最終回(予定)
30分ほどでその時が来た。6人とも既に寝息を立てている。だから僕は1人安心してベッドを降りた。そして、可憐の元へと行った。名もない街乗り用のコンパクトカーと9人乗りの車を通り過ぎたところに、可憐はいる。地下にある9台分の駐車スペースの一番奥だ。毎朝毎晩、雨の日も風の日も、僕が来るのを待っている。可憐というのは時価8000万円のスポーツカーのことだ。名義上は父の車だが、毎日2回乗り回すことを条件にこの可憐を借りている。こうして名前をつけるのは、僕の癖なのかもしれない。大切にしたいからそうしているのだ。僕のかわいい金魚達のように、僕は可憐を大切に思っている。ひょっとすると、可憐も何かの拍子で女の子の姿になって僕の前に現れるのかもしれない。だとしたら、港に置き去りにしている、『晴海』や『さより』と一緒に、何れは僕のかわいい乗物達になってもおかしくはないだろう。
浮き上がるような高揚感と優越感が、僕を支配している。可憐に乗り込んだ時には、そのピークまであと少しだった。
キーを回すと、エンジンが掛かりブヲォーンと馬の鼻息のような物音が響く。
「この瞬間は堪らない!」
こうして、ようやくその気持ちがピークを迎える。独り言は毎朝毎晩のことだ。家を出たらそのまま高速に乗り、レインボーブリッジを渡って折り返す。そして、家に戻るまでが約30分。楽しいドライブなのだ。
「可憐、今日もありがとう」
この一言も日課だ。
僕は平然と寝室に戻り、何食わぬ顔でベッドに潜り込み、僕のかわいい金魚達と一緒に朝を迎えるつもりだった。すっかり寝息を立てているのだから大丈夫だと思っていた。だが、僕のかわいい金魚達は、僕が出ると直ぐに起きだしていたようだ。そして、急にいなくなった僕を、電気も点けずに家中を探していたのだ。夕方、居間の中を探したのとは規模が違う。広さも、時間も。そして明るさも違う。どんなに寂しかったろう。どんなに心細かっただろう。その証拠に、僕が轟音を響かせて戻ると、僕達の出会いの場所、風呂場に集まり肩を寄せ合って怯えていた。一際身体の小さい由依が先頭にいて泣きじゃくりながら他の5人を守るように先頭に立っているのを見。その時には、僕にはまだ想像出来なかった。僕のかわいい金魚達が、かわいいかわいい金魚達が、どれほどの恐怖を感じていたのかということを。涙も拭わずに、何も言わずに、泣いたまま、怖さを感じたまま、彼女達は今、僕にしがみついている。もらい泣きというものではない。僕の中で、僕の感情として沸き立つものがあったから、僕はいつのまにか泣いていた。彼女達の真意が伝わったから、いつのまにか、他の誰よりも大きな声で泣いていた。
「マスター、元気、出して」
「私達がいるから」
「一緒だから」
「泣いちゃダメだよ」
「マスターは、笑ってて」
「マスターは、マスターだから」
「みんな、ごめんよ。本当にごめんよ」
寂しかったろうに。怖かったろうに。辛かったろうに。それでも彼女達は僕の心配をしている。彼女達は自分のことより僕のことを考えている。僕が彼女達をどう観るか、どう接するかを観ている。
どうして、可憐のことを黙っていたのだろう。どうして、可憐が女の子になるだなんてことを想像したのだろう。どうして、目の前にいる彼女達を大切にしなかったのだろう。どうして、大丈夫だと言って彼女達を安心させてあげなかったのだろう。僕は何も観ていなかった。僕が変わらなければいけない。僕も彼女達のことを考えなければいけない。マスターとしてではなく、1人の男として、僕は彼女達と向き合い、触れ合い、思い合い、支え合わなければならない。
もう1度、7人で泣いた。
正伝 金魚は世界最古の観賞魚 世界三大〇〇 @yuutakunn0031
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