8 風邪にはミルクスープ
「うん、まだ熱があるね。今日も一日、安静にしていないとダメだよ」
朝から甲斐甲斐しくルウンの世話を焼くトーマは、その額に濡らしたばかりの新しいタオルを載せる。
「キッチン借りるね。なにか作ってくるよ」
「……食べたく、ない」
掠れた小さな声に咳が混じる。
トーマは、踏み出しかけた足を一旦戻してルウンの方に向き直った。
「食欲がないのは分かるけど、昨日だって結局水しか飲んでないし、さすがに今日はなにか食べないと。このままだと、治るものも治らないよ」
それでも嫌だと訴えるように、ルウンの首が力なく左右に振られる。
「でもね、ルン――」
困り顔で説得を続けようとしたトーマを遮るように、ルウンはその袖口を弱々しく掴んで引いた。
「……お話、聞きたい。昨日の続き」
熱で潤んだ瞳が、ねだるようにトーマを見上げる。
また心臓が高鳴って、トーマは必死にこみ上げてきた色んな感情を飲み込んだ。そして、努めて平静を装って笑いかける。
「それじゃあルン、こういうのはどうかな」
ご飯を食べてお話を聞くか、何も食べずにお話もなしか。突きつけられた二択に、ルウンの表情が変わる。
「一口でもいいんだ。何か食べてくれたら、僕は喜んで続きを話すよ。でもどうしても食べたくないなら、今日は大人しく寝ていないとダメだね。お話の続きは、元気になってから聞いてもらうことにするよ」
食べたくないけれどお話は聞きたくて、でも食べなければお話は聞かせてもらえない。ルウンにとっては、究極の二択と言っても過言ではなかった。
しばらく難しい顔で黙り込んでいたルウンは、やがて掴んでいた袖口からそっと手を離して
「……食べる」
ぼそりと小さく呟いた。
「よかった。じゃあ、すぐに何か作ってくるから。あっ、キッチン借りるね。あと材料とか調味料も」
少し膨れ気味のルウンは、トーマから目を逸らして頷いた。
その姿に、トーマは思わず苦笑する。
「何か、食べたいものはある?」
それでも、去り際にリクエストはないかと尋ねると、ルウンはチラッとトーマに視線を向けて答えた。
「分かった。あんまり難しいものじゃなくて良かったよ。聞いておいてなんだけど、僕はルンみたいに料理上手じゃないから」
苦笑しながら寝室を出て行くトーマを見送って、ルウンは一人になった部屋でぼうっと天井を見上げる。
とても温かいものが、胸の中に満ちていくのを感じていた。
今まで体調を崩して寝込んだ時は決まって、冷たくて悲しいものが胸を満たして、辛い気持ちになるばかりだったのに。
スッと目の前に手をかざして、ルウンは自分の手をまじまじと見つめる。トーマが離れていこうとするたびに、まるで縋るようにその袖口に伸びてしまう手。
そこには確かにルウン自身の意思があるはずなのに、不思議な気持ちがしてならなかった。
この、ほんわりと体の内側を温めるものはなんだろう――。
まだルウン自身は名前も知らない”何か”が、密かに芽生え、そして育ち始める。
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