2 改めましての木の実とハチミツのパン
早起きな鳥達が、朝の訪れを知らせるように鳴きながら飛んでいく。
その時、昨夜と同様にゆっくりゆっくりと洋館の扉が開いた。
薄く開かれた隙間から、少女の片目が覗く。
青みがかった銀色の瞳でキョロキョロと辺りを見回して、また少し扉を開けると、ようやく少女はそろりと体を外に出す。
それから足音を忍ばせるようにしてテーブルまで向かうと、そこからそうっと向こう側の様子を伺った。
昨日別れた位置からほとんど動くことなく、トーマはバッグを枕に体を丸めて眠っていた。
彼がそこにいることも、まだ寝ていることも確認した上で、少女は再び足音を忍ばせるようにして来た道を駆け戻る。
程なくして、今度は洗いたての洗濯物を山と積んだカゴを手に、腕にはもう一つ空のカゴをぶら下げて、少女は再び外へ。
眠るトーマにチラリと視線を送ってから、少女は館の端にある物干し場へ向かった。
積み上げた洗濯物を全て干し終わると、空になったカゴをその場に残して、今度はもう一つ持ってきていたカゴを手に館の裏に回る。
そこにあるのは、畑と鶏小屋。
まず小屋の方に向かった少女は、鶏達を驚かせないようにそっと中に入って、持っていたカゴに産みたての卵を入れていく。
それから中を掃除して餌をまくと、我先にとがっつく姿をしばらく眺めて、またそっと小屋を出る。
次は畑に向かい、収穫できそうな野菜を幾つかカゴの中へ、先に入っている卵が下にならないようにこれまたそっと入れていく。
そのあとは、畑に水やり。
葉についた水滴に日光が反射してキラキラと輝くのをしばらく眺めて、少女は来た道を戻った。
途中で物干し場に寄って空のカゴを拾うと、ついでにトーマの様子を伺う。
未だその両目は気持ちよさそうに閉じられていたので、少女は声をかけずに館に戻った。
そして、取り掛かるのは朝食作り。
まずはスープ、前の晩に煮込んでおいた肉とニンジン、タマネギにカブやセロリが入った鍋を火にかけて温め直し、塩と胡椒で味を整える。
次にカゴから取り出した卵に塩と胡椒を入れて解きほぐすと、バターを入れて馴染ませておいたフライパンに流し入れ、半熟に仕上がるよう手早く混ぜて形を作る。
出来上がったオムレツを皿に盛り、その脇にパンを添え、スープを器に注げば朝食の完成。
フォークやスプーンと一緒にお盆に載せて、キッチンの隣にある部屋まで運ぶと、少女は席に着く。
食べ始める前に、用意した一人分の朝食に視線を落とし、それから窓の向こうを見つめる。
しばらくどうしようかと迷ったが、浮かんできたトーマは気持ちよさそうに目を閉じていたので、少女は窓から視線を外して食事を始めた。
初めに、スプーンを掴んでスープの器を引き寄せる。
前の晩に仕込んでおいた甲斐あって、野菜も肉もとても柔らかく、またいい出汁が出たスープは、胡椒がピリッと効いていてとても美味しい。
一口ずつちぎりながらパンを食べると、次はオムレツ。
フォークで切って口に運ぶと、中は半熟でフワッと仕上がった卵は、塩と胡椒のシンプルな味付けとバターのコクが広がる。
時折顔を上げて窓の向こうを眺めながら、少女は黙々と食事を進めていく。
いつもと同じ外の景色、何の変哲もないその光景を、今日は少しドキドキしながら眺める。
天気は快晴、風も穏やかで、気温は昨日と同じに温かい。
外でのティータイムには絶好の日和だ。
朝食を食べ終えて食器を片付けた少女は、すぐさま掃除に取り掛かる。
外から見れば、トーマが“廃れた”と称するのが分かりすぎるほど、かなり年季が入っているが、中は持ち主である少女の欠かさない掃除のおかげで、中々住みやすい環境が整っていた。
一階が主な生活スペースで、二階の屋根裏部屋は物置、地下には小部屋があって、そこは食料貯蔵用の部屋として使っている。
一階を一通りホウキで掃き終えた少女は、続いてキッチンの棚や調理台、テーブル等を布巾で綺麗に拭いていく。
掃除が終わると今度は、地下に下りて食料の確認。
保存が効くように加工した食材や、元々日持ちのする食材、パンを焼くための粉類などが並んでいるのをぐるりと見渡す。
地下の確認作業が終わって一階に戻ってくると、窓から差し込む陽光がほんのりと部屋を温めてくれていて、ひんやりとした地下の空気で冷えた体からホッと力が抜ける。
一日の主な仕事を終えたところで一息つくと、少女は窓の向こうを見つめた。
少女の視界には、窓枠に切り取られた森の木々と青い空が映っている。
いつもと変わらないはずのその景色が、いつもとは少し違って見えるのが不思議で、少女はしばらく立ち尽くしたまま、ぼんやりとその景色を見つめていた。
*
「いい天気だな……」
その頃トーマは、未だ枕代わりのバッグに頭を載せたまま、手でひさしを作って青い空を見上げていた。
「本当にいい天気だな……。こんな天気がいい日は、一日中寝ていたくなる」
ポツリと呟いて目を閉じたトーマは、それから数秒もしないうちにパッチリと目を開けて、言葉とは裏腹に勢いをつけて体を起こした。
すぐに視界いっぱいに広がったのは森の木々。
振り返れば、レンガ造りの洋館が佇んでいる。
絡まり放題の蔦や、所々ひび割れて崩れかけたレンガが、一見すると廃屋のような雰囲気を漂わせているその館。
けれどそこには、確かな生活感がある。
例えば、耳を澄ませば聞こえてくる鶏達の声、風に揺れる洗濯物、そして微かに漂ってくる美味しそうな匂い。
廃屋のようであって、廃屋ではない。
それが、トーマの心を躍らせる。
「物語の舞台になるべくしてここにある、正しくそんな感じだな」
高陽してくる気持ちを抑えてじっくりと目の前の館を眺めながら、トーマはそこに住まう少女のことを思い浮かべる。
肩から零れ落ちる白銀の髪に、驚いたように見開かれた青みがかった銀色の瞳。
月明かりの下で見た少女の姿を思い出すと、またトーマの心が沸き立つ。
「西方には色んなところから人が集まってくるから、時々凄く珍しい容姿の人にも出会えたりするけど……あの色の髪と瞳は初めて見たな」
幾度か国境を超えたこともあるトーマだけれど、未だかつて白銀の髪と青みがかった銀色の瞳とは出会ったことがなかった。
物書きとして、未知との出会いは心が踊る。
トーマは徐ろにバッグを引き寄せると、口を縛ってある紐を緩めて中に手を突っ込み、古びたノートと万年筆を取り出して、そこに一心に何かを書き付けていく。
時折手を止めて顔を上げては、また視線を下ろして手を動かす。
そうして時間が過ぎるのも忘れる程に、トーマはひたすら紙に向かってペンを動かし続けた。
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