3
今日は迷わず地面に腰を下ろしたルウンは、早速ティーポットを揺らして中身をカップに注いでいく。
ふわりと、爽やかな香りが立ち上った。
「今日は、鼻にスーっと通るような香りだね。すごく頭がスッキリしそう」
ルウンはコクっと頷いて、お茶の入ったカップをトーマに差し出す。
「ありがとう」
カップを受け取って、トーマは改めて立ち上る湯気を吸い込んだ。
鼻から喉へと、駆け抜けていくような爽快感があり、カップを傾けて中身を口に含むと、どこか薬草っぽいような中に、ほのかな甘さが感じられた。
「うん、美味しい」
カップを下ろして頬笑みかければ、ルウンが照れくさそうに視線を逸らした。
「今日は、なんのお茶なの?」
ルウンは視線を逸らしたままで、小さく口を開く。
「……ミント」
答えを聞いてからもう一口飲んで、トーマはカップを置いた。
「ミントのお茶って、すごく清涼感があるから眠気覚ましなんかにピッタリだって聞いたことがあったけど、飲むのはこれが初めてだよ。なるほど、噂に違わない味だね」
楽しそうに笑ってカップを覗き込むトーマの瞳は、初めてルウンを見た時と同じ、驚きと喜びと無邪気な興奮に満ちていた。
そんなトーマの前に、ルウンはおずおずとバスケットを押し出す。
「ん?」
カップから視線を移したトーマの瞳が、それに気づいて見る間に嬉しそうに見開かれた。
「サンドイッチ!」
子供みたいにはしゃいだ声を上げたトーマは、「頂いていいの?」と聞きながら早速手を伸ばす。
ルウンはコクっと頷いて、また少しバスケットを押した。
「嬉しいな。僕サンドイッチ好きなんだよ。片手で食べられるから、いつでも思いついたことをメモ出来るところが凄くいい」
トーマが大きく口を開けてサンドイッチにかぶりつくと、軽くトーストされたパンがカリッと小気味いい音を立てた。
中身はトマトにキュウリにハムとシンプルで、そこにケチャップとマヨネーズを混ぜたソースをかけてある。
トーマに続くようにして、ルウンも小さな口でサンドイッチを齧った。
二人がサンドイッチを頬張る脇のテーブルでは、ルウンがまいたパンの欠片を、鳥達が一心に啄んでいる。
「うん、美味しい!今日も凄く美味しいよ」
唇の端についたソースを指先で拭い取りながら、トーマは美味しい、美味しいと繰り返す。
はぐはぐとサンドイッチを齧りながら、ルウンは照れたように僅かに頬を染めた。
それからは無心でサンドイッチにかぶりつくトーマに習って、ルウンも一心にサンドイッチを頬張る。
特に会話はないが、かと言って気まずさもない。
午後の柔らかい日差しの下、枝葉を揺らす風の音と、鳥がパンを啄む微かな音だけが、二人の間にある静寂を和らげる。
先に食べ終えたトーマは、残っていたお茶をゆったりと味わいながら、目の前にいるルウンの姿を眺めた。
両手で持ったサンドイッチを、端からはぐはぐと齧っていく姿はまるで小動物。
「最初は猫みたいだなって思ったけど……どっちかって言うと、ルンはリスだね」
唐突なトーマの言葉に、顔を上げたルウンは、サンドイッチを咥えたままの格好で首を傾げる。
その姿もまた、トーマにしてみればどことなくリスっぽかった。
「そういう何気ない仕草がさ、小動物みたいだなって」
クスリと笑うトーマに、ルウンはますます首を傾げる。
「さてと、今日はなにを聞こうかな」
それをまた可笑しそうに笑って見つめながら、トーマは持ってきていたバッグを膝に乗せて、中から愛用の古びたノートを取り出す。
楽しげに持ち上がったその口角を眺めながら、ルウンはサンドイッチの最後の一口を飲み込んだ。
「うーん、そうだな……」
時折お茶を飲みながら真剣な顔で考え込んでいるトーマをジッと見つめて、ルウンもまたカップを傾ける。
トーマが考え込んで口を閉じると、あとに残るのは、ペラリペラリと規則正しくノートを捲る音と、鳥達のくちばしがトントンとテーブルを叩く音だけ。
すっかりお腹が満たされたルウンを、ぽかぽかと温かい日差しが照らす。
不意に、ルウンの口からあくびが零れ落ちた。
「……ルン?」
名前を呼ばれて顔を上げれば、トーマが僅かに俯いたルウンの顔を覗き込んでいた。
「眠いの?」と尋ねられてふるふると首を横に振るが、その口からはまた意図せずあくびが零れ落ちる。
「眠いなら無理しなくていいんだよ。なんなら今日はこれでお開きにして、中に戻ってお昼寝したって僕は構わないし」
何となく、この時間を終わらせてしまうのがもったいなくて、ルウンはゆったりと首を横に振るが、あくびに引き寄せられるようにして睡魔がやってくる。
「ルン……?」
徐々にぼんやりとしていく意識の中、トーマが遠慮がちに肩に触れてその体を揺すった。
「寝るなら中に入って、ちゃんとベッドで寝なよ。ルン、聞こえている?」
ゆらゆらと揺れる視界の中、ルウンが僅かに顔を上げてコクリと頷く。
しかし立ち上がるだけの気力もなく、もう一つあくびを落とすと、スーっと重力に引き寄せられるようにして目を閉じた。
「あっ、ちょっとルン……!」
こくりこくりと船を漕ぎ始めたルウンに、トーマが慌てたような声を上げる。
「参ったな……勝手に中に入るわけにはいかないし」
困ったようにすぐそばにある洋館を見上げて、トーマはため息を落とす。
それから、今にも地面に崩れ落ちそうな勢いで揺れているルウンに視線を移し、意を決したように立ち上がった。
「ごめんね、ルン」
移動した先はルウンの隣。
肩が触れ合うほどに体を密着させたトーマは、揺れるルウンの頭を、自分の肩へと導く。
コテっと頭が肩に乗って、不安定に揺れていたルウンの体が安定した。
「……やっぱり、ルンは猫かな」
肩にかかる確かな重みと、サラリと零れ落ちる白銀の髪。
青みがかった銀色の瞳は今は閉じられていて、薄く開いた唇からは微かな寝息が漏れ聞こえる。
午後の柔らかい日差しが二人に降り注ぎ、ぽかぽかと温かくお昼寝にはもってこい。
気持ちよさそうに目を閉じるルウンに肩を貸したまま、トーマは空を見上げた。
「起きたらルン、ビックリするかな……。また逃げられて、今度こそ避けられるようになったらどうしよう」
困ったように呟いた言葉は、眠るルウンには届かない。
「ああ……それにしても、いい天気」
薄青い空を、白い雲がゆったりと流れていく。
昨日よりも雲が多くて、青の面積が少ないように感じる空に、トーマはため息ともつかないような息を吐き出した。
「どうか、明日もルンが、僕をお茶に誘ってくれますように……」
祈るように小さく呟いた言葉は、当然のように、眠るルウンには届かない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます