で告白の返事を考えたいな。真宮君のことを考えたら、早く返事をすべきなんだろうなってことは分かってる。こんなあたしの我が儘を聞いてもらってもいいかな?」
「もちろんだよ。ただ、いつでもいいから答えを聞かせてくれると嬉しい」
「分かった、約束するよ。……颯介」
「うん、大曲さん」
急に名前呼びをされると驚くけれど、キュンとするな。
突然告白されたら、すぐに返事はできないよな。ましてや、告白してきた相手が、ついさっき謝ってきた俺だから。今の時点で恋人として付き合うことになれば最高だったけれど、交際は2人ですることだ。今は大曲さんからの返事を待とう。そして、どんな返事でもしっかりと受け入れよう。
「ねえ。あたしだって、颯介って呼び始めたんだから、颯介もあたしを名前で呼んでほしいんだけど。距離を感じちゃうから」
「分かった。……優那」
「……うん、いい響きだね。悪くないかな」
そう言いながらも、優那はどこか嬉しそうだ。そんな反応をしてくれると俺はとても嬉しい。
「颯介。スマホで写真撮ってもいい? 色々と考えるときに颯介の写真があった方がいいかなぁって思うんだけれど。颯介もあたしの写真撮ってもいいから」
「俺はかまわないけれど、優那はいいの? 俺が写真を持っていて」
「当たり前だよ。あたしのこと、好きなんでしょ? 写真の1枚くらい持っていてくれた方がいいって。でも、変なことに使わないでよ!」
「そこは大丈夫だって。多分、ほっこりとした気分になるために写真を見るから」
「それだと、あたしがペットみたいに聞こえるけれど。まあいいよ。写真を撮ろう」
俺と優那は互いにスマートフォンで写真を取り合った。写真に写る優那の笑みもまた可愛らしくて。この笑顔に恋をしたのだと改めて思う。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな。ここからだと一番近いのは逢川駅なんだっけ?」
「うん、そうだよ。行き方は分かっているから、駅まで送っていくよ」
「ありがとう。せっかくだから、手でも繋ごっか」
「えっ、いいんですか!」
予想もしなかった提案なので、思わず敬語で反応してしまった。
「何を改まっているの。颯介は特別。あとは小春くらいにしかしない」
「そっか。じゃあ、手を繋いで駅まで行こうか」
「うん」
俺は優那の右手をしっかりと握って、一緒に逢川駅へと歩き始める。
彼女の手は小さいけれど、とても温かくて。幸せな気持ちと好きな気持ちがどんどん膨らんでいく。これは、傷心した昨日の俺が見ている夢なんじゃないかと思うくらいに。
「こうして手を繋いで歩くのもいいね、颯介」
「そう言ってくれるからか、俺はもう有頂天になりつつあるよ」
「ふふっ、大げさだな。ほんと、見た目はクールなのに中身は面白いよね」
「そうなのかな。まあ、褒め言葉として受け取っておくよ」
今の俺なら、優那から発せられる大抵の言葉をポジティブに受け取れる自信がある。そのくらいに心が復活していた。
その後も他愛のない話をしながら、優那と一緒に逢川駅まで歩くのであった。
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