5 優しさが交差する野イチゴジャム
「雨、凄いな……」
独り言のように呟かれたトーマの言葉に、ルウンは顔を上げて窓の向こうに視線を移す。
屋根裏に唯一ついている小さな窓は、打ち付ける雨ですっかり視界が曇って何も見えない。
昨日から降り続いている雨は、今朝になっても止むことはおろか、勢いが弱まることすらなかった。
「この時期、いつも。……時々止んでも、またすぐ降る」
ポツリポツリと言葉を返したルウンは、何も見えない窓から視線を外して作業に戻る。
これを期に思い切って壊れているものは処分しようと決めたルウンは、冬用の薪にするためバラす物を分けて、まだ使える物だけをトーマに運び上げてもらっていた。
それでも、また適当に置いていってはせっかく確保したトーマの寝る場所がなくなってしまうので、整理しながら置いていく。
徐々にそこは、雑多な物置から、“部屋”と呼んで差し支えない状態に変貌を遂げていた。
「ルン、この机はどこに置く?セットで椅子もあるけど」
トーマは、持ってきた机をルウンに見せて指示を仰ぐ。
雑多に放置されていた物達は、埃を落として綺麗に拭きあげると、どれも新品とまではいかないが、それなりの輝きを取り戻していた。
トーマが一階から苦労して持ってきた机も、造りがしっかりしていて、この先何十年でも余裕でもちそうな力強さがあり、揃いの椅子の方は、背もたれに繊細な掘り細工が施されている。
「トウマの、枕元に置く?」
「……遠慮しておこうかな。威圧感が凄すぎて眠れなくなりそう」
じゃあこっちに、とルウンが指差したのは窓の近くで、部屋の最も奥まった壁際。
「好きに、使って」
「いいの?ありがとう」
トーマが重たい机を何とか部屋の奥に設置すると、ルウンが揃いの椅子を運んでくる。
二つ合わせると、薄暗い屋根裏には不釣合いな重厚感が漂った。
「早速だけど、ちょっとだけ座ってみてもいい?」
なんだかワクワクした顔のトーマに、ルウンは不思議に思いながらも頷いてみせる。
椅子から離れたルウンに代わって近づいたトーマは、慎重にそこに腰を下ろした。
そうやって立派な机に向かっていると、“物書き”と言う言葉がよく似合う。
着古した旅装ではなく、ラフでも仕立てのいい服を着ていれば、きっと更に。
「うん。なんだか、とんでもなく偉い作家先生になった気分を味わえるよ」
そう言ってトーマは、ルウンの方を振り返って楽しそうに笑った。
「前にね、一度お世話になったことがある家の主が、たまたま僕と同じ。あっ、いや……同じなんて言ったら失礼か。その人は、とっても有名な作家の大先生だったんだ」
トーマは、その人の代表作だという本の題名を幾つかあげたけれど、ルウンにはピンとくるものが一つもなかった。
「そっか、分からないか。でも、世間からどんなに有名人だともて囃されようとも、万人が自分のことを知っていると思うのはただの驕りだって、その作家先生も言っていたからね」
いい言葉だ、とうんうん頷くトーマに合わせて、ルウンもなんとなく頷いておく。
「えっと、なんだっけ……あっ、そうだ!その作家先生の家にね、これと同じような立派な机があったんだよ」
実際には、大きさはもう一回りほど小さくて、椅子の背もたれには掘り細工なんてなかったけれど。
「だからなんかこう……座っているだけで、その先生みたいな立派な作家になれたような気分を味わえるんだ。気分だけだけどね」
そう言って苦笑したトーマは、そこからしばらく黙り込んで“とんでもなく偉い作家先生の気分”なるものを味わう。
「うん!堪能した。それじゃあ、続きをしようか。遊んでばかりいると、今日中に終わらないしね」
やがてトーマは、満足顔で立ち上がる。
「さて、次は何がいい?何を持ってきてほしい?」
問いかけられたルウンは、しばらく考え込むように口を閉ざした。
答えを待っている間にトーマは、机の表面を手で優しく撫でたり、椅子の背もたれの掘り細工を眺めたりして時間を潰す。
やがてルウンから返ってきた答えは
「……なんでも、いい。トウマが、運びたいやつから」
なるほどそうきたか、と微かに笑みを浮かべて、トーマは頷いた。
「分かった。じゃあ。僕が好きに選んで持ってくるね」
ルウンがコクっと頷いたのを確認してから、トーマは階段に向かい、一段ずつゆっくりと下りていく。
それからは、時折ポツリポツリと短い会話を挟みながら、二人は黙々と片付けを進めていった。
「このペースだと、今日中に終われそうだね」
何度目かの往復を終えたトーマの言葉に、ルウンはコクっと頷いて、今しがた受け取ったばかりの箱の置き場所を考えながら歩いていく。
中身は、置物やら花瓶やら写真立てやらの細々とした物。
あっちに置こうか、それともこっちに置こうか、キョロキョロと辺りを見回して悩むルウンを、トーマは後ろで静かに見守る。
何かあれば手伝いを、と思ってはいるのだが、ルウンは大抵のことは一人でやってのけてしまうので、中々トーマの出番はやってこない。
長く一人で暮らしていたからなのだろうが、ルウンは他人に頼ることを知らなすぎる傾向にあった。
ふらつきながら重たい物を持ち上げたり、高いところにつま先立ちで必死に手を伸ばしたりと、すぐそばにトーマがいても、決してルウンの方から声をかけることはない。
そんなルウンと一緒にいるうちに、トーマは自然とその姿を目で追いかけるようになっていた。
なんというか、とても危なっかしいのだ。
「ルン、疲れてない?」
無事に箱の置き場を定めたルウンの手が開いたところで、トーマは声をかける。
振り返ったルウンは、間髪いれずにふるふると首を横に振った。
それに合わせて、白銀の髪も左右に揺れる。
雨で昼間でも薄暗い屋根裏にあっても、その白銀は思わず目で追ってしまうほどに美しい。
「……トウマ、疲れた?」
ついつい見とれてしまっていたトーマは、気遣わしげに自分を見つめるルウンにハッとして、苦笑しながら首を横に振る。
「まだ全然大丈夫だよ」
“全然”はちょっと言いすぎな気もしたけれど、トーマとしては、昨日散々情けない姿を見せたところなので、これくらいは見栄を張っておきたかった。
けれど、「本当に……?」とルウンが疑わしそうな顔をしているところを見ると、見栄だと見破られている可能性は無きにしも非ず。
「本当に本当だよ」
どこまで信じてもらえるかは分からないが、出来るだけ自然に、無理をしているようには見えないように、トーマは”大丈夫”なのだと伝える。
やはり、最初に情けない姿を晒してしまったのは失敗だった――と密かに悔やみながら、トーマは次の物を取りに階段を下りていく。
一人残されたルウンは、疑わしさの中に気遣わしさも滲ませた視線で、その背中を見送った。
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