11 キミの気持ちとホットサンド
久しぶりにパッチリと気持ちよく目が覚めたルウンは、いつになく自分の体が軽い事に気がついた。
熱っぽくて怠い感じが抜けていて、上半身を起こしてみても、ぐらりと目眩を起こす事もない。
「治った……!」
ぱあっと顔を輝かせて早速ベッドから出ようとしたルウンだが、何か重たいものが端の方に引っかかっていて布団が捲れない。
視線を向けてみると、ベッドの端にかろうじて頭を乗せた状態で眠るトーマの姿があった。
椅子に座って眠っている途中で滑り落ちたのか、前のめりに倒れたのかは分からないが、何とも言えない体制でベッドの端に頭を預けているトーマに、ルウンは引っ張っていた布団からそっと手を離す。
今無理やり捲ってしまったら、確実にトーマの頭が床に落ちる。
そっと離した手をちょこんと膝に乗せて、ルウンは眠るトーマを見つめる。
顔はベッドに押し付けられていて見るからに苦しそうだが、トーマからは安らかな寝息が聞こえていた。
しばらくジーッとその姿を見つめていたルウンは、徐ろに手を伸ばして、ちょこんとトーマの頭に触れる。
ちょんっと触ってはすぐに手を引いて、幾度か繰り返してみてもトーマが目を覚まさない事を確認すると、今度は髪の間に指を差し入れた。そのまま、梳くようにしてトーマの髪を撫でる。
全体的に黒いトーマの髪だが、光の加減によって所々茶色くも見える。その不思議な色の変わり具合に目を奪われて、ルウンは何度も何度も髪を梳いた。
しばらくそうして髪の毛で遊んでいると、くぐもった呻き声のようなものが耳に届く。
ビックリして手を止めると、突然トーマがむっくりと顔を上げた。
「ぼくはなにものにもしばられない!じゆうなたびびとなんだぁあー」
両手を大きく天井に向かって伸ばしながら、トーマが声高に宣言する。
突然の事にあっけにとられ、呆然とその様子を見つめていたルウンは、ハッと気がついた。
「……トウマ?」
トーマの瞳は未だぴったりと閉じたままで、ルウンが名前を呼んでも視線は合わない。
「ぼくはたびにでる!じゆうのたびだあぁあ」
ぐわああ、と妙な雄叫びをあげたかと思ったら、次の瞬間トーマの頭がぽてっと再びベッドの端に落ちる。
しばらくしても動き出さないトーマに、恐る恐る顔を覗き込んでみると、くかーくかーと寝息が聞こえた。
ルウンは堪らずクスリと笑みを零して、そのまま声を抑えてしばらく笑い続ける。
部屋の中に響くのは、クスクスと精一杯抑えた笑い声と、トーマの安らかな寝息。
窓の向こうはどんよりとした曇り空、けれどもその雲の隙間を縫うようにして、久しぶりの陽光が差していた。そのうちの一筋が窓のすぐ側にも差し込んで、部屋の中にも光が零れてくる。
温かい光、でもなぜだか、その光を見ていると落ち着かない気持ちになった。
光の位置を変えるように雲が動くと、フツっと部屋に零れていた光も消える。それが、なぜだかとても安心した。
――まだ、あんなに雲がある。だからまだ、雨は降り止まない。
あんなに憂鬱だったはずの雨季が、早く明けろと願うばかりだった日々が、今は正反対の気持ちをルウンにもたらす。
このままずっと雨が止まなければいいなんて、そんな風に思ってしまうのは何故なのか。ルウンの中で、名前の分からない気持ちがどんどん大きく育っていく。
柔らかくて、温かくて、何か小さなものが、すっぽりと腕の中に収まっている。
猫だろうか……?いや、腕の中にあるものは、ふにゃりと顔全体の筋肉を緩めるようにして笑い、歌うようにして言葉を紡ぐ。
小鳥がさえずるような可愛らしいその声が、名前を呼んだ――――。
「……マ」
「……ト……マ!」
「トウマ!」
ハッとして目を開けたとき、トーマはまだ夢の中にいるような不思議な感覚に囚われたまま、ぐるりと首を巡らした。
すぐ隣に、ルウンがいる。昨日までのパジャマ姿とは違い、ばっちりと身支度を整えたルウンが。
「……あれ?」
思わず口をついて出た疑問符に、ルウンもまた不思議そうに首を傾げた。
「……トウマ、起きてる?まだ、寝てる?」
顔の前で確認するように左右に振られた手の平に、トーマの脳がようやく起きて動き出す。その瞬間、体中というより主に首の辺りに、痺れるような痛みが走った。
「うぎっ!?い、痛っ……」
原因はもちろん、おかしな格好で寝ていたせい。
昨日の自分を恨みながら、トーマは首に手を当てて、心配そうなルウンに苦笑してみせる。
「おはよう、ルン」
「おはよう。……首、痛い?」
「うん、まあ……。でもほら、自業自得だから」
それでもまだ心配そうな表情のルウンだったが、何かを思い出したようにハッと目を見開いて、遠慮がちにトーマの袖を引いた。
「……ご飯、できてる。行こう」
「え?あっ、そういえば美味しそうな匂いがしているね」
促されるままに立ち上がったトーマは、先を行くルウンのあとをついて寝室を出る。
凝りを解すように体を大きく動かして、痛む首を重点的に伸ばしたりしながら歩いていくと、テーブルの上には久しぶりに見る光景が広がっていた。
本日の朝食は、ハムとチーズを挟んで焼いたホットサンドに、トマトのクリームスープと目玉焼き。堪らず、トーマのお腹がぐううと音を立てた。
先にちょこんと椅子に座ったルウンが、自分の隣にトーマを手招く。
誘われるまま椅子に腰を下ろすと、並べられた朝食の香りが、より一層トーマの空腹を刺激した。
「いただきます!」と早速ホットサンドに手を伸ばすと、熱いけれど掴めないほどではないそれに、豪快にかぶりつく。
焼けたパンがカリカリッとこ気味いい音を立て、中のチーズがみょーんと盛大に伸びた。
次にスープ。クリームと一緒になっているおかげでトマトの酸味が抑えられていて、まろやかな味わいが何とも美味しい。
目玉焼きは、フォークを差し込むと半熟の黄身がトロッと皿に流れ出す。
これまで、ルウンに合わせて食事はスープ、それも飲んだり飲まなかったりを繰り返していたトーマのお腹は、久しぶりのちゃんとした食事で満たされていく。
この瞬間に始めて、トーマは自分がとんでもなく空腹だったことに気がついた。
目玉焼きにフォークを使う以外は、ホットサンドは手掴み、スープは器から直飲みと、がっつき過ぎにも程がある食事風景だったが、ルウンは準備したカトラリーが使われなくても特に不満はない。
むしろ、美味しそうに作ったものを平らげてくれるトーマの姿が嬉しかった。
「うん、美味しい。すっごく美味しいよ。やっぱり、僕が作ったものなんか比べ物にならないね」
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