5
元より、会話をするのは好きだがお喋りなたちではないトーマと、一人ぼっちに慣れすぎてそもそも自分から口を開く事のないルウンとでは、当然のように沈黙が続く。
けれども、お互いその状況に特に苦痛は感じていない。
そうして今日も、午後のお茶の時間は、必然的な沈黙の中にあった。
テーブルの上にはいつも通りカップが二つと、二人分のお茶が入ったティーポット、今日はそこに、皿に盛られたビスケットとジャムの瓶が一つ追加されている。
トーマはルウンが野イチゴで作ったジャムを、こちらも手作りのビスケットにたっぷりとつけて口に運んだ。
サクサクのビスケットはちょっぴり塩気があって、それがジャムの甘味をいい具合に引き立てている。
ビスケットは単体で食べても美味しいので、トーマは時折何もつけずにビスケットを摘みながら、なんとなしに隣に座っているルウンを眺めた。
小さな口ではぐはぐと少しずつビスケットを齧っている姿は、相変わらずリスのよう。
ちょっと手の平に乗せてみたい……などと思ったことは、もちろん口に出しては言わない。
そうやってぼんやりと眺めていたら、不意に顔を上げたルウンと目が合った。
思わずビクッと肩が揺れたが、別に悪いことをしていたわけではないと思い直し、一瞬で表情を笑顔に変える。
「今日も凄く美味しいね」
にっこり笑うトーマに、ルウンは恥ずかしそうに微笑み返す。
その瞬間トーマは、ルウンの口の端に赤い煌きを見つけた。
いつかのルウンのように、トーマはそっと自分の口元を指先で指し示す。
示された場所を指先で拭ったルウンは、指についたジャムを舌先でぺろっと舐めとった。
その様子を眺めて、やっぱり小動物だと小さく笑みを零したトーマは
「ルン、まだ少し付いているよ」
伸ばした指先で、そっとルウンの口の端を拭った。
気遣うようにほんの一瞬だけ、口の端をトーマの指先が通り過ぎて行く。
驚く暇もなかった。
気がついたら、トーマは布巾で指先を拭いているし、触れてみた口の端にはもう何もついていない。
ほんの少し固まって、何が起きたのかを頭の中で整理したルウンは、何事もなかったかのようにカップに手を伸ばすトーマの方に視線を向ける。
「あ、りが……とう」
ん?と僅かに首を捻ったトーマは、程なくして納得したよう頷く。
「どういたしまして。ごめんね、急に触ったりして」
ルウンはふるふると首を横に振ると、ティーポットを持ち上げてトーマの方に向ける。
「トウマ、おかわり、いる……?」
「あっ、うん。いただくよ。ありがとう」
嬉しそうに笑ったトーマが近づけたカップに、ルウンはティーポットを傾けて、とぽとぽと中身を注いでいく。
ついでに残った分を自分のカップにも注いで、空になったティーポットをテーブルに戻す。
それから、どちらからともなく皿の上のビスケットに手を伸ばした。
再び訪れた沈黙に、降り続ける雨の音が自然と耳につく。
「……雨季だね」
窓の向こうを見つめながらポツリと呟いたトーマに、ルウンも窓の向こうに視線を移しながら、同意を示すように頷いた。
「ルンは、この雨季にもちゃんと意味があるって、知っていた?」
唐突なトーマの問いかけに、ルウンは窓から視線を外して首を横に振る。
「ちゃんとね、意味があるそうだよ。この雨の時期にも」
それは初めて聞く話で、ルウンはその“意味”を教えてもらうために、トーマの方に向き直って居住まいを正す。
その様子にクスリと笑みを零したトーマは、「あのね」と先を続けた。
「これから、暑い季節が来るでしょ?だからその前に、雨をいっぱい降らせて地面に水を蓄えさせるんだって。でないと、日が照りつけた途端に地面が乾いて、作物が育たなくなっちゃうから」
それは確かにとても重要なことなので、ルウンは、なるほどと頷く。
ほとんど毎日、それもほぼ一日中雨が降っていれば、憂鬱な気分にしかならない雨季だったが、そこにもちゃんと意味があるのだと分かれば、憂鬱さも少しは軽くなる。
雨季のおかげで作物が育つということはつまり、ルウンが育てている野菜達も、その恩恵に預かっているということなのだから。
「まあ、あんまり量が多くても、今度は地面が蓄えきれなくなって、災害に繋がったりするんだけどね。いい面もあれば悪い面もあって、一概には何とも言えないのが、この雨季だとも言えるかな」
これにもルウンは、なるほど……と神妙な顔で頷いた。
降らなければその年は凶作となるが、降りすぎれば災害に繋がるとくれば、確かに一概にいいとも悪いとも言えない。
今まで、憂鬱だ早く明ければいいと不満を零すだけだった雨季が、突然ルウンの中で意味を持つ。
忘れないように幾度か頭の中でトーマの言葉を反芻させてから、ルウンは小さく息を吐いてカップを持ち上げた。
少し冷めてしまったけれど、この方が飲みやすい温度であるとも言える。
トーマの方はビスケットに手を伸ばしていて、噛むたびにサクッサクッと軽い音が部屋に響いた。
ルウンもカップを置いてからビスケットに手を伸ばすと、ジャムをたっぷりとつけてから口に運ぶ。
サクッと口の中で崩れたビスケットを、野イチゴの甘酸っぱいジャムと一緒に噛み締める。
雨季の間は外に出られないため、必然的に家の中でお茶を飲むしかなく、それではいまいち気分も盛り上がらなかったのが、トーマと一緒ならば、それでも楽しく感じられるから不思議だった。
ルウンはカップの中に半分ほど残っていたお茶に、なんの気なしに野イチゴのジャムをスプーンでひと匙ぽとりと落として、ぐるぐるとかき混ぜる。
ほどよく混ざったところでカップを持ち上げると、驚いたように自分を見つめているトーマと目が合った。
「……今、ジャムを入れたの?」
何をそんなに驚くことがあるのかと思いながらも、ルウンはコクりと頷いてみせる。
トーマは驚愕に目を見開いたままで、ルウンの持つカップを見つめていた。
「ルンは普段から、紅茶にはジャムを入れるの?砂糖じゃなくて?」
これにもまた、ルウンはコクりと頷く。
昔から、お茶に甘味が欲しい時にはいつもジャムを入れていた。
砂糖とは違って、混ざりきらなかったジャムの塊が時折口に滑り込んできたりするところが、サプライズ感があって凄く楽しいのだ。
粗めに潰された果肉を齧ると、ほんのりお茶の風味がして甘酸っぱい。
「そっか……」
自分のカップに視線を落としたトーマは、とても残念そうに呟いた。
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