2
トーマのその様子を、少女は洋館の中からジッと見つめていた。
先程から何度か顔を上げるたび、目が合うのではないかとドキドキしていたのだが、トーマはすぐさま下を向いてまた手を動かしている。
なんだか楽しそうなその様子をしばらく眺めて、少女は窓辺を離れてキッチンに向かった。
もうすぐ、お茶の時間になる。
一日の仕事を一通り終えたところで、昼食とその日の気分で淹れたお茶を、天気のいい日は外で楽しむのが少女の日課であり、一日の中で一番好きな時間でもあった。
少女はキッチンに立ち、調理台の上に作り付けられた棚を見つめる。
今日のお茶は何にしようか――人差し指を棚の端から端まで行ったり来たりさせて、少女は迷う。
あっちにしようか、それともこっちにしようか、散々迷った挙句に少女が選んだのは、茶葉の中に乾燥させたバラの花びらがたっぷり入ったもの。
瓶の蓋を開けると、バラの香りがふわっと広がった。
先に火にかけておいたヤカンの様子を見ながら、ティーポットにスプーンで二杯の茶葉を入れていく。
いつもは一人分だけなので二杯で充分なのだが、今日はふと考えて手が止まる。
しばらく迷った末に、少女はもう一杯分スプーンで掬った茶葉を足した。
いつもはカップも一人分しか用意しないのを、今日は二人分。
少しだけいつもとは違う感じが、妙に少女の心を沸き立たせる。
ヤカンがカタカタ鳴り出したところで火を止めると、ポットにそっとお湯を注いでいく。
いつもと同じとぷとぷというその音が、今日はなぜだかいつもより弾んで聞こえた。
シュガーポットやティースプーン、カップと一緒に蓋を閉めたティーポットをお盆に載せると、バスケットに多めのパンを詰めて準備は完成。
窓の向こうから、いつもおやつをねだりにくる鳥達が催促するように鳴いている声が聞こえ、少女はいつもより重たいお盆とバスケットを手に外に出た。
まず慎重にテーブルまで歩いてから、持っていたものを下ろして顔を上げる。
未だトーマは、熱心に手を動かし続けていた。
待ちきれないようにテーブルの上に下りてきた鳥達に先にパンをちぎって与えてから、少女はゆっくりとトーマに近づいていく。
邪魔をしてはいけないと思うと、自然と忍び寄るような形になって、少女は昨夜と同じように後ろからトーマの手元を覗き込んだ。
相変わらず、紙の上では盛大にミミズがのたくっている。
風が吹いて枝葉が揺れると、少女の髪もふわりと舞い上がる。
その拍子に肩から零れ落ちたひと房が、トーマの手元に落ちた。
驚いたように振り返ったトーマは、昨夜と同じように自分の手元を覗き込んでいる少女の姿に、可笑しそうに笑った。
「やあ、おはよう。いや……こんにちは、かな。今日もいい天気だね」
おはようか、こんにちはか、それとも天気のことに返事をするべきか、悩んだ末に少女はひとまずコクリと頷いてみせる。
「凄くいいものが書けそうなんだ。こんなに筆が進むのは久しぶりだよ」
嬉しそうににっこり笑ったトーマに、少女は返す言葉を探して黙り込む。
考えた末に、結局何も浮かばなかった少女は、黙ってテーブルの方を指差した。
指し示された先を追いかけたトーマの目に、二人分のカップとバスケット、それから一心に何かを啄んでいる鳥達の姿が見える。
「キミのお昼?」
頷こうとして、でもそれだけではないからふるふると首を横に振って、少女は困ったようにテーブルとトーマとを交互に見つめる。
誰かを誘ったことなんて今まで一度もないから、こんな時になんと言っていいかが分からなかった。
困りきった少女の顔からテーブルに視線を移し、それからまた少女に視線を戻したトーマは、おずおずと口を開く。
「もしかして……僕も、一緒にいいの?」
困り顔から表情を一変させて、少女は勢い込んで何度も頷く。
自分の言いたかった事が伝わって、とても嬉しかった。
トーマもまた、少女が頷いた途端にぱあっと表情を輝かせる。
「嬉しいよ、ありがとう!実は物凄くお腹が減っていたんだ。遠慮なく、お言葉に甘えさせてもらうね」
またコクっと頷いて、少女は先に立って歩き出す。
そのあとを、のんびりと立ち上がったトーマが追った。
先にテーブルの前に着いた少女は、そこに椅子が一脚しかないことに気がついてハッとする。
「やあ、鳥さん。僕も、仲間に入れさせてもらうね」
呑気に鳥達に挨拶するトーマの声を聞きながら、少女はどうしたものかと考えを巡らせる。
トーマが現れたことに驚いたのか、鳥達はパンの欠片を咥えてバタバタと飛び立っていく。
その行方を目で追いかけていたトーマは、またも困り顔で立ち尽くしている少女に気がついて首を傾げた。
「どうかしたの?」
少女が困ったように見つめる先、一脚しかない椅子を見て、トーマは納得したように頷く。
「大丈夫だよ。僕なら、ここで充分だから」
トーマは、テーブルの脇に何の躊躇もなく腰を下ろす。
「ちょっと高さは違うけど、話をするのに何の問題もないしね。それに、太陽の熱で温まった地面って、ポカポカしていて気持ちいいんだよ」
屈託なく笑うトーマに、少女はまたしばらく考えた末、つけていたエプロンを徐ろに外し始める。
何が始まるのかと驚いているトーマの前で、少女はエプロンを地面に広げると、そこにテーブルから下ろしたお盆とバスケットを置いて、自分も地面にペタンと腰を下ろした。
確かに、お尻の下に感じる地面は、ポカポカと温かい。
「キミは、椅子を使ってくれて良かったのに」
苦笑するトーマをよそに、少女はティーポットを軽く揺らして、中身をカップに注いでいく。
ふわりと漂った花の香りに、トーマは鼻をヒクつかせた。
「いい香りだね」
コクっと頷いて少女がカップを差し出すと、お礼と共に受け取ったトーマは、フーっと息を吹きかけて早速口を付ける。
「うん、凄く美味しい!」
トーマの顔に笑みが広がるのを見てから、少女は自分のカップにもお茶を注いだ。
その間に「こっちも貰っていいかな?」と、トーマがバスケットに手を伸ばす。
「うん、こっちも旨い!」
旨い、美味しい、と繰り返しながら、お茶を飲んでパンを食べるトーマを眺めながら、少女もカップに口を付ける。
湯気に乗ってバラの香りがふわあっと香って、口の中にほのかに甘い風味が広がった。
「美味しくて、いくらでも食べられちゃうよ」という言葉通り、トーマは次々とパンを平らげていく。
多めに持ってきたはずのバスケットの中身が物凄い勢いで減っていくのを見て、少女は慌てて手を伸ばした。
今日持ってきたのは、片手にすっぽりと収まるサイズの丸いパン。
粗めに刻んだ木の実とたっぷりのハチミツが入ったそのパンを、一口サイズにちぎって口に運ぶ。
木の実の食感がザクザクとしていて、ほんのりと甘いパンは、軽めのお昼やおやつなんかに丁度いい。
そこに、先ほどトーマを見て一目散に逃げていった鳥達が、様子を伺うようにして戻ってきた。
少女は、再びパンをちぎってテーブルの端にまく。
「この鳥さん達、昨日来ていたのと同じ子達かな?」
トーマの問いに、少女は曖昧に頷き返す。
同じ種類であることは分かっても、昨日と全く同じ鳥達が来ているかどうかなんて、少女には分かりかねる。
「よく来るの?」
それにはコクリと頷いて、「この時間に、なると……いつも」と補足する。
自分の口に運びながらも、時折鳥達の方へちぎったパンを放っている少女を、トーマはお茶を飲みながら興味深そうに見つめる。
しばらくしてお腹が満たされたのか、鳥達は満足したように鳴いて飛び立っていく。
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