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ルウンの仕事は中々に手早くて、トーマが階段を下りて物を置き、また戻って来る頃には、既に次の物が待ち構えていた。
それもこれも、トーマを待たせないようにとのルウンの配慮なのだが、おかげでトーマは休む間もなく階段を往復している。
どんなに頑張ってもルウンの方が早くて、挙句明らかに割れていると思しき食器が詰まった箱を手に、自分も運ぶと言い出す始末。
「大丈夫!手が空いたなら休んでいていいよ」とその手から箱を受け取るも、トーマの体力は既に限界に近かった。
「……これで全、部……?」
何度目かの往復を終えて、階段にヘタリ込むようにして二階に顔を出したトーマを、ルウンは何とも言えない表情で迎える。
「まだ……。あと、少し残ってる」
その声に顔を上げれば、ルウンが埃を落とし終えた物達が、トーマに運ばれるのを今や遅しと待ち構えていた。
「まだ。あと、少し……」
ルウンのセリフを繰り返してから、トーマは力なくがっくりと項垂れる。
その姿を気遣わしげに見つめたルウンは、近づいて行ってトーマの前にしゃがみこむと、首を傾げるようにしてその顔を覗き込んだ。
「トウマ、疲れた?」
ここは例え強がりでも、男として、そんなことはないと答えるべきかとも思ったが、正直な体から、その強がりを全力で拒否するように力が抜けていく。
「正直、かなり……」
苦笑気味に笑って見せるトーマに、ルウンはコクっと一つ頷いてから立ち上がった。
「そろそろ、お茶の時間」
そう言い残して、ルウンは座り込むようにしてへたばっているトーマを避けて、パタパタと階段を駆け下りていく。
その足音を聞きながら、トーマは小さくため息をついた。
「僕ってば、なんて情けない……。ルンはまだあんなに元気なのに」
元より階段を往復して物を運ぶのと、箒を使って埃を落とすだけでは体力の消耗具合は全く違うのだが、トーマはただひたすらに自分の不甲斐なさを嘆く。
下の階から微かに聞こえてくるカチャカチャとカップが立てる音に耳を澄ましながら、トーマはしばらく体を休めるように目を瞑った。
不意に枕が欲しくなって伸ばした手は、しかし虚しく空を掴む。
驚いてパッチリと開いた目で自分の周りを見渡して、トーマは思い出す。
「そうだ……邪魔になるといけないからって、下に置いてきたんだった」
ルウンが移動させていなければ、まだきっと椅子の上。
と言うよりも、何も考えず床に置いた荷物を、ルウンがそっと拾って椅子の上に置き直したのだ。
トーマ自身よりもトーマの荷物を大切に扱ってくれるルウンの姿は、思い出すとふっと笑みが零れる。
トーマの肩に引っかかっている時以外は、ほとんど地面の上に置かれている荷物は、当然のように薄汚れている。
それをルウンは、何の躊躇いもなく床から椅子の上へと移動させた。
その優しさが、トーマには嬉しかった。
こんなふうに行く先々で出会った人の優しさに触れるのもまた、トーマにとっては旅の醍醐味の一つとなっている。
それを噛み締めながら体を大きく伸ばして、先ほど半ば這うようにして上がってきた階段を、今度はちゃんと立ち上がって下りていく。
階段を一段下りるごとに甘い香りが漂ってきて、トーマは思わず鼻をヒクつかせた。
「なにか、手伝おうか」
火のそばに立っていたルウンに後ろから声をかけると、ビックリしたように振り返った顔が、すぐさまふるふると横に振られた。
見れば、火にかけられた小鍋がくつくつと音を立てていて、既にカップも二人分用意されている。
座って待っていて欲しいと、いつものたどたどしい言葉で伝えてくるルウンに、トーマは素直に頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。でもなにかあったら、遠慮なく呼んでね」
ルウンがコクっと頷いたのを確認して、トーマはテーブルに向かう。
一階は、寝室だけが壁で区切られて見えないようになっているが、他の部屋はひと繋ぎになっていて、テーブルについていても、鍋を一心に見つめるルウンの姿がよく見える。
その姿をなんとなしに見つめながら椅子に腰を下ろしたトーマは、お尻の下に感じた違和感にすぐさま腰を浮かせた。
「ああ、忘れていた」
下敷きになっていたバッグを引っ張り出して背もたれに引っ掛けると、くたびれた袋が力なく、くたりと垂れ下がる。
随分と年季が入ったものだが、奮発していいものを購入したおかげで、薄汚れても未だ穴は一つも空いていない。
旅をしながら物語を書くと、そう決めて生まれ育った町を出た時からの、変わらないトーマの相棒。
ふと、近くに感じた人の気配に視線を向けると、いつの間にか隣の席にルウンがいて、不思議そうにトーマの視線の先を見つめていた。
「何か……おかしなところ、あった?」
どこか不安そうな響きのある言葉に、トーマは笑って首を横に振る。
「全く。ただ、感傷に浸っていただけ」
懐かしい故郷を思い出し、今まで旅してきた場所を思い出し、そしてそこで出会った人達を思い出していた。
思い出すのが楽しいこともあれば、当然悲しい気持ちになるようなこともあって、でもその全てが、物語を書く上での大切な経験となっている。
トーマの言葉に、なるほどと頷いて見せたルウンは、持ってきたカップをそっとトーマの前に置いた。
途端に、トーマの目がキラリと光って、ワクワクした顔がカップの中を覗き込む。
中身は乳白色で、湯気にのってふわりと甘い香りが漂った。
「いただきます!」
早速口に含んでみれば、とろけそうなほどに甘いミルクの味わいが、口いっぱいに広がる。
その優しい甘さは、疲れた体にじんわりと染み込んでいく。
「なんだか、ほっとする味だね」
ほうっと息を吐いてから笑って言うトーマに、ルウンはコクリと頷いてみせてから、自分もカップを口に運ぶ。
温めたミルクに砂糖と卵黄、バニラエッセンスを加えて作った飲み物は、その甘さと温かさが、優しく疲れを癒していく。
しばし二人は静かにカップを傾け、その味に浸っていた。
この時ばかりは、降り続ける雨音も心地よく感じられる。
「甘いものは疲れに効くって聞いたことがあったけど、ほんとなんだね」
しみじみとしたトーマの言葉に、ルウンはほんの微かに首を縦に振って同意を示す。
再び二人の間に沈黙が訪れた時、不意にどこからともなくいい香りが漂ってきた。
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